
◎2012年12月23日(日)
産体様前路肩駐車(8:02)……355.7m三角点(8:17)……365m標高点(8:43)…626m三角点(9:57~10:05)……513m標高点(10:30)……石尊山(11:17~11:45)……作業道(12:08)……林道(12:19)……駐車地(12:50)
どこに行くか決めかねる状態で家を出た。昨夜までは社山方面の予定でいた。八丁出島から中禅寺山に出て、社山から松ヶ崎に下る。この時期の発想としてはなかなか大胆なもの。出がけにみー猫さんのブログを見て考えてしまった。一昨日の赤城山歩き。昨日は日光もさぞ雪が降ったろう。無理じゃねぇのか。それどころか、さぞ寒風が吹き荒れているだろう。暑いのも寒いのも苦手だ。とりあえず北関東道から東北道に入った。日光の白い、寒々とした山々が見えた。それを見てやめた。別の駒は、落差が大きく鹿沼の石尊山。あっさりと鹿沼で下りて石尊山に切り替えた。
石尊山は、先週、塩谷石尊山を歩いた後、鹿沼にもあることを知り、足利石尊山は済んでいるので、そのシリーズの延長のようなものだ。ただ簡単に歩くのではつまらないので、オッサンさんの記録を参考に、上りは625m三角点峰経由。下りは、先月、ノラさんが歩かれた381.5m三角点峰経由としようか。後で知ったが、栃木の山紀行氏がこれを通しで歩かれていた。予定はまさにそのルートであった。「あった」としたのは、そうにはならなかったからの話。ちなみに、このルート歩きでは、石尊山の存在は付録のようなものなのである。
(道路脇の産体様)

鹿沼インターから板荷に向かう。やがて、線路沿いの道になる。初めて通るところだなと思っていたが、見覚えのある風景を見て、今年の2月にかまど倉山と川化山を歩いた時に通っていたのを思い出す。その時のイメージは雪だった。今日は雪もまったくない。少々残念。ある程度の積雪を期待していた。現地に着き、まず駐車地探しに苦労する。車道に余裕がなく、オッサンさんが駐めた産体(産泰)様の前の路肩しかないようだ。だいぶ先まで行ってみたが、民家が続いていて路肩もない。結局、引き返してここに駐める。あまり先に行くと、下ってからの車道歩きが長過ぎるのではと、心配もしていた(結局、半端なコース歩きになってしまったため、関係なかったが)。駐車地を探している間、軒下に日の丸の旗を掲げている家があった。今日は何の日だっけ…。忘れていた。我が国の象徴様のご生誕日であらしたか。
地面は湿っていた。ピン入りのゴム長にした。今日が初おろし。1,980円の衝動買い。在庫に鉄芯とピンが入った丈夫なのがあるが、これは重い。改めて買ったのが鉄ガードなしの軽いやつ。舗装道路ではよろしくないが、未舗装では地面にしっかりと食い込む。かまど倉の時のように岩場で裂けなきゃいいが。今日は注意しておこう。
(取り付きの植林帯。先にかすかに尾根の鞍部が見える)

(335.7m三角点)

(最初の石祠)

車道を少し戻って作業道に入る。左手に笹目倉山が見える。きれいな三角錐の形をしている。作業道はすぐに消え、ヤブを越えて適当に急斜面に取り付く。なかなかきつい。植林の中、木が倒されたままだし、低いヤブも続いている。足元は不安定だが、ピン付きゴム長でサクサクと滑ることなく登って尾根の鞍部に出た。右側ピークに355.7mの三角点がある。ちょっと立ち寄る。四等三角点。「標高355.7m火の用心!!」の標識があった。裏を返すと栃木の山紀行氏が設置されたようだ。
さてここから取りあえず365m標高点にコンパスを合わせて北西に向かう。道型も、しっかりした踏み跡も、テープも何もない。すぐに石祠、石灯籠各1基のセットに出会う。里山はこうでなきゃ。年代は文政と安政。もっとも、「文政」の「政」の字ははっきりせず、下に「丙戌」と彫られていたので、後で調べて分かった次第。灯籠の頭の丸い部分、これを空輪というそうだが、それが落ちていたのでセットする。これはまだ軽い。
(東側に石尊山。ピークは右端だろうか)

