fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~4巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。原稿・講演など各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

八月も終わり・句集『光芒』(松本光史)

2015年08月31日 | 俳句
 八月の終わりにあたり、句集『光芒』より、俳句をご紹介します。作者の松本光史さんは、「童子」の会員だった方ですが、すでにお亡くなりになっています。(もう10年以上前かもしれません)生前に出したこの一冊の句集はおそらくもう他では手に入れることはできないでしょう。現在の「童子」会員でも持ってる方は少ないのではと思います。持っている人間が紹介しなければ、埋もれていくだけ。(それでも、読んだ方の心には刻まれていますが)
 
 句集をまとめられたのが晩年だったこともあり、病床の句や日常の句にも佳句がたくさんあるのですが、圧巻なのは戦争を読んだ句です。

 アッサムの山が墓標ぞほととぎす
 生きる身に死臭あるらし蠅がつく
 砲弾の頭上飛びゆく秋の空
 毒茸食ひ戦病死とぞなりぬ
 敵の追跡かはす若葉の地獄谷
 彷徨の果てを餓死せり梅雨明けず
 蠅の卵孵化して動く骸かな
 軍旗焼き捕囚となりぬ炎天下      松本光史

 
 芭蕉や子規や虚子のように、俳人として後世に名前が残るわけではないと思います。(それは私も同様)でも、生きていらした証しがここにある。
 この句集を残してくださったことに感謝したいと思います。

 

 他には、
 生身魂放屁に力ありにけり
 元日の溲瓶光にかざしけり
 病院のベッドに居れどサングラス
 煤籠ともなく来たり理髪店      松本光史

『火花』(又吉直樹)

2015年08月30日 | 本の紹介
 よかったです。冒頭の文章が堅くて、うーん、こりゃだめかなと思いつつ読み進めたのですが、読み終えて、じわじわと(うん、いいんじゃないの)という思いが残っています。すごーくよかったあ、おもしろかったあ、というのとは違うのです。これぞ純文学という感想も聞いたし、芥川賞云々もいろいろと言われているようですが、私はこの二つのキーワードで語るほどの考察はできません。でも、文学としての力が確かにある作品だと思いました。
 
 台詞が長かったり理屈くさかったりするのですが、そこにポンとおかれる地の文が、気持ちを楽にさせてくれるという効果があったりして「間」がいいと思いました。作者が人を楽しませるということを日頃やってる方だからかな。実際そうなのだろうなと思われる芸人たちの姿はリアリティがあります。
 内容も、お笑い芸人の挫折と成功などという単純なものではなく、核となる二人は二人とも成功せず、基本的に暗い話です。そんな中に、会話に意味のないネタが織り込まれ、それがあるので、ギリギリ暗いだけの話にならずにすんでいる。二人の人生に明るさはないのに、先輩芸人を支えていた恋人や、花火のときのエピソードなど、普通に書くとクサイようなエピソードが織り込まれ、ほんの少し光を感じられる。
 ネットに書かれる批判について、二人が話すことも、ネット社会の中で生きるとき、それをどう捉えるか、納得というか、考え方としていいなと思ったのでした。
 ラストへ向かう部分も安易でなく、私はこういう終わりかたは好きだなと思いました。生きるって、悲しい。でも生きていくしかないんだよ、と思わせる。これ、児童文学で書けたらいいなあと思ったりして。でも、難しいかな。この年齢の登場人物だからこその展開ですしね。
 あ、そうだ。お笑いという分野での物語ですが、小説だったり絵だったり、何か生み出して人に見てもらうというところで、実は根本が一緒なのでシンクロする部分もあるわけです。
 作者は太宰治が好きなのだそうで、それもうなずけました。太宰の頃の小説家と今の芸人さんって、案外近いのかもしれませんね。飲んだくれて、女に養ってもらって、認められるかどうかなんてわからないのに、必死になって。

 表紙の絵は、何を意味しているのか?

 お笑い芸人としての作者には全く興味はなく、また作家としては2作目が期待されていますが、私は期待しません。これ1作に日頃考えていることを投入しきったのではないかしら? と思えたから。もちろん、2作目がこれを超えたら、それはもう本物! ですが。
 もう一作の芥川賞受賞作も読みたい。あの作者の作品、以前一度読んで、グロいというイメージでダメだったのですが、今回は若い人が介護をするという話らしいし、どんな感じで描いたのでしょうか。

 

吉祥寺2

2015年08月29日 | 日記
 吉祥寺に再び出没しました。
  

 井の頭公園のこのボートは、恋人同士で乗ると別れてしまうというジンクスのあるものです。どっちにしろ正直言って水が汚いので、乗ろうという気にはなれません。

 

