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◎2009年10月10日(土)─I男と
当初の予定では、行者還トンネルから弥山、八経ケ岳を歩くつもりでいたが、大台ケ原からの帰り、どこをどう間違えたのか、国道309号線に入ってしまっていた。後で地元の人に聞くと、これは旧道で、通る車はいないとのこと。旧道という意識はなく、ナビの指示のままで走ったのだが、ガードレールに〈国道309号線〉とシールが随所に貼ってあるし、カーブミラーも明後日を向いているものだから、国道にしてはえらく荒れた道だなと思っていた。台風の影響だけとは思えない。すさんだ道で薄暗い。車1台がようやく通れる道で、関東なら、普通は林道と呼ぶ。行き交う車もなく、気まぐれに出会う対向車は工事用車両。いずれも、運転相手が怪訝な顔をして、運転手のI男の顔を覗き込む。路面はガタガタ。これが延々と続く。実際は、この道路、行者還林道と呼ぶらしい。ちなみに、読み方が「ぎょうじゃかん」だと思っていたら、「ぎょうじゃもどり」だそうな。地名と名前は間違っても失礼にはあたらないそうだから、今でも、頭の中では「かん」のまま。乱暴な言い方かもしれないが、こういう道は、バイパスが通った時点でいつまでも国道の名称を残すものではないと思う。前置きが長くなったが、つまり、この途中で通った行者還トンネルの前後が弥山への登山口。このトンネルから宿まで30分はかかったが、I男に、明日の朝、またこれを戻ってトンネルまで行ってよと言うのは酷な話。それでなくとも、大台ケ原でバッジをゲットできず、犬のフンを目の前でされたI男は気分も晴れず、さらに、変な酷道を走らされている。運転がやさしい大峰山系の別な山を探すしかあるまい。どうしようか、宿に着くまで山地図を見ながら迷っていた。
山を決められぬままに宿に着き、廊下に貼られていたポスターを見たら「大峰山寺」。近場の霊場かと思っていたら、天川村には、山上ケ岳という、別名・大峰山があるらしい。片道2時間半。寺はその山頂にある。宿の奥さん、つまりテレビでは「女将」という表現を使うらしいが、嫌な、ぞくぞくする言葉。まっ、その奥さんからのアドバイスもあり、山上ケ岳に行くことにした。往復4~5時間は、天川村の日本百水と鍾乳洞をまわる予定のK女のことを考慮に入れれば、午後から共同行動をとるには、手ごろな歩程タイムかもしれない。女将のお薦めに乗ることにした。後で、I男に地元の観光マップをもらって来いよと言ったら、なかなか戻ってこない。宿のご主人に、別室に連れていかれ、山上ケ岳へのルートのレクチャーを受けていたそうだ。マップは蛍光ペンでのコース書き込みで「普通」「ハード」に色分けされていたが、翌日、歩きながら改めて聞くと、ほとんど記憶喪失の状態で、レクチャーは役立たず。オレが聞くべきだった。この洞川温泉は、宿の多くが、下界での宿坊のようなものが多く、ここのご主人も修験道に通じているようだ。自ら、山伏もやるんじゃないのかね。ここの土産は陀羅尼助丸で決まり。怪しげな響きが気に入った。村そのものにも、いろんないわれを持つ史跡や名勝が多くある。
昼の弁当をもらい、6時半過ぎに出発。出がけに、ご主人にトランシーバーを渡された。いくら何でもとは思ったが、せっかくの好意で荷物が重くなった。明日の夜は地元の龍泉寺で火渡りの秘祭があるらしい。その準備で、ご主人も何やら忙しそうにしている。明日の夜までいられないのが残念だ。余談ながら、天川村はいわゆる平家の落人伝説の村かと思っていたが、南朝に仕えた人々が拓いた里のようだ。
(女人結界門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/17/80cd4df57241e075accccc6c8b2c01bd.jpg)
登山口に向かう。石碑が左右に続き、妖気が漂っているような風景が続く。木曽御岳に行った時もこんな感じだった。典型的な山岳信仰。タイコを打つ低い連続音も聞こえてくる。ワラ人形を扱っているかのような林の中の社。さながら、坂東眞砂子の世界。道は通行止めになっていた。昨日のように強引突破は出来ない。ガードレールは曲がり、川にはみ出している。電柱もかしいでいる。車が2台駐まっていた。フェンスの隙間から向こう側に抜ける。これが、帰りには、無理矢理にこじ開けたように、大人が楽に通れるような幅になってしまっていた。道には沢水が大量に流れている。10分ほど歩いて大峰大橋。ここから行者道。石鎚山と同様、ここも役小角の修行場。石鎚入口と同じ光景があった。石屋の店先のごてごて。女人結界門。7時25分。この山域には、いくつかの女人禁制の山があるようだ。厳密に守られたりチェックされているとは思えない。下山するまで、20人くらいに出会ったが、皆、男性ではあった。
