先週、第5回芝不器男俳句新人賞の公開選考会を聴いてきました。
自分の記録として書きます。興味のないかたは、スルーしてください。
芝不器男は、「ホトトギス」において、期待の新人だったけれど、24歳で夭折した俳人です。代表句は、
永き日のにはとり柵を越えにけり
麦車馬におくれて動き出づ
向日葵の蘂を見るとき海消えし
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
卒業の兄と来てゐる堤かな
白藤や揺りやみしかばうすみどり
一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな
この賞は、応募資格が40才まで。つまり若手の俳人のための賞です。私には縁のない賞。なのになぜ、のこのこ出かけていったかというと、公開選考というのが興味深かったことと、昨年俳句甲子園のおっかけをしてから、若い方の俳句への取り組みが、いいなあと感じていたこと、それと、これまでずーーっと自分が所属している結社以外の方の句に関心を持っていなかったのが、やはり俳句甲子園をきっかけに、目が外にも向いたためです。
応募総数は140編ほど、最終選考に残ったのは34編でした。
ネット上に、その34編の句が出ていたので、プリントをし、読んでから行こうと思っていたのですが、この賞、一人100句なので、全部読むのは無理でした。それで、4分の1、25句を読んで、よさそうなものは100句読むことにしました。
私が、いいなと思ったのは、5編。
はからずも、選考委員の先生達も、5編くらいを選んで、それを元に選考をするやりかたでした。
選考委員の先生は、
城戸朱理 (詩人)
齋藤慎爾 (俳人)
対馬康子 (俳人 「麦」主宰、「天為」同人)
中村和宏 (次期現代俳句協会長)
西村我尼吾 (「天為」同人)
特別賞選考委員として、 関悦史 (敬称略)
先生達は、最終的に2~3編に絞り込み、そこから受賞者が決まっていきました。この最終的に絞られた中に、私が選んでいっていたのは、1編しか入っていませんでした。そのくらい、いいと思う句が違うということ。これはある程度予想していましたが。
でも、いろいろおもしろかったです。
受賞作品に対しては、
・人を感動させる作品。俳句人格ともいうべき世界を持っている。どの句を読んでも、作者がそこにいる。季語を肉体かしている。
俳句は日常が基本、遠くにあるものではなく身の周りのことをどう見ていくかが大事。
涙の出ない悲しみに100句が○○している。(ここ、自分のメモが読めない。大事なとこなのに) などの評がありました。ほとんどは、中村先生の評です。
対馬先生は、選考することは、自身の俳句観が問われるとおっしゃっていて、本当だなと思いました。
現代俳句協会が関係していることもあり、先生達のコメントでは、
・有季定型写生を突き抜けていいのでは。
アバンギャルドである事の難しさ。新たな前衛とはどうあるべきか、考えてほしい。
もっと変わってもいいはずなのに、今の俳壇はなんでもありになってしまっている。
新しい詩を発見しようという姿勢があるか。(城戸)
・時代が病んでいるときは、真っ先に詩人が病まなくてはならない・・・三島由紀夫。今の俳壇は通常の俳人が多すぎる。俳人とは、「人に非ず」なのである。(齋藤)
などという言葉が、ありました。
「童子」の仲間では、松本てふこさんが、中村和弘賞を、見事受賞。やりました!
彼女の句に対しては、対馬先生が、
・オーソドックスかと思うと変なところで肩すかしがあり、たんたんと自分自身を映し出している。
と、評されました。私はやはり、てふこさんの俳句はとてもしっくりくるものが、多かったです。
これは、上野の都立美術館前のオブジェ。こういうものが、前衛と言われたこともあったでしょうが、今では普遍的なものになっていると思います。新しさということを考えつつ、頭の中だけでそれをやる危うさも感じた次第です。
会場にいらしてた若い受賞者が、これからの俳壇を担っていかれるのでしょう。長い道のりですが、期待大です。
ご興味のある方は、芝不器俳句新人賞で検索していただければ、入選句を読むことができるはずです。
(メモに基づいて書いたので、誤字があるかもしれません)