
◎2017年4月15日(土)
皆沢八幡宮前駐車地(7:10)……尾根取り付き(7:29)……仙人ヶ岳・赤雪山稜線合流(8:48)……赤雪山(9:05)……三角山下尾根分岐(10:13)……穴切峠(12:44)……車道合流(13:08)……県道合流(13:19)……駐車地(13:33)
ツツジは見たいが人はあまり見たくない。さりとて近辺の里山でアカヤシオの秘密のスポットも知らない。無難なところで、間違いなくツツジを見られるところとなると、ハイトスさんやらみー猫さんが先日行かれた仙人ヶ岳周辺ということになるだろうが、松田川ダム側からの一般ルートではハイカーも多かろう。せめてここは南側ではなく北側から登ることにしよう。
地図を眺めると、赤雪山の北にある尾根が目に付いた。526m標高点を通る尾根だ。これはどんなものか。ちょっと調べると、さすがに瀑泉さんは抜け目なくその尾根を一年前に歩かれていた。可もなく不可もなしか。ということで、今回のコースは、その尾根を経由して赤雪山。その先は仙人ヶ岳に向かいつつ、途中で穴切峠に下り、さらに高戸山。高戸山からは適当に東に皆沢八幡宮に下るということにする。
ここで穴切峠にこだわったのにはワケがあって、あにねこさんの記事を拝見し、そこにある三体の石仏をこの機会に見たかったからである。常時混雑の仙人ヶ岳には無理に行かずともにいいだろう。まして、今日は午後から雷雨も予想されている。雲行きが怪しくなったら、高戸山もカットしよう。今回の目的はアカヤシオと石仏ということにし、それに徹することにする。
皆沢八幡宮はロープに囲まれて中に入り込めず、向かいの空き地に駐車する。境内の桜は満開だ。この「皆沢」、帰って来るまで「みなざわ」と思っていたが「かいざわ」だった。どうりでカーナビで検索できなかったわけだ。地名と人名は間違えても仕方がない。
今日は今年初の地下足袋歩きにしてみた。サクサク歩きを期待したためだが、サクサクまではならなかったものの、久しぶりの地面を踏んで歩いているという直接的な感覚が何ともいえずに気持ち良かった。ただ、最後の砂利道林道歩きには足裏が痛くて辟易としてしまったが。
(目指す尾根が見えてくる。鉄塔が乗っかっている)

県道を20分ほど歩く。途中、小川に竿を垂らしたオッチャンに挨拶をする。廃屋が随分と目立つところだ。右に砂利を作っているような工場が見え出し、先はもう県境になっていて、栃木県佐野市の標識がある。
工場はすでに稼働していて、目的の尾根には駐車場の脇から入った。後で改めて瀑泉さんの記事を拝見すると、鉄塔巡視路を使えばすんなりだったようだが、この時点ではまったくそれに気づいていない。
(尾根に乗る)

(鉄塔から西側)

上には鉄塔が見えている。斜面を適当に登る。右手は大岩になっていて、その脇を登る。それなりの急斜面。右手の植林からステップ付きの階段が上がってきた。やはりそういうことなのか。これを使わせていただき、5分ほどで鉄塔。秩父の山では巡視路歩きを重視するが、こちらではついその手を失念していた。
鉄塔からは一部の展望が開けている。自分にはどれが何山なのか特定できないでいる。北西に見えているのは高戸山だろうかといったレベル。
(下部は荒れた感じ)

(ここで終わりかけのアカヤシオ)

鉄塔を過ぎると、踏み跡程度のものになったが、尾根型は明瞭なので、迷うようなところはない。まして、右植林、左雑木の半分開けた尾根だし、栃木県の境界線標石もずっと続いている。テープの類いは古いのを散見する程度だ。
早速、アカヤシオ。目的はこれだったからほっとしたが、もうくたびれかけている。この辺、来るのが一週間は遅かったようだ。上に行けば新鮮どころに出会えるだろうと期待する。ツツジは決して群生ではないが、しばらく点々と続き、つい足取りも遅くなり、きれいなのが目に入れば、斜面を下って寄り道になったりもする。やはり、くたびれていても青空をバックにすると新鮮にも見える。
(歩きやすい尾根)

(焼けた感じもする)

(高戸山)

岩混じりでゴツゴツしたところが出てくる。倒木箇所もある。迂回したところもあるが、概ねは直進できる。部分的にしっかりとした道型になったりもする。ここは意外に歩かれている尾根なのかもしれない。
(赤雪山)

(526m標高点付近)

次第に暑くなってきた。シャツ一枚になり手袋も外した。ここは雰囲気の良い尾根だ。この先もずっと雑木が続き、526m標高点付近では左手に赤雪山らしいピークが見えてきた。ここで、この尾根の半分になるが、なぜかツツジは消え、視界にはポツリとしたものしかなく、殺風景な尾根歩きになりつつある。まさか、くたびれただけのをかろうじて目にし、以上でおしまいというわけではあるまいな。
(稜線に合流。向こうから登って来た)

途中で菓子パン休憩をとりながらも、周囲の色彩がないままに稜線に出てしまった。この先に期待をかけていいものだろうか。赤雪山方面から話し声が聞こえた。やはり、今日はこんな早い時間からハイカーがいるようだ。
(何ら色付きなし)

(山頂が見えてきた)

赤雪山に向かう。何だこっちも色の気配がないじゃないか。標高が上がっているのにやはりあれで終わりかとちょっとがっかり。オッチャンが2人下りて来た。さっきの声の主だろう。これから仙人ヶ岳に向かうようだ。ツツジ情報を仕入れようと思ったら、目ざとくこちらの地下タビに目が向いて、地下タビの具合をいろいろと問われた。適当に答えていたが、結構、鋭い質問をしてくるので、長くなりそうで、適当に切り上げたが、結局、ツツジ情報は聞けず。やはり、ズボンの裾は中に入れずに外出しして、さも地下タビ歩きですといった履きこなしスタイルは避けた方がいいかもしれない。だけど、自分は中入れの方が気分もシャキッとするんだけどなぁ。
(赤雪山山頂)

