
◎2016年11月23日(水)
ながめ北駐車場……要害山……高津戸峡……里見兄弟の墓……駐車場 ── 宝徳寺 ── 崇禅寺
今日の北関東は冷え込んで夜から雪らしい。スタッドレスタイヤへの履き替えはすでに済ませているが、軽の方は自分でもできると、まだそのままにしていた。雪の降る前にやらなきゃならないが、午前中は晴れ間がもつようだ。もったいないので近場の紅葉狩りに行くことにした。
大間々の高津戸峡に行ったことはなかった。ネットで調べると、ここに標高270mほどの要害山という山があるらしい。ここも含めて朝の散歩コースとしよう。自宅からながめまでなら40分くらいのものだ。
ながめ北駐車場に車を置く。車から出ると、風が冷たかった。早速、赤城おろしだろうか。手袋を履く。8時を過ぎたばかり。探索に歩き出す方が2人ほど。この辺は初めてなので、みどり市観光課の発行した「高津戸峡周辺マップ」を持って歩き出す。北に回り、はねたき橋を渡って要害山遊歩道入口、そして要害神社(要害山)。高津戸峡遊歩道に下って駐車場戻り。一時間程度のものだろう。今日の格好は山歩きスタイルではなく、普段着にスニーカーだ。
(駐車場脇の神明宮)

(高津戸峡をチラ見)

(はね瀧道了尊)

はねたき橋(鱍瀧橋)を渡る手前にお堂のようなものが見えた。「はね瀧道了尊」。不動明王かと思ったが、縁起が記された石碑には、烏天狗が白狐に乗っているとなっている。像そのものは2003年製のようだ。
(はねたき橋。右に要害山)

(渡ってモミジ)

(ここから入ってみる)

橋を渡りながら高津戸峡を見下ろす。やはり紅葉は終わったのか、全体の色がくすんで見える。古い話だが、学生時代に池袋の文芸地下(映画館)で『各駅停車』という映画を観たことがある。森繁久彌と三木のり平が当時の国鉄足尾線の蒸気機関車の機関士と助手役という設定だった。ストーリーは忘れたが、最後のシーンで、三木のり平が川に飛び込み、ふんどしを流され、水から出られずに苦笑いしていたシーンだけは覚えている。足尾線で通学していたこともあって、ああ、これは高津戸峡だなと思ったものだが、どこから飛び込んだのか、それらしきところはいくつもある。
目の前の渡良瀬川、上流の足尾側と違って、淀みはかなり深そうで、寒々としている。
橋を渡ると車道に出た。マップには、このまま北に向かって遊歩道入口から登るようになっているが、車道を歩くのは何だしなと思っていると、ふと、手すりのついた歩道が上がっているのが見えた。ここから入ることにする。
(途中のモミジ。淡い)

(鳥居)

(要害神社)

(神社のモミジ。かなり濃い)

(結構、きれいだった)

ちょっときつい感じがしたが、すぐになだらかになった。しっかりした歩道もあまり歩く人はいないようで、荒れる方向にある気配。そもそも高津戸峡に来ても、要害山に登る人はごく少数だろう。だからといって要害山のみに登るのでは腹三分目といったところかもしれない。
散発ながらもモミジが続く。もっと見たいと思いながら、すぐに一つ目の鳥居が見えた。右下からも歩道が続いている。鳥居は三基あって、あっけなく山頂に着いた。ここに要害神社がある。
境内は一面に落葉。ここ数日の堆積には思えない。神社そのものも瓦が落ちたりして荒れている。由来板があった。難しくてよく理解できない。平安時代、ここに山田氏によって高津戸城が築かれ、室町時代には桐生氏系の里見氏にとって代わった。その後、上杉謙信に攻められる。里見氏は桐生氏に属しながらも、子供二人を謙信に託していたため、父親は内通の嫌疑を受けて桐生氏に詰め腹を切らされた。親の仇を射とうと、兄弟が高津戸城に忍び込むが、城主を取り逃がしてしまう。この城主が、何でここに出てくるのか由良氏配下であったため、由良の怒りを買って、反撃を受けて討ち死にする。
ふーっ、ここまでのあらすじを組み立てるだけでも精一杯だった(こういう展開ではないのかもしれないが)。山田氏は山田郡の起こりであることくらいは想像がつく。で、肝心の、この神社の創建はいつの頃のものなのかは記されていない。ただ、周りの石灯籠の年代を見ると、宝暦や文化の年代が刻されているから、古い神社であることは確かだろう。
さて、討ち死にした兄弟の墓が下の阿弥陀堂にあるとのことなので、マップを見ると、「山田氏及び里見兄弟の墓」のスポットがあった。話の展開はさっぱりわからないが、見るだけでも見ておこう。
(展望台から大間々の街並み)