この尾根道、曲がりくねっていて、コンパスもあまり頼りに出来ない。地形図でも分かるように、右側にはやたらとヒダが張り出していて、つい誘い込まれそうになる(実際、誘惑に乗りもした)。GPSでの地形図と手持ちの地形図を照らし合わせて見ても、込み入っているため、現在位置の確認もままならない。GPSでの確認は早々に放棄。左手にちらちらと見える笹目倉山が唯一の頼りとも言える。ところで、さっきから気になっていたことがある。ケモノの断末魔の叫びのようなものが断続的に下の里の方から聞こえてくる。あれは何だろうか。子供の頃、場の前を通ると、決まってこんな叫び声を聞いたものだ。どうも拡声器で流しているようでもある。機械のモーター音だとしたら、かなりいかれた機械だ。聞き慣れるまで時間がかかった。まして、大型の大量のフンがあちこちに積もっているといった環境設定だ。びくついてしまうのも当たり前。
ほどなく伐採他跡に出た。右手に石尊山が見えた。かなり遠い。何も、迂回して、こんな酔狂なことをしなくてもよかったかなとちらりと気分が落ち込む。625m三角点まではまだ半分も来ていない。左下に里の家並み。たいして登っていない。それが証拠に、一軒一軒の周辺の様子が見るからに分かる。
(次の石祠)

(ライオンみたい)

(尾根がやせてくる)

365m標高点(もしくはその周辺だったか)には、石祠2基と石灯籠。年代は嘉永のみ読み取れた。薄日がさして心地よい。
尾根幅が次第に狭くなる。アップダウンも続く。400mを過ぎたあたりからようやく方向も安定し、コンパス頼りに戻る。が、迷いようのない一本尾根である。真北向き。正面に、625m三角点峰がちらちらと見えてくる。ここに至るまで、かなり神経を使ってしまった。お天気山も見えてきた。遠くに見えるのは鶏鳴山かねぇ。
500mを過ぎ、尾根がやせてくる。この辺になると、なぜか踏み跡がしっかりと確認できるようになった。東側に林道が走っているので、そこから入る人も結構いるのだろう。空き瓶が散乱したりしている。ビール瓶はまさかハイカーのものではないだろう。
(625m三角点峰)

(左・西側に笹目倉山)

(炭焼き跡?)

(625mピーク)

(落ち葉を拾ってくれた)

相変わらずのアップダウン。危うい感じの下りもある。三角点峰が近づくと、たいしたものではないが岩場も現れる。一時的に周囲が自然林になり、変化のある歩きを楽しめる唯一のスポットか。炭焼き跡の石積みなんかもある。急登をこなして625mピーク到着。ここにも山紀行氏の標高点標識があった。四等三角点。西に向かえば笹目倉山への分岐に行ける。歩く人が多いようには思えない。鮮明な踏み跡はない。少し休んで朝バナナを口にする。ゴム長のピンには、大量の落ち葉が貼り付いていた。
(左に作業道の名残り)

(これははっきりしている)

(513m標高点)

三角点峰から東に向かう。鹿沼と日光の市境尾根である。正直のところ、石尊山までのこの区間が一番うっとうしい歩きであった。こちらも歩くハイカーはいないと見え、植林帯に入るまではヤブめいている。以降、陽が入らない植林帯の中の歩きが続く。単調な尾根歩きだ。しばらく行くと、左下に作業道らしき幅広の道型が残っている。使われなくなって久しいようで、途中から不鮮明になった。ここもまた間伐材はそのままになっていて、歩きづらい箇所も有る。
方向としては、一旦北東に向かい、途中で南東に進路を変える。一か所、紛らわしいところがあった。尾根が右に分岐している。直進はなだらかでゆったりし、分岐尾根は急で貧相。コンパスをあてがうと、そのセンターを指している。これではダメだ。何となく、分岐した尾根が正しいような気がして、それを下った。結果はここが正解で、迷ったところは進路を変えるところのようであった。ただ、その時点ではそれが正しいルートなのか疑心暗鬼で、尾根がやせてきて、一気に下りに入ったりすると、間違い歩きをしている感じになってしまっていた。また作業道が現れた。これは明瞭。ずっと続いているが、尾根から離れて下っていた。
下って登る。そこには513m標高点の標識があった。ほっとした。予定コース通りの歩きだ。山紀行氏には感謝ものだ。
(石尊山がようやく近づいた)

(一気に下る)

(ヤブに突入)

(こんな大石がポツンとあった)

やがて、向かいに尾根が見えてくる。目指して登る。ここで北からの破線路にぶつかるはずなのだが、はっきりしたものはない。これまで見かけなかった赤テープが目に付くようになった程度。しかし、これでようやく安泰な歩きというわけにはいかない。50mほど下ってまた登る。
尾根がまた荒れてきた。間伐材の横倒しはどうにかならないものかねぇ。行く手正面に石尊山らしき丸い姿が目に入ってきた。なぜかヤブに突入。数分程度のものだったが、この区間、右から雑木が入り込んでいる。今度は大きな平べったい石が登場。これだけの描写なら、なかなか趣のある尾根と思えなくもないが、早いところ、ここから逃れたい一心でしかなかった。
陽が入り込み、明るい植林帯になった。これが最後だろうと一登り。石尊山の山頂に着いた。625m三角点からのこの区間もまた精神的に疲れた。
(石尊山山頂)

(要修復)

(これもだ)

(大山祇神様か?)