(山頂から。ここにも色物はない)

結局、殺風景な景色の中を歩いて、東屋の置かれた赤雪山に到着した。2人連れと単独のオッサンがいた。オッサンは松田川ダムから来たとのことで、下の桜はきれいだったが、ここまでのツツジはたいしたものではなかったとおっしゃっていた。地下タビの話は出てこない。
タバコを吸いながら、仙人ヶ岳までの稜線上でツツジが期待できないのでは老越路峠に下って、多高山経由で帰るかと思ったりもしたが、穴切峠の石仏も魅力だし、やはり予定通りの歩きだな。腰を上げる。
ちょっとタイミングが悪かった。ほぼ同時にザックを担ぐとオッサンが「お先に」と仙人ヶ岳に向かい始めた。ここはもう一本吸うしかないかと思っていたら、オッサンが足を止めて東屋に置かれたノートを開き出した。フェイントをかけられた感じで、ザックをまた担いで脇をすり抜けた。ところでこのオッサン、今日は午後から雷雨かもしれないと言うと、怪訝な顔をしてそうですか?と言っていたが、山を歩く時、天気予報もチェックしないのだろうか。
(仙人ヶ岳の方に向かう。そろそろあきらめかけていると)

(出てきた)

(原仁田の頭)

(何とか間に合ったが、お祭りは終わった後のようだ)

2人連れを追い越す。上がって来た尾根との合流点を過ぎて585m標高点付近を通過。そろそろ穴切峠への分岐だ。この分岐、「原仁田の頭」というらしい。そこを下って峠に出るのも選択肢の一つでいたが、折悪しくというか折好くとでもいうか、またボツボツとツツジが出てきた。先に行くに連れ、密度が高まっていく。そんなことで、深追いすべく、原仁田の頭は素通り。念のため確認すると、明瞭な道型が峠の方に続いていた。歩きたい衝動にかられたのだが、ツツジ見たさの気分の方が勝ってしまった。
結構なアップダウンを繰り返す。ツツジはあと数日の命を何とか必死で咲かせている。この健気さがいじらしい。立ち止まりが自然に多くなる。背後から声が聞こえる。姿は見えないが気持ちはあせる。追い越した2人連れにも思えるが、どうも両方ともに男の声だ。まさか地下タビに鋭い質問を浴びせたオッチャン連だろうか。追い越した記憶はないのだが。いずれにせよ、もっとゆっくりとツツジ三昧の歩きをしていただきたいという希望には沿わない歩きをしている。
(仙人ヶ岳)

(道中で1)

(道中で2)

(急激な下り)

(小ピークで)

仙人ヶ岳が左前方に見え、谷底に向かうかのような下りになった。これは登り返しがきつそうだ。ゼーゼーして登り上げると、左に623mの三角山。背後の声は振り切ったようだ。ヤセ尾根や岩場になったりもする。さほどの危険さは感じないが、低いアップダウンは相変わらずだ。
(三角山が近づく)

(神楽場の石祠)

岩場小ピークに石祠があった。ここは「神楽場」というところらしい。大正らしい年号が読み取れる。ひとやね冠の下に「中」が入った屋号だかマークも確認できる。
さて、この時点に至り、穴切峠には県境線で下るつもりでいる。三角山はこの先で左に折れるが、そちらから下ってくる県境線が、地図上ではその反対方向に続いている。だが、それがどれなのか地形から読み取れない。地図を見る限り、尾根伝いがここで沢地形を下って、また尾根型に復帰する。沢というか、植林側が谷の地形になっている。あそこを下るとなると、かなり厳しそうだ。さりとて目印も見あたらず、あっちやらこっちやらを見回す。そのうちに、背後から振り切ったはずの声がまた迫ってきた。余談だが、この県境線、二日前に逆方向から歩かれたきりんこさんは四つ足歩きで登られたらしい。下りとなると、ルートがわかったとしてもロープが必要だったろう。
北側に下れそうなところは目の前にある尾根しかない。仕方ない。この尾根を迂回して、県境線に復帰することにするか。当初の予定では、穴切峠を南北に通過するつもりでいたが、原仁田の頭に戻るわけにもいかず、西側から穴切峠に出ることにする。
(尾根を下る)

(最初のうちは歩きやすかった)

(こちらにもあることはある)

尾根の入口には、○囲みに「塩」のペンキ文字が木に記されている。この塩は菱の塩ノ瀬という地区のことだろうか。
地図どおりになだらかな尾根だった。ここは植林の尾根で、右手の斜面には間伐が放置され、最近伐ったばかりのような切り株も目にする。作業用のマークも多い。左手は急斜面で、こちらは雑木で下に落ち込んでいる。そちら側にツツジがちらほらと見えるが、危ない思いをしてまでも近づく気にはなれないし、やはり、稜線から外れると密度も低く、ツツジはいずれ自然消滅しつつある。
(423m標高点方面に下る)

(ここはいい感じだった)

このままダラダラと下っても意味もなく、右手に分岐尾根が見えたので、これを下ることにする。湾曲して423mを経由して県境線に出られるはずだ。
尾根を乗り換えると、急になった。間伐やら倒木が歩行の邪魔になり、ところどころに岩混じりも出てくる。荒れた尾根を下って行くと、下に道が通っているような気配がある。423m標高点を下りきるとやはり道。木を渡した橋を渡る。橋の下にはチョロチョロした流れ。ここが県境線らしい。
(作業道)

(炭焼き跡)

後はずっと作業道が続いている。ここにも間伐放置は目立つ。右手に炭焼き跡のような穴を見たりして沢沿いを歩いて行くと、林道に出た。
実はこの先はもう安泰と思っていた。11年前に桐生川ダムから高戸山に登り、穴切峠を経由して穴切集落に抜けたことがある。高戸山下で迷いはしたが、峠を過ぎてからはしっかりした道を歩いて苦労した覚えはない。峠まではその時の逆歩きをするだけだ。
(ここの一画だけは整然としていた。休憩)

