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◎2017年8月22日(火)
雷電神社──高鳥天満宮──群馬の水郷──三県境──渡良瀬遊水池
一昨日、ぶなじろうさんが板倉町の雷電神社に行かれた記事を目にした。折しも、本日の予定はない(昨日とて雨樋を修理していただけのことで、毎日こんなものだが)。神社の彫り物だけでも一見の価値はあるとのこと。早速、行ってみることにした。記事には「夏向きではない」とも記されてはいたが、ぶなじろうさんの場合はご自分の足で歩かれての話であって、こちらは車利用だ。さほどに汗をかくことはあるまい。
実は、板倉町そのものをよく知らない。隣の大泉やら邑楽、千代田町同様に、さして見どころがありそうな町とも思えなかったが、念のため、ネットで板倉町の観光案内を確認してみた。無知だったが、渡良瀬遊水池が入り込んでいた。ここも行ったことはない。
ということで、雷電神社の後は、板倉町の観光スポットである高鳥天満宮、群馬の水郷(谷田川)、三県境、渡良瀬遊水池、行人沼を回ることにして出かけた。
(弁財天とタマゴ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/65/4da5e721117c9cc212f97644022e8231.jpg)
(その脇に)
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(ナマズ様。小鬼がナマズを抱えている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f7/ed6ca8b0219eeefcd0f2e7b166788919.jpg)
(こちらの鬼はナマズに乗っかっているが、角がない。河童じゃないよなぁ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/dc/fda12a3efc665c856cce8fb2fed0005e.jpg)
まずは雷電神社。駐車場のすぐ隣に真新しい弁財天と卵が祀られている。解説板には「鶏の卵を供え、これを食せば種々の霊感ありとつたえられる」と記されている。道路を挟んだ向かい側に「なまずさん」の幟が見えたので行ってみると、小鬼たちに守られた銅製のナマズが横たわっていた。両方ともに見逃しても問題はないようなものだろう。
(雷電神社。見づらいが、雷マークとともに葵の御紋が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ba/4952bc0c47f19e13c729d50ad0006515.jpg)
(葵の御紋をアップして。ここでは3か所)
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(龍と)
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(花)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/4d/dd85be44729d83046c3fc93bdc6675ac.jpg)
神社の正面に回る。八幡宮稲荷神社社殿は国指定重要文化財とあった。この八幡宮は正面の社殿ではないようだ。なるほど、社殿の頭には葵の御紋があるわ。ぶなじろうさんのコメントでこれを知った時、舘林藩主だった綱吉がらみではないのかと思ったが、やはりそのようだ。
確かに、龍や花、波、駿馬、鳳凰の彫り物が精巧で年代を感じる。これは十分どころか十二分に一見の価値有りだ。事前調べでは、左甚五郎10代目の親方、石原常八の作となっていたが、左甚五郎は知っていても、10代目ともなると、どの程度の技術者だったのか。まぁ、それはいい。その師匠の技なのだから、相応の彫刻家だったのだろう。
(弁財天社)
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(伊奈良の沼)
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(万葉歌碑。妻として迎えた今、以前、遠くから眺めていた時よりも強い思いが募ってきている。といった内容のようだが、今の世には通じないだろうね。普通は逆だから)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a1/4a4ea3119142f101652f59b5913c3d08.jpg)
(公園を一周してみた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/93/306cb187cc77ed497a691f0f439bb810.jpg)
隣の弁財天社の脇に道があり、その先が薄暗くなっている。この辺がどうも気になった。どうせ時間もあることだしと、こちらを先行することにする。ひんやりしたところを抜けると板倉中央公園の看板があって、中に入ってみた。ここにも弁財天社があり、周囲には沼地が広がっている。看板には「伊奈良の沼」(今は縮小して雷電沼と言うらしい)とあった。万葉集にも詠まれている云々と記されている。
