たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

金山のもみじ谷はやはりまだ早かった。これもまた早くはあったが、金龍寺の紅葉の方が賑やかだった。

2024年12月03日 | 地元太田の山
◎2024年12月2日(月)

 地元の金山歩きごときでわざわざブログ記事にするまでもなかったが、今回は紅葉見物ということもあって敢えて記事にした。今年になってから、金山はもう5回ほど歩いている。ここしばらく遠方にばかり行っていたので、せいぜい栃木の山あたりと思っていたが、睡眠不足で起きてもしゃきっとせず、それでいて今日の天気は良さげで、暖かくなりそうなので、寝直しではもったいなく、金山でも歩いてこようかといったほどのものだ。
 タイトルの「もみじ谷」とは自分が勝手に名付けたスポットだが、正確には「からたち沢右岸沿い」であって、からたち沢の水線は地図にも記載されているが、上流部に目立った流れはなく、ガイダンス施設あたりから水流が目に付くようになり、金龍寺方面に流れている沢だが、この沢もまた金龍寺の手前から水路になって側溝に流れ込み、コンクリの蓋をされているような、車道沿いのショボい沢でしかない。
 昨年、歩く人も滅多にいない「からたち沢」沿いを歩いていたら、距離は短いものの、見事な紅葉が続いていたので、さも自分が発見したかのような気分で「もみじ谷」として悦に入っていたところだが、去年は12月9日に行って盛りで、その一週間前になるし、あまり期待はしていないので、様子見がてらということになる。それだけなら、金龍寺の駐車場からちょい歩きで済むが、天気も良いのでは金山歩きも加えてみることにした。金山の紅葉にはまったく期待していない。失礼ながら、金山に紅葉見物で登ると言ったら失笑もので、自分には、季節の変わり目、紅葉の雰囲気を感じとる山でしかないと思っている。

(大光院)


(早速だったから、予想外に幸先が良いのかなと思った)


(だが)


(これであっけなくまずは終わった)


 出発は大光院の駐車場から。月曜日だからか、駐車場はがらがらで、人の姿も大光院に入ってからも一人も見かけない。標識にしたがって西山コースから行く。きついコースとは言えないが、コースは二段構えになっていて、中腹の東屋に出てほっとしてほどなく次に第二弾となり、登り切ると、ようやくここからは傾斜が緩い尾根歩きになり、上の駐車場を右に見てタラタラ行くと城址の間を通過して新田神社のある山頂となる。

(色彩のないハイキングコース)


(賑やかではあるがこんなもの)


(きれいとはいいがたい)


(第一段階はここまで)


(このままで終わりだろう)


 記すは易しだ。第一弾の途中から立ち休みが出てき、第二弾は分岐から整備された右手を行こうと思っていたら、幼稚園児の団体が騒ぎ走りしながら下って来た。致し方なく左手を登り、尾根上に出た時には、ほっとため息が出た。それでもこの間に三人のジイさんを抜いたのは快挙かもしれない。

(彦七山。直進すれば浅間神社に下ってこどもの国方面に出る)


(それでも紅葉の気配を感じながらの歩き)


(けなげに色づいているなと思った)


 浅間神社に下る左の台地に行ってみて、彦七山を確認して戻る。ここまでの紅葉は、大光院周辺を除けば茶色がかった黄色だらけで、葉は焼けて穴が開き、間近では見られたものではない。それでも、青空の下で離れて見る分には紅葉は感じる。金山の紅葉は見るに値しないようなことを記したが、これは致し方あるまい。夏の群馬はメチャ暑だ。まして、秋も短くなっている。低山の葉が早々に焼けてしまうのは無理もないことかと思う。標高239mでは街中の気候とさして変わらず、それでいて、43m高いだけの大小山の方が、紅葉がまだきれいに感じるのはなぜだろう。ただの、隣の芝生感覚から出てくるものだろうか。
 これまで、今年の紅葉はこんなものかと、里の寺やら山を歩いては感じていたが、それ未満ながらも、一応は写真撮りしながらに歩いている。これは、いつもの山ながらも、多少は色づきで表情が変わっているからであって、決して満足の域ではないが、当初より期待はしていないながらも、気分良く歩いていることは確かだ。何を言いたいのか、自分でもよくわかっていないが。