三等三角点の周囲には胴体ともにひっくり返った石祠。取りあえず、山頂をグルリと回る。三角点の先には物置みたいのがあり、これは社殿。周囲には石祠がいくつかとその残骸。その先に、ネットで見慣れた石像。安永製。これはどちら様でしょうか。不動明王にしては怒髪天ではないし、剣も短剣だ。どこにでもいらっしゃる大山祇神かねぇ。ちなみに、社殿の中を覗くと、日本武尊と磐長姫命を祀っているらしい。
カップヌードルとおにぎりでの昼食。風が通って寒い。長居できる状態ではなく、さっさとかき込む。その後、やることもあった。先ずは三角点脇の石祠のセッティング。そして、社殿に回って、ここにもあったこけた石祠を組み立て直す。屋根の持ち上げはきつかった。落ち葉にさらされ、半身が埋まっていた。どなたからも見向きもされなかったのだろうか。こういうのは無視できかねる性分だ。腰をトントンたたいて作業完了。その他の部品は、意味不明でパス。今日は、都合三基の修復作業になってしまった。余計なことをして、バチがあたるまいな。賽銭の方が良かったりして。
(この石祠まで下りて来たのが失敗の元。この時点では気づかず)

では下るとする。ここからのルートはかなり複雑そうだ。地形図を見ても、すんなりと尾根伝いに381.5m三角点峰に行ける自信はない。ここを上りに使うなら別だろうが。先ずは南の尾根を下る。ひしゃげた石祠に出会った。これは修復できかねる。このままでヨシとした案配だ。赤テープがあった。直進すれば、493m標高点を下る南尾根だ。南尾根をそのまま下っては予定ルートではなくなる。左に小尾根が張り出している。ここを下ればいいのか。コンパスのセットは、目標にすべきところもなく、381.5mに合わせていた。見ると、その小尾根の方向を指している。おかしいなと思いながらも下る。しかし、そもそも、後で知ったことだが、石祠はいささか下り過ぎのスポットで、もっと手前で東向きに切り替えるべきであったのだ。
(こんなところに出てしまった)

小尾根は急な斜面であった。尻もちをついた。なかなか鞍部に達せず、どんどん下る。ここでルートを間違えたのを知った。尾根型は消え、とうとう沢に下りてしまった。この急斜面を、改めて登り直すのはかなりしんどい。左右の尾根は結構高い。最悪の展開だ。地形図を見る。コンパスは無責任にも左を指している。GPSを見ても、居場所が分からない。これをしゃがんだスタイルでやっていたら、急に便意をもよおした。そんな場合ではないだろうと、便意に言い聞かせて立ち上がる。そもそも、北関東道の出流原パーキングですっきりさせてきたはずではないか。
冷静になって、周囲を見渡す。苔むした伐採木がずっと倒れたままになっている。ということは、このまま南に向かえば、いずれは作業道に出るやもしれず、やがては里に出られるかもしれない。しばらく沢を下る。すごい倒木だ。またぐ木は滑る。
(助かった)

(気になった洞穴)

(麓の里に出た)

やがて、左手上に作業道らしき道型が見えた。助かったようだ。這い上がる。作業道は沢を高巻いて南に向かっている。次第にしっかりした道になった。下って、また、沢と合流。斜面に洞穴が見えた。行ってみたい衝動にかられたがやめにしておこう。ここまで来て、さらに災難が待ち構えている可能性もなきにしもあらずだ。
作業道は林道に合流。この林道、地形図にはない。石尊山の手前で見た作業道の延長かもしれない。林道を進むと、舗装道に出て、民家が見えだした。
(駐車地から笹目倉山)

県道を西に歩く。せいぜいバス停一つ分の距離だ。右手間近に見える山は石尊山だろうか。地形図を見ると、その手前の493mのピークかもしれない。今回は土壇場での失態だったな。しかし、自分の技量そのものかもね。結果的に地図読みができなかったわけだ。そんなことよりも、ゴム長のピンが気になる。このまま舗装道を歩いていれば、ピンにダメージが加わる。なるたけ、道の脇に溜まった落ち葉の上を歩いたりして駐車地に戻った。正面に、笹目倉山がきれいに見えていた。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した」(承認番号 平23情使、 第832号)
【番外編で泉福寺に行ってみた】
石尊山からの帰りがけに寄ったのは日光(というよりも今市と表記すべきか)の泉福寺。例の城山シリーズの脇にある猪倉山(観音寺山)の麓にある真言宗の寺である。
この寺の上には、四国八十八か所の霊場を模擬した石仏がグルリと八十八体置かれているという。猪倉山や城跡には興味がないが、石仏は見ておきたかった。
先週、ななころびさんが、泉福寺の石仏巡りをされた記事を拝見した。なかなかいい感じだ。車のナビを寺にセットしてみると、さして距離はない。行ってみよう。
(フェンスを乗り越えた。後で思うにムダなことをした)