 これは公園とは反対側、北口にあるハモニカ横丁です。よくテレビで紹介されていますね。戦後の闇市の頃に並んだ店の名残り、という雰囲気。
 以前は、若者だけではなく、小さな子どもを含めた家族連れや、おしゃれなお年寄りの姿もよく見かけたものですが、若者の比率がぐーんとアップした感じ。
 芥川賞受賞の『火花』を読んだのですが、井の頭公園やハモニカ横丁出てきます。作者の芸人さん、このあたりに住んでいらっしゃるのかもしれませんね。本の中では高円寺に住んでいて、吉祥寺でよく飲んでいたというようですが。公園でパフォーマンスをしている若者とのからみなどもありますが、私が行った日も、風船マジックのようなことをやっていて、周りを十数人が取り囲んでいました。喫茶店も実際にあるお店らしい。本の感想は、明日にでも。

 バスに乗ってちょい移動し、 オオギ薬局で、漢方薬2種類とシミの薬を購入。

 友人と一緒でした。同郷で、大学が一緒で、その後私は東京、彼女は横浜に来て、数年に一度の頻度でしか会うことはないという友人ですが、そんな感じがしない。いいことも苦しいことも過ごしているのを、お互い知っていて。思えばそんな感じでもう30年以上もつきあっているのですから、ありがたいものです。お互い、この後、細々と長生きするかもしれないけど、いつ何があるかもわからないよね、なんて言ったりして。
 

送り盆の馬

2015年08月28日 | 日記
        
 お盆の風習や時期は、その土地によって少しずつ違うなあと感じています。
 先日国立市矢川を歩いていたとき、21日だったのですが、2軒のお宅の前に茄子や胡瓜の馬、そして藁でできた馬を見つけることができました。
 二十盆という言葉もあるので、それかなあと思って見てきました。

  

 私が子供のころは、ナスやキュウリで馬をつくりお墓においていました。が、実家でも今はもうやっていません。岩手のお寺でもやっていないのです。なので、これを見てととてもなつかしくなりました。

滝乃川学園・アートウォーキング国立2015

2015年08月27日 | 日記
 国立市にある滝乃川学園は、明治にできた、日本で初の知的障害者施設です。
 南部線矢川駅から南に向かい、甲州街道を渡って、学園に近づくと、うっそうとした緑が見え、木々の匂いがします。園内には、小川も流れていました。

  森の中のチャペル

 今月末まで、この中でアートの展示があるというご案内をいただき、でかけてきました。友人の広田美穂さんが手がけてらっしゃるのです。

 ありました、ありました! チャペルの周辺に、小さくて透明な靴があったり、麦わら帽子が枝にささっていたり、自然とチャペルに融和したアートがさりげなく置かれていました。
 
 残念だったのは、予約なしで行ったため、天使のピアノが見られなかったこと。この学園には、天使のピアノと呼ばれている日本最古のアップライトピアノがあるのです。HPで見ると、装飾の施された美しいピアノです。
 あらかじめ予約さえしておけば、一人でも現物は見ることができるのだそうです。創業者の資料が展示されている記念館もあります。


快獣ブースカ

2015年08月26日 | 日記
         
 岩手にいました。何十年か前にテレビで放映されていた、子供向け実写ドラマの主人公。ゆるキャラなどいない時代でしたが、今思うとゆるキャラっぽい。好きで見ていたのです。大きなものではないので、そんなに価値はないかもしれないけど、いい状態で残っています。かわいいです。
 今年は、プラレールも20年以上ぶりで登場(写真撮るの忘れた~)今は売っていない形の新幹線でした。こだまかな? 昔の本やおもちゃ、もっと岩手に置いておけばよかったな。レゴもたくさんあったんだけどなあ。

『川床にえくぼが三つ』(にしがきようこ)-小学館

2015年08月25日 | 本の紹介
          高学年以上向け

 『ピアチェーレ』(小峰書店)で、児童文学者協会長編新人賞、そして椋鳩十文学賞を受賞された、にしがきようこさんの新刊です。
 川床といわれると、私など京都の風物詩を思い浮かべてしまいますが、この作品の舞台はインドネシア共和国。50万年前に人類がいたという地の調査をしているおばさんに同行し、異国へと足を踏み入れた少女達の友情物語です。
 にしがきさんの描写は、五感をフルに活用しているので、読んでいてその地に立っているような気持ちになります。
 飛行機から降りて、車で移動しているとき、そのあまりの振動に、主人公の文音は、「タイムマシンに乗っているみたい」と言います。その瞬間、読んでいる側も同じ気持ちになっているのです。この言葉のマジックにうちのめされました。
 川床というのが、どういうものか。えくぼというのが、何を表しているのか、それはネタバレになってしまうので、やめておきます。
 にしがきさんご自身が、現地に住んでいらしたことがあるそうで、だからこそのリアリティ満載の一冊です。

 そして、この二人の女の子達の気持ちが、よくわかるなあと。少女達の確かな成長を描いている一冊。

岩好き

2015年08月24日 | 日記
       鷺がとまっている
 なんでか、岩に惹かれます。これは北上川の中。たぶん、「ぼんず岩」と呼ばれているものだと思うのです。民話があったはずだけど、忘れちゃったなあ。近くに七つ石というのもあり。こっちはわかるのですが。

 

河童いないかな?