(高津戸峡に下る)

(きれいなモミジになった)

南側に下る。途中、車道に出る。車が一台、駐車場に置かれている。薄くだが陽が出てきたせいで、モミジも映えて見える。
下の車道に出た。車が何台か通る。探索する人の姿も見えてきた。「高津戸橋近道」の標識が見えたので、そちらに入ったが、結局ははねたき橋に戻ることになる。高津戸峡が近づくと、行楽の人の姿が一気に増えた。みんな、紅葉目的だろう。他県ナンバーの車も通る。遠くは川越、練馬。わざわざ水戸からの車もある。
(遊歩道が川沿いにある)

(高津戸峡)

(玉子石を探し回る)

(ゴリラ岩。まぁそういえばといったところか)

(高津戸橋)

歩く方向を間違えたのか、大方は下流から上流に向かうが、自分だけ反対に歩いている。別にルールはないだろうが。
「ポットホール(甌穴)」の案内板があった。看板から30m。穴の中に擦られて摩耗した丸い玉子のような石があるようだ。岩場を探し回った。見つからなかった。丸い石は見つかるが、甌穴の中ではない。あきらめて歩道に戻る。後で写真を見ると、案内板には「矢印に従ってお進みください」と記されてあった。そんな矢印あったのか。失敗した。もう来ることもないだろうに。
どう見ても晩秋の景色だ。ここの紅葉は完全に終わっている。
続いてスケルトン岩。対岸だろうがわからない。自分はこのスケルトンを透明という意味合いで解釈して探したが、本来の「骨格、骨組み」ととらえれば、また探し方も違っただろう。枯れ木のような岩だったのかもしれない。
高津戸橋の下に出てしまった。このコースは短い。もっと歩きたかった。
(橋の下の紅葉)

(山田氏および里見兄弟の墓)

(すぐ隣にも)

(阿弥陀堂を入れて)

(要害山)

(高津戸橋の上から)

(菊花大会をやっている)

高津戸峡探索もまたあっけなく終わってしまった。橋を渡る前に5分ほど歩くと里見兄弟の墓のある阿弥陀堂に出て。一族の墓なのか、墓石がずらりとサークル状に並んでいる。どれが兄弟の墓なのかは特定できない。墓石の文字もすり減ってほとんど読めない。相当に古いものだろう。
そろそろいいかと引き返す。結構、混みだしたようだ。関東菊花大会をやっている。このせいか。警備員が車や歩行者の誘導をしている。菊にはあまり興味がないぁ。タダならと思ったが、大人400円につきやめる。
駐車場に到着。9時35分。1時間20分のぶらぶら探索。この程度だろうと思っていたので、この後は、笠懸の連山を歩くつもりでいた。だが、寒い。風が少しはおさまったが、里山をのんびり歩くには寒すぎる。
腹案はあった。桐生の寺の紅葉見物。昨日、ネットで見つけた紅葉スポット。二つの寺ともに川内にある。大間々からなら近い。これに切り替えよう。
まずは宝徳寺。今日まで紅葉まつりをやっている。ここのモミジは期間中に公開される広間というか、座敷というか、何というのか、ホールでないことは確かだが、庭のモミジがその床に映って見える「床もみじ」が有名らしい。
ここもまた車を誘導していたが、駐車場に空きはあった。拝観料は無料。有料だったらパスしたろう。門前から見えた中のモミジはさほどの色づきではなかったからだ。
(宝徳寺)

