たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

引き続き桐生・梅田の山へ。あと一回で取りあえずは終了か。今回通過した山は高芝山と持丸山。

2018年01月01日 | 桐生市周辺の山
◎2017年12月30日(土)

駐車地(7:52)……西の作業道に入る(7:57)……前回の峠(8:32)……高芝山560m(9:01)……△651.5m(9:38)……722m標高点・持丸山(10:15~10:21)……林道(10:43)……大茂・車道(11:08)……寄日峠(11:38)……地図上北三叉路(12:09~12:21)……石祠(12:28)……地図上南三叉路(12:48)……石仏群(13:01)……忍山車道(13:22)……駐車地(13:40)

 先日24日の引き続きの歩きをした。前回戻った碁場小路と市畑を結ぶ東西の破線ラインのさらに北側に行ってみた。一回で座間峠の方まで行くのは自分には無理なので、どうしても小分けになってしまう。今日のところは大茂と鍋足を結ぶ破線路までだ。そして、次は本命の白萩山(岳山)をかけての周回、ついでに余裕次第で座間峠寄りと思っている。結果的に通しの歩きになればそれでいい。
 歩き方もそれなりに工夫はしているつもりだ。前回もそうだった。帰路の長い車道下りの歩きでは面白くもないし、できるだけ下った車道からまた登り返しで手ごろなところから尾根に乗り、下るようにしている。そして今日は、ハイトスさんレポで知った石仏群を見ての下りにすれば、車道歩きも短時間で済むだろう。
 ここのところ梅田詣でが続いている。根本沢歩きを加えると4回連続になる。ぶなじろうさんの昨日の記事を拝見し、富士山を間近に見に行きたいなと思ったりもしたが、目先の岳山・残馬山周回をしてしまうまではお預けということにしておこう。そもそも、富士山を眺めながらのからっとした歩きは自分にはどうも似合わない感じもする。今回もただの尾根歩きに過ぎないが、この時期の地味尾根歩きもまたハンターに注意をすればなかなか格別に気持ちの良い歩きになる。

 つなぎにこだわれば、先日下った市畑からの破線ルート登りになるが、これをやれば、気が変わって、だったら反対側の鳴神山に行っちゃうかとことにもなりかねない。それでは先々のことを考えれば意味もなく、敢えて東側の碁場小路から入るルートにした。そうすれば、下ってからの忍川左岸の尾根の歩きも可能になるだろう。

(車道を戻り、右に入って行く)


 破線路先の路肩に車を置いて、車道を一旦南下する。そして右折。破線路ながらも途中までは舗装林道になっている。もはや現役使用ではなく、やがて未舗装になり、作業道レベルになった。こうなると、道幅はあっても荒れてくるし、車の往来は無理だ。

(分岐は右)


(墓石だろう)


(石垣と墓地)



 作業道の分岐がいくつか出てくるが、メインの作業道は太くてわかりやすい。途中、右側に尾根末端が出てきたが、これを登ればショートカットになるだろうことはわかっていても、ひたすらに作業道を登る。どうしてもつなぎ歩きをしたい。右に文政年間の墓石を見たりする。かつては、ここにも集落があったのだろう。

(峠が見えてくる)


(峠に出る)


(フェンスの内側を行く)


 上に見覚えのある峠が見えてきた。先日、反対側に下ったところだ。作業道は巻いているが、ここは斜面を直登して峠に出た。なまじヤブならいいが、半端な刈払いをしている斜面で、切られた枝は太く、登りづらく、ここでストックを出した。ここからが今日の歩きになる。先日はフェンスの外側だったが、今回は内側になっていて、フェンスは右の尾根筋に下っている。ちょっと先に行くと人が通れるくらいのフェンスの破れがあり、ここからフェンスの外側に出た。ここでまた菱の方から銃声が聞こえた。続けざまに5発。あちらは本当に物騒だ。

(歩きやすい尾根)


(高芝山)


(桐生市基準点)


 まだ伐採地の延長だが、岩場になりかけ、細尾根になったりしたが、すぐにおとなしい尾根になった。広葉樹のなだらかな尾根。気持ちの良い感じの尾根が続いている。ちょっとしたピークに出ると、桐生市基準点NO.123が置かれていた。これは後であにねこさんの記事で知ったが、高芝山という山らしい。
 ここの尾根、先日の歩きまででは変化のない超地味な尾根といった印象が強かったが、ここは尾根型もしっかりし、雑木に囲まれ、さほどに起伏もなく、むしろのんびりと歩いて行ける。この先も、地形図を見る限りは急なところもなく、強いて要注意といえば、722m標高点の先から尾根外れで北東に下るところだろうか。尾根通しに行ってしまったら鍋足に下ってしまう。

