うー「はー」→「はー」とにひをつけて(ハートに火をつけて)
性的マイノリティの総称「LGBT」が、この日本でも、やっとこさ浸透し始めている。
レズビアンの「L」、ゲイの「G」、バイセクシュアルの「B」、トランスジェンダーの「T」を取って冠されたことば。
こうした時代の波がやってくる前から、わがいとしのジョディ・フォスターって「同性愛者なんじゃないかな…」と、なんとなく思っていた。
ものだから、パートナーとして同性を選んだというニュースが報じられても、それほど驚かなかった。
ただ高校生のころの自分だったら、それなりにショックを受けていたかもしれない。
デニス・ホッパーが監督・主演し、ヒロインにジョディを起用した『ハートに火をつけて』(89)を観て、自分は「はっきりと」発情したのだから。
そう、このころのジョディは色気ムンムンだった。
物語の内容なんか、もはやどうでもよかった。
ジョディを性的対象と捉え、ハァハァするためだけに劇場に足を運んだのである。
自分は、この映画が日本に上陸する直前に、ドアーズによる『ハートに火をつけて』を知った。
※繰り返し聴いているうちに、確実にトリップ出来る名曲だと思う。
この映画とこの曲と、なんらかの関係性があるかと思ったが、ぜんぜんなかった。
そもそも映画の原題は『CATCHFIRE』、曲の原題は『Light My Fire』だから、意味は同じでもニュアンスはちがったのである。
そうしてこの『CATCHFIRE』は、プロダクションが勝手に編集を加えてしまったためにホッパーが激怒、監督クレジットを拒否し、アラン・スミシー名義で日本公開された問題作なのであった。
アラン・スミシーについては、度々このコラムでも取り上げている。
映画制作において「なんらかのトラブル」が発生した場合、監督名として冠することの出来る「匿名システム」のこと。
米国の刑事が「名無しの犯人」を「ジョン・ドゥ」と名づけることに似ているかもしれない。
いや、ちょっとちがうかな・・・。
マフィアがらみの殺人事件を目撃してしまったヒロイン、ジョディ・フォスター。
組織は口封じのために殺し屋、デニス・ホッパーを差し向けるが・・・という物語。
惚れた弱みか、力関係が徐々に変化していくさまがユーモラスに描かれていて、これがチョッパーバイクを疾走させていた男の創った映画なのか!? と一瞬だけ脱力するが、ここにはなんともいえない人生の悲哀と皮肉が滲んでいて、酸いも甘いも経験してきたホッパーならではの映画なのだと納得出来る構成になっている。
ナンダカンダいいつつ、ホッパーはハリウッドの実力者。
だからであろう、後年、アラン・スミシーではなくホッパー名義のきちんとした? バージョン『バックトラック』が公開された。
2作を比較してみると、ホッパーのやりたかったことは分かる。
・・・分かるが、初見のインパクトというものが「やっぱり」あるわけで、どうしても『ハートに火をつけて』のほうがいいな! と思ってしまう自分なのだった。
あすのしりとりは・・・
はーとにひをつけ「て」→「て」いくつー。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(140)』
性的マイノリティの総称「LGBT」が、この日本でも、やっとこさ浸透し始めている。
レズビアンの「L」、ゲイの「G」、バイセクシュアルの「B」、トランスジェンダーの「T」を取って冠されたことば。
こうした時代の波がやってくる前から、わがいとしのジョディ・フォスターって「同性愛者なんじゃないかな…」と、なんとなく思っていた。
ものだから、パートナーとして同性を選んだというニュースが報じられても、それほど驚かなかった。
ただ高校生のころの自分だったら、それなりにショックを受けていたかもしれない。
デニス・ホッパーが監督・主演し、ヒロインにジョディを起用した『ハートに火をつけて』(89)を観て、自分は「はっきりと」発情したのだから。
そう、このころのジョディは色気ムンムンだった。
物語の内容なんか、もはやどうでもよかった。
ジョディを性的対象と捉え、ハァハァするためだけに劇場に足を運んだのである。
自分は、この映画が日本に上陸する直前に、ドアーズによる『ハートに火をつけて』を知った。
※繰り返し聴いているうちに、確実にトリップ出来る名曲だと思う。
この映画とこの曲と、なんらかの関係性があるかと思ったが、ぜんぜんなかった。
そもそも映画の原題は『CATCHFIRE』、曲の原題は『Light My Fire』だから、意味は同じでもニュアンスはちがったのである。
そうしてこの『CATCHFIRE』は、プロダクションが勝手に編集を加えてしまったためにホッパーが激怒、監督クレジットを拒否し、アラン・スミシー名義で日本公開された問題作なのであった。
アラン・スミシーについては、度々このコラムでも取り上げている。
映画制作において「なんらかのトラブル」が発生した場合、監督名として冠することの出来る「匿名システム」のこと。
米国の刑事が「名無しの犯人」を「ジョン・ドゥ」と名づけることに似ているかもしれない。
いや、ちょっとちがうかな・・・。
マフィアがらみの殺人事件を目撃してしまったヒロイン、ジョディ・フォスター。
組織は口封じのために殺し屋、デニス・ホッパーを差し向けるが・・・という物語。
惚れた弱みか、力関係が徐々に変化していくさまがユーモラスに描かれていて、これがチョッパーバイクを疾走させていた男の創った映画なのか!? と一瞬だけ脱力するが、ここにはなんともいえない人生の悲哀と皮肉が滲んでいて、酸いも甘いも経験してきたホッパーならではの映画なのだと納得出来る構成になっている。
ナンダカンダいいつつ、ホッパーはハリウッドの実力者。
だからであろう、後年、アラン・スミシーではなくホッパー名義のきちんとした? バージョン『バックトラック』が公開された。
2作を比較してみると、ホッパーのやりたかったことは分かる。
・・・分かるが、初見のインパクトというものが「やっぱり」あるわけで、どうしても『ハートに火をつけて』のほうがいいな! と思ってしまう自分なのだった。
あすのしりとりは・・・
はーとにひをつけ「て」→「て」いくつー。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(140)』