(これが件のモミジ。確かに、手前の板の間に映っている。センターに入れたかったが、撮影する方が多くて、何かと障害があって)

(裏に回ると、普通のモミジ)

(この辺がきれいだった)

(本堂を入れて)

この宝徳寺、造りが新しいので古刹ではないのかなと思った。見たところ由来板のようなものもない。帰ってから調べると、550年以上の由緒ある臨済宗の禅寺らしい。
この寺もまた栄枯盛衰で、元々は室町時代の宝徳年間に桐生城(柄杓山城)の裏手に創建された寺らしい。桐生氏(=桐生佐野氏)の庇護を受けたものの、例外なく由良氏に滅ぼされ、保護者を失った宝徳寺は衰退する。これを江戸期に入ってから再興されたとのこと。この川内の場所に移ったのがいつの頃なのかはわからない。
地元も地元、川内にお住いのハイトスさんに、機会があったら要害山の事情を含めて伺ってみよう。まぁ、すぐに忘れてしまうかもしれないが。
この宝徳寺の紅葉だが、ケチをつけるのもおこがましいが、次の崇禅寺のモミジを見てしまったら、わざわざ「紅葉まつり」のノレンを上げるほどのものではないのかと思ったのが本音のところだ。映像関係のプロダクションらしきのが入っていて、機器をセットしたり打ち合わせをしたりしていたが、確かに夜のライティングで照らされたモミジはきれいだろう。
寺のHPを見ると、着物大会やらロケ地提供とかもやっている。禅寺でありながら、こんなこともやっているのかと、少々、違和感があった。
次は崇禅寺。
陽のあたりが良くなって、風も止まったからだろうか、宝徳寺以上に紅葉の盛りを感じた。
この寺もまた臨済宗の寺だ。800年の歴史があるようだ。開祖の智明上人は北条時頼にも慕われたとか。この寺とて、桐生氏と由良氏の争いに巻き込まれなかったわけでもあるまい。その辺はわからない。
(駐車場の裏手から賑やかになっていた)

(門前のモミジ)

(後ろの山並みをバックに)

(観音堂)

(本堂の裏から)

(探索する人も多い。宝徳寺で見かけた方もいた)

(なかなか幻想的な紅葉を味わった)

(これもまた)

(落葉に埋まった池。実はもっとうまく撮れたつもりの写真があったが、ジイちゃん、バアちゃんが写ってしまった)

名残惜しく崇禅寺を辞去する。ここから小倉山経由で吾妻山に行けるのは知ってはいるが、そんな山歩きの格好もしていない。
帰路につく。まだ午前中なのに、陽が陰りだし、南方面には黒い雲が立ち込めていた。短時間の探索ハイクだったが、もう終わりかけの紅葉を楽しめた。明日は雪で、里山の紅葉もおしまいだろうか。
ながめ北駐車場……要害山……高津戸峡……里見兄弟の墓……駐車場 ── 宝徳寺 ── 崇禅寺
今日の北関東は冷え込んで夜から雪らしい。スタッドレスタイヤへの履き替えはすでに済ませているが、軽の方は自分でもできると、まだそのままにしていた。雪の降る前にやらなきゃならないが、午前中は晴れ間がもつようだ。もったいないので近場の紅葉狩りに行くことにした。
大間々の高津戸峡に行ったことはなかった。ネットで調べると、ここに標高270mほどの要害山という山があるらしい。ここも含めて朝の散歩コースとしよう。自宅からながめまでなら40分くらいのものだ。
ながめ北駐車場に車を置く。車から出ると、風が冷たかった。早速、赤城おろしだろうか。手袋を履く。8時を過ぎたばかり。探索に歩き出す方が2人ほど。この辺は初めてなので、みどり市観光課の発行した「高津戸峡周辺マップ」を持って歩き出す。北に回り、はねたき橋を渡って要害山遊歩道入口、そして要害神社(要害山)。高津戸峡遊歩道に下って駐車場戻り。一時間程度のものだろう。今日の格好は山歩きスタイルではなく、普段着にスニーカーだ。
(駐車場脇の神明宮)

