たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

満開を期待して出向いた三ツ岩岳のアカヤシオは何とも残念な咲きだった。

2021年04月16日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2021年4月10日(土)

 一か月以上もブログの更新をしなかった。別に病に伏したり精神的に不安定だったわけではない。むしろ週一回の山歩きは欠かしていない。3月6日に行った群馬百名山の石尊山と庚申山のブログ記事原稿が頓挫してなかなか進まなかった。当初から面白さを期待した歩きだったわけでもなく、群百の数こなし目的でしかなかった。写真アップだけでもと思ったが、歩きの中味をカバーしてくれそうな写真はまったく撮れなかった。そうしているうちにパソコンを倒して液晶を壊し、近くの電器屋に持ち込んだら、中のデータも取り出せない始末で、100円で引き取ってもらい、パソコンを買い替えるハメになった。その後にセッティングをしたり、外付けHDDにバックアップしてあったデータを移行したり、削除したりで時間をとられ、いつしか、石尊山の歩きも色褪せてしまった。その程度の歩きだったわけだ。
 都合5回の山歩きをしていたわりには、楽しい歩きの思いはほとんどなく、大方、義務感だけの群馬百名山は地味な日暮山、物見山と続き、残り二山までこぎ着きはした。もはや、改めて記事にするほどの新鮮さもなく、ましてたかが知れた歩きだったので敢えて記事にはしない。以上、前置き。

 三ツ岩岳を選んだのにはわけがある。昨年の12月、南牧村の薬師の滝に行った際、沢伝いの古道の北側(三ツ岩岳にすると南西になるが)に<大津>という岩峰群があり、滝の下調べをした際に大津に至る西尾根はアカヤシオ天国らしいことを知り、今季は薬師の滝の落ち口と薬師堂跡を確認してから大津方面に向かい、アカヤシオを堪能するつもりでいた。さらに大津から三ツ岩岳に向かうという手もあるが、大津の岩峰群をかろうじてこなせたとしても、ラストは懸垂下降を強いられる。これは自分には無理な話。ハイトスさんから教わったロープワークはすでに忘れている。そこで、適当なところから沢沿いの古道に南下するつもりでいたが、反対側、つまりは三ツ岩岳側からなら素手で登る人もいるようで、自分にも出来やしないかと、真下まで行って様子を見て決めることにした。その前に、これもまた見事らしい三ツ岩岳のアカヤシオを楽しんでからということにしよう。また長ったらしい前置きだったか。

(車道から。三ツ岩岳の一角だろう)


(登山口にある竜王の里宮)


(いきなりの丸太の渡しが信用できなかった。試しに渡ると、揺れて折れそうで危うい感じがした。帰路では水が流れているわけでもないので下を歩いた)


 三ツ岩岳登山口のある大仁田ダム周辺の駐車場は到着した8時の時点で満車だった。大方がアカヤシオ目当てだろうが、シャレにもならないが、これでは密岩岳だ。ダム側に上ってようやく広い路肩に車を置いた。よほどに、このまま薬師の滝に向かおうかと思ったが、これだけハイカーが多ければ、花も見頃だろうと、ワークマンズックに履き替えて8時10分に出発。登山口までは下り車道歩きで5分かかった。
 登山口でオバチャンに声をかけられた。すごく混んでますねと。いつも平日に来ているから、駐車地探しをすることはなかったそうだ。こちらは烏帽子岳体験はあるが三ツ岩岳は初めてだ。そもそも西上州の山は岩峰が多いからどうも苦手だ。今日の歩きコースは大津に行く予定でいるから反時計回りにする。途中にコースの分岐がある。

(登山靴ではなくワークマンズックだからか、コースの分岐までは足裏に石ころが響いた。涸沢には堰堤が続いていたが、果たして、水が流れても堰止めまで設ける必要があったのだろうか。この時期で水の気配はなかった)


(右手のコースに入る。急な杉の植林の中をこまめに回りながら登る)


