東京の梨は、稲城市が有名ですが、日野も負けず劣らず頑張っていて、梨農家があちこちにあります。親戚やお世話になっている方に送ったりして、お世話になっています。本日は庭先で売っているのを、求めてきました。今日出ていた品種は、「稲城」。ジューシーでみずみずしくて(同じ意味か?)おいしい!
何年も前に梨狩り吟行をしたけど、どんな句を作ったんだったかなあ。忘れたということは、たいしたことのない句だったってことか。
東京のという括りは、正確ではありません。うちの近所の残り少ない田んぼの案山子です。質より量という案配で、小さな田んぼに6体ほどいましたが、どれもはっきりとした顔はなく、着ているものは、ボロです。ちょっと寂しい。(上の写真のが一番きれいだったもの)
ただ、歳時記を紐解くと、「かかし」の語源は、鳥獣の毛や肉を焼いてその悪臭を「嗅がし」て追い払ったこと。「かがし」と濁るのが正しい。とあるので、匂いの出そうな汚いものを置くというのは、本意に近いとも言える、かな。
案山子で俳句をと思ったけど、案山子自体が擬人化されたものなので、難しいです。
この案山子へのへのもももはみかみて あぶみ(ボツ) ← 先日の岩手の案山子で作ったけど、句会には出さなかった。
散歩コースにある小さな神社のお祭りがありました。御神輿もかわいい。ステージが設けられ、演芸大会あり、流しソーメンあり。周辺の田んぼはことごとく新興住宅街になって、さらに大きな道路ができるらしいのですが、お宮だけは残ります。昨年、稔田の中を子ども御輿が行く様子など、写真のファイルがありました。ああ、そうそう。こんなだったなあとたった一年でガラリと変わってしまった様子を偲んだり。といっても私は通りすがりのものですが。
*俳句で「祭り」と言えば、夏祭りをさします。神田のお祭りなど5月に行われるものですね。そして、今の時期のものは、「秋祭」。「在祭」「村祭」「里祭」も秋のものです。(まさに、先日のお祭りは「在祭」)この時期、稲が実ったことを感謝するお祭りだからです。ここで行われる演芸大会も、「地芝居」「村芝居」など、秋の季語になります。今はほとんどカラオケだけどね。
ただ秋祭りでも、御輿が出るのに、「御輿」は夏の季語。この辺が、俳句を始めたばかりの人にとっては窮屈に感じるところのようです。今の時期だと「秋の祭りの御輿かな」的に作るとか、他に秋の季語を入れないといけないわけなので。でもそれに慣れると、それは不自由なものではなく、逆に確固たる土台と感じられるのです。
9月14日まで
大島と新島を舞台に現代美術の作家たちが思い思いにアートを表現。パフォーマンスあり、公開制作あり、ワークショップあり、おもしろそうです!
以前『ひのっこ日野宿発見』という絵本を私が文章を書き、そして絵を描かれた広田美穂さんがアーティストとして参加されています。広田さん、画家というのではなく、現代アートをやってれっしゃるアーティストなんです。(正式な呼称があったと思うのですが、ゴメンなさい、記憶していません)
ポスターの写真は、古い民家の中に廃船のような物体がつり下げられています。
時の航路
人は旅に住む
安息の地へ/星降る葦原や凍てつく山河/深淵の大海原を旅している
時に風になり/時に馬の背で眠る
揺られる船で島国の中の島に集うとき/新たなる時の航路が現れる
わあー、これって芭蕉の境地ではありませんか! 船に乗って、行きたいなあー。
HPはこちら。島の自然とアートを両方楽しめそうです。
『かかしのじいさん』という絵本(深山さくら作)がありますが、これは、「かかしの兄さん}
がんばってね。
岩手県は、あまり案山子を見かけません。(うちでもやらない)これは、田んぼアートの近くです。
今写真を見てると、上の写真、右手に持っているのは、どうも風鈴っぽいです。南部鉄器の里でもあるのでした。
岩手県奥州市(旧水沢市)出身の政治家、東京がまだ市だった当時、市長にもなった人の旧宅です。子どもの頃、母に叱られ、しばられて入れられた小屋(しばられの小屋)も庭にありました。医師になった後、政治家になったようですが、たてる計画の規模が大きくて「新平の大風呂敷」といわれたとのことです。
庭も立派
この周辺は、大手町。武家屋敷も残っていました。後藤新平の家も武家屋敷も無料公開。
岩手県奥州市(旧水沢)の田んぼアートです。葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」と「どきんちゃん」 見事です。
ゆきあそび、べにあそび、あかねあそび、紫穂波、紫大黒、ひとめぼれ、の6種の稲を植え、できています。田植えは200名によって行われ、20メートルの櫓から展望してちょうどよい絵となるように遠近法を取り入れ設計されたとのことです。
土砂災害に遭われた地域の皆さまに、お見舞い申し上げます。シリアで拘束された方のことも心配だし、エボラ出血熱も、地球の遠いところで起こっているというだけではない怖さがじわじわと感じられます。
さて。お墓が新旧2基、その他、ひいおじいさんの碑(製材所の事故で亡くなったため、お寺の入り口に碑があるのです)と馬頭観音と、お墓参りのときは4対の花が必要です。それが13日と16日。買うとかなりの出費。畑の菊も、時期が少し早く13日に2対分だけしかできませんでした。残りはスーパーで買ったのですが、高い!
