33年4月13日生まれ、2010年2月17日死去。享年76歳。
東京出身。
映画への出演も「そこそこ」ありますが、藤田まこと(ふじた・まこと)さんといえば、やっぱりテレビドラマのひと、、、という印象が強いです。
『必殺』シリーズ(75~2009、テレビ朝日)と、『はぐれ刑事純情派』(88~2009、テレビ朝日)シリーズがあるからでしょう。
しかし本人は「舞台のひと」でありたかった・・・というのは、自分より上の世代のひとなら頷けることなのかもしれません。
連続して観ていなくとも、話が分かるようになっている―『必殺』や『はぐれ刑事』のよさは、そこですよね。
だから全話を観たことがありませんが、テレビをつけたときにやっていると、思わず最後まで観てしまいます。
『必殺』シリーズは、藤田さん本人の提案で幕を閉じています。
若者に媚を売るように、「饅頭の上に苺を乗っけたり、生クリームをかけたり」するようになってイヤになったのだそうです。
<経歴>
父親は無声映画のスター、藤間林太郎。
兄は戦地で散り、姉は肺病で死す。
父親は残された子どもに無関心であったため、藤田さんは自分の「才覚だけ」を頼りに闇市に出入りするようになります。
10代後半で父親が所属していた一座に顔を出すようになり、雑用係に。
やがて舞台にあがり、藤田まことを名乗り始める。
ディック・ミネのカバン持ちをしながらの前座の歌手、巡業の司会などなど、なんでも挑戦し、さらにそれらをソツなくこなしながら様々な経験を積んでいく。
転機は62年。
時代劇のコメディ、『てなもんや三度笠』(TBS)に「あんかけの時次郎」としてレギュラー出演を果たします。
当時を知らない自分なんかは、
「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」
の、なにが面白いのか・・・と思ったりもしたのですけれど、番組のスポンサーを務めていた前田製菓の商品だったんですね。
この番組のヒットで、藤田さんの名前は一気に全国区となりました。
映画俳優としての実質的デビュー作は61年の『出世武士道』ですが、
『てなもんや三度笠』(63)で始まる、テレビシリーズの映画版のほうがピンとくるのでしょうね。
『てなもんや東海道』(66)
『幕末てなもんや大騒動』(67)
『てなもんや幽霊道中』(67)
ほかの出演作に・・・
『ホラ吹き太閤記』(64)、『日本一のゴマすり男』(65)、『日本一のゴリガン男』(66)、『クレージーだよ奇想天外』(66)、『クレージー黄金作戦』(67)、『クレージーの怪盗ジバコ』(67)、『クレージーメキシコ大作戦』(68)、『日本一の裏切り男』(68)、『クレージーの大爆発』(69)、
『日本一のヤクザ男』(70)・・・と、「てなもんや」効果でコメディばっかりオファーが舞い込んでいたようです。
再びテレビの世界に戻ります。
73年、『必殺仕置人』の主人公・中村主水を熱演し好評を博す。
これで「シリアスも無問題」という評価がなされ、映画のキャリアにも幅が出来るようになります。
『闇の狩人』(79)、『衝動殺人 息子よ』(79)、『影の軍団 服部半蔵』(80)、『わるいやつら』(80)、『真夜中の招待状』(81)、『野獣刑事』(82)、『積木くずし』(83)。
~劇場版『必殺』シリーズ~
『THE HISSATSU』(84)
『ブラウン館の怪物たち』(85)
『裏か表か』(86)
『恨みはらします』(87)
『黄金の血』(91)
『主水死す』(96)
『三味線屋・勇次』(99)
89年には映画版の『はぐれ刑事純情派』、95年には映画版の『鬼平犯科帳』に出演。
それでも映画的キャリアは弱いものでしたが、2002年の『突入せよ! あさま山荘事件』は素晴らしかったです。
藤田さんが演じたのは、後藤田正晴でした。
『大奥』(2006)、『椿三十郎』(2007)、戦時中の捕虜虐待を扱った『明日への遺言』(2008)。
2008年、食道に癌が見つかる。
闘病生活に入るも、2010年2月17日に永眠する。
享年76歳、映画の遺作は2008年の『ラストゲーム 最後の早慶戦』でした。
「はぐれ刑事」のようなひとが居たら、やってないことまで「自分がやりました」と自供? してしまいそうです。
そのくらい、よい俳優さんだったと思います。
合掌。
次回のにっぽん男優列伝は、藤原釜足さんから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ミジンコうんち的映画』