沼を一周してみたが、見るべきものは特になく、蚊に刺されて汗をかいただけ。また神社前に出た。門前の食堂には「なまず天ぷら」の幟。沼地続きだからこの辺の名物なのだろう。
(雷電神社に戻る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/fa/98cd05e7161bdbe31a2803cfc54581a5.jpg)
(その1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d5/8e57e32b8cc1c7cf349b9d1a8546f135.jpg)
(その2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/34/499592b127ad4245dee35c02ac216e7d.jpg)
改めて神社の由来説明板を読む。聖徳太子が通りかかった伊奈良の沼で禊をすると、雷神様の声を聞いた。太子はここに祠を建てて神を祀ったとある。弘法大師ならともかく、聖徳太子が何をしにわざわざ東国の地にやって来たのか気になった。余談だが、後で調べると、聖徳太子には飛翔伝説なるものがあるらしく、神馬に乗って天高く飛び、富士山を越えて信濃の国に至り、3日後には都に帰還したといったものだ。この話は西暦598年のことらしいが、ここの説明板にも祠を建てたのは奇しくも598年となっている。ということは、同年縁起で各地に太子伝説が残ってもいそうだ。
雷電神社を回った。やはり彫り物がすごい。絵画的で、それぞれにストーリーがあり、それを彫ったかのようだ。
(奥宮)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/3d/15b6fc168395cbfbb74eb231f1dfc3f9.jpg)
(奥宮の彫り物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/26/95e6c0b259921daef49c89c550f20cf1.jpg)
(八幡宮)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/dc/64e43041ed96d244287c2b4929926707.jpg)
(座敷童子に似た狛犬)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6b/b3f5875d2e59b5ebfa0c38c0443f1b26.jpg)
(八幡宮の彫り物。ちょっとタワシを使って水洗いしたいところだ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/88/6166d5e0d60362abbf0629ab1cb14fde.jpg)
(本殿に戻って。その3)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/49/4b7dc719f5d855a41b608662658d6c85.jpg)
(その4。右下の金ピカが葵の御紋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f6/c79d77af57c892b788dd4c6a08011d12.jpg)
裏に回ると、奥宮があって、大雷神を祀っている。そして、国指定文化財の八幡宮稲荷神社があった。群馬県最古の建造物と説明されている。社殿の素晴らしい彫刻を見た後だけに、今一つ感慨がわかない。狛犬も何だかなぁといった感じだし。
神社をもう一周して、高鳥天満宮に向かう。雷電神社は満足した。
(高鳥天満宮)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3b/df0eff52c637dbd4a1a4fd00fb77a03e.jpg)
(ここの彫り物。天神?)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/8a/0405e96396c2e8f4e9ef6e4e01586b4c.jpg)
(詳しくは知らないが、牛を持って受験に臨むのかと思ったが、身体の不具合を牛に託すといったもののようだ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ac/bf9c209f81add91acccdd748cd945238.jpg)
(裏の池。きれいとは言えない)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/28/633b621963e142902fab70be249f9f9b.jpg)
(天神の滝)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/97/7dc65410bdab4b9d2807b34d338b5578.jpg)
前知識はなかったが、神社をさらっと見たところ、やたらと合格祈願の札が目についたので、由来解説板を読むと、やはり菅原道真を祀った神社だった。読む以前に、天満宮ならそうと思うものだが、まだまだ修行が足りないねぇ。ここにも龍の彫り物があったが、これも石原常八とあった。中の天井画に百人一首が描かれているということで、入って見たかったが、勝手に入るべからずとあり、これは残念ながらということになった。