(上の駐車場。あのマイクロバスはさっきの園児たちを運んで来たのだろう)


(この先を期待したい)


(元の状態に戻ってしまった)


(城址入口)


 上の駐車場を過ぎたあたりから赤が加わり、来て良かったと思いはしたものの、先は続かなかった。ただ、予想はしていながらも、文句たらたらといった気分は次第に薄れていった。きれいとは言えないまでも、色づきは確実に賑やかになっている。城址ゾーンに入ると、写真撮りの回数が増えてくる。赤茶の紅葉にも慣れたのか、相応のレベルに適応しつつある。傍から見れば、そんなものと思われても、同じ紅葉でも、街中で見かけるのと山中とでは感覚も違う。理屈っぽくなった。

(物見台から赤城山)


(同じく。遠くに日光男体山)


 物見台には先客の女性が二人。登って失礼と言いながら見回した。赤城山と男体山がはっきり見え、真下の紅葉はかなり濃くなっている。こどもの国から登ればよかったかなと思ったが、それをやると、もみじ谷に行って戻るにはしんどいことになる。出発前に金山を見ると、同じように濃く見えた。こどもの国からにしても質的には同じようなものだろう。

(月ノ池に映った黄色)


(赤い金魚がかなりいた。紅葉よりも鮮明なのが皮肉だ)


(ちょっとくすんでいる)


(反対側からでは、陽加減で煤けた感じになっている)


 おかしなもので、手前の「月ノ池」に映った黄色はかなりきれいに見えたが、現物そのものにきれいさは感じず、陽光のせいだろうと一人納得。休憩舎のある広場には真っ赤になっているのが登場。いよいよ見どころエリアに入ったかと期待はしたが、その先に群れているわけではなく、あくまでもまばら。広場から南方面を確認すると、薄雲がかかっていて富士山は見えなかった。昨日、佐野の金蔵院からの帰路、田沼からすっきり富士が見えたので、今日もと期待はしたが、そう連日になるわけはなく、ぼんやりながらもいつもは見える都心方面の高層ビル群やらスカイツリーも今日は見えなかった。

(ようやく出てきたか)


(なかなかだ)


(こちらも盛り)


(敢えて出す必要もなかったが、シンボルツリーの大ケヤキ)


(神社への階段下で)


(新田神社)


(桐生、足利方面。いつもこれだけは眺めている。年間通じて変哲のない景色)


(黄色と赤)


(もういいだろうというか、見るほどの数はなかった)


 それなりにきれいな紅葉を愛でながら新田神社に到着。出発から50分。金山はゆっくり歩いてもそんなものだ。神社の周囲にめぼしい色付きはなく、三社それぞれに二礼二拍一礼をして下山。賽銭はいつも省略している。
 さっと流すつもりでいたが長くなった。ここからが、本日のメイン歩きになる。

(こちらから下る)


(「本城南端」とある。記憶にない。ここは初めて通るところのようだ)


(金山に続く車道に沿って歩いている)


(御城橋に出てしまった。そんな予定ではなかったが)


 ガイダンス施設への標識を見かけてそちらに向かう。気になったのは、その標識に「ガイダンス(登山道)」とあったからで、これまでは、御城橋に向かって、八王子山を経由するのが定番歩きだったため、同方向ながらもそれにしたがうと、どうも御城橋に向かいそうで、そうなるとガイダンス施設からは離れそうで、さらに登山道どころか車道歩きになりかねず、右に分岐道があったので、そちらに向かうと、標識はまったくなくなってしまった。どうも、初めて歩く道のようだ。
 上の駐車場に続く車道を右に見下ろしながら下ったが、標識のない分岐が続き、どう歩いたのか知れずのうちに、御城橋の前に出てしまった。どうも、分岐を右へ、右へと下ればよかったようだが、左寄りに下ったようだ。