(やがて、こんなヤブをこいで)

(拝観路に出た)

手前の広い駐車場に車を置く。荷物はカメラだけにした。ななさん情報では、シカ除けフェンスを越えないと、石仏には巡り会えないらしい。そんな先入観があったため、ヤブに入って、フェンス越えをした。しばらくヤブが続いた。シャクナゲが出てきた。下に寺が見えたが、そーっと歩いた。
(こんな感じでずっと続く)

「順路→」標識に出て、石仏が出てきた。石仏はこの拝観道に沿って、ずっと置かれている。石仏のポーズはほとんど同じ。右手に持っているのは宝珠だろうか。背後に彫られている文字は四国札所の番号と寺号もしくは山号。
(すずり石。この石の上に乗ったが、ピン付きゴム長では危なっかしかった)

(すずり石の奥にも)

すずり石に出た。石仏はその奥にもあった。石から日光連山を眺めたが、白くぼんやりしている。途中、道から離れ、城跡に行く。木の階段なんか設置されている。堀切の跡をいくつか見る。
(城跡の神社)

城跡には鳥居とお宮があった。その先、ヤブっぽいが、猪倉山に向かってみる。また堀切。下って登り返しがあった。この辺でやめておこう。こんな山でも、帰りが迷う危険もある。下って、また周回コースに戻る。
(こんなポーズの仏さんもいらした)

(ダメ押し)

(泉福寺)

石仏は60体ほど見させていただいた。ポーズの異なる仏さんもいくつか目にした。格が違うのだろうか。寺が近づき、フェンスが目に入った。このフェンス、よく見ると、開閉が自在になっていた。ななさんには失礼ながら、そんなものだろうと思ってはいた。堂々と外に出た。
帰ってから、この寺や猪倉城の由来を確認した。寺はなかなかの古刹だが、石仏群は大正14年頃の設置らしい。年代物ではないが、心身ともにいい保養をさせていただいた。
産体様前路肩駐車(8:02)……355.7m三角点(8:17)……365m標高点(8:43)…626m三角点(9:57~10:05)……513m標高点(10:30)……石尊山(11:17~11:45)……作業道(12:08)……林道(12:19)……駐車地(12:50)
どこに行くか決めかねる状態で家を出た。昨夜までは社山方面の予定でいた。八丁出島から中禅寺山に出て、社山から松ヶ崎に下る。この時期の発想としてはなかなか大胆なもの。出がけにみー猫さんのブログを見て考えてしまった。一昨日の赤城山歩き。昨日は日光もさぞ雪が降ったろう。無理じゃねぇのか。それどころか、さぞ寒風が吹き荒れているだろう。暑いのも寒いのも苦手だ。とりあえず北関東道から東北道に入った。日光の白い、寒々とした山々が見えた。それを見てやめた。別の駒は、落差が大きく鹿沼の石尊山。あっさりと鹿沼で下りて石尊山に切り替えた。
石尊山は、先週、塩谷石尊山を歩いた後、鹿沼にもあることを知り、足利石尊山は済んでいるので、そのシリーズの延長のようなものだ。ただ簡単に歩くのではつまらないので、オッサンさんの記録を参考に、上りは625m三角点峰経由。下りは、先月、ノラさんが歩かれた381.5m三角点峰経由としようか。後で知ったが、栃木の山紀行氏がこれを通しで歩かれていた。予定はまさにそのルートであった。「あった」としたのは、そうにはならなかったからの話。ちなみに、このルート歩きでは、石尊山の存在は付録のようなものなのである。
(道路脇の産体様)

