安部元気「童子」副主宰が、第四句集をご上梓されました。
隠岐は、元気さんが幼年~少年時代を過ごした島です。「童子」では、何度か吟行をしていますが、私も一度行きました。
遠かった。
かつて後鳥羽上皇も流された、流刑の地である隠岐は、北前船の寄港地でもあり、幾重もの歴史が積み重なった場でした。
ふるさとの片陰もなき浜ゆけり
屋敷跡南瓜の花の盛りなり
訪ねれば網戸一枚あけて留守
元気さんの親戚や友人も、ひとり、またひとりと亡くなられ、
誰が逝き彼が逝きしと帰省子に
遺りしは女ばかりや盆休み
俳人は、生涯を旅しながら、俳句を作り続けるようなものですが、その血となり肉となるふるさとは、また別もの。
2011年3月11日。あの東日本大震災の時には、主宰ともども、津軽から東京へ向かう新幹線の中で、八甲田のトンネルの中にいらして、その中で手帳を広げ、俳句を作っていらっしゃいます。
暖房がまづ切れやがて照明も
凍てつくや頼みの非常灯が消え
瞑るも開くも闇や冷えまさる
二十時間後なり雪の地上に出
雪の野や救難バスに乗り込めば
ほかもまるまる一冊、どの句も、変な力みがなく、かつ力強いものばかり。
北上川(きたかみ)の太き濁りや余花の頃
は、いずれは北上川沿いの墓に入るであろう、私にとっては、特別な句。
お母様を亡くされたときの句も、この句集には収められています。
姉ひとりべしよべしよ泣くよ冬の廊
ふだん句集をいただくと、好きな句に付箋を貼って読むのですが、この句集は、それをやっていたら、すべてのページに付箋をつけなくてはならないとすぐにあきらめました。他にも、ご紹介したい句がやまほどありますが、ぜひ句集そのものを味わっていただきたいです。
この前に出された句集は、『一座』。加藤郁耶賞をご受賞されています。
また『隠岐』の表紙を飾っている絵は、日本画家であった、辻桃子「童子」主宰の亡きお父上が描かれた風景です。微妙な青と緑の色合いのひなびた漁港。
多くの俳人を束ね、指導し、叱責し、いっしょに笑い、「座」の中心にいて、そしてこれからも旅を続けることでしょう。私もまた、その後ろをついていく一人です。