インスタに写真俳句を発表していますが、先日は、
菜を間引く名刺整理をするごとく あぶみ
というのを出しました。大根や青菜など、一カ所に3粒くらいの種をまいて、芽が出て伸びてくると、一番元気な1本を残して間引きます。間引き菜、間引き大根、うろ抜き大根など、秋の季語になります。
さて、俳句のできはともあれ(はっきりいってたいしたことない)、ちょうど新刊をお送りするため、名刺ホルダを開いていたら、すでに故人の方のものがあったり、5年以上前にお会いしてその後交流のない方、新聞社の方など所属が変わっているかなというのもけっこうありました。放っておくと増える一方なので、ほんの数枚ですが、処分させていただきました。
でも、これ、案外、胸にチクリとするものがあって・・・。もしかしたら(というか、たぶん)私の名刺もこうして処分されているだろうなとか。あと、いつか、またご縁があるかもしれないし、とか。
そして、ふと作品も、こうして間引きながら育てているなあとも思ったのです。
1作品をものにするため、その作品だけを書くということをせず、他にもたくさんの作品を書いています。その中では、ファイルからもう削除してしまったものもありますし、じっと眠っているのもあります。
こうして、たくさんの種をまき、のび具合によって、それに栄養を与え、作品化を目指します。
問題なのは、間引いたほうの作品です。
いったん別の畑に植えておいて、何年か後にまた着手するのがいいのか、潔くあきらめたほうがいいのか。私はどちらかといえばあきらめきれないほう。
その1つが、こんど河北新報で連載する「みちのく山のゆなな」です。
この作品の原型は、何年も前に書いたもの。その後、何度も書き直していますが、どうもうまくいかない、でも捨てられないというものでした。
このたび、河北連載を視野に入れ、ただの山神だったのを、みちのく山の神とし、舞台を東北のどこかにある山とイメージしました。そうしたことで、かなり内容が深まりました(と、自分では思っています)。
そんなこともあるので、やはり間引いたものは、熟成する期間という意識がいいのかなと思っています。
*連載は、9月3日(木)。毎週木曜日の夕刊。夕刊のない地域(宮城以外?)は、金曜日になると思います。この辺はあとでまた確認します。ぜひお読みください。
後日もう少し詳しく、内容をお知らせいたします。