(首なし地蔵)

倒木に腰かけて一服。この辺はきれいで整然とした植林だ。間を走る林道もまた整備されている。あにねこさん記事の刷り出しルートマップを取り出す。これに記された「首なし地蔵二体」、「墓石」、「石仏三体」は見ておこう。首なし地蔵は戻り方向か。林道を逆方向に行くとほどなく見つかった。随分と苔むした地蔵だ。文字が彫られているが、自分の能力では読めない。11年前にも見ているのだろうが記憶にはない。もっともその頃はこういう物に興味がなかった。
ところで、首欠け地蔵を廃仏毀釈の運動の一環としてとらえる向きがあるようだが、自分は懐疑的だ。地方の山奥までその動きが及ぶとは思えない。大方は地震やら倒木、伐採、イタズラに由るものと思っている。
(仙牛大和尚の墓石)

(百庚申の石碑)

元に戻って、先に行くと、左に丸っこい石が見えた。後ろに回った。これが「仙牛大和尚」の墓石のようだ。天明八年とある。ここに当時、寺でもあったのか。これで2つ見たから、後は石仏だけ。
左手に小尾根の突端が見え、その脇に踏み跡らしいのが続いていたので、林道から離れてこれを追ってみると、石碑のようなものが見えた。これが、あにねこさんが見落とした「百庚申の石碑」のようだ。「百庚申供養」とあり、これもまた天明。
(徒にムダ歩きをして石仏を探し回る)

この小尾根を登って行くと、結局は林道に出てしまった。続いて、次の小尾根を登ってみる。散々登るが何もない。踏み跡らしきものはあちこちにあって、どれが古道跡なのかはわからない。あにねこさんマップに合わすと登り過ぎているようでもあるので別尾根筋に下る。どうもこの踏み跡は濃い。古道かなと思ったが、どんどん下っても何もなく、やがて林道が下に見えた。登り返す。きつかった。
ここまで苦労するなら石仏はあきらめようかと、最後のダメ押しであにねこさんマップを目皿にして見て、自分のGPSと照らす。どうも尾根を間違えたようだ。このさらに先の小尾根のようだ。ムダに体力を消耗した。
(こういうのって、こんな場所で簡単に履き替えできるものなのだろうか)

(石仏三体)

林道を先に行くと、左に尾根先が見え、これを登る。登ると重機のキャタピラが放置されているところに出た。傍らに作業道。この先は急になっていて、石仏が置かれているような風情ではない。作業道を下りかけると、石仏が三体、木の下に安置されていた。ようやく出会えたか。あにねこさん記事には「地蔵菩薩二体と如意輪観音で、女性の墓塔ではないかとのこと」とある。年代は明和になっている。まずここで見るものも見たので休む。ついでに軽く腹を満たして一服。後は作業道やら林道を歩くだけだろう。
(間伐ふさがり。この先はかなり荒くれた状況になっていた)

(ここにも)

だが、この先、穴切峠までの道のり、かなりの認識が甘かった。作業道の下に林道のようなものが見え、間伐を乗り越えて林道に出た。林道伝いに行けばいいだけだろうと左に向かうと、すぐにひどい横倒しの間伐で先に進めなくなった。コンパスを見ると、方向違いに歩いている。どうも別林道のようだ。左ではなく右に下ると、最初に出たらしき林道に合流。その先は荒れてはいるがしっかりした道のようでこれに入る。ここで、念のため、林道合流地点からほぼ東に向かえば穴切峠だしと、改めて合流点を起点にコンパスをセットすると、これ方向が違うじゃないの。むしろ、方向はさっきの間伐林道っぽい。
何度か行ったり来たりした。これではいつまで経ってもここから逃れられず、穴切峠にすら行けないのではないのか。知らずの間に陽は隠れ、風が出てきて辺りは薄暗くなりつつあった。
(結局、こんなところを強引に登る)

(ようやく見えてきた)

最後の手段を使う。GPSに現れている破線路をアップにして突き進むしかない。むろん植林の急斜面で、踏み跡すらない。ここもまた間伐を越えて登って行くと、上に作業道のようなものが見える。あそこに出て右に行けば、案外楽かも知れない。だが、その作業道はそこが起点になっていて、左方向はあれど右方向に道はない。そのまま続行。ようやくぽっかりとした空間が見えた。あそこが穴切峠だろう。ほっとした。同時に斜面もおとなしくなった。
穴切峠に着いたとはいえ、到達地点は尾根上のかなり離れたところだった。その時はGPSマップの破線を忠実に辿ったつもりでいたが、後で地図に落としてみると、ちょっとずれていた。また、考えてみれば、林道もまた直線であるわけでもなく、クネクネしているものなのだから、その時は見当違いの方向であっても、そのまま行っていれば、すんなりと峠に着けたのかも知れない。抜け出せなかったらどうなっていたか。林道を穴切に出て、ダム脇を通って戻るしかなかったろうが、ここには作業道や林道が複数あるようだ。正解林道を探すのに苦労したろう。
(穴切峠の神社)

(道型を下る)

雨がポツリと落ちてきた。本降りはまだ先かもしれない。高戸山に行っている場合ではないようだ。まして、この破線路、東に下る側はどうなっているのやら。まずは神社にご挨拶。西に下る踏み跡はしっかり判別できる。11年前はこれを使って林道に出たはずだ。東側を覗くと延長の踏み跡が見える。正確には東ではなく北東に向かっているが、ここでは些細なこと。尾根やら沢の地形でないただの斜面では、踏み跡だけが頼りだ。
(作業道に出る)

(もう使われていないのか、イバラの道になっていた)