(高津戸峡をチラ見)

(はね瀧道了尊)

はねたき橋(鱍瀧橋)を渡る手前にお堂のようなものが見えた。「はね瀧道了尊」。不動明王かと思ったが、縁起が記された石碑には、烏天狗が白狐に乗っているとなっている。像そのものは2003年製のようだ。
(はねたき橋。右に要害山)

(渡ってモミジ)

(ここから入ってみる)

橋を渡りながら高津戸峡を見下ろす。やはり紅葉は終わったのか、全体の色がくすんで見える。古い話だが、学生時代に池袋の文芸地下(映画館)で『各駅停車』という映画を観たことがある。森繁久彌と三木のり平が当時の国鉄足尾線の蒸気機関車の機関士と助手役という設定だった。ストーリーは忘れたが、最後のシーンで、三木のり平が川に飛び込み、ふんどしを流され、水から出られずに苦笑いしていたシーンだけは覚えている。足尾線で通学していたこともあって、ああ、これは高津戸峡だなと思ったものだが、どこから飛び込んだのか、それらしきところはいくつもある。
目の前の渡良瀬川、上流の足尾側と違って、淀みはかなり深そうで、寒々としている。
橋を渡ると車道に出た。マップには、このまま北に向かって遊歩道入口から登るようになっているが、車道を歩くのは何だしなと思っていると、ふと、手すりのついた歩道が上がっているのが見えた。ここから入ることにする。
(途中のモミジ。淡い)

(鳥居)

(要害神社)

(神社のモミジ。かなり濃い)

(結構、きれいだった)

ちょっときつい感じがしたが、すぐになだらかになった。しっかりした歩道もあまり歩く人はいないようで、荒れる方向にある気配。そもそも高津戸峡に来ても、要害山に登る人はごく少数だろう。だからといって要害山のみに登るのでは腹三分目といったところかもしれない。
散発ながらもモミジが続く。もっと見たいと思いながら、すぐに一つ目の鳥居が見えた。右下からも歩道が続いている。鳥居は三基あって、あっけなく山頂に着いた。ここに要害神社がある。
境内は一面に落葉。ここ数日の堆積には思えない。神社そのものも瓦が落ちたりして荒れている。由来板があった。難しくてよく理解できない。平安時代、ここに山田氏によって高津戸城が築かれ、室町時代には桐生氏系の里見氏にとって代わった。その後、上杉謙信に攻められる。里見氏は桐生氏に属しながらも、子供二人を謙信に託していたため、父親は内通の嫌疑を受けて桐生氏に詰め腹を切らされた。親の仇を射とうと、兄弟が高津戸城に忍び込むが、城主を取り逃がしてしまう。この城主が、何でここに出てくるのか由良氏配下であったため、由良の怒りを買って、反撃を受けて討ち死にする。
ふーっ、ここまでのあらすじを組み立てるだけでも精一杯だった(こういう展開ではないのかもしれないが)。山田氏は山田郡の起こりであることくらいは想像がつく。で、肝心の、この神社の創建はいつの頃のものなのかは記されていない。ただ、周りの石灯籠の年代を見ると、宝暦や文化の年代が刻されているから、古い神社であることは確かだろう。
さて、討ち死にした兄弟の墓が下の阿弥陀堂にあるとのことなので、マップを見ると、「山田氏及び里見兄弟の墓」のスポットがあった。話の展開はさっぱりわからないが、見るだけでも見ておこう。
(展望台から大間々の街並み)

(高津戸峡に下る)

(きれいなモミジになった)

南側に下る。途中、車道に出る。車が一台、駐車場に置かれている。薄くだが陽が出てきたせいで、モミジも映えて見える。
下の車道に出た。車が何台か通る。探索する人の姿も見えてきた。「高津戸橋近道」の標識が見えたので、そちらに入ったが、結局ははねたき橋に戻ることになる。高津戸峡が近づくと、行楽の人の姿が一気に増えた。みんな、紅葉目的だろう。他県ナンバーの車も通る。遠くは川越、練馬。わざわざ水戸からの車もある。
(遊歩道が川沿いにある)

