岩手県一関市、厳美渓の有名な空飛ぶ団子です。渓谷のこちら側で、笊にお金を入れ、板を木槌で叩くと、するすると籠が向こう岸に引っぱられ、料金分の団子とお茶がまたするすると飛んで? きます。
団子は箱入り。
あんこ、ごま、みたらしの3本入っていて400円。なかなかおいしい団子でした。 お茶がこぼれないのですから、すごい。量が多い場合は、やかんが来ます。もちろん渓谷の景色もすばらしいです。
岩手県一関市、厳美渓の有名な空飛ぶ団子です。渓谷のこちら側で、笊にお金を入れ、板を木槌で叩くと、するすると籠が向こう岸に引っぱられ、料金分の団子とお茶がまたするすると飛んで? きます。
団子は箱入り。
あんこ、ごま、みたらしの3本入っていて400円。なかなかおいしい団子でした。 お茶がこぼれないのですから、すごい。量が多い場合は、やかんが来ます。もちろん渓谷の景色もすばらしいです。
岩手も、ようやく満開です。上は北上展勝地。
平泉毛越寺
そして、桜満開とともにビッグニュースが飛び込んできました。「季節風」同人、いとうみくさんの『糸子の体重計』(童心社)が、児童文学者協会新人賞を受賞!!! おめでとうございます。
非売品
秋田で、入手できる情報誌です(無料)。当初の予定では、この4号で終わるはずだったのが、評判がよくもう一年続くことになったとか。切り口と記事の展開がありきたりじゃなく、おもしろい。もう4号となると、ネタは大丈夫? いや、大丈夫でしょう。
写真左の3号には、8人の秋田美人のポートレート(学生さんやOLさんっぽい方たち)があるのですが、これがきれい!!! 小野小町の出とも言われる湯沢の女性たちです。その辺のモデルや女優さん以上です。いや、みなさんに見ていただきたい。この「のんびり」、HPを見ると関東や他の地方でもあちこちで配布され、入手できるようです。
また由利本荘という町の画家、池田修三さん特集も、地方紙ならではのもの。地元の人に愛され、決して自分の版画が高値になることを望まなかったという人柄をたっぷりの写真で追求しています。私的にも、小さい頃普通に身の回りの印刷物(銀行の通帳とか、カレンダーとか)にあった版画で、なつかしかったです。
ちなみにHPにも「秋田びじん」のコーナーがあるのですが、これは女性ではなく、秋田で活躍しているみなさんの紹介。表紙撮影のメイキングも見られます。今の時代、合成で作ろうと思えばできるのかもしれませんが、あえて一枚の写真として撮影していて、それをわかって見ると、すごい表紙。
・「春の三つ石」(駒田久子) 4才のとき、老女とともに行き倒れになり、老女が死んだ後、名主さんの家に奉公人として引き取られた女の子が主人公の歴史もの。「ちか」という自分の名前しか覚えていなかった子には疱瘡にかかったらしく顔があばたが残っている。寺子屋で「あばた、すてご」とからかわれ、頭に血がのぼった千加は、相手に墨汁をかけてしまうほど負けん気が強く、しっかりと育つ。千加を支えてくれているのは、千の力を持つという漢字の名前をつけてくれた名主の庄右衛門さん。そのやんちゃ息子宗助。庄右衛門の母親のリクさん達だ。
私は、何年も前から駒田さんの書く歴史もののファンです。早く本にしてほしい。今回の作品はまたおもしろく、ぐいぐいと読ませてくれます。私はいわゆる歴史小説ファンというわけではなく、みなさんがすごく好きだとおっしゃる藤沢周平とかも、実はそんなんでもありません。(映画化されたものは、どれも好きなので、読む力がないのかもしれません)でも駒田さんの書く歴史物は、女の子が主人公のせいか、いつも心地よく読むことができるのです。歴史物を書くにあたり、細部の考証をしっかりしなくてはいけないのは当然のこと。それはもうしっかりとされています。「春の三つ石」は、千加の境遇と気の強さがいいバランスで書かれていると思います。挿絵がつけば、子どもでも十分読める作品ではないでようか。
また「明日に咲くハンノキ」(越智みちこ)も読み応え十分の作品で、一茶の句が織り込まれていて、うなりました。もちろん他の掲載作品どれもが、かなりのレベル。そんな作品に対してもあさのあつこ代表が「心のままに書き連ねるのではなく、自分の書く世界に責任と覚悟をもってください」という評をくださるところが、また嬉しいと思いました。これはその作者にだけ言っているものではないのですから。
今号では、私は、『密話』(石川宏千花・講談社)の書評を書かせていただきました。
シュシュ
