不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

台風から逃げて北東北で紅葉三昧…。その後は逆転もなかったのが寂しい。 その3<傘をさして岩瀬川沿いの滝を三つほど見て終わり。何だかなぁだが台風では仕方もない>

2019年10月24日 | 東北の山
◎2019年10月12日(土)

 八甲田歩きの後は大館市内のビジネスホテルに泊まった。これは「強いて言えば白神山地の山」といった感じの田代岳に登るためで、八甲田から故郷の阿仁に向かう途中で寄り道するには手ごろなロケーションだったからだけのことだが、実はこの山、五月の連休時に久しぶりの山スキーにでも行くつもりでいて、結局行けなかったから今回に回したという経緯がある。さすがに三月の抜釘手術後の山スキーは無理がある。
 昨夜は無性に、餃子をつまみにビールを飲み、ラーメンを食べたかった。ホテルそのものは市内の繁華街にあり、当然、ラーメン屋もあると思っていたが、フロントのオッサンに聞くと、歩ける範囲にラーメン屋はないとのこと。ただ、どこそこの居酒屋でラーメンも出しているという半信半疑な情報を聞き、その居酒屋に行くと、メニューにラーメンなんてものはなく、仕方なくモツ煮で生ビールを二杯飲んでおしまいにした。
 帰りにコンビニでカップラーメンと缶チューを買って部屋で飲みなおす。よく秋田に出張に出かける広島の知人にこのホテル知っているか? とメールすると、そこはエロビデオが無料で見放題だと返事があった。確かに見放題ではあったが、ボカシなしのモロビデオを見慣れた身にとって、ボカシエロを見ても面白くも何ともなく、すぐに邦画の『超高速参勤交代』に切り替え、それを見ながらダラダラと過ごし、だれもいない大浴場に入ってから寝た。

 実は昨夜から雨がポツリポツリとあって気になっていたが、朝起きて外を見ると、音を立てて雨が降っていた。スマホで天気予報を確認する。昨日の情報のままに午前中は曇り空で午後から雨になっている。全然違うじゃないの。田代岳はあきらめた。
 だが、このまま阿仁に向かっては早過ぎる。同窓会幹事が斡旋してくれた旅館に、いくら田舎の宿とはいっても午前中に入るのははばかれる。両親方の墓参りを二か所やったとてたかがしれた時間つぶしだ。比内鶏で有名な比内に住む友人にメールを二回送っても返事はない。別に、ヒマなオレに付き合えということではなく、時間つぶしに手頃なところはないかという問い合わせメールだった。ここに来て無視は冷たいものだなぁと思った。
 田代岳に行ったら、帰りがけに寄るつもりでいた米代川水系・岩瀬川沿いの滝でも見に行くとしようか。台風19号が近づいているのではこれから晴れるわけがない。間もなく上陸するようだし、ヘクトパスカルが低すぎてかなり強烈な台風のようだ。テレビを見ると、群馬の西部はやばいらしい。気になって妻に連絡を入れると、今のところ太田は大丈夫とのこと。これはあくまでも「今のところ」のことで、翌朝、利根川支流で市内を流れる石田川が決壊し、隣接地区の家屋がかなり浸水したことをテレビのニュースで知る。