鹿沼インターから板荷に向かう。やがて、線路沿いの道になる。初めて通るところだなと思っていたが、見覚えのある風景を見て、今年の2月にかまど倉山と川化山を歩いた時に通っていたのを思い出す。その時のイメージは雪だった。今日は雪もまったくない。少々残念。ある程度の積雪を期待していた。現地に着き、まず駐車地探しに苦労する。車道に余裕がなく、オッサンさんが駐めた産体(産泰)様の前の路肩しかないようだ。だいぶ先まで行ってみたが、民家が続いていて路肩もない。結局、引き返してここに駐める。あまり先に行くと、下ってからの車道歩きが長過ぎるのではと、心配もしていた(結局、半端なコース歩きになってしまったため、関係なかったが)。駐車地を探している間、軒下に日の丸の旗を掲げている家があった。今日は何の日だっけ…。忘れていた。我が国の象徴様のご生誕日であらしたか。
地面は湿っていた。ピン入りのゴム長にした。今日が初おろし。1,980円の衝動買い。在庫に鉄芯とピンが入った丈夫なのがあるが、これは重い。改めて買ったのが鉄ガードなしの軽いやつ。舗装道路ではよろしくないが、未舗装では地面にしっかりと食い込む。かまど倉の時のように岩場で裂けなきゃいいが。今日は注意しておこう。
(取り付きの植林帯。先にかすかに尾根の鞍部が見える)

(335.7m三角点)

(最初の石祠)

車道を少し戻って作業道に入る。左手に笹目倉山が見える。きれいな三角錐の形をしている。作業道はすぐに消え、ヤブを越えて適当に急斜面に取り付く。なかなかきつい。植林の中、木が倒されたままだし、低いヤブも続いている。足元は不安定だが、ピン付きゴム長でサクサクと滑ることなく登って尾根の鞍部に出た。右側ピークに355.7mの三角点がある。ちょっと立ち寄る。四等三角点。「標高355.7m火の用心!!」の標識があった。裏を返すと栃木の山紀行氏が設置されたようだ。
さてここから取りあえず365m標高点にコンパスを合わせて北西に向かう。道型も、しっかりした踏み跡も、テープも何もない。すぐに石祠、石灯籠各1基のセットに出会う。里山はこうでなきゃ。年代は文政と安政。もっとも、「文政」の「政」の字ははっきりせず、下に「丙戌」と彫られていたので、後で調べて分かった次第。灯籠の頭の丸い部分、これを空輪というそうだが、それが落ちていたのでセットする。これはまだ軽い。
(東側に石尊山。ピークは右端だろうか)

この尾根道、曲がりくねっていて、コンパスもあまり頼りに出来ない。地形図でも分かるように、右側にはやたらとヒダが張り出していて、つい誘い込まれそうになる(実際、誘惑に乗りもした)。GPSでの地形図と手持ちの地形図を照らし合わせて見ても、込み入っているため、現在位置の確認もままならない。GPSでの確認は早々に放棄。左手にちらちらと見える笹目倉山が唯一の頼りとも言える。ところで、さっきから気になっていたことがある。ケモノの断末魔の叫びのようなものが断続的に下の里の方から聞こえてくる。あれは何だろうか。子供の頃、場の前を通ると、決まってこんな叫び声を聞いたものだ。どうも拡声器で流しているようでもある。機械のモーター音だとしたら、かなりいかれた機械だ。聞き慣れるまで時間がかかった。まして、大型の大量のフンがあちこちに積もっているといった環境設定だ。びくついてしまうのも当たり前。
ほどなく伐採他跡に出た。右手に石尊山が見えた。かなり遠い。何も、迂回して、こんな酔狂なことをしなくてもよかったかなとちらりと気分が落ち込む。625m三角点まではまだ半分も来ていない。左下に里の家並み。たいして登っていない。それが証拠に、一軒一軒の周辺の様子が見るからに分かる。
(次の石祠)

(ライオンみたい)

(尾根がやせてくる)

365m標高点(もしくはその周辺だったか)には、石祠2基と石灯籠。年代は嘉永のみ読み取れた。薄日がさして心地よい。
尾根幅が次第に狭くなる。アップダウンも続く。400mを過ぎたあたりからようやく方向も安定し、コンパス頼りに戻る。が、迷いようのない一本尾根である。真北向き。正面に、625m三角点峰がちらちらと見えてくる。ここに至るまで、かなり神経を使ってしまった。お天気山も見えてきた。遠くに見えるのは鶏鳴山かねぇ。
500mを過ぎ、尾根がやせてくる。この辺になると、なぜか踏み跡がしっかりと確認できるようになった。東側に林道が走っているので、そこから入る人も結構いるのだろう。空き瓶が散乱したりしている。ビール瓶はまさかハイカーのものではないだろう。
(625m三角点峰)

(左・西側に笹目倉山)

(炭焼き跡?)