一気に暗くなる。鬱蒼とした杉林。今日の天気は晴れに近い曇り。たまに陽が入り込む。I男が最初から飛ばす。加減の調整がまだ出来ていない。やはり、すぐに汗をかき始めている。全般的にきついところはない。傾斜はゆるい。嫌になるぐらい杉が続く。一ノ世茶屋跡を過ぎると、橋に土砂と木が引っかかっている。皮がむけた木が何本も沢に転がっている。台風の影響がかなり強かったと見える。一本松茶屋7時52分。ランプがあった。ここにも、皇太子が来たのか。何年前か知らないが、村の民が整備に駆り出されたことだろう。
(お助け水)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/aa/b1ea16569907eb0b6a67fd0e9862e4e0.jpg)
赤石原を過ぎてから、ようやく杉がまばらになってきた。空も明るくなった。こうなったら、気持ちのよい登山道になる。展望も良くなる。遠くに、どこかの集落が見える。お助け水8時20分。一服。ここで物を冷やすなと書いてある。上りでスイカを入れ、下りでピックアップすれば、確かに冷えておいしいだろうな。盗まれたくなかったら、ちょっと下に行けば沢がある。洞辻茶屋8時40分。洞川温泉は「どろかわ」と読むから、ここも「どろつじ」だろう。この先に立派な青銅の像。ここから、石像が目立つようになる。携帯がつながると記されていたが、試してみたらダメだった。どういうきっかけからか忘れたが、ここの茶屋で休んでいる時、幼少の時、I男はボーイスカウトだったそうだ。道理でアウトドア志向なんだ。
(洞辻茶屋の像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/59/92393e02078952b8dc307c2468d8a2dc.jpg)
ダラスケ茶屋は一種の売店コーナー。天川村で見かける宿や店の看板がかかった店が両サイドに並ぶ。ちょっとしたアーケード街。もちろん店は閉まっている。5月に大峰山寺の祭りがあるらしいが、その時はさぞ賑わうだろう。我々が泊っている宿・久保治旅館の出張店舗もあった。販売品目は陀羅尼助丸。岩場が多くなってきた。I男のマーカー付き観光マップを見ると、そろそろ危険コーナーに入る。確かに岩場が多くなってきた。まだ乾ききっていないから、滑らないように注意して歩く。鎖場も出てきたが、あっという間のもので、これといって危険というわけでもない。ガスが巻いてきた。西覗岩9時26分。ガスで下が見えないから、まったく怖くない。行者がロープで結わかれ、西覗岩から上半身を乗り出している観光案内写真があったが、これも一つの行なのだろう。素人が真似ないように、随所に「自己責任」の警告板が置かれている。クレヨンしんちゃんも、自己責任で失敗したのだろうか。さて、さっきから気になっていることがある。石碑の年代を見ていると、ほとんどが、大正、昭和のもの。古くても明治。気付かないだけのことかもしれないが、それ以前のものが見当たらない。ごく最近開かれた霊場とは思えないけど。
(大峰山寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/53/e7c1f12420b68db7c7364a2f40f42b09.jpg)
天気が晴れ、山里の風景になってきた。それもそのはず、大きな宿坊がいくつも建っている。今は無人。山頂の風景ではない。そんなにここは行が盛んなのだろうか。9時40分、大峰山寺に到着。結界門から2時間15分。疲れもせず、ちょっと物足りなさもあるが、ちょうど良いコースだった。お花畑に行ってみた。広い平地は笹が原。春先には花がいっぱいなんだろうな。向こう側に稲村ケ岳。その先の弥山方面は、残念ながら山頂に雲がかかっている。しばらく景色を楽しみながら休んだ。本当は腹も空いたし、弁当を食べたかったのだが、1時前に帰れそうなので、どうせ食べるなら3人で食べようと我慢した。K女も弁当を頼んでいる。代わりに、最近常連になった10秒メシを1個ずつ。反対側から青年がやってきた。前後して2人。30分ほどくつろいで下山。今度はルートを変えて下る。あの岩場を下りに使うのは危ない。これだけ上ったっけ?と思うほど、木の階段をどんどん下る。途中でオニギリを食べているオッサン。これを見て腹の虫がまた鳴り出した。
