おばあさんの知恵袋さんからご案内をいただきました。 私は残念ながら、10月16日と10月19日、どちらも予定がはいっていて行かれません。お近くの方、どうぞいらしてみてください。
★ 小さな子どもとママがたのしめる《グリム童話》
おばあさんの知恵袋さんからご案内をいただきました。 私は残念ながら、10月16日と10月19日、どちらも予定がはいっていて行かれません。お近くの方、どうぞいらしてみてください。
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なにがって、市民1日1人当たりのゴミ排出量だそうです。もちろん、少ないほうから一位二位。一位は静岡県掛川市。そして二位が東京都小金井市。5位まで多摩地区の3つの市がはいっていました。日野市は、個別回収。引っ越してきた当初は、すごいと思いました。集積所だとゴミ置き場のご近所がお気の毒ですよね。
俳句は、季節への挨拶。なので俳句は根底に「挨拶」の気持ちがあります。でも知り合いが結婚したとき、子どもさんが生まれたときにはお祝いの句を送る。そして亡くなられたときには追悼の句を送ると、特別な場合もあります。
句集『だだすこ』には、悼○○ という前書きが3カ所あります。
悼三上冬華 扇置く死を安らぎと仰せられ
死してなほ己に厳し秋簾
芋の露ゆらすこの世の遊びかな
冬華さんは、なんどもなんども句会吟行を親しくご一緒した先輩でした。句評の厳しさは定評があり、「命がけで俳句をやっている」とおっしゃっていた言葉を聞いたこともあるくらいです。「扇置く」というのは、暑さもやわらいだので、扇をもう使いませんというニュアンスの秋の季語。「忘れ扇」というのも同様です。生前入院されたときも、絶対に病院名を教えず、亡くなられたあとは「狭い日本で一家にひとつ墓など必要ない」とおっしゃっていたその言葉通りに、共同墓地に入られました。
死が安らぎでもあるという言葉は、生前他の方が亡くなられたときに冬華さんがおっしゃっていたことです。秋風を凜とまとひて逝かれけり という句も作り、「童子」には発表しましたが、句集をまとめる際には、はずしました。ちょっとそのまますぎるという感じ。冬華さんは『松前帰る』という句集を遺してらっしゃいます。
悼辻由美 ちちろ虫絶えて苦言の懐かしく
ちちろ虫テレビもいらぬ灯もいらぬ 辻由美 (句集『ちちろ虫』) という代表句のある由美さんも、句評だけではなく、誰にもへつらうことのない堂々とした方でした。某句会で、某さんとケンカになったとか、逸話がたくさん残っています。句会で近くに座ると、あれこれ指図をされるので、私など敬遠して離れて座ったりしたものです。そんなことも懐かしい。ちちろ虫というのは、コオロギのこと。「虫絶える」は秋の虫の声が聞こえなくなったという冬の季語です。
そして、
悼後藤竜二先生 終生を熱く青くと炭継げり
生前「先生」とつけてはいけないとおっしゃってらした方ですが、句集は児童文学以外の方が多く見るものなので、あえてつけさせていただきました。季語というのは、ある種「象徴」でもあり、この句の「炭を継ぐ」という季語は、まさに、「児童文学の火」、ご自身が立ち上げた「季節風」の火を継ぎ続けてらしたことへの敬意をこめています。亡くなられたのは7月なので、普通はその季節に追悼句も作りますが、お別れの会が冬に行われたので、その時期に作りました。たくさんいただいたお手紙の中に、この句が好きという方もいらして、嬉しかったです。
虚子は、子規の死に際し、
子規逝くや17日の月明に 虚子 という句を作っています。
または、友人夏目漱石の猫の死を聞いて、
ワガハイノカイミョウモナキススキカナ 虚子
という電報を打ちました。これも立派な追悼句。
おとなりの畑。菜虫がいます。
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『だだすこ』を読んでくださった方から(俳句関係じゃなく)、句の背後を知りたいという感想もいただきました。つまりこの追悼句のときのような? 句会では作者が自句自解をすると、「つまらない」と言われますが、ここではそれもありかなと思い、ときどき『だだすこ』の句を取り上げて、句ができたときのことなどを書くのもいいかなと思っています。
秋田駅にいましたー。ゆるキャラグランプリでは3桁の順位。(先週見たとき)見た目だけじゃなく、個性が必要なのかな。頑張れスギッチ。岩手では、わんこ3兄弟がエントリーされてましたが、3兄弟の必要があるのかなあ。そばっちというひとりのキャラでいいのでは? と思います。
さて私が個人的に気になっていたのは、(というのは今この2つが世の中でどう扱われているかわからないので) ツイッターで毒舌を吐いていた「まんべくん」。戦争発言で炎上したのは、いつでしたっけ? ゆるキャラなのに、けんかをふっかける。戦争を語る。もともとは長万部の公式キャラだったけど、ツイッターは委託していた会社がしていた、でも発言が過激すぎて、行政では手におえなくなった的な展開だったという認識をしていますが、ちがうかな?
もうひとつは、「メロン熊」。子どもが泣いてしまうという。好きです。(やっぱアクの強いのが好きなのかなあ。でもアクの強い人間はダメ)どちらも北海道というのが、なにかありそう。さすが開拓移民の子孫。
見た目で他市とは一線を画しているのは、「にしこくん」。彼は頑張ってますね。「にしこくん」は今年もエントリーしているみたいですが、上のふたつは見かけません。「ゆるくない」からねえ。興味のある方、「まんべくん」「メロン熊」で検索してみてください。
相変わらずお恥ずかしいながら新聞のない暮らしをしています。このごろの一面はどうなっているのでしょうか? オリンピックはさすがに落ち着きましたか?