(625mピーク)

(落ち葉を拾ってくれた)

相変わらずのアップダウン。危うい感じの下りもある。三角点峰が近づくと、たいしたものではないが岩場も現れる。一時的に周囲が自然林になり、変化のある歩きを楽しめる唯一のスポットか。炭焼き跡の石積みなんかもある。急登をこなして625mピーク到着。ここにも山紀行氏の標高点標識があった。四等三角点。西に向かえば笹目倉山への分岐に行ける。歩く人が多いようには思えない。鮮明な踏み跡はない。少し休んで朝バナナを口にする。ゴム長のピンには、大量の落ち葉が貼り付いていた。
(左に作業道の名残り)

(これははっきりしている)

(513m標高点)

三角点峰から東に向かう。鹿沼と日光の市境尾根である。正直のところ、石尊山までのこの区間が一番うっとうしい歩きであった。こちらも歩くハイカーはいないと見え、植林帯に入るまではヤブめいている。以降、陽が入らない植林帯の中の歩きが続く。単調な尾根歩きだ。しばらく行くと、左下に作業道らしき幅広の道型が残っている。使われなくなって久しいようで、途中から不鮮明になった。ここもまた間伐材はそのままになっていて、歩きづらい箇所も有る。
方向としては、一旦北東に向かい、途中で南東に進路を変える。一か所、紛らわしいところがあった。尾根が右に分岐している。直進はなだらかでゆったりし、分岐尾根は急で貧相。コンパスをあてがうと、そのセンターを指している。これではダメだ。何となく、分岐した尾根が正しいような気がして、それを下った。結果はここが正解で、迷ったところは進路を変えるところのようであった。ただ、その時点ではそれが正しいルートなのか疑心暗鬼で、尾根がやせてきて、一気に下りに入ったりすると、間違い歩きをしている感じになってしまっていた。また作業道が現れた。これは明瞭。ずっと続いているが、尾根から離れて下っていた。
下って登る。そこには513m標高点の標識があった。ほっとした。予定コース通りの歩きだ。山紀行氏には感謝ものだ。
(石尊山がようやく近づいた)

(一気に下る)

(ヤブに突入)

(こんな大石がポツンとあった)

やがて、向かいに尾根が見えてくる。目指して登る。ここで北からの破線路にぶつかるはずなのだが、はっきりしたものはない。これまで見かけなかった赤テープが目に付くようになった程度。しかし、これでようやく安泰な歩きというわけにはいかない。50mほど下ってまた登る。
尾根がまた荒れてきた。間伐材の横倒しはどうにかならないものかねぇ。行く手正面に石尊山らしき丸い姿が目に入ってきた。なぜかヤブに突入。数分程度のものだったが、この区間、右から雑木が入り込んでいる。今度は大きな平べったい石が登場。これだけの描写なら、なかなか趣のある尾根と思えなくもないが、早いところ、ここから逃れたい一心でしかなかった。
陽が入り込み、明るい植林帯になった。これが最後だろうと一登り。石尊山の山頂に着いた。625m三角点からのこの区間もまた精神的に疲れた。
(石尊山山頂)

(要修復)

(これもだ)

(大山祇神様か?)

三等三角点の周囲には胴体ともにひっくり返った石祠。取りあえず、山頂をグルリと回る。三角点の先には物置みたいのがあり、これは社殿。周囲には石祠がいくつかとその残骸。その先に、ネットで見慣れた石像。安永製。これはどちら様でしょうか。不動明王にしては怒髪天ではないし、剣も短剣だ。どこにでもいらっしゃる大山祇神かねぇ。ちなみに、社殿の中を覗くと、日本武尊と磐長姫命を祀っているらしい。
カップヌードルとおにぎりでの昼食。風が通って寒い。長居できる状態ではなく、さっさとかき込む。その後、やることもあった。先ずは三角点脇の石祠のセッティング。そして、社殿に回って、ここにもあったこけた石祠を組み立て直す。屋根の持ち上げはきつかった。落ち葉にさらされ、半身が埋まっていた。どなたからも見向きもされなかったのだろうか。こういうのは無視できかねる性分だ。腰をトントンたたいて作業完了。その他の部品は、意味不明でパス。今日は、都合三基の修復作業になってしまった。余計なことをして、バチがあたるまいな。賽銭の方が良かったりして。
(この石祠まで下りて来たのが失敗の元。この時点では気づかず)

では下るとする。ここからのルートはかなり複雑そうだ。地形図を見ても、すんなりと尾根伝いに381.5m三角点峰に行ける自信はない。ここを上りに使うなら別だろうが。先ずは南の尾根を下る。ひしゃげた石祠に出会った。これは修復できかねる。このままでヨシとした案配だ。赤テープがあった。直進すれば、493m標高点を下る南尾根だ。南尾根をそのまま下っては予定ルートではなくなる。左に小尾根が張り出している。ここを下ればいいのか。コンパスのセットは、目標にすべきところもなく、381.5mに合わせていた。見ると、その小尾根の方向を指している。おかしいなと思いながらも下る。しかし、そもそも、後で知ったことだが、石祠はいささか下り過ぎのスポットで、もっと手前で東向きに切り替えるべきであったのだ。
(こんなところに出てしまった)

