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◎2009年11月26日(木)―1人
15日に訪ねた三十六童子が無性に気にかかる。先日は岸壁を巻いて下り、その岸壁が後になってから三十六童子の宝庫だったのかと悔やんだが、他のレポートにある写真をよく確認すると、自分が出会った岸壁とはただの岩場であって、宝庫たる岸壁ではなかった。つまり、本来の岸壁には出くわさないままで下山していたわけだ。あまり執拗に三十六童子にこだわるつもりもないが、その岸壁が気になって仕方がない。都合良く、家庭事情で代休をとり、用事もさっさと済ませたので出かけてみた。
今日の格好は極めてラフ。岩登りを想定したため、ズボンはユニクロの普段履き。靴も地下足袋。重装備では無理があるだろう。ただ、熊だけは気になって、もう5年前に仕入れて熊撃退スプレーを持参した。よく見ると、使用期限も昨年の11月までの物。使えるかどうかはしらないが、これだけでも気分が違う。それにしても、スプレーは期限切れ。どこかで、どんなものか、使ってみないといけないな。通勤電車の中でやったら、大変なことになるだろうな。
前回と同じ、林道分岐手前に車を置く。今日は三峰山から金沢峠にぬけ、そこから林道に下りる予定。鏡岩というのを見たい。余裕があれば、大形山往復をオプションで入れる予定。9時半出発。林道終点の三峰山登山口に着いて、早速、地下足袋を後悔した。ぬかるんでいる。ズボンの裾は泥んこ。しかたない。湿地はこの辺りだけだろうからと我慢して先に進む。9時49分分岐。前回はここを通り過ぎてしまった。目印に石が積まれている。この石積は、36童子を知るきっかけを作ってくれたHPを開いているhitosさんのものであろう。見上げたもので、今年、3回も36童子を訪問されている。最近のレポートに、石積のことが記されていた。オレは、言うなれば、このhitosさんの後追いというわけだ。
(例の岸壁)
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(八大童子の一つ)
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杉林の中を直進し、岸壁に出たのが9時59分。なるほどすごい岩場だ。水が滝状に流れている。ここが童子の宝庫か。早速、下から上を観察する。しかし、上を見るまでもなく、下に石塔が転がっている。今日は、ネットで調べた36童子リストを持参した。リストを出し、刻まれた文字を追いながらチェックを入れる。5つの石塔を確認した。すべて8大童子リストにある。つまり、ここは8大童子の集まりの場で、大峰山下は36童子の領域ということか。崖の中腹に上がってみる。意外に、ゴム底の地下足袋の威力はないことを体感した。ズルズルと滑る。そこには石仏と石塔。仏教に造詣は浅いから、自分の場合、ここでは何でも不動明王になってしまう。
(上にあった不動明王?)
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(岩の間にも石仏)
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危なっかしく一旦下りて、岸壁の上に向かう。岩の隙間にまた石仏が祀られていた。もうないだろう。多人数で探せば、8大童子の残りの3つも探せただろうか。脇を巻いて、岸壁の上に行く。3つの石祠。一つに寛政の年号が刻まれていた。210年前か。先日、36童子に刻まれた安政年間を確認していたが、その間、約50~60年。8大童子信仰がやがて36童子に及んだということだろうか。実証も何もない。素人の解釈だ。崖下から上まで、30分ほど時間を費やした。
(崖上の石祠)
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3石祠を後にし、このまま36童子ルートを辿るつもりでいたが、誤って正面の急登を直進してしまい、尾根に出てしまった。赤いペンキが目立つ尾根で、登山道だろう。本当は直進ではなく右・南方向に行き、沢を渡って行くのが正解だったが、この時点では分からなかった。下り時に気付いたが、沢の向こうに朽ちかけた「三峰登山道」があった。あの薄暗い林の中では、見失っても仕方がない。吾妻山・鳴神山ルートに出て東に三峰山に向かう。石仏ルートも下から辿るのが本来なのだろうが、また、上からになってしまった。三峰山11時7分。道を間違えたから、金沢峠も大形山オプションもキャンセルになってしまった。
(巡礼仕上げの不動王明?)