(高津戸峡)

(玉子石を探し回る)

(ゴリラ岩。まぁそういえばといったところか)

(高津戸橋)

歩く方向を間違えたのか、大方は下流から上流に向かうが、自分だけ反対に歩いている。別にルールはないだろうが。
「ポットホール(甌穴)」の案内板があった。看板から30m。穴の中に擦られて摩耗した丸い玉子のような石があるようだ。岩場を探し回った。見つからなかった。丸い石は見つかるが、甌穴の中ではない。あきらめて歩道に戻る。後で写真を見ると、案内板には「矢印に従ってお進みください」と記されてあった。そんな矢印あったのか。失敗した。もう来ることもないだろうに。
どう見ても晩秋の景色だ。ここの紅葉は完全に終わっている。
続いてスケルトン岩。対岸だろうがわからない。自分はこのスケルトンを透明という意味合いで解釈して探したが、本来の「骨格、骨組み」ととらえれば、また探し方も違っただろう。枯れ木のような岩だったのかもしれない。
高津戸橋の下に出てしまった。このコースは短い。もっと歩きたかった。
(橋の下の紅葉)

(山田氏および里見兄弟の墓)

(すぐ隣にも)

(阿弥陀堂を入れて)

(要害山)

(高津戸橋の上から)

(菊花大会をやっている)

高津戸峡探索もまたあっけなく終わってしまった。橋を渡る前に5分ほど歩くと里見兄弟の墓のある阿弥陀堂に出て。一族の墓なのか、墓石がずらりとサークル状に並んでいる。どれが兄弟の墓なのかは特定できない。墓石の文字もすり減ってほとんど読めない。相当に古いものだろう。
そろそろいいかと引き返す。結構、混みだしたようだ。関東菊花大会をやっている。このせいか。警備員が車や歩行者の誘導をしている。菊にはあまり興味がないぁ。タダならと思ったが、大人400円につきやめる。
駐車場に到着。9時35分。1時間20分のぶらぶら探索。この程度だろうと思っていたので、この後は、笠懸の連山を歩くつもりでいた。だが、寒い。風が少しはおさまったが、里山をのんびり歩くには寒すぎる。
腹案はあった。桐生の寺の紅葉見物。昨日、ネットで見つけた紅葉スポット。二つの寺ともに川内にある。大間々からなら近い。これに切り替えよう。
まずは宝徳寺。今日まで紅葉まつりをやっている。ここのモミジは期間中に公開される広間というか、座敷というか、何というのか、ホールでないことは確かだが、庭のモミジがその床に映って見える「床もみじ」が有名らしい。
ここもまた車を誘導していたが、駐車場に空きはあった。拝観料は無料。有料だったらパスしたろう。門前から見えた中のモミジはさほどの色づきではなかったからだ。
(宝徳寺)

(これが件のモミジ。確かに、手前の板の間に映っている。センターに入れたかったが、撮影する方が多くて、何かと障害があって)

(裏に回ると、普通のモミジ)

(この辺がきれいだった)

(本堂を入れて)