(ヤブっぽい細い道を行くと)


(途中にこんな案内板があった。見回したが井戸跡はわからなかった)


(結局、車道に出てしまった)


(ガイダンス施設。本日休館。施設全体の写真を撮りたかったが大き過ぎた。市民としては、たかが金山に無駄な税金使いをしているようにも思える)


 仕方なく、ここは御城橋を渡ったが、八王子山経由で遠回りしてもみじ谷に行くしかないかなと思った。御城橋を渡ると、右にか細い踏み跡があった。これはラッキーかもとそれを追う。車道には沿っているので、いざとなれば車道歩きを覚悟したが、案の定、車道に出てしまった。ドロボウ草のトゲがズボンに大量にくっついていた。こうなったら、車道歩きでガイダンス施設に到着。休館日だった。この施設に用事はない。この先に用事がある。

(もみじ谷入口。右に行けば金龍寺。ここは直進になる)


(早速出てきた)


(いい感じ)


(色付きも結構)


(幻想的な感じだが、去年に比べたら、青葉も多くて全体が淡い)


(少なくとも一週間後だろう)


(この辺は真っ赤に燃えていたはず)


(ここもしかり)


(改めて後日に来よう。その時は、わざわざ金山に登ることもあるまい)


 小径を下って行くと、赤いモミジが出てきた。早いと思いながらも、赤いのはちらほらで、ほとんどがまだ青い。やはり早かったか。終点近くの東屋では周囲が真っ赤だったのが、せいぜい3割。これは、一週間どころか、冷え込み次第だろうが、この陽気では一週間以上先だろうか。期待はしていなかったので、少々がっかり程度。

(金龍寺にて)


(同じく)


(盛りは数日後か)


 このまま車道で出て歩くのは何だしと、そのまま金龍寺に向かう。下山途中で、金龍寺から登って来たオジさんが、金龍寺のモミジはきれいだったと言っていたがどんなものだろう。まだ早いような気がしていた。
 少し上がって境内。三人連れの親子がいて、娘さんらしい方が「きれいなのが見られて良かったね」と年とった両親に話しかけているのが聞こえた。お二人ともに満足げにじっと眺めている。ジイさんは杖をついている。こういう親子の風景に自分はつい弱くなる。それは別にして、確かにきれいに見えたが、本堂の前は青葉がまだ半分。自分の満足度には不足ながらも、矛盾はしているものの、全開寸前が好みの自分には、これで手頃。ただ、二日後あたりが、好みの最盛かなと微妙に思ったりもする。

(寺の下の方が見頃じゃないの)


(真っ赤になったら良い光景だろう)


(それでも空気の色は赤くなっている)


(本堂の方を見上げて)


(おそらく、この赤が石仏さんたちにあたっているのだろう)


(トンネルの入口だが、奥はまだ色付きがない。再訪したら、ここと奥はちぐはぐな紅葉の彩になっているかもしれない)


(見上げて)


(下をうろうろしている)


(これは焼けていなかった。バックに池でもあったらよかったのに)


(飽きない)


(きりがない。これを最後にした。ここも再訪だな)


(帰着。ここの駐車場は未舗装で雨上がりは泥んこになる。隣の駐車場に置いた方が無難)


 階段を下りかけると、むしろ下の方が盛りで、青葉混じりながらも、こちらは赤が半分以上あった。あっちに行ったり、こっちに行ったりしたが、墓地に至るモミジのトンネルはまだ半端で、これからなのだろうか。
 大光院の駐車場に戻った。2時間足らずの歩きだったが、満喫とまではいかないが満足はした。この記事もまた、前回同様に自己満足だったようだ。

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