2015年08月23日 | 日記
         
 なんだか昨日の玉川上水の続きのようですが、これは岩手です。いつもの散歩道からちょっとずれたところ。ここも、なかなかいいところです。遠野の河童淵よりかは、ずっと河童が住んでいそう。とはいっても、ちゃんと人の手は入っています。散策ができるように、手すりがあり、橋があり、草もある程度刈られています。
 あたりには、胡桃の木がたくさんありました。あとは、葛がすごい。

  精霊蜻蛉も

玉川上水/ふれあい下水道館

2015年08月22日 | 日記
           
 以前国分寺に住んでいたころは、近かったのですが、今回久しぶりでした。
 玉川上水は、東京を航空写真で見ると、緑の帯となって見えると聞いたことがあります。貴重な自然だと思います。が、もとをただせば、かつて玉川兄弟が築いたものなのです。
 鷹の台の駅から玉川上水沿いに歩いて、ふれあい下水道館へ。ここは、地下5階に下ると、本物の下水道の中を見ることができるのです。ガラス越しとけではなく、直にです。う~ん、やっぱり少し臭かったです。そして、『都会のトム&ソーヤ』は無理じゃない? と思ってしまいました。この作品、小学生に大人気のシリーズですが、主人公の二人が東京の下水道にはいってどうこうするっていう場面があったように、記憶しているのです。(読んだのが随分前なので、ちょっとおぼろげです)私達、一瞬見て、「へえ」という具合ですぐ引っこみました。正直ちょっと怖かったです。
 
 鷹の台の駅前には、松本清張さんの息子さんがやってらした有名な本屋さんがあったのですが、本屋はそのままですが、普通の本屋さんになっていました。ギャラリーも併設されていたのですが、それもなくなっていて。
 その後、国分寺にもどり、龍栄という中華料理店でランチをいただきました。ここは以前国分寺に住んでいたとき、何度か利用した店なのですが、(そういえばPTAの役員をしていたとき、ここで卒業後の会をやったっけ)新しい建物になり、とても立派でした。

しりとり俳句

2015年08月21日 | 俳句
 今月始め、神奈川句会の二次会でやったしりとり俳句。普通こうして余興的にやるものは、その場限りで残らないのですが、今回は世話人の方が、全部コピーして送ってくださったので、その中のひとつをご紹介します。

 馬ばかりの巻
 時々は鮎はねてゐる濁り川  信
 濁り川鮎釣人の言いわけに  月兎
 言いわけに五句は無理よと水羊羹  ころん
 水羊羹ガラスの皿に三四個  金太郎
 三四個おつぱいあれば枇杷食へぬ  亜麻衣
 枇杷食へぬ腹いつぱいの馬ばかり  金魚
 馬ばかり食うて終りし月見草  爽
 月見草太宰はいつも頬杖で  怜子
 頬杖でしたり顔して夏芝居  マンネ
 夏芝居これで今年で三十年  次郎
 三十年忘れられずや木下闇   あぶみ
 木下闇いつか来た道原爆忌   僕人
 原爆忌時々魚は地にはねて   信  
  

 中には意味がわからない句もありますが、隣から回ってきて、上五が決まった中で、1分程度で作るのですからしかたありません。推敲の時間などないのです。私の句も、季語の木下闇がイマイチ。何を忘れられないのか、たぶん恋人のことということを書きたかったのでしょう(って、自分の句ですが←そして、これは別にそうだということではなく、創作です)としたら、それがなんとなく推し量ることのできる季語が欲しいところ。竹婦人とか? 明易し、とか。
 それに、上五下五が漢字三文字になっている。これは観音開きといって嫌われる形です。としたら、竹婦人も同様なので、明易しがいいか。
 世話人の信さんの最初と〆の句(発句と挙句と言っていいのかな)は、さすがです。最後の句が元にもどって輪のようになるのです。このまま雑誌などに発表できるレベルだなあ。私はまだまだ修行が足りない。