踏み跡は途中で分岐したりしていたが、行き詰ったら戻るを繰り返した。時間もかからずに幅広の作業道に出た。これを林道と言うべきかは難しいところだ。いずれにしても穴切峠のエリアから抜け出してほっとした。
沢沿いの荒れた作業道を下る。穴切峠までの憂鬱な気分に比べたら、ポツリポツリの雨も気にならない。
開けたところに出た。そしてイバラに攻められる。右からも作業道が合流し、その先で、これまた右から林道が合流する。ここは現役で車が通っているようだが、砂利道で、地下タビだと足裏が痛くなる。近くでホトトギスの鳴き声が聞こえる。曇天でもまさに陽春だ。
(林道に出て)

(県道に出る)

砂利(とはいっても庭砂利のようだが)工場が見えて来る。林道は工場の間を通って県道に出た。こうなるのなら、もっとこちら側に車を置くべきだったが、こうなるとは想像もしていない。里の桜を眺めながら、皆沢八幡宮に向かう。本降りにならずに助かった。八幡宮の石に腰かけ、花見ついでに遅いランチタイムにした。
(皆沢八幡宮)

今日はツツジを見終わってからの後半がえらくきつかった。ツツジも終わりかけの満開で、ちょっと消化不良気味なところもあるが、今季初のツツジ見でもあるし、まして石仏も見られたし、それなりに満足だったと言えようか。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
皆沢八幡宮前駐車地(7:10)……尾根取り付き(7:29)……仙人ヶ岳・赤雪山稜線合流(8:48)……赤雪山(9:05)……三角山下尾根分岐(10:13)……穴切峠(12:44)……車道合流(13:08)……県道合流(13:19)……駐車地(13:33)
ツツジは見たいが人はあまり見たくない。さりとて近辺の里山でアカヤシオの秘密のスポットも知らない。無難なところで、間違いなくツツジを見られるところとなると、ハイトスさんやらみー猫さんが先日行かれた仙人ヶ岳周辺ということになるだろうが、松田川ダム側からの一般ルートではハイカーも多かろう。せめてここは南側ではなく北側から登ることにしよう。
地図を眺めると、赤雪山の北にある尾根が目に付いた。526m標高点を通る尾根だ。これはどんなものか。ちょっと調べると、さすがに瀑泉さんは抜け目なくその尾根を一年前に歩かれていた。可もなく不可もなしか。ということで、今回のコースは、その尾根を経由して赤雪山。その先は仙人ヶ岳に向かいつつ、途中で穴切峠に下り、さらに高戸山。高戸山からは適当に東に皆沢八幡宮に下るということにする。
ここで穴切峠にこだわったのにはワケがあって、あにねこさんの記事を拝見し、そこにある三体の石仏をこの機会に見たかったからである。常時混雑の仙人ヶ岳には無理に行かずともにいいだろう。まして、今日は午後から雷雨も予想されている。雲行きが怪しくなったら、高戸山もカットしよう。今回の目的はアカヤシオと石仏ということにし、それに徹することにする。
皆沢八幡宮はロープに囲まれて中に入り込めず、向かいの空き地に駐車する。境内の桜は満開だ。この「皆沢」、帰って来るまで「みなざわ」と思っていたが「かいざわ」だった。どうりでカーナビで検索できなかったわけだ。地名と人名は間違えても仕方がない。
今日は今年初の地下足袋歩きにしてみた。サクサク歩きを期待したためだが、サクサクまではならなかったものの、久しぶりの地面を踏んで歩いているという直接的な感覚が何ともいえずに気持ち良かった。ただ、最後の砂利道林道歩きには足裏が痛くて辟易としてしまったが。
(目指す尾根が見えてくる。鉄塔が乗っかっている)

県道を20分ほど歩く。途中、小川に竿を垂らしたオッチャンに挨拶をする。廃屋が随分と目立つところだ。右に砂利を作っているような工場が見え出し、先はもう県境になっていて、栃木県佐野市の標識がある。
工場はすでに稼働していて、目的の尾根には駐車場の脇から入った。後で改めて瀑泉さんの記事を拝見すると、鉄塔巡視路を使えばすんなりだったようだが、この時点ではまったくそれに気づいていない。
(尾根に乗る)

(鉄塔から西側)

上には鉄塔が見えている。斜面を適当に登る。右手は大岩になっていて、その脇を登る。それなりの急斜面。右手の植林からステップ付きの階段が上がってきた。やはりそういうことなのか。これを使わせていただき、5分ほどで鉄塔。秩父の山では巡視路歩きを重視するが、こちらではついその手を失念していた。
鉄塔からは一部の展望が開けている。自分にはどれが何山なのか特定できないでいる。北西に見えているのは高戸山だろうかといったレベル。
(下部は荒れた感じ)

(ここで終わりかけのアカヤシオ)

鉄塔を過ぎると、踏み跡程度のものになったが、尾根型は明瞭なので、迷うようなところはない。まして、右植林、左雑木の半分開けた尾根だし、栃木県の境界線標石もずっと続いている。テープの類いは古いのを散見する程度だ。
早速、アカヤシオ。目的はこれだったからほっとしたが、もうくたびれかけている。この辺、来るのが一週間は遅かったようだ。上に行けば新鮮どころに出会えるだろうと期待する。ツツジは決して群生ではないが、しばらく点々と続き、つい足取りも遅くなり、きれいなのが目に入れば、斜面を下って寄り道になったりもする。やはり、くたびれていても青空をバックにすると新鮮にも見える。
(歩きやすい尾根)

(焼けた感じもする)

(高戸山)

岩混じりでゴツゴツしたところが出てくる。倒木箇所もある。迂回したところもあるが、概ねは直進できる。部分的にしっかりとした道型になったりもする。ここは意外に歩かれている尾根なのかもしれない。
(赤雪山)

(526m標高点付近)