裏手に回ると、「努力一貫」と記された石碑があり、その下には池があり、脇には澱んだ感じの水路が通っている。ちょっと歩いただけでまた蚊に刺され、汗びっしょりになった。天神の滝を見て神社に引き返す。ここは、今さら学業成就でもないのでさして用事はなかったようだ。
(釣り堀エリア)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/58/aa73e1bbd69e93645b22e33e8d24ccdb.jpg)
(水郷の揚舟)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/40/da0d819d54fcc4d57a5d15ac3dd00db8.jpg)
続いて群馬の水郷。何も知らぬままに行ったのだが、板倉町の案内図には、谷田川が流れ、「揚舟 谷田川めぐり」とあったから、ぶなじろうさんも行かれたところだろう。
駐車場から歩き出す。公園のようなところに入ると、大きな沼があり、これが水郷かと思ったりしたが、先にも大きな沼があり、そこに行くと、釣り堀になっていて、沢山の釣り人が竿を並べていた。これじゃ面白くもないなと、迂回して車道に出ると、反対側に川が流れている。これが谷田川だった。岸辺に5艘の舟がもやっているだけで、人の姿はなく、今日は営業もしていないのだろう。
こんな時期でなかったら、川辺をずっと歩きたいのだが、汗がダラダラと流れていて、もう手拭いもびっしょりになっている。まして、水が清流というわけでもなく止まっている。写真だけ撮って引き返すことにしたが、後で写真を見ると、釣りのジイさんが立ちションしている姿が映ってしまっていた。
三県境とは、群馬、栃木、埼玉の県境が接するところ。平地で見られるのは全国でも珍しいようだ。ナビを「道の駅きたかわべ」にセットする。道の駅そのものは埼玉県加須市になっている。
(三県境へ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/84/3dc906f60e5182cbbdc7fd27ee696900.jpg)
(ご丁寧に)
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(あそこらしいが、掲示板に記された竹林のある家は見えない)
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(三県境)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ae/895d41aa11899a9c040655aabd922920.jpg)
(水路で区分けされている)
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(こんなのも埋まっていた)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9a/4b9e61ba56ac792304b04abd2b427dc3.jpg)
道の駅に車を置いて歩く。手書きの標識が置かれている。途中で一回曲がって栃木市に入り、400mほどは歩いたろうか。周囲が田んぼの中に標識が置かれていた。
それぞれの県境の間に田んぼの用水路が通っている。栃木の田んぼは休耕田だが、群馬と埼玉の稲穂を見ると、埼玉側の伸びが良いようだ。
いい物を見たといった思いで道の駅に戻る。上の車道の県境も入り乱れている。標識が栃木県栃木市、群馬県板倉町、埼玉県加須市となって道の駅に戻った。
お腹も空いたので、ここで昼食にでもしようかと思ったが、食堂入口にメニューがない。入ったら、カツどんしかないとなったらげんなりもするので、入るのはやめたが、すぐに手打ちうどん、そばの幟を見てしまい、戻ろうかなと思ったりもしたが、暑くて食べることそのものが面倒な気がして、車に戻って水を飲んで空腹感をごまかした。
次は、渡良瀬遊水池だが、ここからなら歩いても行ける距離ではあるが、車で行くことしか眼中になかった。もう上下ともにびっしょりだ。
(谷田川)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/01/b1fd464677a7e167620f1619245491f8.jpg)
駐車場にJAFの車が置かれ、スタッフが一台の乗用車をいじっていた。駐車場は閑散としている。
くどいが、それにしても暑い。車の外に出たくはないが、渡良瀬遊水池は初めてだ。足尾銅山がからんだ谷中村、そして田中正造のイメージしかない。
看板には「渡良瀬貯水池(谷中湖)」とある。まさに、草木ダムに水没した草木集落と同じか。地図ではハート形の池になっている。橋を渡る。下を流れている川は谷田川のようだ。
(渡良瀬遊水池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/1e/7c85e34f8f8129580c6e6cfcd4ca1afc.jpg)
(橋に上がり、途中で引き返す)
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(三毳山、大平山だろう)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/67/c2141e84687b7dc95d6daf52597981f4.jpg)