小尾根は急な斜面であった。尻もちをついた。なかなか鞍部に達せず、どんどん下る。ここでルートを間違えたのを知った。尾根型は消え、とうとう沢に下りてしまった。この急斜面を、改めて登り直すのはかなりしんどい。左右の尾根は結構高い。最悪の展開だ。地形図を見る。コンパスは無責任にも左を指している。GPSを見ても、居場所が分からない。これをしゃがんだスタイルでやっていたら、急に便意をもよおした。そんな場合ではないだろうと、便意に言い聞かせて立ち上がる。そもそも、北関東道の出流原パーキングですっきりさせてきたはずではないか。
冷静になって、周囲を見渡す。苔むした伐採木がずっと倒れたままになっている。ということは、このまま南に向かえば、いずれは作業道に出るやもしれず、やがては里に出られるかもしれない。しばらく沢を下る。すごい倒木だ。またぐ木は滑る。
(助かった)

(気になった洞穴)

(麓の里に出た)

やがて、左手上に作業道らしき道型が見えた。助かったようだ。這い上がる。作業道は沢を高巻いて南に向かっている。次第にしっかりした道になった。下って、また、沢と合流。斜面に洞穴が見えた。行ってみたい衝動にかられたがやめにしておこう。ここまで来て、さらに災難が待ち構えている可能性もなきにしもあらずだ。
作業道は林道に合流。この林道、地形図にはない。石尊山の手前で見た作業道の延長かもしれない。林道を進むと、舗装道に出て、民家が見えだした。
(駐車地から笹目倉山)

県道を西に歩く。せいぜいバス停一つ分の距離だ。右手間近に見える山は石尊山だろうか。地形図を見ると、その手前の493mのピークかもしれない。今回は土壇場での失態だったな。しかし、自分の技量そのものかもね。結果的に地図読みができなかったわけだ。そんなことよりも、ゴム長のピンが気になる。このまま舗装道を歩いていれば、ピンにダメージが加わる。なるたけ、道の脇に溜まった落ち葉の上を歩いたりして駐車地に戻った。正面に、笹目倉山がきれいに見えていた。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した」(承認番号 平23情使、 第832号)
【番外編で泉福寺に行ってみた】
石尊山からの帰りがけに寄ったのは日光(というよりも今市と表記すべきか)の泉福寺。例の城山シリーズの脇にある猪倉山(観音寺山)の麓にある真言宗の寺である。
この寺の上には、四国八十八か所の霊場を模擬した石仏がグルリと八十八体置かれているという。猪倉山や城跡には興味がないが、石仏は見ておきたかった。
先週、ななころびさんが、泉福寺の石仏巡りをされた記事を拝見した。なかなかいい感じだ。車のナビを寺にセットしてみると、さして距離はない。行ってみよう。
(フェンスを乗り越えた。後で思うにムダなことをした)

(やがて、こんなヤブをこいで)

(拝観路に出た)

手前の広い駐車場に車を置く。荷物はカメラだけにした。ななさん情報では、シカ除けフェンスを越えないと、石仏には巡り会えないらしい。そんな先入観があったため、ヤブに入って、フェンス越えをした。しばらくヤブが続いた。シャクナゲが出てきた。下に寺が見えたが、そーっと歩いた。
(こんな感じでずっと続く)

「順路→」標識に出て、石仏が出てきた。石仏はこの拝観道に沿って、ずっと置かれている。石仏のポーズはほとんど同じ。右手に持っているのは宝珠だろうか。背後に彫られている文字は四国札所の番号と寺号もしくは山号。
(すずり石。この石の上に乗ったが、ピン付きゴム長では危なっかしかった)

(すずり石の奥にも)

すずり石に出た。石仏はその奥にもあった。石から日光連山を眺めたが、白くぼんやりしている。途中、道から離れ、城跡に行く。木の階段なんか設置されている。堀切の跡をいくつか見る。
(城跡の神社)

城跡には鳥居とお宮があった。その先、ヤブっぽいが、猪倉山に向かってみる。また堀切。下って登り返しがあった。この辺でやめておこう。こんな山でも、帰りが迷う危険もある。下って、また周回コースに戻る。
(こんなポーズの仏さんもいらした)

(ダメ押し)

(泉福寺)