(女史組に抜きつ抜かれつ。最後は年の功と経験で勝ったが…)


 登山道そのものはしっかりしているが、石ころだらけで急。やけに歩きづらい。早々にストックを一本出す。前後のハイカーは遠い。マスク着用率はかなり低く、自分すら息苦しくなってすぐに外した。
 間もなく分岐。ここは右手の「竜王大権現」に向かう。ここからが厳しかった。尾根上の歩きだったらまだしも、広い急な杉の植林斜面のクネクネ歩き。上の空は見えずエンドレスに感じた。何度も立ち休みをしながらも、前方にネエチャン二人組をとらえた。自分とほぼ同じ足運びで休んでは登っている。休んでいるところを追い越したら、また抜かれた。これが何度かあり、上に大きな岩がゴツゴツと現れ、ようやく空が見え出したところで振り返ると、ネエチャンたちはかなり下にいた。ほっとしてストックを納める。
 傾斜が緩くなった稜線に出て気になったのが三ツ岩岳の山名の由来。おそらく岩稜ピークが3つあるのかと思っていたが、それがどれを指すのか釈然としない。岩峰はいくつもあり気な感じがする。GPSを見ると、三角点ピークはまだ先。後で知ったことだが、手前から「三角点峰」、「中岩」、「北岩」ということだった。
 一眼レフを首に提げたオジサンが休んでいた。下る途中のようだ。「アカヤシオはどうでしたか?」と聞く。「ダメだよ。霜でやられて、みんな萎れていたよ」。がっかり。確かにここ二日ほど天気は悪かったが、霜が下りるほどに冷え込んでいたとは知らなかった。

(竜王大権現)


(巨岩の下にあって、近距離では岩は収まらない。右下に大権現)


 その前に記し忘れていた。肝心の竜王大権現はむき出しの巨岩の下に祀られていた。石祠があったが、石祠そのものがコンクリ製にも見える新しいものだった。竜王のいわれやらストーリーはあるのだろうが、そんな解説板はなかった。登山口にあった<竜王の里宮>の奥の宮といったところだろう。

(ようやく空が見えた)


(いきなりの岩峰。これを登るわけではないが)


(稜線に出て、おおっとアカヤシオ)


(アップで見るとこうだ。霜にやられなかったらきれいだったのか、それともピークが過ぎてからの霜害だったのか…)


(離れて見た方がいいみたい)


(こんな感じで)


 岩稜帯を歩いていると、早速、青空を背景にしたピンクの花が現れた。一年ぶりにお会いしてうれしくなったのも束の間、近づいて見ると、確かに生気がすでにない。オジサンが言っていたとおりだ。この先に期待するのは無理なような気がする。遠くから眺めている分にはきれいだが。

(今回はタイミングは悪かったとして、西上州の山ではスポットかもしれない)


(山頂かと思ったが、山頂はさらに先。実態はともかく山肌もピンクになっている)


 危なげもない岩っぽい尾根を歩いて行くと、正面に三ツ岩岳の山頂とおぼしきピークが見えた。ここからアカヤシオを入れた山頂を撮ろうとしたのはいいが、撮った写真をアップで見ると、萎れたどころか、すでに部分的に茶色に変色している。こうなるともうどうにもならない。

(こんな写真を並べているのは残念だ。もしかして三日ほど前だったら、違った写真になったかもねぇ)


(アップに耐えられる花もあるにはあるが極めて少ない)


(あ~ぁ)


(尾根コースと合流)


(雰囲気はわかってもらえると思うが)


(どんどん賑やかになって)


(三ツ岩岳山頂)