びっくりした。こんな広大な遊水池とは想像もしていなかった。これでは、ちょっとした湖じゃないか。東洋大学かどこかは知らないが、ボートの練習もしている。しばらく眺めていた。ここは確かに夏向きではないな。ずっと歩いてみたいが、この日照りでは無理な話。岸沿いの道を橋まで歩いてみた。遠くに、あれは、方角からしてぶなじろうさんが見られた三毳山と大平山だろうか。確かにそうかもしれないな。
このまま歩き続けたかったが、橋の途中で戻る。脇を颯爽と自転車で行くオバチャンたちをうらやましく思った。いずれまた来ることにしよう。対岸は、栃木市はおろか、小山、野木、古河とも接しているらしい。今度は向こうから来てみるのもいいか。
汗だくで戻る。車に着替えはない。このまま背中に汗を垂らしてエアコンつけて家に戻るしかない。行人沼も見ておきたかったが、いずれ、汗をかかない時期にということにしておこう。
来た時に見かけたJAFの車、結局、レッカー移動に入っていた。キィをなくしたとか、そういうことではないようだ。故障車の主が助手席に乗っていたが、JAFもそこまでのサービスもするんだなと感心してしまった。
途中で佐野ラーメンを食べに食堂に寄る。家まで歩ける距離なら、車を置いて、ためらわずに生ビールを飲みたい。注文待ちの間に歩数計を見ると、車移動とはいっても、1万歩ほど歩いていた。先日の小滝の里のぶらつきは3千歩もなかったろう。
今日の歩き、印象に残るのは、やはり、雷電神社、三県境スポット、遊水池といったところか。しかし、暑かった、明日はもっと暑くなるらしい。今日、歩いておいて良かったようだ。板倉町もいずれは館林市に合併か。そうなると、板倉もさらに暑いところになるだろう(笑)。
雷電神社──高鳥天満宮──群馬の水郷──三県境──渡良瀬遊水池
一昨日、ぶなじろうさんが板倉町の雷電神社に行かれた記事を目にした。折しも、本日の予定はない(昨日とて雨樋を修理していただけのことで、毎日こんなものだが)。神社の彫り物だけでも一見の価値はあるとのこと。早速、行ってみることにした。記事には「夏向きではない」とも記されてはいたが、ぶなじろうさんの場合はご自分の足で歩かれての話であって、こちらは車利用だ。さほどに汗をかくことはあるまい。
実は、板倉町そのものをよく知らない。隣の大泉やら邑楽、千代田町同様に、さして見どころがありそうな町とも思えなかったが、念のため、ネットで板倉町の観光案内を確認してみた。無知だったが、渡良瀬遊水池が入り込んでいた。ここも行ったことはない。
ということで、雷電神社の後は、板倉町の観光スポットである高鳥天満宮、群馬の水郷(谷田川)、三県境、渡良瀬遊水池、行人沼を回ることにして出かけた。
(弁財天とタマゴ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/65/4da5e721117c9cc212f97644022e8231.jpg)
(その脇に)
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(ナマズ様。小鬼がナマズを抱えている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f7/ed6ca8b0219eeefcd0f2e7b166788919.jpg)
(こちらの鬼はナマズに乗っかっているが、角がない。河童じゃないよなぁ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/dc/fda12a3efc665c856cce8fb2fed0005e.jpg)
まずは雷電神社。駐車場のすぐ隣に真新しい弁財天と卵が祀られている。解説板には「鶏の卵を供え、これを食せば種々の霊感ありとつたえられる」と記されている。道路を挟んだ向かい側に「なまずさん」の幟が見えたので行ってみると、小鬼たちに守られた銅製のナマズが横たわっていた。両方ともに見逃しても問題はないようなものだろう。
(雷電神社。見づらいが、雷マークとともに葵の御紋が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ba/4952bc0c47f19e13c729d50ad0006515.jpg)
(葵の御紋をアップして。ここでは3か所)
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(龍と)
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(花)
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神社の正面に回る。八幡宮稲荷神社社殿は国指定重要文化財とあった。この八幡宮は正面の社殿ではないようだ。なるほど、社殿の頭には葵の御紋があるわ。ぶなじろうさんのコメントでこれを知った時、舘林藩主だった綱吉がらみではないのかと思ったが、やはりそのようだ。