 林道走りになるのでナビに「ロケット燃焼試験場」と入れたが、該当するリストは出てこない。仕方なく「早口駅」に合わせて、北上する林道を探してみた。何ということはない。試験場はしっかりとナビに記されていた。こういうことはよくある。ちなみに、自分が中学生の頃、この辺は田代町だったかと思う。今は大館市になっている。
 ワイパーの動きが次第に忙しくなる。外を歩いている人はだれもいない。国道7号線から県道に入り、やがて岩瀬林道。目当ての滝は岩瀬川上流から「五色の滝」「糸滝」「三階の滝」「四階の滝」の四滝。上流から順に見ることにする。
 ここで余談。「三階の滝(三階滝)」というと、森吉山下の小又峡に同名の滝がある。今月の八日だからこの日の四日前のこと。昨夜のテレビで、ガイドの遺体が川底で発見されたニュースを見ているが、そこで遭難事故があって二人亡くなっている。どういう顛末なのか調べると、悪天候で森吉登山を中止にして小又峡の三階の滝見物に変更したところ、いきなりの増水でツアー客が流され、救おうとしたガイドも流されたとか。高齢ながらもベテランらしきツアーガイドがいてどういうことなのかと疑問になった。五年前のこの時期、自分も小又峡の三階滝を無謀にも雨の中で見に行こうとしたが、遊歩道にも水があふれ、スパイク付き長靴でも水が入り込んで流れは急だった。川を渉る高く築いた置き石はすでに水に隠れていた。それでも対岸に渉った。しばらく上流まで行きはしたが、その先は危険と判断して三階の滝も見ずに遊覧船乗り場にすごすごと戻った。そもそも登山靴のツアー参加の人たちに何でまた、遊歩道歩きとはいえ沢歩きをさせたのだろう。亡くなった方には失礼だが、引き連れたツアー客の年齢層からして、山慣れしない客層と判断すべきところを小又峡に向かわせた意図がわからない。自分以上に無謀としか思えず、むしろ、悪天候でも森吉山に登らせた方が良かったのではないだろうか。そんな疑問が残る。
 平成19年のこと。引き算すれば12年前。豪雨で小又川等の水流を集める太平湖の森吉ダムが決壊しそうになり水門を開いた。これで阿仁川の水はあふれ出して土手を越え、森吉町下流の叔父の家なんかはのほとんどの家屋が床上浸水になった。新聞に大きな記事として出た。地元のガイドで、まして七十歳を過ぎた方なら、この辺の水の恐さは熟知していると思うのだが…。もしかして、このガイド、これまでにも天候不順で森吉山の展望が期待できない時は、代替に三階の滝や桃洞の滝、あるいは安の滝見物を繰り返していたのではないだろうか。今回の死亡事故で露見したというところかもしれない。しつこいが安易だ。坑夫の滝を見に行って岩から滑り落ちて骨折した立場ではこれ以上のことは言えない。

 話を元に戻す。岩瀬林道は比較的に良質な林道だった。対向車とも無理なくすれ違える。さすがに三菱重工の燃料試験場に至る道だ。きついダートはないが、やはり所詮は林道。良質とは自分に身近な林道に比べればというレベルであって、先に行くと、橋以外は未舗装でガタガタになるし、雨で大きな水溜まりがあちこちにできている。これでパンクでもしたら、携帯の通話可能圏までえらく歩かなければなるまい。
 この林道を登って行くと、田代岳の登山口、大広手登山口と荒沢登山口があり、さらに先には試験場がある。途中、路肩の軽トラを一台見かけた。大方、山林作業かと思う。あるいは山菜採りかもしれない。見かけた方は、この車の脇にいた一人だけ。

(糸滝。手前の川は急流で深くなっていて渉るのはきつい)


(滝をアップで撮るしかない)


(こうアップで見ると、あの落ち口の先はナメそうで先に歩いてみたくなる。もしかすれば沢の上流にもっと見事な滝があるかもしれない)


 左手に東屋のある広場があり、案内看板が設置されているのが見えた。車から傘をさし、長靴を履いて外に出て看板を見ると、ここに糸滝があるようだ。五色の滝までは5km、大広手登山口までは+1.3kmとなっている。ここで滝見の順番を変更して、先ずは糸滝にする。林道の状況と天候からすれば、五色の滝まで果たして行けるか疑問でもあった。
 東屋からは滝は見えず、河原に下りる。岩瀬川の対岸に細い糸滝が見えた。ここからでは下がヤブになっていて、滝の下部が見えない。川を渉るつもりでいたが、どこに目を移しても濡れずに済みそうなところはない。少なくともヒザ上超えにはなる。沢靴は車の中にあったが、雨の中をズボンを濡らしてまで行くのもなぁと、こちらからの見物で済ませた。名前の由来どおりの静かで目立たないが優美な滝だった。繰り返しになるが、全体像が見えないのが何とも残念。いずれ、また田代岳に行きたくなる気も起きるだろう。その時は川を渉って見に行くことにしよう。