(西覗岩)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/de/adf029bb77ce6cb4902d2f40f2252148.jpg)
(ここの紅葉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/71/0f31fada3590149adf04f00a5ac6e259.jpg)
上がって来る人が多くなった。西覗岩の手前で上り時ルートに合流。今度は青空で、岩の様子もはっきり見えた。高所恐怖症だから、下を覗きはしなかった。I男はオレ以上に苦手のようだ。岩そのものに近づかない。洞川茶屋でしばらく休む。せっかくのからっとした気分が、杉林でまたマイナス方向に行っている。女人結界門着12時。予定よりも早かった。I男がいきなりダッシュ。スズメバチが目の前をホパリングしていたそうだ。
どこかの講だろうか、小さな神社でお祓いを受けている。その中に外人が5人。明日の秘祭見物か。水子供養の神社のようだが。山岳信仰は基本は神仏混合なのだろう。これは神社、あれは仏閣といった区別が全然つかない。
名水百選のゴロゴロ水はまったく風情がない。正式な水場は沢に下りるのだろうが、道路沿いに看板を上げてゴロゴロ水としているところは、長いパイプを渡していて、何か所にも蛇口がある。車で入るには駐車場代が必要。つまり、沢の水を売っているようなもの。駐車場外に車を置き、いくつものポリタンで水を車に運んでいる5人グループがいた。大阪方面のナンバーで乗り付けるパンチパーマは異様に見えた。
宿にはK女が外回りから戻っていた。弁当を持って、御手洗渓谷の探索に出かけることにした。
当初の予定では、行者還トンネルから弥山、八経ケ岳を歩くつもりでいたが、大台ケ原からの帰り、どこをどう間違えたのか、国道309号線に入ってしまっていた。後で地元の人に聞くと、これは旧道で、通る車はいないとのこと。旧道という意識はなく、ナビの指示のままで走ったのだが、ガードレールに〈国道309号線〉とシールが随所に貼ってあるし、カーブミラーも明後日を向いているものだから、国道にしてはえらく荒れた道だなと思っていた。台風の影響だけとは思えない。すさんだ道で薄暗い。車1台がようやく通れる道で、関東なら、普通は林道と呼ぶ。行き交う車もなく、気まぐれに出会う対向車は工事用車両。いずれも、運転相手が怪訝な顔をして、運転手のI男の顔を覗き込む。路面はガタガタ。これが延々と続く。実際は、この道路、行者還林道と呼ぶらしい。ちなみに、読み方が「ぎょうじゃかん」だと思っていたら、「ぎょうじゃもどり」だそうな。地名と名前は間違っても失礼にはあたらないそうだから、今でも、頭の中では「かん」のまま。乱暴な言い方かもしれないが、こういう道は、バイパスが通った時点でいつまでも国道の名称を残すものではないと思う。前置きが長くなったが、つまり、この途中で通った行者還トンネルの前後が弥山への登山口。このトンネルから宿まで30分はかかったが、I男に、明日の朝、またこれを戻ってトンネルまで行ってよと言うのは酷な話。それでなくとも、大台ケ原でバッジをゲットできず、犬のフンを目の前でされたI男は気分も晴れず、さらに、変な酷道を走らされている。運転がやさしい大峰山系の別な山を探すしかあるまい。どうしようか、宿に着くまで山地図を見ながら迷っていた。
山を決められぬままに宿に着き、廊下に貼られていたポスターを見たら「大峰山寺」。近場の霊場かと思っていたら、天川村には、山上ケ岳という、別名・大峰山があるらしい。片道2時間半。寺はその山頂にある。宿の奥さん、つまりテレビでは「女将」という表現を使うらしいが、嫌な、ぞくぞくする言葉。まっ、その奥さんからのアドバイスもあり、山上ケ岳に行くことにした。往復4~5時間は、天川村の日本百水と鍾乳洞をまわる予定のK女のことを考慮に入れれば、午後から共同行動をとるには、手ごろな歩程タイムかもしれない。女将のお薦めに乗ることにした。後で、I男に地元の観光マップをもらって来いよと言ったら、なかなか戻ってこない。宿のご主人に、別室に連れていかれ、山上ケ岳へのルートのレクチャーを受けていたそうだ。マップは蛍光ペンでのコース書き込みで「普通」「ハード」に色分けされていたが、翌日、歩きながら改めて聞くと、ほとんど記憶喪失の状態で、レクチャーは役立たず。オレが聞くべきだった。この洞川温泉は、宿の多くが、下界での宿坊のようなものが多く、ここのご主人も修験道に通じているようだ。自ら、山伏もやるんじゃないのかね。ここの土産は陀羅尼助丸で決まり。怪しげな響きが気に入った。村そのものにも、いろんないわれを持つ史跡や名勝が多くある。
