fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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国府多賀城跡ー蝦夷展ー日本書紀

2019年09月30日 | 日記

            

 仙台から東北本線仙石ライナーで20分くらい。奈良時代から平安時代にかけて、この多賀城下は、九州太宰府につぐ大きな町だったとのこと。

  

 国府と鎮守府を兼ねた施設でした。国府は、役所。鎮守府は、兵が常駐し、蝦夷征伐の拠点となったということです。竪穴式住居に住んでいたエミシ達にとって、この大きな建物は驚異だったのではないでしょうか。

   国府多賀城駅前の東北歴史博物館では、蝦夷展が開催されています。11月24日まで。

 驚いたのは、日本書紀が展示されていたことです。写真がNGだったのですが、かなりしっかりとしたものでした。蝦夷の記述が最初に出てくるのが、この日本書紀なのです。和紙のすごさ? ただ、さすがに原本ではなく、写本でしょうが・・・。複製の場合は、「複製」とあるので……。調べると、原本は焼失したとありますし。

   東に日高見国があり、その国の人は男女とも髪を椎のような結びあげ、身体に入れ墨をして、勇猛で、これをすべて蝦夷といっている。土地は肥沃で広大である。討ちて取りつべし。 (もちろん、すべて漢字)

 ということなど、書かれています。

 エミシ達が使っていたという蕨手刀も、たくさん展示されていました。大小いろいろあるんだなあと。発掘された刀は当然錆びてボロボロですが、今回の展示には、新品のものを作り上げていました。ぴっかぴか。

 身分の高い朝廷の役人が締めていた革ベルトなど、今でも使えそうなものでした。

  来年は、日本書紀ができて1300年になります。1300年ですよ。写本がいつの時代のものなのかが、よくわからないのが、残念でした。


稲刈り終了しました

2019年09月22日 | 日記

          

 おかげさまで、2年あけて、三年ぶりの収穫ができました。今年は台風の影響で、稲が倒れ、稲刈りの時期が早まりました。東京での予定を25日までにすませ、その後月末から来月始めを岩手でスタンバイと思っていたら、「稲刈りします」と突然の連絡。あわてて、ばたばたとやってきました。自然が相手ですからね。

   おじさんにお世話になってます。

 新米、食べるぞ。

 


エミシ(蝦夷)

2019年09月18日 | 日記

 もっとも蝦夷のことが古く記されているのは、日本書紀です。来年は日本書紀ができて1200年なのだとか。

 東に日高見という国があり、そこに蝦夷という民が住んでいる。土地は広くよく肥えている。討ちてとるべし

 と。そのほか、男も女もみな入れ墨をしているとか、そんなことも書かれていますが。

 この報告をしたのが武内宿禰(たけのうちのすくね)。報告を受けたのは、景行天皇で、日本武尊の父なのだそうで。つまり神話の時代。この報告自体、創作という可能性があります。

 エミシは文字を持っていませんでした。なので、わずかに朝廷が残した記録をたよって、想像するしかありません。

 北海道であるエゾも、同じ蝦夷という文字なため、混乱を招きやすいですが、アイヌとエミシは別物です。

 このエミシが蔑称なのかどうかも諸説ありますが、私はエミシという音は、そうではないが、蝦夷という漢字は、蔑む意味がこめられていると思っています。

 そう。この諸説ある。というのが、あちこち。

 エミシのリーダーだったアテルイのことも、全く記録はないので、地名などから推測し、諸説ある。ということになってしまいます。

    

   エミシのリーダー、アテルイ達が本拠地としていた山へ入る道 。

 写真だときれいですが、実際はもっとうっそうとした感じがあります。1200年前はどうだったのでしょう。

  みちのくは、金が獲れる、よい馬もいる。朝廷はどうしても欲しかったのでしょう。

 


人生無駄なことはない~俳句本

2019年09月16日 | 日記

       俳句じゃないのも、混じってますが。

  うちには、俳句の本がどっさりあります。句集、ハウツーもの、歳時記も、何種類もあるし。句集は、いただいたのがたっぷりあるし、買ってもいるし。

  ごく一部です。

 これらを、必要があって、今ひっくり返して読んでいます。

 俳句をやっていたからこそ、児童文学を書けるようになった。それは間違いない。俳句では、プロにはなれない。そんなジレンマの中、やり続けていて、相乗効果として、どちらにもよい影響を出す。それを目標にやっていました。

 それが、ぼちぼち、自分なりに結果が出始めています。

 

 人生、無駄なことなんてない。そう思えます。結果という言葉を使いましたが、今の時点でということです。これでよし、終わりということはありません。これから、まだまだ。


『なみきビブリオバトル・ストーリー 本と4人の深呼吸』さ・え・ら書房 5刷りになりました。

2019年09月14日 | 自作紹介

                

 このブログに、何度も登場しているこの本。赤羽じゅんこ、松本聰美、森川成美、そして、おおぎやなぎちかの4人のアンソロジーです。このたび、5刷りのお知らせをいただきました!!