週末、お世話になった方の告別式があり、秋田へ行ってきました。寒すぎ(この日は全国的に寒かったよう)。でも何十年かぶりに猫と寝ました。寝返りしようと思うと猫がベッドのど真ん中にいる、猫に遠慮して寝るという懐かしい感触。
「今月のハイライト」のコーナーに、「童子」二十五周年の記事があり、そこに主宰エッセイと句
明々と夏の月あげ津波あと
昼寝子の眠り落つれば手をひらき 辻 桃子
とともに、「童子」二十五句があり、私の
ぐつたりとドーベルマンが竹床几 あぶみ
を取り上げていただきました。他には、
ふるさとの片蔭もなき浜ゆけり 安部 元気
小町忌や業平橋はにぎやかに 薗部 庚申
かはほりの彫りを欄間にお中元 石井 みや などなど。
俳句の総合誌というのは、いろいろありますが、この「俳句四季」は、たっぷりと俳句が載っています。正確な数字ではありませんが、私が俳句を始めた頃、現代詩人口6万人、短歌人口60万人、俳句人口600万人と聞いたことがあります。先日神奈川句会に出たときは、一度に5人の方が初めての句会ということでいらっしゃってましたが、「おもしろい。ゲームだね」とのめり込みそうな勢いでした。そう、江戸時代、テレビなどなかったころ、この俳句で夜を徹して遊んだものなのだと思います。句会はそういう楽しみがあり、足腰が弱ってきてもできるというメリットがあります。
きのうの記事のちょっと北側。この手前には、私がもしかしたら将来はいるかもしれないお墓があります。先代の立日(命日)でお墓参りをし、土手にあがって、パチリ。
この日は強風でした。
桜、すこーし、蕾が赤みを帯びてきたという程度。
正確には、北上川のレガッタの練習です。レガッタは競技のことですものね。
桜祭りが始まる少し前。黒沢尻工業高校のボート部が、北上川で練習をしていました。一人だけ岸で見学をしているお母さんがいて、少しお話を。あれが息子だと思うんだけど。家に帰ったら「お母さん、なんで来てたのって、怒られるかも」といってました。新入生がたくさん入ってくれたとか、沿岸部(宮古や大槌)のほうが強いとも。
川向こうの木が、桜です。ここは桜祭りの今、舟の渡し場になっています。北上駅から対岸までは歩くにはちょっと遠い。車では渋滞になってしまうということで、駅からここまで歩いて(数分)舟で渡るのがベストというわけです。渡し船の他は、川下りの花見舟も出ます。
で、レガッタ、競漕、ボートレースは春の季語なのですよ。春に行われるのが多いからと、歳時記には書かれていました。ボートだけだと夏なのは、競技としてではなく舟遊びとしてのボートなのでしょう。
競漕や午後の風波立ちわたり 水原秋桜子
濱野京子さんの『レガッタ2・風をおこす』(講談社)も発売になりました。こちらは埼玉の女子高生の青春ものです。1巻が「水をつかむ」だったので、3巻はなんだろう「炎」? いやいや。
姫踊子草
カメラをポケットに入れて散歩しては写真を撮っているのですが、どうも植物がきれいに撮れません。マクロやスーパーマクロに設定もしているのですけどね。以前それをカメラマンに話したら、「手ぶれしてんじゃないの?」と言われましたっけ。
これなんて、薺(なずな)と姫踊子草と犬ふぐりの春の野なんですが、どうもはっきりしませんね。どこにピントが合ってるんだか。
写真句集「風の色」は、「童子」の仲間、坂田金太郎さんのブログです。甘茶寺の吟行でご一緒しましたが、立派なカメラを首からぶら下げてらっしゃいました。ブログの写真、きれいで、うっとりします。ホントこうして比べると、自分の写真のひどさがわかるというもの。このごろこうして俳句と写真のコラボを楽しんでらっしゃるかたが増えているようです。昔では俳画というのがあったわけで、時代時代の楽しみ方。 童子同人如月真菜さん著作の『写真で俳句を始めよう』ナツメ社)もおすすめです。と思い出し、ちょっと検索したら、こんなサイトを見つけました。だいぶ前の記事ですが見ることができます。
でも私は、俳句と児童文学との両輪なので、これ以上守備範囲は広げないようにとも思っています。写真ももっともっととなると、いろいろがんばってしまうので、このくらいでいいかなとも。(←こういうところが、つまり妥協しやすいタチということなのですが)
恋猫っていう感じではないかな? 竹は地中に今栄養がいっている時期で、葉はこのように枯れたような色。他の木々でいうと秋の姿のようなので、「竹の秋」というのが春の季語になります。秋になると逆に葉は青々してくるので、「竹の春」。
それにしても「のどか」な景色です。「のどか」「恋猫」も春。