 ピークと思ったのはまだ手前で、その先で下り予定コースに合流し、その先でようやく三角点のあるピークに着いた。その間、アカヤシオは賑やかで気分的には満喫した。ただ、その肝心な花は、例外なく萎れたり、変色しかけていて、とても可哀想な顔ぶれになっていた。
 狭い山頂だ。すでに7人くらいはいたが、10人も山頂にいたら厳しいだろう。ここからの景色を写真に撮って、西側に移動した。やはり、密を避ける方が何人かいた。ここもまた狭い。この先に、ここよりも低い痩せた岩峰があり、そのピーク上に鎮座する首欠け地蔵さんが見えた。この首欠け地蔵は事前にネット記事で知ってはいたが、前知識がなければ、首欠け地蔵には見えない。せいぜい、石仏らしき物が立っているにしか見えない。

(首欠け地蔵のある中岩。もっとも、「中岩」と知ったのは後のこと。その先に北岩というのがあるとは知らなかった。)


(少しアップで)


(山頂から)


(三角点)


 余談になる。首欠け地蔵はあちこちにあって、明治維新の廃仏毀釈の象徴のように思われてはいるが、自分には、お伊勢参りは別にして、江戸期までの本地垂迹やら修験道信仰が民間に深くあって、維新政府に仏教が弾圧されたとはいえ、各地地元の民が石仏の破壊まではしないだろうと思っていた。ところが、最近読んだ『よくわかる山岳信仰』(角川文庫・瓜生中著)で、その認識は誤っていたことを知った。維新政府は全国的に徹底した神仏分離、つまり廃仏毀釈政策をとったようだ。江戸時代のキリシタン弾圧のようなもの。仏を本尊にする寺は破壊までされ、本地垂迹で営業している寺は神社に置き換えられ、まったく縁もない神様を押しつけられたりもしたらしい。そして修験道は消えた。山の神として無難な木花咲耶姫や大山祇神が崇められるようになったのは、そういう時代背景があったのかもしれない。自分の推測だが、首欠け地蔵の存在は、ただの悪ふざけレベルではないようだ。

(首欠け地蔵を見に行く)


(ロープが垂れていた)


(その先がこれだった。命が惜しいのでやめた)


(撤退無念で上を撮ったが、後で考えれば、ここを登れば問題なく行けたはず。ここは方向違いになると思っていた。というか、あの通路を行かなきゃいけないのかと思い込んでいたから歯牙にもかけなかった)


(ロープ場の上から三角点峰)


 首欠け地蔵を見に行きたくなった。踏み跡はあった。鞍部まで下り、岩の窪みを這い上がろうとしたら、ラッキーにも上からロープが垂れている。ロープに手をかけて登ると、ロープそのものは太い木や石に結わえられているわけではなく、表現はうまくないが、高さ30cmほどの枝の塊りの根元に括られていた。これでは全体重を預けたらかなりやばい。それはともかく、その先がかなり脆そうだ。幅70cmほどの斜めになった踏み跡が岩を巻いて上に向かっているが、左はつかむ物がない露岩。右は切れ落ちてかろうじて4、5本の木はあるものの信頼するには足りない。最悪なのが、木の間隔が開いた部分の踏み跡が、そこだけ狭くなっていることだ。これでは命懸けになりそうなのであきらめて撤退。ふと、振り返ると、山頂から何人かが己の姿を眺めていた。ここまで来て撤退はみっともないが、痛い思いをして死にたくはない。後の祭りだが、そもそも、中岩には勘違い登りをしていたらしい。踏み跡ばかりに気にとられ、ここは写真の踏み跡は行かずに、岩を直登すべきだったようだ。確かに、あの踏み跡というか窪みを行ったら滑落は避けられまいし、うまく行けても、その先が続いていたのやら疑問だ。この時点では、悪い頭が混乱して、踏み跡以外に何も見えていなかった。負け惜しみだが、あの程度の岩なら垂れたロープがなくとも登れたと思う。こんなことに気づいたのはずっと後になってから。

(山頂に戻ったらこの賑わいだった)


(ニョキニョキ状の大津が見えていた)


(尾根コースを下る)