(明瞭な踏み跡があったりする)


(左手前方に鳴神山)


(良い気分で歩ける)


 特徴のない尾根歩きが続く。傾斜は依然緩やかで雑木に囲まれている。左手には鳴神山が見えている。ここからではとにかく目立つ三角峰だ。すっきりした展望を期待したが、最後まで、どうしても樹の枝が邪魔をしてくれることになる。坦々とした尾根を緩やかに登って行く。この辺から、樹に塗った赤ペンキが目立つようになる。右斜面の植林帯にはそれがなく、ただの登山道のマーカーだろうか。どこから出てきたのか気づかなかったが、ところどころに明瞭な道が現れては消える。

(三角点で)


 651.4m三角点着。山名板はない。名無しのピークのようだ。RKさんの標識が三角点表示の杭とともに倒れていたので立て直すが、土の下は凍っていて、少しだけ差し込んで、周囲を石で囲んだ。冷たい風が吹きつけている。数日持つかどうか。ここで菓子パンを食べて小休止。いつもなら、この辺で一服となるが、今日もまた、前回同様にタバコの持参はない。結局、タバコはやめたということではない。薬の服用が終わった翌日からタバコは再開した。ただ、紙巻きタバコはやめて、アイコス、グロー一辺倒になってしまった。たまに、以前からたまに吸っていたパイプタバコや手巻きタバコも吸う。だからといって、山に持っていってまでといった状態ではなくなってしまった。5日間の禁煙の効果といったものか。それなりの進歩だろう。

(左手に伐採地。その上を歩く形になるのかと思っていた)


(持丸山山頂)


(残馬山)


 なおも左手に鳴神山を眺めながら陽あたりの悪そうな尾根を進む、樹々の葉はすっかり落ちている。ところどころで岩が混じる。歩行に差支えはない。
 正面に高いピークが見えて来る。あれが722m標高点ピークだろう。少し下って植林尾根を歩いて行くと、左手に伐採地が見えてくる。あそこからなら、さえぎるものがなく鳴神山を望めるかなと期待したが、伐採地に近寄ることはなく、遠巻きでやや急なところを登り詰めると722m標高点・持丸山に到着。
 ここもまた何もないピーク。小広くなっているだけのところ。あにねこさんのレポには、木立越しに残馬山が見えるだけとあったが、北東に見える山が1107m三角点峰の残馬山か。あそこには何度か行ったことがあるが、次回は岳山から残馬山まで行って、南下する予定でいる。多少、雪が付いているようだ。

(尾根伝いだと左に向かうが)


(ここは直進して下る)


 さて、ここから尾根伝いに西に行くと、前述のように鍋足に出てしまう。ここは北側に下らないといけない。その分岐が心配だったが、意外に迷うこともなく下りの小尾根に乗れた。すぐに右側から作業道が入り込んだ。この作業道を下れば楽だろうが、敢えてそのまま尾根を下った。

(作業道が並行する)


(このまま下って行っていいのかと迷うが)


(林道に出た)


 雪が付き、地面は凍っていて、少し急斜面。靴にチェーススパイクでも巻こうと思ったが、そのまま行けそうだったので、注意しながら下る。その間に作業道とまた出会う。
 尾根型が消え、植林に入り込む。不安になったが、下には林道が見えている。適当に下って行くと林道に出た。林道は舗装道になっている。

(地図通りだと、破線路はここを突っ切って下ることになる)


(下って行くと沢が見えてきた)


 ここで地図が読めなくなった。沢型の地形を下り、大茂に出られるわけだが、周辺は大規模な工事がされていて、真っ平に造成されている。何かの施設でもつくるのか。林道伝いに下れば大茂に至るのは明らかなようだが、それではおもしろくもない。コンパスを大茂に合わせて造成地を突っ切ってみた。
 ダムのような段差が続く斜面を下って行くと、沢状になった。これを行けばいいのだろう。

(沢から振り返る。砂防ダムなのか。意味のあるダムとは思えない)


(トタン板があちこちに散乱している)


(車道に出る)


(道脇の庚申塔と石仏)