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(転がっていた頭部を乗せて撮影)
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休憩もせずにそのまま下る。先日見落とした不動王明の石仏を見た。逆コースを辿ることになるが、これが終点ということだろう。ここでまたリストを出してチェック。下りに25の石塔、石碑を見つけ、名前が確認できた童子は15、不明が10だった。残り11は見つけられなかった。岩の上の首欠け石仏。後ろに落ちている頭部を乗せて写真を撮った。ちぐはぐな気がしないでもない。やがてさっきの崖に出た。陽がさしていて、葉の黄色がきれいになっている。
(黄色が目立つ紅葉だった)
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(橋の先にあった道標)
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三本杉の石祠11時54分。まだぬかるんでいる。林道に出て歩いていると、この間も気付いてはいたが、左にある苔の付いた橋を渡ってみる。そこには古い道標があった。「左 石尊宮 御嶽山」だろうか。古道が続いているような気がするが、36童子巡りも、しばらくはもういいだろう。今日も楽しみしていた烏天狗の石仏に出会うことがなかった。hitosさんのHPのGPS図では、岸壁よりも南側にあるようだ。岸壁上から36童子に向かう途中にあったのだろうか。これだけが心残りだ。しかし、烏天狗、三笠山大神なんて、よく見つけられものだなあ。しかも、石仏の名前までしっかりと知っておられる。改めて感心する。12時15分、駐車地に到着。熊撃退スプレーは今日も使わなかった。
15日に訪ねた三十六童子が無性に気にかかる。先日は岸壁を巻いて下り、その岸壁が後になってから三十六童子の宝庫だったのかと悔やんだが、他のレポートにある写真をよく確認すると、自分が出会った岸壁とはただの岩場であって、宝庫たる岸壁ではなかった。つまり、本来の岸壁には出くわさないままで下山していたわけだ。あまり執拗に三十六童子にこだわるつもりもないが、その岸壁が気になって仕方がない。都合良く、家庭事情で代休をとり、用事もさっさと済ませたので出かけてみた。
今日の格好は極めてラフ。岩登りを想定したため、ズボンはユニクロの普段履き。靴も地下足袋。重装備では無理があるだろう。ただ、熊だけは気になって、もう5年前に仕入れて熊撃退スプレーを持参した。よく見ると、使用期限も昨年の11月までの物。使えるかどうかはしらないが、これだけでも気分が違う。それにしても、スプレーは期限切れ。どこかで、どんなものか、使ってみないといけないな。通勤電車の中でやったら、大変なことになるだろうな。
前回と同じ、林道分岐手前に車を置く。今日は三峰山から金沢峠にぬけ、そこから林道に下りる予定。鏡岩というのを見たい。余裕があれば、大形山往復をオプションで入れる予定。9時半出発。林道終点の三峰山登山口に着いて、早速、地下足袋を後悔した。ぬかるんでいる。ズボンの裾は泥んこ。しかたない。湿地はこの辺りだけだろうからと我慢して先に進む。9時49分分岐。前回はここを通り過ぎてしまった。目印に石が積まれている。この石積は、36童子を知るきっかけを作ってくれたHPを開いているhitosさんのものであろう。見上げたもので、今年、3回も36童子を訪問されている。最近のレポートに、石積のことが記されていた。オレは、言うなれば、このhitosさんの後追いというわけだ。
(例の岸壁)
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(八大童子の一つ)
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杉林の中を直進し、岸壁に出たのが9時59分。なるほどすごい岩場だ。水が滝状に流れている。ここが童子の宝庫か。早速、下から上を観察する。しかし、上を見るまでもなく、下に石塔が転がっている。今日は、ネットで調べた36童子リストを持参した。リストを出し、刻まれた文字を追いながらチェックを入れる。5つの石塔を確認した。すべて8大童子リストにある。つまり、ここは8大童子の集まりの場で、大峰山下は36童子の領域ということか。崖の中腹に上がってみる。意外に、ゴム底の地下足袋の威力はないことを体感した。ズルズルと滑る。そこには石仏と石塔。仏教に造詣は浅いから、自分の場合、ここでは何でも不動明王になってしまう。
(上にあった不動明王?)