昼の弁当をもらい、6時半過ぎに出発。出がけに、ご主人にトランシーバーを渡された。いくら何でもとは思ったが、せっかくの好意で荷物が重くなった。明日の夜は地元の龍泉寺で火渡りの秘祭があるらしい。その準備で、ご主人も何やら忙しそうにしている。明日の夜までいられないのが残念だ。余談ながら、天川村はいわゆる平家の落人伝説の村かと思っていたが、南朝に仕えた人々が拓いた里のようだ。
(女人結界門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/17/80cd4df57241e075accccc6c8b2c01bd.jpg)
登山口に向かう。石碑が左右に続き、妖気が漂っているような風景が続く。木曽御岳に行った時もこんな感じだった。典型的な山岳信仰。タイコを打つ低い連続音も聞こえてくる。ワラ人形を扱っているかのような林の中の社。さながら、坂東眞砂子の世界。道は通行止めになっていた。昨日のように強引突破は出来ない。ガードレールは曲がり、川にはみ出している。電柱もかしいでいる。車が2台駐まっていた。フェンスの隙間から向こう側に抜ける。これが、帰りには、無理矢理にこじ開けたように、大人が楽に通れるような幅になってしまっていた。道には沢水が大量に流れている。10分ほど歩いて大峰大橋。ここから行者道。石鎚山と同様、ここも役小角の修行場。石鎚入口と同じ光景があった。石屋の店先のごてごて。女人結界門。7時25分。この山域には、いくつかの女人禁制の山があるようだ。厳密に守られたりチェックされているとは思えない。下山するまで、20人くらいに出会ったが、皆、男性ではあった。
一気に暗くなる。鬱蒼とした杉林。今日の天気は晴れに近い曇り。たまに陽が入り込む。I男が最初から飛ばす。加減の調整がまだ出来ていない。やはり、すぐに汗をかき始めている。全般的にきついところはない。傾斜はゆるい。嫌になるぐらい杉が続く。一ノ世茶屋跡を過ぎると、橋に土砂と木が引っかかっている。皮がむけた木が何本も沢に転がっている。台風の影響がかなり強かったと見える。一本松茶屋7時52分。ランプがあった。ここにも、皇太子が来たのか。何年前か知らないが、村の民が整備に駆り出されたことだろう。
(お助け水)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/aa/b1ea16569907eb0b6a67fd0e9862e4e0.jpg)
赤石原を過ぎてから、ようやく杉がまばらになってきた。空も明るくなった。こうなったら、気持ちのよい登山道になる。展望も良くなる。遠くに、どこかの集落が見える。お助け水8時20分。一服。ここで物を冷やすなと書いてある。上りでスイカを入れ、下りでピックアップすれば、確かに冷えておいしいだろうな。盗まれたくなかったら、ちょっと下に行けば沢がある。洞辻茶屋8時40分。洞川温泉は「どろかわ」と読むから、ここも「どろつじ」だろう。この先に立派な青銅の像。ここから、石像が目立つようになる。携帯がつながると記されていたが、試してみたらダメだった。どういうきっかけからか忘れたが、ここの茶屋で休んでいる時、幼少の時、I男はボーイスカウトだったそうだ。道理でアウトドア志向なんだ。
(洞辻茶屋の像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/59/92393e02078952b8dc307c2468d8a2dc.jpg)