 沢沿いには錆びたトタン板が散乱し、石垣もところどころにある。そして踏み跡が続く。間伐もあって、歩き心地は悪い。やがて人家が左に見え、車道に降り立った。
 当初、ここから少し南下して、小尾根を東に破線路まで登り上げるつもりでいたが、庚申塔と石仏のあるところまで行って、川向こうの斜面を眺めたが、どうも足場が悪そうで、引き返して、北側の破線路を辿ることにする。

(ここを右に登って行く)


(作業道は左にカーブするが、ここは直進して、あの鞍部を目指す)


 破線路は沢伝いになっていた。車道から離れた破線路はしっかりした作業道になっていて、これを使えばあっさり行けそうだ。杉の葉に覆われてはいるが、下はコンクリートの道になっている。
 下ってからの登り返しだ。さすがに息切れが続く。何度も休みながら行くと、破線路は左にカーブするようになる。その先は未舗装だ。ここは、そちらに行かず、沢沿いをそのまま登ってみる。上には尾根が見え、行き着くところは鞍部のようになっている。

(寄日峠だったらしい)


(尾根に乗る)


(さっきまで歩いていた方面)


 ヤブやら滑りで多少手こずって鞍部に出る。この時点では知らなかったが、ここが寄日峠のちょっと上だったらしい。ちょっと北に下れば石祠があったようだが、そんなことを知ったのは後のこと。次回、しっかりと確認することにしよう。
 この周辺、破線路が入り乱れているが、寄日峠からは南に向かう破線路を使う。登って行くと、右手に、さっきまで歩いていた持丸山の尾根が見える。天気はこれまでよりもどんよりとし、吹く風も冷たくなってきた。余計なこときせずにさっさと済ませて帰りたくなってきた。

(右手に迂回路がある)


(ここで休憩。ここは三叉路になっているはずだが、わからなかった)


 ここの破線路、起伏のある尾根伝いだ。明瞭ではないが、遠目で見れば踏み跡もしっかり見え、わざわざ小ピークを越えずとも、脇道を歩けるように付いている。
 破線三叉路のあたりらしいところに出た。ここで、一休み。カップラーメンに湯を注ぐ。熱いラーメンを期待したが、ポットの湯は大分ぬるくなっていて、まずいラーメンになってしまった。ここは風が吹き抜け長居は不要。
 ここからが少しばかり往生した。踏み跡に合わせて下ったつもりだったが、途中で踏み跡は消え、小尾根に乗ってしまった。コンパスの指す方向は左だが、そちら側は急斜面でとてもじゃないが下れそうにはない。このままこの尾根を下り、左が緩やかになったところでそちらに下るかと思案する。尾根をそのまま下ったのでは、唐松石仏群の北側を通過してしまう可能性がある。

(石祠。造りは立派だ)


 ふと、振り返って見上げると、真後ろに石祠があった。こんなところに石祠があるとは、以前、ここを歩かれていたということだろう。石祠の頭には「泉(衆?)頭山」、他に「天保二年」、「●土主村中」と彫られている。

(そろそろ沢に近づいたようだ)


(平らな広場だったのだろう)


 左寄りに下って行くと、植林の沢状になった。茶碗の欠片も見たし、錆びた一斗缶、そしてちょっとした広場。ここにかつて集落があったと言われれば、うなずけもする雰囲気だ。谷間の、陽も入り込まない狭い集落だったのだろう。

(朽ちた橋の骨組みがあちこちに見かけた)


(下から。ここの二股を右に行けば墓地があったらしい)


 沢筋に下って行く。周囲をキョロキョロ見ながらの下り。石仏群がどこにあるのか特定できていないのだ。沢はかなり荒れているが。不思議に木で組んだ梯子型の橋の残骸がやたらと目立つ。

(石仏群。倒れているのを立てて撮影)


(こんなのや)


(こんなのや)


(こんなのが)


 石仏群を見ないままに踏み跡を下って行き、何気なく右斜面を見上げると、10mほど上に石像物のようなものが見えた。もしかしてあれ? 斜面を這い上がると、これが石仏群だった。
 石仏、石塔が8基ほどあった。倒れている2基は起こして台座に乗せた。読みとれる年号は明和と安永。彫られている文字からして供養塔のようでもあり、戒名があったりもする。かつて、ここは墓地だったのかもしれない。今回の歩きの目的の一つでもあったから、これを見られただけでも満足だ。

(炭焼き跡)


(墓地)


 歩きづらい沢を下って行く。炭焼き跡も墓地も見ることができた。墓石は安永、明治、昭和もある。ハイトスさん記事によると、その手前の沢の分岐奥にも墓地があったらしいが、石仏は見ても、墓地を見てもしょぅがないのでこれはパスした。