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(岩の間にも石仏)
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危なっかしく一旦下りて、岸壁の上に向かう。岩の隙間にまた石仏が祀られていた。もうないだろう。多人数で探せば、8大童子の残りの3つも探せただろうか。脇を巻いて、岸壁の上に行く。3つの石祠。一つに寛政の年号が刻まれていた。210年前か。先日、36童子に刻まれた安政年間を確認していたが、その間、約50~60年。8大童子信仰がやがて36童子に及んだということだろうか。実証も何もない。素人の解釈だ。崖下から上まで、30分ほど時間を費やした。
(崖上の石祠)
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3石祠を後にし、このまま36童子ルートを辿るつもりでいたが、誤って正面の急登を直進してしまい、尾根に出てしまった。赤いペンキが目立つ尾根で、登山道だろう。本当は直進ではなく右・南方向に行き、沢を渡って行くのが正解だったが、この時点では分からなかった。下り時に気付いたが、沢の向こうに朽ちかけた「三峰登山道」があった。あの薄暗い林の中では、見失っても仕方がない。吾妻山・鳴神山ルートに出て東に三峰山に向かう。石仏ルートも下から辿るのが本来なのだろうが、また、上からになってしまった。三峰山11時7分。道を間違えたから、金沢峠も大形山オプションもキャンセルになってしまった。
(巡礼仕上げの不動王明?)
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(転がっていた頭部を乗せて撮影)
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(黄色が目立つ紅葉だった)
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三本杉の石祠11時54分。まだぬかるんでいる。林道に出て歩いていると、この間も気付いてはいたが、左にある苔の付いた橋を渡ってみる。そこには古い道標があった。「左 石尊宮 御嶽山」だろうか。古道が続いているような気がするが、36童子巡りも、しばらくはもういいだろう。今日も楽しみしていた烏天狗の石仏に出会うことがなかった。hitosさんのHPのGPS図では、岸壁よりも南側にあるようだ。岸壁上から36童子に向かう途中にあったのだろうか。これだけが心残りだ。しかし、烏天狗、三笠山大神なんて、よく見つけられものだなあ。しかも、石仏の名前までしっかりと知っておられる。改めて感心する。12時15分、駐車地に到着。熊撃退スプレーは今日も使わなかった。
ちなみに、崖の上には丸腰でよじ登りました。ロープワークなんぞ知りませんから、本当に空身です。地下足袋の効果というものはあまり感じませんでしたね。上りも下りもズルズルと滑って往生しました。違いは、地べたへの感触ですかね。足でじかに歩いているといった感じが好きですから、たまに登山靴ではなく地下足袋で歩きます。笑われるかもしれませんが、凍りついた林道なんかは、スパイク付きのゴム長が最高ですよ。一度、お試しください。
修験道の霊山ですか。根本山の周辺にも、修験道とはいえないまでも、江戸期の石碑がかなりありますよね。それぞれ、てんでバラバラな信仰だったのでしょうか。結びつくところはなかったのか、すごく気になるところです。
ハイトスさんのHPは毎週拝見させていただいております。読みながら、勝手に後追いもしております。これからもよろしくマメにお歩きください。
三十六童子の探索、お疲れさまでした。
私も気になると放って置けなくなってということが時たまあります。
崖の上の不動明王は良く撮影されましたね。
大変鮮明に綺麗に撮れているので驚きました。
私もあの崖を登ってみたのですが、登りよりも降りる時にちょっとでも足を滑らしたらと考えると不安になり、結局ロープを使って降りました。
たそがれオヤジさんは丸腰でお不動さんまでのぼったのですか?
地下足袋はやはりしっくりとして岩場は登りやすそうですね。でも滑ったとか。
今回調査された内容ですが、「やまの町桐生」というサイトにまとめが有ります。
http://akanekopn.web.fc2.com/syasinkan2.html
今回童子の文字が判明した数はたそがれオヤジさんの方が多いように思います。
八大童子の方は7つまで現場で確認できましたが1つだけ不明のままです。
烏天狗と三笠山大神(八海山大神)は少しわかりにくい場所にあります。
やまの町桐生のまとめの末端の概念図の方がわかりやすいかもしれません。
この場所は江戸時代の文化、文政年代から幕末にかけて盛んだった修験道の霊山だったそうです。
ちなみに私も宗教心からの興味ではなくて遺跡としての興味からですので詳しくはよくわかりませんが。
長々とどうもすみません。