この宝徳寺、造りが新しいので古刹ではないのかなと思った。見たところ由来板のようなものもない。帰ってから調べると、550年以上の由緒ある臨済宗の禅寺らしい。
この寺もまた栄枯盛衰で、元々は室町時代の宝徳年間に桐生城(柄杓山城)の裏手に創建された寺らしい。桐生氏(=桐生佐野氏)の庇護を受けたものの、例外なく由良氏に滅ぼされ、保護者を失った宝徳寺は衰退する。これを江戸期に入ってから再興されたとのこと。この川内の場所に移ったのがいつの頃なのかはわからない。
地元も地元、川内にお住いのハイトスさんに、機会があったら要害山の事情を含めて伺ってみよう。まぁ、すぐに忘れてしまうかもしれないが。
この宝徳寺の紅葉だが、ケチをつけるのもおこがましいが、次の崇禅寺のモミジを見てしまったら、わざわざ「紅葉まつり」のノレンを上げるほどのものではないのかと思ったのが本音のところだ。映像関係のプロダクションらしきのが入っていて、機器をセットしたり打ち合わせをしたりしていたが、確かに夜のライティングで照らされたモミジはきれいだろう。
寺のHPを見ると、着物大会やらロケ地提供とかもやっている。禅寺でありながら、こんなこともやっているのかと、少々、違和感があった。
次は崇禅寺。
陽のあたりが良くなって、風も止まったからだろうか、宝徳寺以上に紅葉の盛りを感じた。
この寺もまた臨済宗の寺だ。800年の歴史があるようだ。開祖の智明上人は北条時頼にも慕われたとか。この寺とて、桐生氏と由良氏の争いに巻き込まれなかったわけでもあるまい。その辺はわからない。
(駐車場の裏手から賑やかになっていた)

(門前のモミジ)

(後ろの山並みをバックに)

(観音堂)

(本堂の裏から)

(探索する人も多い。宝徳寺で見かけた方もいた)

(なかなか幻想的な紅葉を味わった)

(これもまた)

(落葉に埋まった池。実はもっとうまく撮れたつもりの写真があったが、ジイちゃん、バアちゃんが写ってしまった)