次第に暑くなってきた。シャツ一枚になり手袋も外した。ここは雰囲気の良い尾根だ。この先もずっと雑木が続き、526m標高点付近では左手に赤雪山らしいピークが見えてきた。ここで、この尾根の半分になるが、なぜかツツジは消え、視界にはポツリとしたものしかなく、殺風景な尾根歩きになりつつある。まさか、くたびれただけのをかろうじて目にし、以上でおしまいというわけではあるまいな。
(稜線に合流。向こうから登って来た)

途中で菓子パン休憩をとりながらも、周囲の色彩がないままに稜線に出てしまった。この先に期待をかけていいものだろうか。赤雪山方面から話し声が聞こえた。やはり、今日はこんな早い時間からハイカーがいるようだ。
(何ら色付きなし)

(山頂が見えてきた)

赤雪山に向かう。何だこっちも色の気配がないじゃないか。標高が上がっているのにやはりあれで終わりかとちょっとがっかり。オッチャンが2人下りて来た。さっきの声の主だろう。これから仙人ヶ岳に向かうようだ。ツツジ情報を仕入れようと思ったら、目ざとくこちらの地下タビに目が向いて、地下タビの具合をいろいろと問われた。適当に答えていたが、結構、鋭い質問をしてくるので、長くなりそうで、適当に切り上げたが、結局、ツツジ情報は聞けず。やはり、ズボンの裾は中に入れずに外出しして、さも地下タビ歩きですといった履きこなしスタイルは避けた方がいいかもしれない。だけど、自分は中入れの方が気分もシャキッとするんだけどなぁ。
(赤雪山山頂)

(山頂から。ここにも色物はない)

結局、殺風景な景色の中を歩いて、東屋の置かれた赤雪山に到着した。2人連れと単独のオッサンがいた。オッサンは松田川ダムから来たとのことで、下の桜はきれいだったが、ここまでのツツジはたいしたものではなかったとおっしゃっていた。地下タビの話は出てこない。
タバコを吸いながら、仙人ヶ岳までの稜線上でツツジが期待できないのでは老越路峠に下って、多高山経由で帰るかと思ったりもしたが、穴切峠の石仏も魅力だし、やはり予定通りの歩きだな。腰を上げる。
ちょっとタイミングが悪かった。ほぼ同時にザックを担ぐとオッサンが「お先に」と仙人ヶ岳に向かい始めた。ここはもう一本吸うしかないかと思っていたら、オッサンが足を止めて東屋に置かれたノートを開き出した。フェイントをかけられた感じで、ザックをまた担いで脇をすり抜けた。ところでこのオッサン、今日は午後から雷雨かもしれないと言うと、怪訝な顔をしてそうですか?と言っていたが、山を歩く時、天気予報もチェックしないのだろうか。
(仙人ヶ岳の方に向かう。そろそろあきらめかけていると)

(出てきた)

(原仁田の頭)

(何とか間に合ったが、お祭りは終わった後のようだ)

2人連れを追い越す。上がって来た尾根との合流点を過ぎて585m標高点付近を通過。そろそろ穴切峠への分岐だ。この分岐、「原仁田の頭」というらしい。そこを下って峠に出るのも選択肢の一つでいたが、折悪しくというか折好くとでもいうか、またボツボツとツツジが出てきた。先に行くに連れ、密度が高まっていく。そんなことで、深追いすべく、原仁田の頭は素通り。念のため確認すると、明瞭な道型が峠の方に続いていた。歩きたい衝動にかられたのだが、ツツジ見たさの気分の方が勝ってしまった。
結構なアップダウンを繰り返す。ツツジはあと数日の命を何とか必死で咲かせている。この健気さがいじらしい。立ち止まりが自然に多くなる。背後から声が聞こえる。姿は見えないが気持ちはあせる。追い越した2人連れにも思えるが、どうも両方ともに男の声だ。まさか地下タビに鋭い質問を浴びせたオッチャン連だろうか。追い越した記憶はないのだが。いずれにせよ、もっとゆっくりとツツジ三昧の歩きをしていただきたいという希望には沿わない歩きをしている。
(仙人ヶ岳)

(道中で1)

(道中で2)

(急激な下り)

(小ピークで)

仙人ヶ岳が左前方に見え、谷底に向かうかのような下りになった。これは登り返しがきつそうだ。ゼーゼーして登り上げると、左に623mの三角山。背後の声は振り切ったようだ。ヤセ尾根や岩場になったりもする。さほどの危険さは感じないが、低いアップダウンは相変わらずだ。
(三角山が近づく)

(神楽場の石祠)

岩場小ピークに石祠があった。ここは「神楽場」というところらしい。大正らしい年号が読み取れる。ひとやね冠の下に「中」が入った屋号だかマークも確認できる。
さて、この時点に至り、穴切峠には県境線で下るつもりでいる。三角山はこの先で左に折れるが、そちらから下ってくる県境線が、地図上ではその反対方向に続いている。だが、それがどれなのか地形から読み取れない。地図を見る限り、尾根伝いがここで沢地形を下って、また尾根型に復帰する。沢というか、植林側が谷の地形になっている。あそこを下るとなると、かなり厳しそうだ。さりとて目印も見あたらず、あっちやらこっちやらを見回す。そのうちに、背後から振り切ったはずの声がまた迫ってきた。余談だが、この県境線、二日前に逆方向から歩かれたきりんこさんは四つ足歩きで登られたらしい。下りとなると、ルートがわかったとしてもロープが必要だったろう。
北側に下れそうなところは目の前にある尾根しかない。仕方ない。この尾根を迂回して、県境線に復帰することにするか。当初の予定では、穴切峠を南北に通過するつもりでいたが、原仁田の頭に戻るわけにもいかず、西側から穴切峠に出ることにする。
(尾根を下る)

(最初のうちは歩きやすかった)

(こちらにもあることはある)