確かに、龍や花、波、駿馬、鳳凰の彫り物が精巧で年代を感じる。これは十分どころか十二分に一見の価値有りだ。事前調べでは、左甚五郎10代目の親方、石原常八の作となっていたが、左甚五郎は知っていても、10代目ともなると、どの程度の技術者だったのか。まぁ、それはいい。その師匠の技なのだから、相応の彫刻家だったのだろう。
(弁財天社)
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(伊奈良の沼)
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(万葉歌碑。妻として迎えた今、以前、遠くから眺めていた時よりも強い思いが募ってきている。といった内容のようだが、今の世には通じないだろうね。普通は逆だから)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a1/4a4ea3119142f101652f59b5913c3d08.jpg)
(公園を一周してみた)
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隣の弁財天社の脇に道があり、その先が薄暗くなっている。この辺がどうも気になった。どうせ時間もあることだしと、こちらを先行することにする。ひんやりしたところを抜けると板倉中央公園の看板があって、中に入ってみた。ここにも弁財天社があり、周囲には沼地が広がっている。看板には「伊奈良の沼」(今は縮小して雷電沼と言うらしい)とあった。万葉集にも詠まれている云々と記されている。
沼を一周してみたが、見るべきものは特になく、蚊に刺されて汗をかいただけ。また神社前に出た。門前の食堂には「なまず天ぷら」の幟。沼地続きだからこの辺の名物なのだろう。
(雷電神社に戻る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/fa/98cd05e7161bdbe31a2803cfc54581a5.jpg)
(その1)
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(その2)
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改めて神社の由来説明板を読む。聖徳太子が通りかかった伊奈良の沼で禊をすると、雷神様の声を聞いた。太子はここに祠を建てて神を祀ったとある。弘法大師ならともかく、聖徳太子が何をしにわざわざ東国の地にやって来たのか気になった。余談だが、後で調べると、聖徳太子には飛翔伝説なるものがあるらしく、神馬に乗って天高く飛び、富士山を越えて信濃の国に至り、3日後には都に帰還したといったものだ。この話は西暦598年のことらしいが、ここの説明板にも祠を建てたのは奇しくも598年となっている。ということは、同年縁起で各地に太子伝説が残ってもいそうだ。
雷電神社を回った。やはり彫り物がすごい。絵画的で、それぞれにストーリーがあり、それを彫ったかのようだ。
(奥宮)
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(奥宮の彫り物)
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(八幡宮)
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(座敷童子に似た狛犬)
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(八幡宮の彫り物。ちょっとタワシを使って水洗いしたいところだ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/88/6166d5e0d60362abbf0629ab1cb14fde.jpg)
(本殿に戻って。その3)
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(その4。右下の金ピカが葵の御紋)
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裏に回ると、奥宮があって、大雷神を祀っている。そして、国指定文化財の八幡宮稲荷神社があった。群馬県最古の建造物と説明されている。社殿の素晴らしい彫刻を見た後だけに、今一つ感慨がわかない。狛犬も何だかなぁといった感じだし。
神社をもう一周して、高鳥天満宮に向かう。雷電神社は満足した。
(高鳥天満宮)
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(ここの彫り物。天神?)
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(詳しくは知らないが、牛を持って受験に臨むのかと思ったが、身体の不具合を牛に託すといったもののようだ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ac/bf9c209f81add91acccdd748cd945238.jpg)
(裏の池。きれいとは言えない)
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(天神の滝)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/97/7dc65410bdab4b9d2807b34d338b5578.jpg)