(俳句をやっている方にとっては、とうにご存じのことですが、このブログは俳句関係以外の方も来てくださっているので、季語の紹介もこうしてときどきしています。)
おそろしや石垣崩す恋の猫 正岡子規
恋猫のひときは肴臭きやつ 田代草猫 (『童子珠玉集5』より)
甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十
という有名な句がありますが、「とびとび」とか「ひとならび」というよりこんな感じで生えています。酢味噌和えでいただきましたが、味という味があるわけではなく、私は春の野草では、蓬(よもぎ)や蕗の薹の方が好き。
ちょっと苦みのあるほうが好きということなのかもしれません。セロリも好きだし。
これはうちの畑のあやめの芽。甘草の芽に似ていますよね。野草は茸ほどではないけれど、間違えたらおなかをこわすので、知っている人と歩いて教えてもらうのがいいかもです。以前、田芹とすぐそばに生えていた毒芹を教えていただいたことがあるのですが、そっくりであれはまだひとりで摘める自信がありません。
田芹摘む指あることのありがたく あぶみ
ただ甘草を調べると、この野草ではなく最初に漢方で使われる「カンゾウ」が出てきます。漢字も同じ。少しばかり驚きました。こちらは葉が合歓のようで、花は藤のよう。上の写真のほうは、「野甘草・藪甘草」というのが正しいみたい。初夏になるとオレンジ色の百合のような花が咲くはず。でも私の散歩道では、実は花はあまり見ません。これだけ芽が出ているのに、どうしてだろう。うーん、まさか素十の句は、漢方のほう? とビクビクして検索したところこういうサイトを見つけました。野甘草、キスゲは、「忘れ草」という名前も! 万葉の頃から歌に詠まれているのですね。甘草の花、忘れ草がオレンジ色の花をさして夏の季語、甘草の芽として春の季語というわけでした。キスゲ……ニッコウキスゲだ。
話が飛びますが、漢方の甘草のほうでは、山梨、塩山に「甘草屋敷」というのがあるようで、こっちもそそられます。
といろいろ書きましたが、俳句をやるということはこうして学ぶことなのだと、つくづく思うわけです。
簾は夏の季語、でも簾名残とすれば秋。というように名残をつけると季節が終わってまだのこっているものとして使うことができます。上の写真は冬の間ずっと雪の下にあった葱です。ちょびちょび残っていて、耕す前に抜いて食べてしまおうと思っています。名残の葱とか、葱名残なんて、歳時記には載ってないからダメかなあ。雪間葱というのは「童子」では認められています。
うまさうな雪間葱とぞ申さうか 加藤良彦 (「童子」)(記憶だけで確かめていないので、どこか違っているかもしれません。ちがっていたらごめんなさい)そして、
折れ折れの名残りの葱の甘さかな あぶみ
と句を作ってはみたものの、5月の6日頃には立夏。それ以前にはもう句会もなく、ここに出しておきます。
これは、玉葱の芽
昨年亡くなられた俳人加藤郁乎特集です。生前発表された全句の中から、辻桃子主宰が二百句選び、掲載。副主宰、編集長が論評しています。私はまだこの方の句に対して感想を述べる域にはほど遠いというのが偽らざる感想です。
枯木見ゆすべて不在として見ゆる 郁乎
読んでいると、自分ももっと自由に句を作りたいという気持ちになり、でも何の知識もなく自由に作ってはこうはいかないのだろうなとも思います。膨大な書を読み、古典に精通し、その上で自由に俳句を作ってらっしゃる。
今月は、鉄瓶に松風たたせ大旦 あぶみ
を含む5句を発表。また2月号の月評「シンパシーと波紋」として、
秋風やもの失へばもの捜し 辻 桃子
〈物言へば唇寒し秋の風 芭蕉〉を踏まえた句。言っていることは滑稽だが、人生ってこういうものと身に沁む。句に生じたシンパシーの振り幅が大きいか小さいか、波紋がどう広がるかは読み手次第。
とかなんとか、見開きでページをいただき書かせていただきました。
大会でいただいたアマリリス
一度咲き終わり、根元で切ったらまた伸びて、またこんなに咲いてくれました。圧巻の生命力。私も見習おう。
ふきのとうの薹(とう)が立ってくると、「蕗の姑」となります。そして、もっと伸びると「蕗の姥」。よく言ったもんだと思います。写真は姥になりかけた姑くらい?
原稿を十枚蕗は姑に あぶみ
左下にちらっと写っているのは、秋田蕗の芽です。秋田蕗というのは、♪雨が降っても唐傘などいらぬ手頃な蕗の葉はらりとかぶって~ というように大きくなるもので、芽も芽というよりすでに蕗の葉です。このあたりには、もうすぐアスパラも出てくるはず。これがまたおいしいんだなあ。