尾根の入口には、○囲みに「塩」のペンキ文字が木に記されている。この塩は菱の塩ノ瀬という地区のことだろうか。
地図どおりになだらかな尾根だった。ここは植林の尾根で、右手の斜面には間伐が放置され、最近伐ったばかりのような切り株も目にする。作業用のマークも多い。左手は急斜面で、こちらは雑木で下に落ち込んでいる。そちら側にツツジがちらほらと見えるが、危ない思いをしてまでも近づく気にはなれないし、やはり、稜線から外れると密度も低く、ツツジはいずれ自然消滅しつつある。
(423m標高点方面に下る)

(ここはいい感じだった)

このままダラダラと下っても意味もなく、右手に分岐尾根が見えたので、これを下ることにする。湾曲して423mを経由して県境線に出られるはずだ。
尾根を乗り換えると、急になった。間伐やら倒木が歩行の邪魔になり、ところどころに岩混じりも出てくる。荒れた尾根を下って行くと、下に道が通っているような気配がある。423m標高点を下りきるとやはり道。木を渡した橋を渡る。橋の下にはチョロチョロした流れ。ここが県境線らしい。
(作業道)

(炭焼き跡)

後はずっと作業道が続いている。ここにも間伐放置は目立つ。右手に炭焼き跡のような穴を見たりして沢沿いを歩いて行くと、林道に出た。
実はこの先はもう安泰と思っていた。11年前に桐生川ダムから高戸山に登り、穴切峠を経由して穴切集落に抜けたことがある。高戸山下で迷いはしたが、峠を過ぎてからはしっかりした道を歩いて苦労した覚えはない。峠まではその時の逆歩きをするだけだ。
(ここの一画だけは整然としていた。休憩)

(首なし地蔵)

倒木に腰かけて一服。この辺はきれいで整然とした植林だ。間を走る林道もまた整備されている。あにねこさん記事の刷り出しルートマップを取り出す。これに記された「首なし地蔵二体」、「墓石」、「石仏三体」は見ておこう。首なし地蔵は戻り方向か。林道を逆方向に行くとほどなく見つかった。随分と苔むした地蔵だ。文字が彫られているが、自分の能力では読めない。11年前にも見ているのだろうが記憶にはない。もっともその頃はこういう物に興味がなかった。
ところで、首欠け地蔵を廃仏毀釈の運動の一環としてとらえる向きがあるようだが、自分は懐疑的だ。地方の山奥までその動きが及ぶとは思えない。大方は地震やら倒木、伐採、イタズラに由るものと思っている。
(仙牛大和尚の墓石)

(百庚申の石碑)

元に戻って、先に行くと、左に丸っこい石が見えた。後ろに回った。これが「仙牛大和尚」の墓石のようだ。天明八年とある。ここに当時、寺でもあったのか。これで2つ見たから、後は石仏だけ。
左手に小尾根の突端が見え、その脇に踏み跡らしいのが続いていたので、林道から離れてこれを追ってみると、石碑のようなものが見えた。これが、あにねこさんが見落とした「百庚申の石碑」のようだ。「百庚申供養」とあり、これもまた天明。
(徒にムダ歩きをして石仏を探し回る)

この小尾根を登って行くと、結局は林道に出てしまった。続いて、次の小尾根を登ってみる。散々登るが何もない。踏み跡らしきものはあちこちにあって、どれが古道跡なのかはわからない。あにねこさんマップに合わすと登り過ぎているようでもあるので別尾根筋に下る。どうもこの踏み跡は濃い。古道かなと思ったが、どんどん下っても何もなく、やがて林道が下に見えた。登り返す。きつかった。
ここまで苦労するなら石仏はあきらめようかと、最後のダメ押しであにねこさんマップを目皿にして見て、自分のGPSと照らす。どうも尾根を間違えたようだ。このさらに先の小尾根のようだ。ムダに体力を消耗した。
(こういうのって、こんな場所で簡単に履き替えできるものなのだろうか)

(石仏三体)

林道を先に行くと、左に尾根先が見え、これを登る。登ると重機のキャタピラが放置されているところに出た。傍らに作業道。この先は急になっていて、石仏が置かれているような風情ではない。作業道を下りかけると、石仏が三体、木の下に安置されていた。ようやく出会えたか。あにねこさん記事には「地蔵菩薩二体と如意輪観音で、女性の墓塔ではないかとのこと」とある。年代は明和になっている。まずここで見るものも見たので休む。ついでに軽く腹を満たして一服。後は作業道やら林道を歩くだけだろう。
(間伐ふさがり。この先はかなり荒くれた状況になっていた)

(ここにも)

だが、この先、穴切峠までの道のり、かなりの認識が甘かった。作業道の下に林道のようなものが見え、間伐を乗り越えて林道に出た。林道伝いに行けばいいだけだろうと左に向かうと、すぐにひどい横倒しの間伐で先に進めなくなった。コンパスを見ると、方向違いに歩いている。どうも別林道のようだ。左ではなく右に下ると、最初に出たらしき林道に合流。その先は荒れてはいるがしっかりした道のようでこれに入る。ここで、念のため、林道合流地点からほぼ東に向かえば穴切峠だしと、改めて合流点を起点にコンパスをセットすると、これ方向が違うじゃないの。むしろ、方向はさっきの間伐林道っぽい。
何度か行ったり来たりした。これではいつまで経ってもここから逃れられず、穴切峠にすら行けないのではないのか。知らずの間に陽は隠れ、風が出てきて辺りは薄暗くなりつつあった。
(結局、こんなところを強引に登る)

(ようやく見えてきた)

最後の手段を使う。GPSに現れている破線路をアップにして突き進むしかない。むろん植林の急斜面で、踏み跡すらない。ここもまた間伐を越えて登って行くと、上に作業道のようなものが見える。あそこに出て右に行けば、案外楽かも知れない。だが、その作業道はそこが起点になっていて、左方向はあれど右方向に道はない。そのまま続行。ようやくぽっかりとした空間が見えた。あそこが穴切峠だろう。ほっとした。同時に斜面もおとなしくなった。
穴切峠に着いたとはいえ、到達地点は尾根上のかなり離れたところだった。その時はGPSマップの破線を忠実に辿ったつもりでいたが、後で地図に落としてみると、ちょっとずれていた。また、考えてみれば、林道もまた直線であるわけでもなく、クネクネしているものなのだから、その時は見当違いの方向であっても、そのまま行っていれば、すんなりと峠に着けたのかも知れない。抜け出せなかったらどうなっていたか。林道を穴切に出て、ダム脇を通って戻るしかなかったろうが、ここには作業道や林道が複数あるようだ。正解林道を探すのに苦労したろう。
(穴切峠の神社)