 山頂に戻って、どうだったかと問われたのは、上りで抜きつ抜かれつで歩いたネエチャンたちだった。様子を伝え、行ってみたらと肩を押したが、さすがにひるんで行かなかった。
 三角点に戻ると、賑やかになっていた。そして見覚えのあるワンコ。石塚さんファミリーだった。ワンコの名前はさくらちゃんだったっけ。石塚さんにお会いするのは二年ぶり。鳴神山のアカヤシオ以来だった。自然、ハイトスさんの話題になる。おKさんはまめに歩き、ご当人はゴルフ三昧か。ハイカーがどんどん山頂に上がって来るので下山にかかる。下り方向に目を向けると、右手寄りに大津の岩峰群が見えた。
 実はこの時点で大津はヤメにすることにしていた。理由はさっきの首欠け地蔵の岩峰だ。情けなくも登れなかった(間違い歩きをしているのでは当たり前だが、この時点では気づいていない)。大津はおそらくあれ以上の危険な思いをするだろう。下りで懸垂必至なら、上りの手ぶらでの登りも簡単には行くまい。まして、その先のいくつかの岩峰通過も緊張の連続だろう。結局、大津西尾根のアカヤシオは来季まで見送りになった。今日は行ったとしてもここと同じ具合に違いない。

 これは後日談。下る途中でミニダックスを連れた方にお会いした。ミニダックスを連れて山歩きをしている方の記事は何度か読んだことがあるので、あれっとは思った。コーギー犬が上にいたことを伝えると、石塚さんですねとおっしゃるので、石塚さんのお仲間のようだと思ったが、この方はゆうやけさんで、当日のヤマレコ記事を見ると、山頂にワンコを待たせて首欠け地蔵を見にあの岩峰に3人引き連れて案内したとあった。ここで、岩峰の名前が「中岩」であることも知った。それはともかく、すごい方がいるものだと思ったものの、考えてみれば、自分の力量不足と不甲斐なさだけのことだった。追い討ちをかけられたのは、ハイトス隊が中岩に登った記事だった。もうどうにもならない。体力も気力もここまで萎えてしまったかと、正直のところ落ち込んだ。

(残念ですなぁ)


(ハイライトゾーンとのこと)


(待機が続く)


(四つ足でもワンコは厳しいかも)


(霜柱)


 下りは「尾根コース」となっているが、実際に尾根上を歩くのはほんの少しの区間だ。こちらは足場が悪くて急だが、ハイカーがどんどん登って来て、待ちも多くなった。途中、オッサンに話しかけられた。アカヤシオはこの辺がハイライトなんだけどなぁ…。確かにアカヤシオは群れてはいるが、みんな痛ましい花になっている。
 竜王大権現コースは登り一辺倒だったが、こちらはいくつか小ピークがあって、下り使用でも地味につらい。霜柱をいくつか見かけた。「霜にやられた」とは怪しい感じがしたが、この様子ではまさにそうかもしれない。

(植林が入り込んでは抜けて、また入ることになる)


(地味に上り下りを繰り返す。時間的に標高は稼げない)


(開けた一角から。大津が間近に見えている)


(青空とピンク)


(尾根コースはかなり下までアカヤシオが続いていた)


(三ツ岩岳を振り返って。左端が北岩だろう)


(今度は沢型を下る)


(ミツバツツジ)


(大津に至る尾根。コースは左に下る)


 雑木に植林が混じり出した。そろそろハイカーの姿は少なくなってきた。アカヤシオはまだ続いている。方向が南西から南に変わったところで、尾根歩きではないただの斜面下りになった。やがて谷状のところを歩くことになる。
 ミツバツツジが登山道から離れたところに見えた。近づくと、やはりこれも霜にやられている。ミツバツツジは残念ながら一株だけ。ここは休憩スポットなのか何人か休んでミツバツツジを眺めている。
 大津に至る尾根が出ていた。様子だけでも見に行くかと思ったが、おそらくは登ることにはならず、ここに戻るのがオチだろうと、敢えて行かなかった。

(こんな道になって)