 さらに上流に向かう。また軽トラがあった。合羽を着たオバチャンが歩いている。これは確実に山菜採りだろうが、雨の日でもよくやるものだ。もしかして、こういう方が道の駅に出荷して、個人名が記されたりしているのではないだろうか。

(五色の滝の看板)


(東屋)


(五色の滝)


(今回はあまり写真もないので、余計な周囲まで含めて出す)


(滝つぼはこれが限度。岩がどうもじゃま)


(落ち口。これもまた雨ですっきりしない)


 20分ほどガタガタ道を走ると、また右に案内看板が出てきた。ここが五色の滝だ。ここから川は見えないので、細い道を下って行くと、雨音に混じって滝の音が聞こえる。結構、豪快な音。そして東屋。ここの東屋は荒んでいる。五色の滝だけを目的に来る人はいまい。大方は田代岳の帰路に立ち寄るくらいだろうが、それとて半分もいるかどうか。
 豪快な音に見合った派手な滝が目に入った。これが五色の滝。東屋からではよく見えないのでぎりぎりの所まで行って見たが、どうしても滝つぼが岩陰で見えない。ここから下に降りられる新しい金属製の階段が敷設されている。これを下れば河原に出られそうだがかなり急すぎて、この雨の中ではこわい。まして、片手は傘でふさがっている。そこまではしなかった。後で知ったことだが、この階段は途中で終わっていて、却って木々が滝の視界を妨げているとのことだ。

 糸滝も五色の滝も、車を置いて少し歩けば見られる観光滝だが、雨の中の滝見も悪くはないとは言いがたい。日光の隠れ三滝も同様に観光滝のようなものながら、やはり、この時期なら、青空と赤いモミジが欲しいところだ。
 この林道沿いの滝で見所は二滝程度のものだが、大館市のHPには、他に三階の滝と四階の滝も加えられている。時間だけはたっぷりある。糸滝に来るまでの下流にあるわけだが、見てしまった二滝のように看板には気づかなかった。林道は川沿いだし、川を見ながら下ることにする。その時に気づくかもしれない。

(滝っぽい流れを目にして車をとめる)


(もしかしてこれが三階の滝かも)


(橋から。やはり三階の滝だった。正直のところ大した滝ではない)


 結果として、橋の上から三階の滝を確認することはできたが、四階の滝については、川も林道から離れたり、木立が深くて確認することはできなかった。後日、ネットで調べると、看板があったようだが、まったく気づくことはなかった。そのネット掲載の看板写真もまた木の葉に半分隠れているものだった。この滝も、今度、改めて田代岳に行く時の楽しみにとっておこう。

(帰途で見た岩瀬川のひっそり紅葉。一週間もすれば見事な景色になるだろう)


 時間はまだ10時半。ここから阿仁にそのまま向かってもせいぜい一時間くらいのものだ。早過ぎる。さりとて、どんどん粒の大きくなる雨の中を傘をさしてうろうろしているわけにもいかない。とりあえず比内の道の駅に寄って、昨日食べ損なったラーメンを食べて、キリタンポを知人に送った。店員に、この台風で、配達は一日、二日延びると言われたが仕方ない。ともあれ、阿仁方面に向かう。車に乗る際に気づいた。林道を走ったせいで車は泥だらけになっている。汚れ放題で、同窓生には見られたくない。