福島第一原発のタンクから汚水が漏れていたというのは、どのくらいの扱いになっているのでしょう? 私、これ大変なことなんじゃあないかと思っているのですが……。海に流れた放射能は潮の流れでどこまで広がってしまうのか? 将来サカナが食べられないことがおこってしまうのではないか? 水俣のようなことが出てくるのじゃないか? サカナやワカメなどを食べるたびに脳裏をよぎります。
考えすぎですか?
このまえのネットのニュースには、斜面であることをわかっていてタンクを設置していたというのもありました。全て事故が起きてからそういう事実が出てくる。前にも一度書きましたが、人はミスをおかすもの。それを前提にしてほしい。そうすれば、とりかえしのつかないミスがおこる可能性のあるもの(つまり原発)は、やはりNOでしょう!
たぶん大事なことを決める方は、人生でそんなにミスをおかさずに来ているという自信があるのですよ。でもその人が現場で働くわけではない。現場で働く人はミスをします。(差別としていうのではなく。私がそうだから)とっさの判断ができない場合もあります。
新幹線から見えた妖しい空
福島あたりだった……。(福島を通過するとき、天気が悪いことが多いのです。地形の関係もあるでしょう)これは先月東京から岩手へ来る途中でした。そしてきょう岩手から東京へもどります。今回岩手では朝晩ストーブつけてました。
この花をいただくのですが、
茹でたては、色が美しいです。
花にもオクラと同じようにぬめりがあります。あっさりしていて、とてもおいしい。茹でて味ぽんかけるだけ。(また)
監督や福山雅治さんが、テレビに何度も出ていて、それに釣られたというわけではないのですが、観てきました。
うーん。いい人ばっかりすぎるかなあ。この設定で自分が作品を作るとすると、きっと取り違えて人の手に渡った息子が、乱暴者になってるとか、相手の親がどうしようもないとかってしちゃいそう。ただそうなると、話が複雑になっていって、収拾がつかなくなる? これが私がいつも作品にあれこれ要素を詰め込んでしまい失敗する原因か? とか映画とはぜんぜん関係ないことを思っていました。わかりやすく、相手もタイプはちがうけど「いい人」。というところで、映画の筋や「人が成長する」道筋がくっきりしているのかもしれません。
でも主人公かっこよすぎるし。いや、泣かせどころではちゃんと泣きましたけどね。
豊の秋 岩手
てのひらの鉄棒臭き豊の秋 あぶみ 『だだすこ』より
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稲刈り終了しました。Kさんありがとうございました。(聞こえないよ)コンバイン、4枚の田んぼを半日で刈ってしまいます。私はきのうは、稲刈りの終わった刈田を歩き、落ち穂拾いをしただけです。
昔の人は、この四隅だけじゃなく、ぜーんぶこうやって手で刈ったのですね。それを運んで脱穀して、藁で俵を編んで。すごすぎます。
初稲刈り終了
畦には赤まんま(タデ)やミゾソバが咲き、赤トンボや蝗がいて、鈴虫が鳴き、この時期が稲刈りというのが、最も外での仕事に気持ちがいいというのを実感できました。腰には湿布を貼って備えたので、だいじょーぶ。 このへんは、「ひとめぼれ」です。
南部はこういう形です。
伊達藩以南はこっち。
南部と伊達の藩境は岩手の中にあるので、そこを境にこの架稲の形が違うのだそうです。って、去年も書いたような。うちは半分は終わって、残りは明日の予定です。こういった自然乾燥は10年くらい前まで。今は機械乾燥もじーっくりと時間をかけるので、自然乾燥と変わらないものができるとか。この景色もまたいつか無くなってしまう予感がします。
というわけで、きょうは残り4枚の「すまっこ刈り」をします。(機械でできない四隅を刈ること)そして明日機械でガーッとやってもらうのですが、明日は天気が……。とにかくきょう(実は)人生初稲刈りです。(←農家に嫁いで、いままでやってなかったのかっ! はい。一度やるともう逃げられないと思っていたので)
東京の散歩コースなのですが。ここら一帯、27メートル道路になってしまうのだそうです。この藏もお宅も、先月25日に写真を撮らせていただき、あと2週間で全部なくなるとおっしゃってました。ということは、あと数日? (ブログへのアップも、「どうせなくなるんだから」と許可をいただいております) 日野市植田という地区。周辺の開発からずっと残っていたこの地域、ものすごい勢いで変わっています。
明治初期の藏。貴重なのに。
二階です。
こういうとき、私はホント図々しく、お宅の方にお声をかけます。そして中まで見せていただきました。二階に上がる階段は(梯子のようなもの)、真ん中を踏むと折れる可能性があるから端っこね。と言われ上りました。ガランとしたこの二階とは違い、一階には、うすや甕や大八車や昔の農機具がたくさんありました。博物館じゃなく、個人のお宅に残っているというのがいいのに。
もったいなくてもったいなくて。
関西在住のMさんが、写真を送ってくださいました。COOPで注文できるそうです。(関西だけなのか、全国なのかは不明)
私が書いた作品、「ふしぎな本屋さん」は、キンモクセイの花が咲くころ。「あかとんぼ」(新美南吉再話)はまさに今(ちょっとまえくらいか)、「むにゃむにゃたろべえ」はお月見の季節、とこの時期の物語に集中しています。「俳句をよもう」で採り上げている秋の句は、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)」です。
「バッタのトム、空をとぶ(加藤純子)」も、「どんぐりと山猫(宮澤賢治再話)(森川成美)」も秋の読み聞かせにいいですね。と、季節季節の楽しみ方もできるなあと思ったのでした。