(道型を下る)

雨がポツリと落ちてきた。本降りはまだ先かもしれない。高戸山に行っている場合ではないようだ。まして、この破線路、東に下る側はどうなっているのやら。まずは神社にご挨拶。西に下る踏み跡はしっかり判別できる。11年前はこれを使って林道に出たはずだ。東側を覗くと延長の踏み跡が見える。正確には東ではなく北東に向かっているが、ここでは些細なこと。尾根やら沢の地形でないただの斜面では、踏み跡だけが頼りだ。
(作業道に出る)

(もう使われていないのか、イバラの道になっていた)

踏み跡は途中で分岐したりしていたが、行き詰ったら戻るを繰り返した。時間もかからずに幅広の作業道に出た。これを林道と言うべきかは難しいところだ。いずれにしても穴切峠のエリアから抜け出してほっとした。
沢沿いの荒れた作業道を下る。穴切峠までの憂鬱な気分に比べたら、ポツリポツリの雨も気にならない。
開けたところに出た。そしてイバラに攻められる。右からも作業道が合流し、その先で、これまた右から林道が合流する。ここは現役で車が通っているようだが、砂利道で、地下タビだと足裏が痛くなる。近くでホトトギスの鳴き声が聞こえる。曇天でもまさに陽春だ。
(林道に出て)

(県道に出る)

砂利(とはいっても庭砂利のようだが)工場が見えて来る。林道は工場の間を通って県道に出た。こうなるのなら、もっとこちら側に車を置くべきだったが、こうなるとは想像もしていない。里の桜を眺めながら、皆沢八幡宮に向かう。本降りにならずに助かった。八幡宮の石に腰かけ、花見ついでに遅いランチタイムにした。
(皆沢八幡宮)