 途中に母の実家があり、叔父が二年前に亡くなり、ちょうど日付としては昨日だったかが三回忌を迎える日になっていた。栃木に住む従弟が法事をやったのかどうかは知らないが、墓参りに行き、仏壇に手を合わせ、叔母さんに挨拶するつもりで立ち寄った。びっくりした。栃木にいる従弟ファミリーが来ていた。この時点から14日まで、自分の日本語は秋田弁に切り替わり、思考もまた秋田県人の感覚に近くなる。
 前の八甲田でも少し触れたが、吉幾三の最近のラップ調の『THUGARU』の歌詞は、自分には方言の字幕無しでも聞き取れ、意味もわかる。それほど、秋田県の北部の言葉は津軽弁に近い。歌詞の中にある「シャベレバシャベナテシャベラレル…」は中学生の時に国語の先生から秋田弁の常套句というか特徴を表す表現として教わったセリフだ。これが、青森県の東部になると、津軽弁とは違ったイントネーション、表現言葉になる。これは、江戸時代に西は津軽藩、東は岩手の盛岡を含めた南部藩の支配下にあったからということもあるようで、同じ青森県でも東西は言葉だけか気質も違って、仲が悪いという話も聞く。ちなみに、県庁のある青森市は津軽藩下だったようだ。昔風にいうなら、日本海側は暗いイメージの裏日本。太平洋側は明るい表日本ということだ。
 従弟がいたことで、これで時間つぶしができると思ったが、従弟はその嫁さんの実家処分の仕事でこれから出かけるとのこと。栃木で改めて会うことにして、墓参りと仏前で拝んで終わりになった。まだ一時過ぎたところ。宿まで30分もあれば行ける。困った。他に寄る所もないので阿仁に向かう。

 今は墓を移し、永代供養にしてある自分の実家の墓参りをする。線香に火を点けてもすぐに消えた。寺を早々に立ち去る。もうやることはなかった。時間つぶしに町の中を車でグルグル回った。子供の頃に大きく見えたものすべてが、すでにかなり小さくなって見える。雨では外に出られないのが残念だ。今や寂れてしまった町のメインストリートにはだれも歩いていない。本当は歩きたいが、外の雨は強い。かろうじて毎日のように遊んだ神社に足を向け、階段に腰かけてタバコを吸った。土俵もなくなり、その後ろの庄司某氏だったかの胸像はヤブが高くて近づけない。
 あったものは無くなり、新しい公共的な建物は増えている。いったい、過疎化の町にこんなものが必要なのだろうかと言ったら、ここに残る連中に怒られる。そんな施設があるから若い者が残って働けるし、豪雪の冬も過ごせる。現に、目に入る家々はほとんどが新しい。動いているという証だ。雨で姫ヶ嶽は隠れ、かつてのスキー場のゲレンデは二つともに消え、その脇のジャンプ台すらどこにいったのか。ヒロサマと呼んだ山の上部にあった鉱山の坑口と思っていた穴もまた草木に隠れている。こうやって、子供の頃に遊んでは見えていたものも自然に帰っている。自分の長年住んだ社宅付近の風景も一変していたし、町の中心部に住み、大工仕事の片手間にヤギとブタを飼い、犬を連れてブタ用の残飯(地元言葉でジョミズと言っていた)を各家から集めた一斗缶をいくつも乗せたリヤカーを引っぱり、銀山通りを歩いていた大伯父の家は空地のままだ。この大伯父、身内であることを同級生に知られるのが恥ずかしく、中学に行くのにわざわざ遠回りしたものだ。その隣の通い続けた床屋は廃屋のように残っている。この床屋の鏡は、自分の祖母が東京で髪結いをやっていて、空襲が激しくなったので荷物として運び、処分に困って実家の隣家の床屋にあげたものだった。
 ここまで記した以上は敢えて書くことにする。時代は大正時代となる。一旗上げようと、大伯父も自分の祖父も阿仁から東京に出る。兄弟たちもそれぞれに従い、祖母は髪結いになり、祖父は電工屋として働き結婚した。だから、自分の父と、その兄である伯父は東京生まれの東京育ちだ。だが、祖父は父が五歳の時に結核で亡くなった。祖母が頼るのはどうしても自分の兄弟姉妹ということになってしまう。やがて、成績優秀ながらも進学のできない伯父は少年警察官になり、間もなく徴兵で満州に行かされ、終戦時はシベリア抑留となる。これまた電工屋の父は志願して海軍へ。終戦で父が品川の家に戻ってもすでに焼け野原。おそらく阿仁に行っているのだろうと、阿仁に行き、そのまま鉱山に勤めた。だから、父は秋田弁は言えなかった。むしろ、秋田弁のきたない言葉しか覚えられなかった。母とは違い、後年に父親と交わす言葉は標準語だった。かたや、伯父は東京に戻って警察官の仕事に復帰したという形になる。大伯父の家族もまた同様で、軍属で大工として行ったボルネオで終戦となって引き上げはしたものの、こちらもまた東京の家は焼かれて秋田に戻った。少なくとも、戦争が身内の人生を変えたことになる。
 祖母が亡くなった時、取りあえずは祖父方の墓に入れたが、本家でも何でもない分家の嫁として入れた墓だった。本家は阿仁から離れ、うちでずっと墓守りのようなことをしていた。父はそれを我慢できず、生前に、生まれ故郷の東京の都心部に墓を建て、阿仁の墓は永代供養の墓とした。だが、東京の墓は兄の家族が入るところであり、自分には無縁の墓だ。ついくどくなってしまった。
 
