このところのニュースを見ていて、渡辺白泉(はくせん)の句を記しておきたくなりました。
昭和初期、新興俳句が隆盛だった頃、俳句を発表し続けました。特に有名なのは、
戦争が廊下の奥に立つてゐた 白泉
今がこのような状況ではないことを祈りたいものです。(いや、危機感を抱くべきときでしょう)
第二次世界大戦中は、新興俳句弾圧ということも行われ、白泉も弾圧を受けた一人です。
憲兵の前で滑つて転んぢやつた
新しき猿又ほしや百日紅
桐一葉落ちて心に横たはる
極月の夜の風鈴責めさいなむ
玉音を理解せし者前に出よ
繃帯を巻かれ巨大な兵となる 白泉
戦時中の子どもたちのことや、シベリア抑留のことなど、いろいろ読んでいます。先日、某さんに、「終戦のときは、おいくつでしたか?」とおききしたら、「あら、そんな年のことなんて」とはぐらかされてしまいましたが、私はただ、どこでどういう状況で玉音放送をお聞きになったのか、戦時中はどのようにしていたのかを聞きたかっただけなのですよ・・・。女性はただ年のことを聞かれるととか、そういう意識になる場合もあるのだなと反省。
戦争を知っている人達から、直接話を聞いておかなくてはならないなと思っている昨今です。父にはほとんど何も聞かず仕舞いのまま、見送ってしまったので。
青銀杏