ダラスケ茶屋は一種の売店コーナー。天川村で見かける宿や店の看板がかかった店が両サイドに並ぶ。ちょっとしたアーケード街。もちろん店は閉まっている。5月に大峰山寺の祭りがあるらしいが、その時はさぞ賑わうだろう。我々が泊っている宿・久保治旅館の出張店舗もあった。販売品目は陀羅尼助丸。岩場が多くなってきた。I男のマーカー付き観光マップを見ると、そろそろ危険コーナーに入る。確かに岩場が多くなってきた。まだ乾ききっていないから、滑らないように注意して歩く。鎖場も出てきたが、あっという間のもので、これといって危険というわけでもない。ガスが巻いてきた。西覗岩9時26分。ガスで下が見えないから、まったく怖くない。行者がロープで結わかれ、西覗岩から上半身を乗り出している観光案内写真があったが、これも一つの行なのだろう。素人が真似ないように、随所に「自己責任」の警告板が置かれている。クレヨンしんちゃんも、自己責任で失敗したのだろうか。さて、さっきから気になっていることがある。石碑の年代を見ていると、ほとんどが、大正、昭和のもの。古くても明治。気付かないだけのことかもしれないが、それ以前のものが見当たらない。ごく最近開かれた霊場とは思えないけど。
(大峰山寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/53/e7c1f12420b68db7c7364a2f40f42b09.jpg)
天気が晴れ、山里の風景になってきた。それもそのはず、大きな宿坊がいくつも建っている。今は無人。山頂の風景ではない。そんなにここは行が盛んなのだろうか。9時40分、大峰山寺に到着。結界門から2時間15分。疲れもせず、ちょっと物足りなさもあるが、ちょうど良いコースだった。お花畑に行ってみた。広い平地は笹が原。春先には花がいっぱいなんだろうな。向こう側に稲村ケ岳。その先の弥山方面は、残念ながら山頂に雲がかかっている。しばらく景色を楽しみながら休んだ。本当は腹も空いたし、弁当を食べたかったのだが、1時前に帰れそうなので、どうせ食べるなら3人で食べようと我慢した。K女も弁当を頼んでいる。代わりに、最近常連になった10秒メシを1個ずつ。反対側から青年がやってきた。前後して2人。30分ほどくつろいで下山。今度はルートを変えて下る。あの岩場を下りに使うのは危ない。これだけ上ったっけ?と思うほど、木の階段をどんどん下る。途中でオニギリを食べているオッサン。これを見て腹の虫がまた鳴り出した。
(西覗岩)
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(ここの紅葉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/71/0f31fada3590149adf04f00a5ac6e259.jpg)
上がって来る人が多くなった。西覗岩の手前で上り時ルートに合流。今度は青空で、岩の様子もはっきり見えた。高所恐怖症だから、下を覗きはしなかった。I男はオレ以上に苦手のようだ。岩そのものに近づかない。洞川茶屋でしばらく休む。せっかくのからっとした気分が、杉林でまたマイナス方向に行っている。女人結界門着12時。予定よりも早かった。I男がいきなりダッシュ。スズメバチが目の前をホパリングしていたそうだ。
どこかの講だろうか、小さな神社でお祓いを受けている。その中に外人が5人。明日の秘祭見物か。水子供養の神社のようだが。山岳信仰は基本は神仏混合なのだろう。これは神社、あれは仏閣といった区別が全然つかない。
名水百選のゴロゴロ水はまったく風情がない。正式な水場は沢に下りるのだろうが、道路沿いに看板を上げてゴロゴロ水としているところは、長いパイプを渡していて、何か所にも蛇口がある。車で入るには駐車場代が必要。つまり、沢の水を売っているようなもの。駐車場外に車を置き、いくつものポリタンで水を車に運んでいる5人グループがいた。大阪方面のナンバーで乗り付けるパンチパーマは異様に見えた。
宿にはK女が外回りから戻っていた。弁当を持って、御手洗渓谷の探索に出かけることにした。
高いだけあって、紅葉
大遠征ですね。
おいらは、岡山在住時に何を間違えたのか真夏に行ってしまいました。ドロカワから五鬼への縦走へ。余りの暑さでミセンでギブアップし下山しました。途中にあった修行場の小笹宿(無人小屋)など予定外の宿泊を重ねて。寝ていると夜中に修験者がやってきて、なにやら呪文を唱えてる。現代とは思われぬ恐ろしげな山でした。
写真を見る限り、秋に訪れるべき山だったのでしょうね。
前鬼でした。
前鬼の宿坊の連絡先が、「五鬼助」さんでした。五鬼(助)という苗字があまりにもインパクトが強く、誤記してしまいました。