 重版ほど、嬉しいものはありません。それが、4回も。

 実は、来年度から使用される光村図書さんの国語の教科書に、取り上げられているんです。その教科書も、もうできあがって展示などされているようです。画像で拝見したのですが、大好きなロングセラー絵本『アンジュール』などと一緒に出ていて、わああと思いました。その効果がすでに現れているということでしょうか。

 小学校でのビブリオバトルも、広がっているようです。

 私が書いたのは、背が高くてコンプレックスを持っている玲奈。一番手前の子です。黒須高嶺さんの表紙の絵もいいですね。改めて、4人の個性を描いてくださっているなあと感じます。今後ともこの4人(本の中、&作者達)をよろしくお願いいたします。

 


和賀大乗神楽

2019年09月09日 | 日記

 岩手と秋田の県境に近い和賀に伝わっている神楽です。みちのく民族村の古民家で開催されました。

 

 

  女人禁制のお寺に、どうしてもお詣りしたいと行った女性が、禁を破ったため蛇になってしまう。そこに訪れた僧侶(山伏)が、念ずる功徳の法力により成仏させる。「鐘巻」。

 お芝居のようなものもあり、神楽もいろいろなのだなと。

 和賀は山なので、山伏が修行をしたのでしょう。演目の中には、法印の資格のある者しか踊ることができないというのも、ありました。この場合の法印とは、仏教の最上位という意味でしょうか。山伏・・・そそられます(笑)。

 四隅に結界をめぐらせ、四方に足を踏む踊りの所作は、悪霊を踏みつけるものだそうです。踊りにはそのような由来があることを確認できたのも、よかったです。

 本来秋風が吹いている時期なのに、この日は残暑厳しく、踊っている方達は、大変だったと思います。事情ですべては拝見できませんでしたが、眼福でした。それに生の笛やホラ貝、歌(っていうのかな)も身にしみました。


地区の演芸会

2019年09月08日 | 日記

  町内会みたいなものですが、岩手の地区の演芸会が近所の公園でありました。

   子どもたちもいる「かっぱ太鼓」

  

 地区にある信用金庫の皆様。鍋つかみを手にして、エビカニなんたらを踊って、真ん中の方は最後にバク転。

 早変わり(っていっても後ろのパーテーションの陰でゆっくり笑)

 じゃん!

 南部餅つき唄(おとなりの奥さんもいらっしゃいます)

 そして、クライマックスは、

 餅撒き(おとなりの旦那さんが、地区長さんなので、投げてます)

 白い点々が餅です。

 カメラを構えている私の顔に、ぶちあたり。それをゲット。10個くらい抱えている猛者もいました。

 屋台も出ていて、準備と練習、大変だったろうと思います。季語でいえば、地芝居、や村芝居的。お芝居はないけれど、豊年を祝ってのものなのでしょう。昔からこうして、楽しんで、まわりの人達とのつながりを保っていたのでしょう。

 令和となっても、なんのその。

 さすがに秋風がふいていました。

 

 


前壽人句集『壽人歳時記』文學の森

2019年09月07日 | 本の紹介

          

 壽人さんとは、そんなに句会はご一緒したことはありません。でも、何度もお会いしている・・・、どなたかの出版お祝いの会とか、童子の集まりで、なのだなと、今思っています。

 飄々とした雰囲気を漂わせた、趣味人という印象。さて、それが当たっているかどうか? わかりません。

 でも句集を拝読して、遊び心を持ちながらも誠実でまじめな方なのだろうなとわかります。きっと育ちがいいのだろうな、とも。だって、

 僕ちやんと呼ばれし吾も初詣    ですもの。

 独楽の揺れ大きくなれば止まりけり

 買はむとて摑めば他人(ひと)の夏帽子

 多摩川へ芒を取りに留守ですと

 停電の原因蛇の感電死

 芋煮会あちら百人こち五人

 菊の庭写真を撮るに祖母着替へ

 大寒の注射器に血をとられけり

 どれも、作ってない素直さが伝わってきます。

 一度ピアノの演奏をお聴きしたことがあったけど、うん、こんな感じ。素朴でした。

 壽人さんは小説も書いて本にされています。昨年は、『世界の男 南方熊楠』をご上梓されたとのこと。おめでとうございます!! 