東京出身。
映画への出演も「そこそこ」ありますが、藤田まこと(ふじた・まこと)さんといえば、やっぱりテレビドラマのひと、、、という印象が強いです。
『必殺』シリーズ(75~2009、テレビ朝日)と、『はぐれ刑事純情派』(88~2009、テレビ朝日)シリーズがあるからでしょう。
しかし本人は「舞台のひと」でありたかった・・・というのは、自分より上の世代のひとなら頷けることなのかもしれません。
連続して観ていなくとも、話が分かるようになっている―『必殺』や『はぐれ刑事』のよさは、そこですよね。
だから全話を観たことがありませんが、テレビをつけたときにやっていると、思わず最後まで観てしまいます。
『必殺』シリーズは、藤田さん本人の提案で幕を閉じています。
若者に媚を売るように、「饅頭の上に苺を乗っけたり、生クリームをかけたり」するようになってイヤになったのだそうです。
<経歴>
父親は無声映画のスター、藤間林太郎。
兄は戦地で散り、姉は肺病で死す。
父親は残された子どもに無関心であったため、藤田さんは自分の「才覚だけ」を頼りに闇市に出入りするようになります。
10代後半で父親が所属していた一座に顔を出すようになり、雑用係に。
やがて舞台にあがり、藤田まことを名乗り始める。
ディック・ミネのカバン持ちをしながらの前座の歌手、巡業の司会などなど、なんでも挑戦し、さらにそれらをソツなくこなしながら様々な経験を積んでいく。
転機は62年。
時代劇のコメディ、『てなもんや三度笠』(TBS)に「あんかけの時次郎」としてレギュラー出演を果たします。
当時を知らない自分なんかは、
「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」
の、なにが面白いのか・・・と思ったりもしたのですけれど、番組のスポンサーを務めていた前田製菓の商品だったんですね。
この番組のヒットで、藤田さんの名前は一気に全国区となりました。
映画俳優としての実質的デビュー作は61年の『出世武士道』ですが、
『てなもんや三度笠』(63)で始まる、テレビシリーズの映画版のほうがピンとくるのでしょうね。
『てなもんや東海道』(66)
『幕末てなもんや大騒動』(67)
『てなもんや幽霊道中』(67)
ほかの出演作に・・・
『ホラ吹き太閤記』(64)、『日本一のゴマすり男』(65)、『日本一のゴリガン男』(66)、『クレージーだよ奇想天外』(66)、『クレージー黄金作戦』(67)、『クレージーの怪盗ジバコ』(67)、『クレージーメキシコ大作戦』(68)、『日本一の裏切り男』(68)、『クレージーの大爆発』(69)、
『日本一のヤクザ男』(70)・・・と、「てなもんや」効果でコメディばっかりオファーが舞い込んでいたようです。
再びテレビの世界に戻ります。
73年、『必殺仕置人』の主人公・中村主水を熱演し好評を博す。
これで「シリアスも無問題」という評価がなされ、映画のキャリアにも幅が出来るようになります。
『闇の狩人』(79)、『衝動殺人 息子よ』(79)、『影の軍団 服部半蔵』(80)、『わるいやつら』(80)、『真夜中の招待状』(81)、『野獣刑事』(82)、『積木くずし』(83)。
~劇場版『必殺』シリーズ~
『THE HISSATSU』(84)
『ブラウン館の怪物たち』(85)
『裏か表か』(86)
『恨みはらします』(87)
『黄金の血』(91)
『主水死す』(96)
『三味線屋・勇次』(99)
89年には映画版の『はぐれ刑事純情派』、95年には映画版の『鬼平犯科帳』に出演。
それでも映画的キャリアは弱いものでしたが、2002年の『突入せよ! あさま山荘事件』は素晴らしかったです。
藤田さんが演じたのは、後藤田正晴でした。
『大奥』(2006)、『椿三十郎』(2007)、戦時中の捕虜虐待を扱った『明日への遺言』(2008)。
2008年、食道に癌が見つかる。
闘病生活に入るも、2010年2月17日に永眠する。
享年76歳、映画の遺作は2008年の『ラストゲーム 最後の早慶戦』でした。
「はぐれ刑事」のようなひとが居たら、やってないことまで「自分がやりました」と自供? してしまいそうです。
そのくらい、よい俳優さんだったと思います。
合掌。
次回のにっぽん男優列伝は、藤原釜足さんから。
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明日のコラムは・・・
『ミジンコうんち的映画』