前知識はなかったが、神社をさらっと見たところ、やたらと合格祈願の札が目についたので、由来解説板を読むと、やはり菅原道真を祀った神社だった。読む以前に、天満宮ならそうと思うものだが、まだまだ修行が足りないねぇ。ここにも龍の彫り物があったが、これも石原常八とあった。中の天井画に百人一首が描かれているということで、入って見たかったが、勝手に入るべからずとあり、これは残念ながらということになった。
裏手に回ると、「努力一貫」と記された石碑があり、その下には池があり、脇には澱んだ感じの水路が通っている。ちょっと歩いただけでまた蚊に刺され、汗びっしょりになった。天神の滝を見て神社に引き返す。ここは、今さら学業成就でもないのでさして用事はなかったようだ。
(釣り堀エリア)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/58/aa73e1bbd69e93645b22e33e8d24ccdb.jpg)
(水郷の揚舟)
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続いて群馬の水郷。何も知らぬままに行ったのだが、板倉町の案内図には、谷田川が流れ、「揚舟 谷田川めぐり」とあったから、ぶなじろうさんも行かれたところだろう。
駐車場から歩き出す。公園のようなところに入ると、大きな沼があり、これが水郷かと思ったりしたが、先にも大きな沼があり、そこに行くと、釣り堀になっていて、沢山の釣り人が竿を並べていた。これじゃ面白くもないなと、迂回して車道に出ると、反対側に川が流れている。これが谷田川だった。岸辺に5艘の舟がもやっているだけで、人の姿はなく、今日は営業もしていないのだろう。
こんな時期でなかったら、川辺をずっと歩きたいのだが、汗がダラダラと流れていて、もう手拭いもびっしょりになっている。まして、水が清流というわけでもなく止まっている。写真だけ撮って引き返すことにしたが、後で写真を見ると、釣りのジイさんが立ちションしている姿が映ってしまっていた。
三県境とは、群馬、栃木、埼玉の県境が接するところ。平地で見られるのは全国でも珍しいようだ。ナビを「道の駅きたかわべ」にセットする。道の駅そのものは埼玉県加須市になっている。
(三県境へ)
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(ご丁寧に)
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(あそこらしいが、掲示板に記された竹林のある家は見えない)
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(三県境)
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(水路で区分けされている)
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(こんなのも埋まっていた)
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道の駅に車を置いて歩く。手書きの標識が置かれている。途中で一回曲がって栃木市に入り、400mほどは歩いたろうか。周囲が田んぼの中に標識が置かれていた。
それぞれの県境の間に田んぼの用水路が通っている。栃木の田んぼは休耕田だが、群馬と埼玉の稲穂を見ると、埼玉側の伸びが良いようだ。
いい物を見たといった思いで道の駅に戻る。上の車道の県境も入り乱れている。標識が栃木県栃木市、群馬県板倉町、埼玉県加須市となって道の駅に戻った。
お腹も空いたので、ここで昼食にでもしようかと思ったが、食堂入口にメニューがない。入ったら、カツどんしかないとなったらげんなりもするので、入るのはやめたが、すぐに手打ちうどん、そばの幟を見てしまい、戻ろうかなと思ったりもしたが、暑くて食べることそのものが面倒な気がして、車に戻って水を飲んで空腹感をごまかした。
次は、渡良瀬遊水池だが、ここからなら歩いても行ける距離ではあるが、車で行くことしか眼中になかった。もう上下ともにびっしょりだ。
(谷田川)
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駐車場にJAFの車が置かれ、スタッフが一台の乗用車をいじっていた。駐車場は閑散としている。
くどいが、それにしても暑い。車の外に出たくはないが、渡良瀬遊水池は初めてだ。足尾銅山がからんだ谷中村、そして田中正造のイメージしかない。
看板には「渡良瀬貯水池(谷中湖)」とある。まさに、草木ダムに水没した草木集落と同じか。地図ではハート形の池になっている。橋を渡る。下を流れている川は谷田川のようだ。
(渡良瀬遊水池)
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(橋に上がり、途中で引き返す)
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(三毳山、大平山だろう)