石仏は60体ほど見させていただいた。ポーズの異なる仏さんもいくつか目にした。格が違うのだろうか。寺が近づき、フェンスが目に入った。このフェンス、よく見ると、開閉が自在になっていた。ななさんには失礼ながら、そんなものだろうと思ってはいた。堂々と外に出た。
帰ってから、この寺や猪倉城の由来を確認した。寺はなかなかの古刹だが、石仏群は大正14年頃の設置らしい。年代物ではないが、心身ともにいい保養をさせていただいた。
便意に言い聞かせる。いいですね。私もこれからやりたいです。
洞穴も気になるところです。
石尊山は栃木県内では地形図に記載はありませんが、旧黒羽町と大子町の境にもあります。また田沼にもありますよ。
625mからの市境尾根はわかりづらそうですね、この前歩いた815mピークからつなごうと楽に考えていましたが、用心が必要なようですね。参考になりました。石尊山からの下りはたそがれさんにしてはめずらしく私みたいなことをしちゃいましたね(笑)。
八十八霊場コースの出口の柵は2度目に行った時の出る際、そこだけ開閉できたので太もも分だけそっと開けて出ました。ちょっとすぐ公にするのもまずいかなとも思って、記述はしませんでした。たそがれさんに余計な柵乗り超えをさせてしまいました。
またまた石尊山詣での候補ですか。気になって調べると、石尊山というのは、東日本に集中しているようで、「山名事典」には12山記載されています。私が歩いた3山(正確には、軽井沢の石尊山も済み)以外に、野球親爺さんご指摘の県境の石尊山はありますが、田沼石尊山は載っていませんね。調べさせてくださいな。田沼でしたら近いし。
それにしても便意には困ったものですね。勝手な行動をして、たまに暴走しますからね。自分の意志のままに動かないのは、ある意味、人格が違うと思いもしますよ。
やはりマニアック、オタク系の歩きでしょう。言われるまでもない話ですけどね。私の場合はこんなものでしょう。
石尊山へのこだわりはなかったのですが、野球親爺さんのコメントのおかげで、やたら気になってしまいました。せめて、地域限定で、お薦めの2つだけでもリストアップにしておきます。
今回の歩き、帰路予定のルートは、私の場合、登りでまず使ってみないとダメですね。いきなりの下り初体験では、当初からまず無理でした。ちなみに、ハンターの気配はありませんでしたよ。
八丁出島からのコース、あれ、ななさんが歩いていますよ。私は、その雪道版で後追いしようと思った次第です。どうも、みー猫さんが先行しそうですね。思い切って、ピン付きで歩いてみてくださいな。
いやいやお気になさらず。霊場巡りも、マニアックに歩いてみれば、ありがたみにも出会えます。しかし、柵の乗り越えからシャクナゲの群落に至るまで、果たして、自分はどこを歩いているのだろうかとおののいてしまいました。でも、そんな歩きをした後だけに、なかなかよろしかったです。ありがとうございました。
ところで石尊山からの下りですが、正直のところ、里山だから、八方ふさがりになるわけはないといった甘い考えが芽生えていたことは確かです。あれが、日光の奥の山だったら、心臓をバクバクさせながら素直に戻ったでしょうね。
ななさんも、市境尾根を、笹目倉の方から歩いてみてくださいよ。そんな、用心といった程のこともないでしょう。地形図を読む限り、北からの周回は無理でもないようですが。
さすが石尊山ですね。
石仏や石祠、灯籠など多く見受けられるようです。
結構時間も掛かるし下りでは小藪も楽しめるようで何よりです。
里山はどこを降りても車道に降り立つと思えば気が楽ですからその点は良いですよね。
でも自分は悪い癖で、素直に間違えたから戻るというのになぜか抵抗を感じてしまい、つじつまを合わせようと試みてしまいます。
特にくだってしまった場合はこの傾向が強い。
でもこれは自分だけじゃぁないとは思うのですが。
「楽しめた」という観点から言えば、確かに楽しめました。ただ、楽しめたのは、ルートミスで迷った区間だけかもしれません。後は、あまり楽しめませんでした。
人様の後追いとはいえ、里山歩きにしては、ルート取りが長過ぎですよ。
里山だからこそ、大胆にもなれたのでしょう。ただ、ハイトスさんの場合、割りと地図読みがお上手ですから、つじつま合わせもできるのではないでしょうか。
かなりの急斜面を下っていましたので、戻る気にもなれなかったというところが正直なところです。ただ、戻ったところで、果たして、模索ルート通りに歩けたかです。
コメントを拝見し、「えっ!」と思いました。あの、ひしゃげた石祠まで下っても、まだ正解だったのですか?私は、てっきり、下り過ぎと思っていました。あそこから左にトラバース道があったのですか。まったく気づきませんでした。南に下る尾根に導く赤テープだけを目にし、そっちではないと、左斜めの急な小尾根しか目に付きませんでしたよ。
いずれ、機会があったら、ノラさんルートを下から歩いてみましょうかね。
笹目倉までのルートは、今はご勘弁ください。私よりも、ななころびさんの方が気になさっているようですから、むしろ、ななころびさんに歩いていただいた方がよろしいかと。