(ごちゃごちゃし出して大権現コースに合流する)


(登山口)


(ダムサイトで)


(駐車地に戻る)


 植林帯に入り、徐々に道幅が広くなり、作業道のようになった。ここで出会ったのが件のゆうやけさんという次第だ。石塚さんがいた場所を聞かれ、山頂と答えたが、ヤマレコ記事に石塚さんにお会いした記載はなかったから、反対側を下ったのだろう。
 登山口に到着。周辺の駐車場は結構空いていた。これは自然の理で、早い時間に登れば早く下って来て帰る。林道を上って駐車地に向かう。
 さほどの疲れもなかった。駐車地到着は10時50分だから、せいぜい2時間40分の歩きだ。一服しながらこれからどうしようか考えた。もう一山歩くには半端な時間で、実は大屋山を考えてもいたが、これはやめにして、家とは逆方向になるが、渋川の赤城自然園に行くことにした。二日ほど前の新聞に、自然園のアカヤシオが満開だと載っていた。渋川なら霜にやられていることはあるまい。
 車を出すと、すぐにダンプがやって来た。ダム工事関係だろう。運の悪いことにこれが続き、バックしたのが三回。普通車で来ていたらかなり厳しいことになっていた。登山口の前に来ると、石塚さんが下りて来たところだった。目が合ったので会釈した。この先でもしばらくダンプが続いてやって来てはバックしての待機が続いた。

(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

【赤城自然園】
 ここもまた混んでいて、警備員が駐車場を誘導していた。車を置き、カメラだけ持って入口に向かったが、考えてみれば、「園」である以上、無料ではあるまいと、財布を取りに車に戻った。案の定、入園料は千円。バカに高かねぇかと思いながら、渋々と千円札を出したら、UCカードかSAISONカードを提示すれば500円になるそうだ。財布に収めたカード類を探したらUCカードがあった。千円が500円になるとは極端だが、その筋のグループ会社が運営しているのだとしたら、会員サービスとしてはうれしい割引だ。もっとも、千円は高いが、500円なら妥当かなといった思いもあるにはある。
 以下、写真だけの羅列にするが、園地は広く、確かに自然園そのもので案外に長時間楽しめた。



















































コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 山火事の様子が気になって足... | トップ | せっかくのピーカンだったの... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
kaori509さん (たそがれオヤジ)
2021-04-23 12:01:50
kaoriさん、こんにちは。お久しぶりです。
しばらく、どなただっけと考えていましたが、2年前の地蔵岳で思い出しましたよ。おかしなところでお会いしましたね。
神戸駅から鳴神山にかけてのお歩きの記事は拝見しました。相変わらず、すごい歩きをされているようですが、アカヤシオを堪能できたようで羨ましく思っています。おそらく、私は、本記事の三ツ岩岳で今季は終わりになりそうです。
お会いした前年に岩場から滑落して左足首を骨折し、以来、私はどうも歩きが鈍くなってしまい、kaoriさんのような、いわゆるバリルート歩きの頻度はめっきり少なくなり、ご覧のようにコース歩き専門になってしまいました。山も深いところは避けるようになっているし、ちょっと情けないところです。
ところで、kaoriさんは先月、お伊勢山に行かれたようですね。私も今月の20日に、ひょんなことからお伊勢山に行きましたよ。何も情報も持たず、桜がきれいなところであることはその場で知ったのですが、すでに葉しか残っていず、その時は半月遅かったかと思ったものですが、kaoriさんの記事を拝見すると半月どころか20日は遅かったようで、こんな山だったら、早いところ情報を集めて行っていればよかったかなと後悔しています。
バリ歩きも、一人歩きだと、万一のアクシデントがあると大変な結末になります。まして、携帯の電波が届かないところではどうにもなりません。重々注意して楽しんでください。
返信する
お久しぶりです (kaori509)
2021-04-20 11:35:16
たそがれオヤジ様