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びっくりした。こんな広大な遊水池とは想像もしていなかった。これでは、ちょっとした湖じゃないか。東洋大学かどこかは知らないが、ボートの練習もしている。しばらく眺めていた。ここは確かに夏向きではないな。ずっと歩いてみたいが、この日照りでは無理な話。岸沿いの道を橋まで歩いてみた。遠くに、あれは、方角からしてぶなじろうさんが見られた三毳山と大平山だろうか。確かにそうかもしれないな。
このまま歩き続けたかったが、橋の途中で戻る。脇を颯爽と自転車で行くオバチャンたちをうらやましく思った。いずれまた来ることにしよう。対岸は、栃木市はおろか、小山、野木、古河とも接しているらしい。今度は向こうから来てみるのもいいか。
汗だくで戻る。車に着替えはない。このまま背中に汗を垂らしてエアコンつけて家に戻るしかない。行人沼も見ておきたかったが、いずれ、汗をかかない時期にということにしておこう。
来た時に見かけたJAFの車、結局、レッカー移動に入っていた。キィをなくしたとか、そういうことではないようだ。故障車の主が助手席に乗っていたが、JAFもそこまでのサービスもするんだなと感心してしまった。
途中で佐野ラーメンを食べに食堂に寄る。家まで歩ける距離なら、車を置いて、ためらわずに生ビールを飲みたい。注文待ちの間に歩数計を見ると、車移動とはいっても、1万歩ほど歩いていた。先日の小滝の里のぶらつきは3千歩もなかったろう。
今日の歩き、印象に残るのは、やはり、雷電神社、三県境スポット、遊水池といったところか。しかし、暑かった、明日はもっと暑くなるらしい。今日、歩いておいて良かったようだ。板倉町もいずれは館林市に合併か。そうなると、板倉もさらに暑いところになるだろう(笑)。
自分も初めて行ったときは、地図以上の広さに驚きましたよ。歩くのは無理で自転車を持ち込んで一周か半周かしたような記憶です。焼く時にでも行ってみたい気はあるのですが、いつも終わった時に気づくのでダメですね。もうそろそろお天気もカラっとなってほしいけど、相変わらずもやっとですね。それと県境の表示も麓だと凝っているのですね。
と思いましたがお住まいから隣接しているわけでもないので馴染みもないのですね。
たしか雷電神社からのハイキングマップもあったと記憶していたので
そのコースで歩かれたのかと思いましたが、車移動だったのですね。
まぁ、行かれたポイントはそんな感じかと思います。
どこも子供が小さかった時には遊んだところです。
揚舟もこれが始まった頃は無料でした。
昼間の遊水地は暑いですけど夕涼みにはいい場所ですよ。
休日にはウインドサーフィンもたくさんいますし、レンタル自転車などもあるのでのんびりできます。
最近は、平地では珍しい3県境を観光資源として注目してるみたいですね。
土手脇の通称ダンプ街道を三国橋から藤岡町まで通れば、何度も県境を通過することになるのも面白いです。
レポを読んでいて、行人沼なんて懐かしい名前も久しぶりに聞けて楽しめました(^^)
他に貝塚なんかもありますね。
恥ずかしながら、渡良瀬遊水池は初めてでした。存在はずっと知ってはいたのですが、わざわざ行くまでもないところだろうという思いと、貯水調整施設の脇を車で通った際、遊水池をチラ見して、こんなものかと思ったことがあったからです。
そういえば、アシだかヨシを焼くという行事がありましたね。こうして、渡良瀬遊水池に行ってみると、それもまた見たくもなりました。
自転車で周回、気持ち良いでしょうね。これもまたやってみたいですね。歩きもいいでしょうが、これだと、一時間も歩いて飽きてしまいそうですよ。
あの三県境ですが、標識は個人でやったものかと思うのですが、どうも栃木県側の方が作成したのかと思ってしまいました。そんな視点を感じました。基準点のような石標は藤岡町ではなく栃木市表示になっていましたから、最近のものでしょうね。
さすがにでんさんですね。板倉町には精通していらっしゃる。隣町ですからね。
行くにあたって、役場発行のマップを見たのですが、板倉東洋大前駅にレンタサイクルセンターというのがあって、何で、こんなところにレンタサイクル屋があるのか、利用する人がいるのだろうなと不思議に思ったものです。
今回、いくつかのスポットを回って、その意味もわかりましたよ。意外に見どころのある町ですね。この時期、歩くのはやっかいでも、自転車なら、あちこちに回って行けますものね。今度行く時は、歩きか自転車利用にしてみます。
遊水池はボートは見ましたけど、ウインドサーフィンも可能なのですか。遊泳禁止になっていましたけどね。確かに、風がある時は、広々としていて楽しめるでしょう。海と違って、沖に流されることもないでしょうし。
車を運転していて、何とか横穴墓群とかの標識が目に入り、ちょっと気になっていたのですが、貝塚を含めて、古代の遺跡もありですか。自分には、そちらの方が楽しめそうです。
土手脇の車道はダンプ街道ですか。納得ですね。やたらと大型の車両が多く、遊水池から出る際、ちょうどカーブになって見通しが悪く、すぐにダンプが出て来るのでやっかいでしたよ。
そういえば、遊水池の駐車場に入る前に置かれた左右に立てられた鉄柱。かなりこすられていましたね。あれは、こすった後に、もう行く気がしなくなり、先でUターンして帰ろうと、出る時にまたこすってしまったといったパターンが続くのでしょうか。おかしくなりましたよ。
さっそく行かれましたか!