名残惜しく崇禅寺を辞去する。ここから小倉山経由で吾妻山に行けるのは知ってはいるが、そんな山歩きの格好もしていない。
帰路につく。まだ午前中なのに、陽が陰りだし、南方面には黒い雲が立ち込めていた。短時間の探索ハイクだったが、もう終わりかけの紅葉を楽しめた。明日は雪で、里山の紅葉もおしまいだろうか。
私も行こうかなと思っても、今日の雪で枯れているし、汚れてしまったでしょう。
山の紅葉とは違って、穏やかな感じの紅葉狩りでしたね。
歴史の勉強にもなりました。
絵葉書ですか。ご冗談を。穴があったら入りたい気分です。
短時間ながらも、特に後半の寺回りではモミジ狩りを満喫して帰ってきました。
前日まで、東松山の森林公園にでも行こうかと考えたりもしたのですが、駐車代と入場料を払えば千円を超えるし、それに見合った紅葉を楽しめるのかというのも疑問で、結局は、近場で成功したといったところです。
幸いにもというか、この雪で、紅葉ももう終わりでしょうかね。その点では、今季の見納めかもしれません。
歴史の勉強ですか。埼玉と同様に、こちらもまた上杉や北条氏等の動きに翻弄されたところがあるようで、正直のところ、ごちゃごちゃしてよくわかりませんわ。
床モミジも有名ですが、どちらも見たことないです。
水戸ナンバーの車まであるのは、群馬ナンバーの車が奥久慈にあるのと同じでしょう(笑)
話しは飛んでしまいますが、高津戸峡の上流、コンビニのある信号(福岡大橋)よりも
上流のあたりを何とか渓谷と聞いたことがあるのですが、たそがれさん、知ってますか?
それがどうしたということはないのですが、R122を通るたびに思い出せないでいるので聞きました。
ご存じなければ流していただいて結構です。
確かに奥久慈の山に行って、地元の方から「わざわざ群馬から来ているよ」と言われているようなものですよね(笑)。
ただ、高津戸峡(渓谷)として観光化されているところは橋と橋の間のほんのちょっとしたエリアで、その紅葉が実際はどの程度の素晴らしさなのかは、遅れて見に行ったのでよくわからないのですが、遠方からわざわざ見に来るほどのことでもないような気がしたのが正直のところです。
昨日あたりの紅葉、景色レベルで、果たして水戸ナンバーの方が満足されたのかどうか。二回目はないような気がします。それでいて、群馬ナンバーは奥久慈にがっかりはせず、いずれまたといった心境ですしね。
その何とか渓谷、流すわけにもいかずに調べましたよ。知らないものですから。そしたら「古路瀬(こじせ)渓谷」というのがありましたね。これでしょうかね。紅葉スポットとあります。
ただ、場所としてはコンビニのあるあたりというよりも、さらに上流、駅でいえば上神梅と水沼の間、今は本宿駅というのができているようですが、その周辺のようです。位置的にコンビニの下というのなら、地元の人しかわからないかもしれませんが。
ところで、これを調べていたら、122号の塩原バイパス計画というのがあるのを知りました。足尾方面、福岡大橋手前で左折してクネクネと先に行くルートはやめにして、福岡大橋の先、左岸側にバイパスを設置して先で合流ということらしいです。既存の道路の拡張と橋の新設ということになるらしいですが、どうなのでしょうか、元々、塩原に122号を通すという話が反対運動で今の状態になったということも聞いていますし。
それっ、それです!
古路瀬渓谷でまちがいないです。
R122塩原バイパス計画ですか。
鬼怒川の先の塩原ではなく渡良瀬川左岸にそのような地名があるのですね。
R122足尾バイパスが出来る前は狭かったですものね。
それは車の免許を取る前にバイクの時に通ったことのある年代です。
ありがとうございましたm(_ _)m
わざわざ恐縮です。やはりその古路瀬渓谷でしたか。
私もそんなところあるんだなと認識新たなものになりましたよ。
この渓谷もまた、歩いて探索できるようなところだったらいいのですが、紅葉をバックに渓谷鉄道の気動車を走らせて撮るのがベストというのなら、何だか寂しい感じがしないでもありません。
塩原という地名ですが、一般にはやはり福岡と言っているらしく、、今の道路が通る際に反対運動があったものの、いざ右岸を通したら、今度は福岡の方々から、一気に寂れたと苦情が寄せられたらしく、勝手なものだなと思ったものですが。
何年か前に、東京湾から江戸川・渡良瀬川を辿って、要害山に辿り着いたのを思い出しました。自分の記憶では、恐ろしく藪めいていて蜘蛛の巣を掻き分けてと言った感じでした。だいぶ様子が違うので驚きました。降りた先の高津戸峡もなにかの障害で通行止めだったのでガッカリしたおぼえがあります。紅葉時分にはこう言った風景になるのですね。
その先のお寺の紅葉は見事ですネ。やはり、南関東ではこう言った雰囲気はのぞめませんです。
さらに先に貴船神社があったはずですが、名前からは紅葉を期待してしまいます。そのうち行ってみようと思いつつ、忘れておりました。
実はこういう場所を求めて鹿沼に行ったつもりですが、月曜日だったので定休日でした(がくっ)紅葉の頃、桐生のこの橋のあたりを必ず通過しているようで、いつか行ってみようと思ってているところです。じっくり歩けば良さそうに見えますね。もう雪でダメになっちゃったでしょうかね。
そういえば、ぶなじろうさん、渡良瀬周遊で高津戸界隈を歩かれたことありましたね。
あの要害山、まっとうに入口が見つかって、遊歩道を下りましたから、どこをどう歩けばヤブなのかといったイメージがわきませんよ。よほどなところを歩かれたのでしょう。
高津戸峡は残念でしたね。ただ、設置された遊歩道を歩いてもあっという間に終わってしまいますので、橋から眺めてきれいだなで終わりにするだけでも十分じゃないかなと思います。
貴船神社には私も行ったことはありませんが、京都の貴船神社ほどの紅葉スポットではないのではないですかね。神社の裏手から東側の尾根に上がることを考えたことはあったのですが、それきりになっています。
「こういう場所」は、鹿沼に行かずとも、ハイトスさんお住いの周辺には随分と転がっていますよ。川内から大間々にかけては、尾根歩きも含めて、歩きがいがあるんじゃないのかなと思い、ここのところ地図をずっと眺めているのですが、どうも大間々カントリー倶楽部なるところが目障りになっていましてね。
高津戸峡は、わざわざ一日かけて出かけるまでもなく、あくまでも「ついで」に探索するところかと思います。紅葉はもうダメでしょうが、雪景色もきれいかなと思ったりもしているのですが。