伊藤洋子素描展 Ⅳ(秋田赤十字病院2Fミニギャラリー)

2019年09月06日 | 日記

    

 今年もいやされてきました。っていうか、洋子さんの絵と文章を読むと、自分が恥ずかしくなります。そしてその恥ずかしさが、心地いいんです。

 手書きの文字にも、しっかり心がこもっています。私の書き文字は、だめだなあ。

 忙しくしすぎてるって、反省させられます。でも今はやれるだけやるしかないの。そんな中、この詩に出会えて幸せです。長いから一部分にしたかったけど、やはりこの文章一文字も落としてはいけない。と思い、全文です。

 去年おととしも、書かせていただいています。よかったら、読んでください。

 カカワルということ

 「自分探し」……いつ誰が言い始めた言葉なのか。

 それは人生を生きる上で揺るぎない方向性のように思えた。

 カッコ良かった。

 いつか自分が見つかるかもしれないと思った。

 そのうち偉い人の(誰だったか忘れた)「人間それ自体は存在しない。誰かとの関係があるだけだ」という考えを知った。

 そうか。あるか無いかわからない「自分」なんて探すより、誰かと何かと芯から関わろうとすること、それだけが大切なんだ。

 歴史の本に出てくる偉人も

 ただのオバサンである私も、皆、

 コレガワタシノ「セカイトノ カカワリカタ」と意図しなくても示している。

 けれども、示そうとして関わってはいけない気がする。

「示そう」として結果を目標にし、

 良く思われたいとか、誉められたいとか、

 歴史に名を残そうとか思えば、必ず横道にそれる。

 いい絵(結果)を描きたいと思うことでさえ、「カカワリカタ」が甘くなる邪(よこしま)になる。

 だいじなのは、カカワルコトそれ自体だ。

 時に対象は私からなんて遠くにあるんだろうと感じる。それでも「すみませんが、ちょこっと話っtこ聞かせてください」と、わずかに近づいていける時が嬉しい。

 「ワタシ」はとても頼りなく不確かだが、

「カカワル」ことによってのみ、

 ぼんやりと

 小さく 

 しかし大きな喜びをともなって、

 かろうじて「在る」。   伊藤洋子

 

 貼られているものを、書き写してきたのですが、ワタシの文字が汚くって、読みづらくて、もしかしたら、どこか間違ってるかも(洋子さん、もし、これを見て違っていたら、教えてください)

 去年一昨年その前 ←こちらも、ぜひ。

 

 もし、秋田日赤に足を運ぶことができる方は、ぜひぜひお出かけください。19日正午までです。


アテルイ

2019年09月05日 | 日記

  エミシのリーダーだったアテルイのことは、わずかな記録しかありません。しかもエミシは文字を持っていなかったので、エミシを征服した側、朝廷の残したものだけです。その一つ、日本略紀にアテルイのことが記されています。

 私が子どものころは、アテルイは歴史の裏側に埋もれていました。坂上田村麻呂は教科書に征夷大将軍として載っていましたけど。征夷って、蝦夷を征伐するってことですからね。その大将ってことで、我々東北の人間は、歴史を遡れば、制圧された民なのですよ。しかしながら、一時は圧倒的な数の差があった朝廷軍を打ち負かしていたこともあったという、そんな歴史があります。

 今、アテルイは教科書にも載っているのだとか。そうなんだ。へえ。

  奥州市の東側にある小高い山に、砦が作られています。アテルイ達の本拠地だったのではと推定されているところです。記録がないのですから、砦の形も想像です。

  砦の手前にある慰霊碑。清水神社にもあります。

清水神社は、坂上田村麻呂が建立したところ。田村麻呂は敵であるアテルイを連れて京へもどり、アテルイの助命を嘆願します。しかし、それは受け入れられず、アテルイと腹心の部下モレの二人は、大阪府枚方の地で斬首されたと記録があるのです。


奥州市埋蔵文化財研究センター

2019年09月03日 | 日記

   

   実は、これまでも何回も訪れています。

  坂上田村麻呂が築いた胆沢城のすぐ近くにあります。今年、ここが新しく公園として整備もされ、人々の憩いの場になっています。二階展示室入り口は、朝廷軍の兵士達が並んでいて、目が赤く光っています。

 かつてエミシと朝廷軍の間には何度も戦いがありました。

 そのエミシの頭領アテルイのことなど、これから時々お伝えしようと思います。

 アテルイが率いるエミシ軍が、数では圧倒的に少なかったけれど、大勝したことも。そのあとに征夷大将軍となったのが、坂上田村麻呂。38年戦争の間のことです。  

 収蔵品の写真は、SNSにはあげられないのでね。

 その辺の歴史にご興味のあるかた、お勧めです。中には、30分くらいのわかりやすいビデオも上映されています。新幹線の水沢江刺駅から、うーん、タクシーかな。ちょっと不便ですが、周辺はひろびろとしてよいところです。