しゃもじ

2015年08月20日 | 日記
        

 上の写真はなんですか?
 大体の方は、「お玉」って思うかな。はい、お玉。正確にはお玉杓子、なのですね。
 でも私は、「しゃもじ」って言うのですよ。
 これ、いまさらなのですが、先日家族に「違う」と言われました。「しゃもじ」は、ご飯をよそうあの平べったいものだと。でも、私は、上の写真のものを、しゃもじと言っていたのです。それで調べたところ。

 しゃもじは、主に飯を炊飯器などから食器に取り分けるために用いる道具。寿司飯に酢を混ぜ込んだりする時などにも用いられる。 一部の地域では、汁物をよそうのに用いるおたまのことを「しゃもじ」と呼ぶ(しゃもじの語源は「杓子」に由来するので、ある意味こちらのほうが本来の語義に準じた使用法かもしれなれい)。
 と、ありましたよ。一部の地域の人間なんだ、私は。
 で、ご飯をよそうものをなんと言うかというと、子どもの頃は、「へら」と言っていました。この「へら」がなんとなくかっこ悪いと思うようになり、こっちも「しゃもじ」と言っていたんです。はい、変です。でも、「へら」はかっこわるいけど、「お玉」もピンとこないという感じ。上品ぶっているに近いような・・・。

里山カフェー多三郎山荘

2015年08月19日 | 日記
 悲しい出来事。
 おとといの夜に書いた5枚が保存されていない!!! 原因はわかっている。岩手にUSBを持って行かなかったので、書いたものをメール添付で送って、こっちで開いて、続きを書いた。ところがそのままいつものように上書き保存をクリックして、保存したつもりになっていた。ちゃんと別名で保存し直さなくてはならなかったのだー。このミス、一度前にもやったことがあったのに・・・。
 まあ5枚でよかったと思う自分もいる。そして、気を取り直して新たに書いているのだが、やっぱりおととい書いたのとは違っているよ。どっちがいいのかはわかりません。
 しかも、岩手に赤入れしていた原稿を3つ忘れてきたし。(急ぐものじゃないとあきらめましたが)
 さて。

    

 北上市郊外に、まるで軽井沢のようなカフェが。
 ランチをいただきました。冷たい枝豆スープがおいしかった。
 

夏の果

2015年08月18日 | 日記
 夏の果というより、盆の果といったらいいか。みんな帰って、
         ポツン・・・

 なんとも象徴的な光景でした。


  
 
 洗濯しようかとも思ったけど、中がしっかり乾かないとかえってよくないかと思い、とりあえず干しました。
 ガシガシ囓られて、シロくんもお疲れ様でした。

 そして、私も東京にもどりました。

 

靖国神社・遊就館

2015年08月17日 | 日記
 おととい15日、終戦の日のNHKで放送していた、当時の残っているフィルムをカラー化した番組は、目をそらすことができませんでした。今の自分があの時代にいたら、たくましく生きることができただろうか。
 戦後の焼け野原の様子は、津波跡のようでした。〈津波跡を見たときは、戦後の焼け野原のようだと思ったのですが)
終戦の日の天皇陛下の放送、玉音放送、「ぎょくいん」と思っていたのですが、アナウンサーは「ぎょくおん」と読んでいました。以前は「ぎょくいん」と読んでいたと思うのですが、変わったのでしょうか。

 さて、靖国には戦犯が合祀されているので、参拝イコール戦争肯定となる。それが、靖国参拝を否定する方たちの意見。で、いいのでしょうか。
 私はあの神社に祀られている御霊に対して礼をつくしたいという意見です。
 遊就館は靖国神社の奥にある、いわば戦争博物館です。太平洋戦争だけではなく、日進日露戦争からの資料が展示されています。ゼロ戦もあれば、人間魚雷もあります。
 日本人なら一度は訪れていい。
 ディズニーランドに行くより、遠足や修学旅行はあそこへ行ったらどうかと思う。

 と、以前は思っていました。
 以前はというのは、何年前でしょうか。遊就館が建て直されるまで。以前の遊就館は、見ると、日本はこんなに戦争をしてきたんだな。多くの犠牲があったんだな。とストレートに戦争の悲惨さが伝わってくるものでした。建物はどこかの市の公民館のようなもの。展示は素朴にガラスケースに並んでいるという形でした。

 それが建て直され、それはそれは立派になっているのです。展示も視覚的に効果的に美しくなっています。 
 一度この新しい建物を訪れた後は、足が向かなくなりました。
 戦争を賛美しているわけではないと思いたいのですが。
 あの建物、そして展示は失敗だと思います。コーディネーターのような方が入ったのでしょうが。
 
  今年は、近いうちに、明治大学構内にある登戸研究所に行こうと思っています。

  岩手の散歩道・鎮守の森の入り口