今日はツツジを見終わってからの後半がえらくきつかった。ツツジも終わりかけの満開で、ちょっと消化不良気味なところもあるが、今季初のツツジ見でもあるし、まして石仏も見られたし、それなりに満足だったと言えようか。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
きりんこさんが登られた辺りは下りでロープが必要ですか。私もいずれ行きそうなので行く時は登りにします。ロープ持って行くの忘れそうですし。
穴切峠、私は稜線伝いに通過したことしかありませんが遺物を見るべく横断すると中々苦労するようで。
高戸山から東へのルート取りをどうされるか興味があったのですが雨が降っては致し方ないですね。次回がいつかあれば・・。
皆沢八幡宮の桜が満開で安心しました。先週は全く咲いていなかったので。当たり前と言えば当たり前ですけど桜の開花も去年より遅れていたのだなあと改めて。
たった2日違いですが、ずいぶんと開花が進んだというか終わってしまったのですね。急に暖かくなりましたし、風も強かったから散ってしまったものも多いのかもしれませんね。原仁田の頭付近のやつは、自分が見た時ももっとも鮮やかでした。
首なし地蔵、まったく気が付きませんでした。背後の伐採地は見覚えがあるのに、一体どこ見て歩いていたんだか。他にも近くに石仏なんかあったのですね。自分もちゃんと調べてから行っていれば寄り道できたのに、勿体ないことしました。
赤雪山はどうもツツジのイメージはないですね。
植林のイメージだけですが、このようなルートですとツツジの株もそこそこあるのですね。
仏像も拝めたし地図読みも楽しめたようでマズマズだったでしょうか。
ところで皆沢は山歩きをしていないとずっと読めないでしょうね。
隣組に皆沢出身の方がいてこの周辺の話を聞いたことがあります。
中川は「なかっかわ」というそうです。
皆沢林道も昔は中川林道といっていたらしいです。
話が横道にそれてしまいました。〈謝)
石仏3体は明和の銘があるのですね。
年代を感じさせる佇まいがなかなか良いです。
同じく赤雪にツツジを求める感覚がありませんでしたが、意外と見れるものなんですね。最初のヤツで終わってたら寂しかったでしょう。以前、たそがれさんに、ツツジの追いかけはお任せしますと、コメント頂いたような。今シーズンは皆さんの記事で見たつもりにしようかと思ってましたが、見にいきたくなって来ましたです(笑)
ふみふみぃさんのアカヤシオの追っかけ、ますます磨きがかかってきたようですね。鉄則は<広葉樹マーク+地味尾根+標高>ですか。今季は遅れてしまいましたが、来季の見頃尺度にさせていただきますよ。
安蘇のツツジもさることながら、足尾のツツジもそろそろかなと思っているのですが、やはりタイミングですよね。ネット記事で慌てて行っても、きりんこさんの件は知らなかったのですが、結果として2日後にはくたびれた花になっているし。
例の県境ですが、稜線から眺める限りはえらい急斜面でしたね。いつもなら様子を見に行ったりするのですが、その気も起きませんでした。下から登るのが賢明でしょう。ここの県境ルート、瀑泉さんも通過されたことがあるようですが、私が逃げた尾根の方の記事は確認できたものの、県境の方は見あたらず、どちらから歩かれたのか興味のあるところです。
高戸山からの下り予定ルートは、たいしたものでもありませんよ。ちょっと引き返して北東に484mに向かいつつ、手前でさっと東に下って林道に降り立つ。その程度のものです。先まで行ってしまったら擁壁地獄かと思います。皆沢八幡宮に向かいながら車から眺めていましたが、結構高度感がありましたよ。
八幡宮の桜、ふみふみぃさんの時はまだでしたか。ちょうど満開でしたよ。帰りがけに見たのですが、城山(杓子山)かと思いますが、あそこの斜面一帯も真っ白でした。
きりんこさんのアカヤシオに比べると、やはり見劣りといった感は否めません。すっきりと、今満開の最中ですというのは見あたりませんでした。2日の違いでこうも変化するものなのでしょうか。翌日からガクンとなったのでしょう。
これでは、老越路峠に下ったとしても同じだったかもしれませんね。
首なし地蔵は伐採地の切り株に同化して突っ立っていましたから、意識して歩かない限りは気づかないかもしれません。まして苔に覆われていたし、一体は半身だけ残っている状態でしたからね。
穴切峠まですんなり行けなかったのは石仏を探しまくっていたためですが、林道、作業道があちこちに通っていて、おそらく、石仏から戻った時の林道は間違い林道だったのでしょう。しかし、石仏に出会えたから良かったものの、さらに探し回って見つけられなかったら、もっとさまよっていたのかもしれません。
さして名所でもない昔の峠の周辺でこじんまりと石仏や石碑が佇んでいる。いいものですね。
私には仙人ヶ岳も赤雪山も同じなのですよ。だから、仙人ヶ岳のツツジが満開なら赤雪山もきれいだろうなと思って。
尾根を乗り越えて赤雪山に向かう間に色のついたものはまったく見かけませんでしたが、そもそもその区間にツツジの株は存在していないのかもしれません。ですから、ハイトスさんのイメージにも赤雪山のツツジというものはないのでしょう。
しかし、穴切峠までは遠かったですね。残念ながら地図読みを楽しんだというレベルには程遠いものがあります。迷い狂って、最後はGPS頼みで強引にといったパターンです。
ハイトスさんはあの辺の石仏やらをご覧になったことはないのでしょう。石仏はなかなかの風情でしたよ。
ただ、あにねこさんの記事を拝見して、手前にあった「仙牛大和尚」は墓石、石仏三体は墓塔らしいというのが気になるのですが、古道の佇まいというようなものではなく、広い墓場の置物なのでしょうかね。
横道部分、私には皆沢林道というのがわからず調べましたよ。神社脇の林道ですか。入口に庚申塔群があるようですね。見とけばよかったと後悔しています。
みー猫さんも赤雪山はツツジの名勝でないことはご存じだったようですね。どうも、皆さんの記事を拝見して一人で踊ってしまったようで、「色付きがないじゃないか」なんてため息をついたりしていましたが、奇異な行動だったようで。
ふみふみぃさんの記事の影響でしょうかね、ちょっとあせり気味なところがあったのもまた事実で、これまでのように、期待もしないで行ってみたらすごかったという形にしたいものです。
みー猫さんが行かれるのでしたら、また改めて仙人ヶ岳周辺には行かない方がいいですよ。もう終わりですから(笑)。
とはいえ,そんなに地下足袋に興味を持たれてもネェ。自分の歩いたルートの方が,人は多かったケド,誰にも聞かれませんでしたヨ(笑)。
県境(沢)への下降ポイント,確かにあそこは自分が歩いた仙人ヶ岳の沢詰めの中でも,一番急でしたネ。登りでも枝尾根にエスケープしたくらいだから,ロープ無しでは厳しいでしょう。
で,穴切山に向かう稜線から423mの支尾根に下ったワケですネ。此方は雰囲気も良さそうだし,いずれまた穴切沢に入った時にでも後追いさせていただきますヨ。
それにしても,さすがはたそがれオヤジさんといったところで,穴切沢周辺の遺物は全部見られたようですネ。自分なんて,あにねこさんの記事を知っていたのに,全部,見逃したからなぁ~。まぁ,いずれ穴切峠越えを考えているので,その時は参考にさせていただきますワ。
ところで,穴切峠への登り,やはり苦戦でしたか。県境沢の先に道型が延びていたから,そう難しく無かろうと思ってましたが,覚悟が必要なようですネ。
瀑泉さんももしかしてアカヤシオ目あてであの辺をお歩きでしたか。私が見たのとどの程度の違いがあるものか気になるところです。
地下足袋も履き方ではないでしょうかね。私はすぐに目に付くような履き方をしていますから、瀑泉さんのさりげなさとは違うところもあるのでしょう。でも、質問攻めにあったりすると、その後の歩き方を注視されているようで、間の抜けた歩きもできないものですね。
県境の瀑泉さん記事、先ほど確認しましたよ。あまり意識もせずに読み流していましたが、上り使用でもアルバイトでしたか。やはり下りではロープ必携なんでしょうね。県境歩き隊の記事では詳細がつかめませんでしたが、改めてよくわかりましたよ。逃げて正解でした。
423m尾根、上はちょっとごちゃごちゃしたところがあって急ですが、下部は気持ちの良い歩きができました。ただ、区間が短く、これが続いていたらなぁと思った次第です。
穴切峠へのルートは、私、おそらく間違えていて、本来はあれほど苦労するほどのものではないと思います。石仏三体を確認したら戻るべきだったでしょう。戻りもせずにそのまま行って、目先に見えた作業道だか林道に下りた。これ違うんじゃないのかと行ったり来たりした。おそらく、穴切峠に至るしっかりした踏み跡もあったかと思いますが、ムダ歩きをしたために気づかなかった。といったところでしょう。
慎重な歩きをしていれば覚悟は必要ないでしょう。県境沢沿いの林道を忠実に行っていれば、当たり前の糸口も見つかっていたと思いますよ。
古道の跡はほぼ消えている感じですが、遺物はあにねこさんマップに記された位置にあります。庚申塔は、大和尚墓碑を見て、林道をちょっと先に行くと、左手にうっすらと上がる踏み跡があり、右下に林道を見ながら行くと、尾根型になり、その末端部にあります。そのまま上に登っても何もありませんから、一旦林道に下り、林道が右手にカーブしたあたりにある小尾根をちょっと登ると石仏に至るといったところですね。