(右手に人家が見えてきた)


(渡った橋。車道側から)


 人家が見えてきた。廃屋らしい。周辺は荒れている。そして目の前に忍山川。斜めになった危なげな木橋がかかっているが、重ね木の部分に足を乗せて難なく渡って車道に出た。

(車道歩き)


(温泉神社の鳥居)


 スズを外し、ストックを収納していると、観光客らしいファミリーが歩いて来た。年の瀬にこんなところに来てもなぁ。周囲は廃屋だらけだ。子供たちは楽しそうにしているが。
 駐車地に向かう。右手に鳥居。ここが温泉神社らしかったが、後であにねこさんの記事を読むまでは知らず、素通りしたが、ここに入ってみる価値はあったようだ。これもまた後日の楽しみにしておこう。その先にも鳥居があったが、ここは上がらずともに小さな神社が見えている。

(駐車地に戻る)


 車道歩きはほぼ20分。長くもなく短くもない。ここで陽が出てきたが、細かい雪が舞っている。ここでエンジンを温めながらアイコスを一本吸おうとしたが、寒いせいか、なかなか充電してくれない。こういうことはたびたびある。ようやく吸えたのは梅田の街を過ぎてからだった。
 ここまで歩いて、次回はようやく後半部だ。地図の距離から見て、時間がかかりそうだな。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2018-01-03 11:36:20
瀑泉さん、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もまた、よろしくお願いいたします。
返信、遅れましたこと、お詫びいたします。実は、この続きを昨日2日にやったり、実家に行ったりしていたものですから。
これで、一応のけじめはつけましたよ。3回歩きの始末でしたけどね。あとは、追々、周辺の尾根を歩いてみるつもりでいます。残念ながら、すさまじい強風がずっと続いていて、座間峠には行けなかったのですが。
寄日峠の石祠2基もしっかりと確認してきましたよ。出がけに瀑泉さんのコメントを拝見しましたから、峠の東側というのが頼りになって、樹の裏に隠れてはいましたがあっさりと発見できました。
ついでながら、大茂峠に向かうルート、結果的には、先日の下りルートの逆歩きになってしまいましたが、沢の左側を注意しながら歩いて行くと、確かに分岐道が目に入りました。そこで、少しばかり躊躇しましたが、どうも遠巻きになりそうで、出発間もないことだしと、今回は遠慮しました。あれがトンネル(実線末端部)につながっているのですか。実は、実線に出てから、トンネルを見たくて先に歩いてみたのですが、なかなか出くわさず、時間の無駄になりそうなのでやめた次第です。軌跡を見ると、もう少しだったようです。
唐松石仏群、実はハイトスさん記事には「群」とあったものですから、20体くらいはゴロゴロしているのかなといった期待もあったのですが、あの一角だけでしたね。ちょっとフェイン気味な感はありましたが、見る価値はありましたよ。ただ、あそこだけに行くのはどうかなといったところが正直のところです。古い墓を見る趣味があれば別ですけどね。
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Unknown (瀑泉)
2018-01-02 01:50:43
明けましておめでとうございます。
自分の場合,前回の護国神社からのルートを繋げてということになりますが,色々と参考になりましたヨ。
ちなみに,大茂峠からは地図の破線どおりに下ったようですが,沢を下っている途中,右から沢が合流した辺りで,右岸側に整備された道を見かけませんでした?
というのも,地図の実線の末端が忍山トンネルの入口に当たるのですが,入口手前の南側に沢に降りる作業道が続いていたモノですから。それと,たそがれオヤジさんがご覧になった,並行する作業道は,おそらくこの道に繋がっていると思います。
寄日峠への道,途中で離れて破線どおり沢沿いを進んだところが,たそがれオヤジさんらしいですが,峠の南側に出てしまったみたいで(笑)。
ちなみに,赤城さまの祠は,峠の東側のようですが,破線のある沢の出だしみたいです。まぁ,此方は確認しそこないましたから,正確なことは言えませんケドね。
それにしても,風が強かったし,赤城山に近い分,相当寒かったでしょう。
ちなみに,自分が居た処からは,午後1時前には,野峰や鳴神山も雪曇に覆われ始めたように見えましたが,その後,持ち直したんですかネェ。
唐松石仏群,此方はいずれの機会かなぁ~・・・尾根を末端まで繋ぐ方が先決だから。
ということで,今年もよろしくお願いします。
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