そこで16日は、温泉に行く途中にある無人販売所でゲットしました。で、1束300円のが2対とそれからぼさ菊がかなりの量で200円だったので、あとのはこれを分ければいい・・・と、一抱え買って、ええーっとと計算して800円! すごい、安いとルンルンで帰りました。でも、道々、まてよ、安すぎないか? と計算しなおしたら、2対と2束を混乱していたことに気づき、600円不足で料金箱に入れてきていました。けっこう遠い場所なのですが、ここは良心に従わなくてはなりません。翌日、600円を入れに行きました。(ちらっと、このままでごめんしてもらおうかなと思ったのも正直なところ。でもね、誰にも見られていないところでこそ、ちゃんとしなくてはね)
田んぼ沿いの道にぽつんと
稲の花
ついこのまえ、花が咲いたと思ったら、もう、
こんな感じ。
よく実っていて嬉しいなと思っていたら、肥料が効いていてよく伸びたため、このあと台風がまたくると、倒れないかという心配があるとのこと。それに、お盆のことからずーっと天気が悪く、日照時間が少ないなあと心配しています。10月まで、なんとかがんばってもらいたいです。
で、ひさびさ東京へもどります。残暑なんざんしょね。
現在は盛岡市に合併されましたが、渋民村という名前がしっくりときます。
明治17年築の渋民村尋常高等小学校。啄木が代用教員として教鞭をとった校舎です。二階が教室なのですが、床は隙間があいていて一階が見える状態。子どもがドンドンと跳ねたりしたら、落っこちそうでした。さぞ寒かっただろうとおもいました。
かにかくに渋民村は恋しけれふるさとの山ふるさとの川 啄木
ふるさとの山に向かいていふことなしふるさとの山はありがたきかな 啄木
上の軸は、金田一京介の揮毫によるもの。金田一がいなかったら、啄木は暮らしていけなかったことでしょう。
啄木が教員時代に借りていた家も、あります。囲炉裏があって、馬小屋も家の一部になっている、一階が3部屋、二階に一部屋ある茅葺屋根の家です。こちらも寒かっただろうと、どうしてもそこに思いがいってしまいます。(寒がりなので)
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16日にアスパラ菜とほうれん草を蒔きました。アスパラ菜は、もう芽が出ています。芽キャベツは小さな芽が出てきたので、下のほうの葉っぱを取り、追肥をしました。(鶏糞)
ぼうぼうのアスパラの葉っぱの中に、数本また伸びてきているのがあり、茹でて食べました。モロヘイヤはほぼ毎日摘んでいただいています。
台風の影響でひどい雨のときだったので、遊覧船にも乗らずにこの浜からの景色だけで帰ってきました。天気がよければ、ざっぱ舟で青の洞窟などにも行けたのでしょうが、残念です。 遊歩道などが整備されていて、きっと昔のほうが浄土の面影があったのではないでしょうか。
海水浴場でもあるのですが、だーれも泳いでいませんでした。カモメが歩いていただけ。
岩手県矢巾町です。ひまわり自体は細く小さめなものでしたが、2ヘクタールのところにびっしりと咲いていて、きれいでした。ただ・・・。
こんな看板が。
私が出かけた前日、ツキノワグマがこの中で目撃されたとのこと、始終「注意してください」というアナウンスが流れていました。
先日の台風で、こちらも一晩雨風が強かった日がありました。(四国や近畿ほどではありませんが)その翌日、コスモスが無残に倒れていたので、片付けなくてはなりません。これが大変。なにせ土が元気なので、茎が10円玉ほどになっていて、のこぎりで切らなくてはなりません。そして、堆肥場に運んで、根を引き抜いて・・・。2日がかりで、汗だくだくだくだくでした。
しおから蜻蛉