 狭い町だ。昔の記憶を照らし合わせながら、同じところを何度も行ったり来たりして、ようやく三時になった。

 昔からある旅館に入って宿の主人と話をするとがっかりした。宿泊者の名前は知らなかったが、今日は五人泊まることになっていたのは知っていた。そのうちの三人がキャンセルとのこと。おそらく台風だろう。自然災害ではどうにもならない。泊まりはオレと川口に住むK君。K君も車だ。K君はオレの長女が生まれた際に群馬まで遊びに来たことがある。今でも年賀状のやり取りをしている。旅館に泊まるということは、実家の両親が亡くなり、家を取り壊したのだろう。キャンセルの三人のうち一人は幼なじみのS君。あと、あだ名をリンダと呼ばれていたY君(隠してもしょうがない。名字が山本だったからあだ名がリンダになっただけのこと)。もう一人のT君は、実は同窓会の知らせを受けた際に、住所不明のリストの中に載っていて、鉱山関係者ということで、父親どうしが生前に年賀状のやりとりをしていて住所は知っていたし、親と同居していることも知ってはいた。本人の了解も得ずに幹事に住所を知らせてしまったわけだが、T君は山形の進学校から都立高校に転校したりした身分だったから、教えたのはどうせ来ないだろうという勝手な思いがあったからで、ここで来る予定になっていたこと知り驚いたとともに、会えずに残念だった。
 やがてK君がやって来た。夕食が待ちきれず、部屋でK君が持参の酒で飲んだ。そのうちに幹事が、二人だけでは夕食も寂しいだろうと派遣して寄こしたU君が加わり、三人での飲み会になった。U君は地元の建設土建業を継いでいる。幹事グループにも加わっていたので、同窓生仲間の動向にも詳しかった。台風で出席キャンセルがかなり出たようだし、まさかと思うようなヤツが、壮絶な手段で自殺した話も聞いた。自分が東京のアパートに住んでいる頃、近所に住み、通う風呂屋も一緒だった女がいて、彼女から頻繁に呼び出されては、勤め先の彼氏のグチばかり聞かされていたりしたものだが、その後に秋田に戻ったことは知っていた。その彼女が三十代で独身のままに亡くなったこともここで初めて聞いた。彼女と会えるだろうことが今回の同窓会の楽しみの一つでもあったのだ。その時は「あの頃、彼氏のことばかりではなく、オレのこともいろいろ聞いて欲しかったよ。そうすれば、お互いの人生も変わったかもね」と言うつもりでいた。
 沈黙してしまいがちな話をいろいろ聞きながらも笑いもあって楽しい夕餉だった。バアチャンになってしまったはずの女たちにも会いたかったが、女の泊まり組は隣の旅館があてがわれ、今晩泊まりの予定者はいないとのことだった。

 外ではまだ強い雨が降っていた。お開きになって一人外に出て散歩した。オレよりも夜に弱いK君はさっさと部屋に戻って寝てしまい、U君は呼んだカミさんの迎えで帰った。もう十二時に近い。雨はいくらか弱くなっていたが、それでもずぶ濡れになって宿に帰った。

コメント    この記事についてブログを書く
« 台風から逃げて北東北で紅葉... | トップ | 台風から逃げて北東北で紅葉... »

コメントを投稿

東北の山」カテゴリの最新記事