ご無沙汰しています。
2年前に地蔵岳でお会いした者です。

最近、わたらせ渓谷鉄道で神戸駅に行き、久しぶりに群馬の山を堪能したら、急にたそがれオヤジさんを思い出してブログを拝見しました。

相変わらず道なき道を歩かれているんですね!
私も今回久しぶりにバリルートを歩き、バリの緊張感と面白さを思い出しました。
(今回はバリと言っても歩いた後が意外とありましたので、正確にはバリではないですが。。)

でもアカヤシオは満開で、たそがれオヤジさんの赤城自然園の写真と比べても見劣りしないんじゃないかな(*^^*)

急にコメントしてすみません!
懐かしくなって送ってしまいました。
返信する
ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2021-04-17 07:48:40
ハイトスさん、おはようございます。早速のコメントありがとうございます。
ハイトスさんが大津に虎視眈々だったとは知りませんでした。あにねこさんの記事も拝見しましたが、なんであそこまで行って薬師の滝を見に行かなかったのかちょっと気になりましたけどね。
私は、その薬師の滝を見たばかりに、滝の上を通って、1273m標高点に南東尾根から登り上げ、西尾根で大津に至るルートを歩きたくなり、こうして三ツ岩岳に登ってしまったからには、わざわざまた三ツ岩岳に行くまでもなく、引き返して、沢沿いの破線路に南下するつもりでいました。これは諦めたわけではなく、いずれは歩くつもりでいますから、もし、ハイトスさんの脳裏にまた大津がかすめるようでしたら、お声をかけてください。私の考案ルートで恐縮ですけどね。ただ、そのまま三ツ岩岳コースに下るということでしたら、ハイトスさん同行なら、懸垂下降も安心かなと思ったりもしてはいます。
中岩は岩の窪みを登るのは何ということもなく、むしろ、備え付けのロープに手を添えただけで済みましたが、その先のバンドを見てから頭が白くなり、単に左に上がればいいだけのことすら想定もできませんでした。情けない話です。
パソコンの復旧は半日どころではありませんでしたよ。4~5日かかりました。何でそうなったかというと、メールのバックアップが2台のHDDにあって、両方から引っ張ったら、同じメールがずらりと出てきてしまい、12年分のメールのダブりを一つずつ消していったからです。それどころか、カシミールの軌跡履歴がなかなかインポートできず、これにも手間取りました。以前、使っていたソフトもかなり消えてしまいました。それよりも、あのOneDriveとやらは何なんでしょうかね。勝手に作動して、いきなり満杯の警告が出たりして、結局、Pictureとの連携は外しました。どうせ外付けにコピーしているし。メールも、削除したメールが保管してしまい、うっとうしい存在です。

今年のアカヤシオは早かったですね。今日の雨で、おそらく、低い標高の山は期待できないでしょう。今回のような萎れたアカヤシオを見られただけでも、気分的には満足していますけどね。
返信する
大津 (ハイトス)
2021-04-16 20:38:12
こんばんは。
PCを壊してしまったとはそれはそれは大変でしたね。
新しいPCに復旧は半日はかかったのではないですか。
自分も同様でこのところ吾妻山と鳴神山で茶を濁してます。
記事にすることもないですね。
折角三ツ岩に出かけたのにあてが外れましたね。
中岩はあの正面の岩の窪みを登るのです。
こちらは易しいです。
バンド状のところは怖そうですね。
ところで大津ですが、反時計回りで難所を登るのはかなりむつかしそうですよ。
自分も大津は時計回りで沢から登ってと何度もシミュレーションし、地図も用意してておりました。
しかし以前あにねこさんが回られて、難所では結構緊張したと書かれていたので、マムシ岳と同様相方を連れてはいけないので一人で行くしかないかなと思っておりました。
しかしながらもう基礎体力が落ちているだけでなく反射神経も落ちているので危うきには近寄らずの心境となってしまいましたが。
返信する

コメントを投稿

近所じゃない群馬県の山」カテゴリの最新記事