取り敢えず、彫り物に御満足頂き、ホットしております。雷電神社は「郷社」となっておりましたが、この規模であの彫り物はかなりのものだと思いました。往時はもっと賑やかな風景だったのではないかと想像しております。目が悪くて高い所は良く見えませんでした。葵の御紋は実は確認できておりませんでした。格子の隙間から低い所だけ見て満足しておりました。
渡良瀬遊水地は、広大ですねぇ~。遊水地の先にも湿地が広がっておりました。木陰が無いので、夏の時分はやめておいて正解だと思います。
おかげさまで良いものをご紹介いただき、満足して帰ってきましたよ。
葵の御紋、ご確認できませんでしたか。記事の文章からして、実際は見られなかったのかなと思ったのですが、やはりでしたか。アップの部分を写真で追加しておきましたのでご確認ください。葵の御紋、私の場合、水戸黄門で見慣れておりましたので、すぐに確認はできましたよ。
渡良瀬遊水池も、ぶなじろうさんはお詳しいようですね。先には湿地帯ですか。地図の上では北の栃木県側なのでしょうかね。
涼しくなったら、また改めて行きたいと思っております。
神社とかの史跡の類は全く知りませんでしたが田舎の割にと言うと失礼ですが彩り鮮やかで地味ではないですね。三県境も手作り感あふれてますが名所的な空気がします。以前テレビで見たような記憶もあります。近くの茨城・埼玉・栃木の三県境は川の中だから話題にもならないんでしょうね。
渡良瀬遊水池、去年の夏後輩達とポケモンGOをしに徘徊した時は同類の方々が結構いましたが一年経って静けさを取り戻しましたかね。
谷中湖の周辺はなんとなく歩いたのでいずれ東の湿地帯の方をぶらつきたいと思ってましたが地味尾根の方が魅力的なので結局一度も行かないままです。
やはりそうでしたか。渡良瀬遊水池に至る標識を見ながら、ふみふみぃさんは、あのダンプ街道を通って、足尾に行かれているんだろうなと思いましたよ。それまでは単純に50号経由と思っていましたけど。
こんなところを歩くのも、天気がぱっとせず、時間を持て余している時に限定されるでしょうが、やはり、この時期のほっつき歩きは厳しいですね。町の中を汗だくで歩くよりも、地味尾根を歩いて汗かいていた方が、精神的にも満足感はあるかもしれません。
ポケモンGOの記事は記憶にありますが、渡良瀬遊水池だったかなと思ったりしましたが、やはりそうでしたか。流行りも過ぎたのか、そんな感じの方々は見かけませんでしたね。夏休み中とはいえ、平日だったためか、ガランとしていて、部活関係の高校生とチャリのオバチャンをちらりと見かけただけでした。
雷電神社の彫りモノもさることながら,聖徳太子の飛翔伝説は興味深いですネ。後で,調べることといたしますヨ。
それにしても,渡良瀬遊水池がお初とは,意外でしたネ。
そりゃ~,村を一つ廃村にして,遊水池にしたのですから,広大ですヨ(笑)。
ちなみに,此処を最初に歩いたのは,「お化け沼」と呼ばれていた頃だよなぁ~と調べてみたら,周囲がコンクリート化されて一般公開になったのが,1991年だったようで,どうやら公開直後に歩いたみたいです。どうやら,公開した時から「谷中湖」になったみたいですが。
ところで,今回は行かなかったようですが,橋を渡った対岸には,鉱毒で犠牲になった旧谷中村の史跡が残ってますヨ(まぁ,大したモノは無かったかと・・・)。
板倉町も、それなりの趣味なり興味があれば別ですが、わざわざといった感は無きにしもあらずで、ぶなじろうさん同様に神社の彫り物だけはお薦めいたしますよ。
渡良瀬遊水池のことは名前しか知らずのようなものでしたが、調べると、第一、第二、第三貯水池があって、いわゆる谷中湖は第一の中にあり、谷中湖以外は増水時のみの貯水のようですね。だとすれば、私は谷中湖の一角しか見歩きしていませんが、視界に入ったのが谷中湖以外のものまでも含まれていたとしたら、渡良瀬川の水量がかなり多いということになるのでしょうか。庚申川の水量を見ていただけに、さもありなんといった感はありますけどね。
谷中村の史跡ですか。資料館といったようなものなのでしょうかね。そういうのはあまり得意な分野ではないですわ。加害者の意識といったものがちょっとばかりあるものですから、行くのは苦手といったところです。