泣きの演技。
きのうのように「印象に残る」ではなく、泣きの演技が巧いな上手だな、と思った俳優さんが出てくる映画といえば・・・
『ディア・ハンター』(78)のデ・ニーロかなぁ。
このシーンのあと、クリストファー・ウォーケンを抱きかかえ嗚咽するところ。
『グッドフェローズ』(90)でジョー・ペシの死を聞かされたときの泣きの演技は、ちょっとやり過ぎのような気がする。
女優では、『トゥルー・ロマンス』(93)のパトリシア・アークエットに一票。
コールガールになって数日しか経ってない、だからあたしは「すれっからしじゃない!」と泣きながらいうシーンにグッとくる。
(あり得ないけれど)象徴的な涙としては、アニメーション『無敵超人ザンボット3』(77~78)の「ロボットの涙」を挙げておきたい。
きのう書いたとおり、涙もろい。
もろいが、いま泣けといわれても、俳優さんではないのでそれは無理。
去年か一昨年の『ガキの使いやあらへんで』(日本テレビ)で、『泣くまで待とうホトトギス選手権』というのがあって、メンバーたちが自分で考えたシチュエーションに身を置き、何秒・何分で泣けるかを競う企画があった。
月亭方正と松ちゃんが早く泣けたと記憶するが、自分はダメだなぁ。
笑えといわれたらすぐに笑えるし、100回を超えるゲップも出来るけど。
さて。
自分が「(おそらく)生まれて初めて涙した映画」の話。
これは、はっきりと覚えている。
成龍ことジャッキー・チェン主演の『ファースト・ミッション』(85)である。
同時上映が早見優の『キッズ』(85)というのも別の意味で泣かせるが、自分が10歳(小学校5年生)のときの話だ。
知的障害を持つ兄(サモ・ハン・キンポー)と暮らす刑事、成龍の活躍と青春を描いた物語。
中盤で、なにをやってもダメな兄に対し、弟が泣きながら怒りをぶちまけるシーンがある。
兄はそれを受け止め、「なんとかしなきゃ…」と猛省する。
ここで涙腺決壊、姉と観に行っていたし劇場も8割の入りであったが、そんなこと気にする余裕もなく、しゃくりあげるように泣いた、、、という記憶が鮮明に残っている。
後年、改めてこの映画を観直してみると、演出に鋭さをみせるはずのキンポー作品の割には穴が散見され、それほど…の出来であり、当時泣いたシーンも泣くことが出来なかった。
自分が「すれて」しまったのか、あるいは「そもそもが、その程度の作品」だったのかは分からない。
でも心情としては、自分が「すれて」しまったのだと解釈しておきたい。
それが、映画への恩返し? のような気もするしね。。。
※日本語の歌詞を歌う成龍
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『映画的ぬいぐるみ選手権』
きのうのように「印象に残る」ではなく、泣きの演技が巧いな上手だな、と思った俳優さんが出てくる映画といえば・・・
『ディア・ハンター』(78)のデ・ニーロかなぁ。
このシーンのあと、クリストファー・ウォーケンを抱きかかえ嗚咽するところ。
『グッドフェローズ』(90)でジョー・ペシの死を聞かされたときの泣きの演技は、ちょっとやり過ぎのような気がする。
女優では、『トゥルー・ロマンス』(93)のパトリシア・アークエットに一票。
コールガールになって数日しか経ってない、だからあたしは「すれっからしじゃない!」と泣きながらいうシーンにグッとくる。
(あり得ないけれど)象徴的な涙としては、アニメーション『無敵超人ザンボット3』(77~78)の「ロボットの涙」を挙げておきたい。
きのう書いたとおり、涙もろい。
もろいが、いま泣けといわれても、俳優さんではないのでそれは無理。
去年か一昨年の『ガキの使いやあらへんで』(日本テレビ)で、『泣くまで待とうホトトギス選手権』というのがあって、メンバーたちが自分で考えたシチュエーションに身を置き、何秒・何分で泣けるかを競う企画があった。
月亭方正と松ちゃんが早く泣けたと記憶するが、自分はダメだなぁ。
笑えといわれたらすぐに笑えるし、100回を超えるゲップも出来るけど。
さて。
自分が「(おそらく)生まれて初めて涙した映画」の話。
これは、はっきりと覚えている。
成龍ことジャッキー・チェン主演の『ファースト・ミッション』(85)である。
同時上映が早見優の『キッズ』(85)というのも別の意味で泣かせるが、自分が10歳(小学校5年生)のときの話だ。
知的障害を持つ兄(サモ・ハン・キンポー)と暮らす刑事、成龍の活躍と青春を描いた物語。
中盤で、なにをやってもダメな兄に対し、弟が泣きながら怒りをぶちまけるシーンがある。
兄はそれを受け止め、「なんとかしなきゃ…」と猛省する。
ここで涙腺決壊、姉と観に行っていたし劇場も8割の入りであったが、そんなこと気にする余裕もなく、しゃくりあげるように泣いた、、、という記憶が鮮明に残っている。
後年、改めてこの映画を観直してみると、演出に鋭さをみせるはずのキンポー作品の割には穴が散見され、それほど…の出来であり、当時泣いたシーンも泣くことが出来なかった。
自分が「すれて」しまったのか、あるいは「そもそもが、その程度の作品」だったのかは分からない。
でも心情としては、自分が「すれて」しまったのだと解釈しておきたい。
それが、映画への恩返し? のような気もするしね。。。
※日本語の歌詞を歌う成龍
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明日のコラムは・・・
『映画的ぬいぐるみ選手権』