うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

約束だから・・・

2020年06月21日 | 真面目な日記

今日は、一年で

もっとも長い昼を過ごすことになるようだ。

昼間が長いのだから、

少し長い文章をつらつら書くのも

お許しいただきたい。

 

おはようございます。

この季節は、仕事を終えた頃も、外はまだ明るい。

まるで、昼間のような明るさだ。

時計を見て、ようやく仕事が終わる時刻だと気付き、

帰り支度をしていると、

あるドライバーが

「道に白い猫が死んでる」

と伝えに来た。

帰るついでだからと、見に行ってみると、

小ぶりの白い猫が倒れていた。

 

その光景を前に、私は数分間、4年前に遡っていた。

当時、弊社の付近に棲み処を持つ美しい白猫がいた。

「ご飯食べるかい?」

そう声を掛けると、猫は腹が減っている時だけ、返事をした。

私は、その猫をシロと呼んでいたが、本当の名前は知らない。

ただ、シロが生粋の野良猫ではない事は知っていた。

 

私が今の会社に入社した頃、会社の前の道を少したどって行くと、

ラーメン屋が建っていた。

その入り口には、2脚の椅子が置かれていて、

その椅子には、白猫が2匹座っているのが見えた。

微笑ましい光景だった。

私は一度もラーメン屋にランチを食べに行った事は無いが、

道を通る機会がある度、白猫たちを見るのが楽しみだった。

しかし、ある日、ラーメン屋から人が消えた。

入口の椅子は、建物の隅に捨て置かれていた。

白猫たちも、もう椅子には座っていない。

一緒に引っ越して行ったのかと思いきや、そうではなかった。

弊社の付近で白猫を見かけるようになって、すぐに分かった。

白猫たちも、椅子とともに捨て置かれたという事だ。

しばらくすると、2匹居たはずが、1匹になっていた。

それが、シロだ。

 

そして、もうしばらく経った頃、

シロが子猫を連れているのを見かけた。

ついでに、その子猫を、私が保護する羽目になったのだ。

その時の子猫が、我が家のおたまだ。

「こんな事が繰り返されたら、たまったもんじゃない」

そこで、私はシロに餌付けを始めた。

少しづつ馴れてもらってから捕まえて避妊を、と考えていた。

私は、時間を掛けようと思った。

もう二度と、シロを裏切る人間を作りたくなかった。

私は、シロを裏切りたくなかった。

だから慎重に時間を掛け、私を信じて欲しかった。

「シロ、ご飯はね、一生必ずあげるよ。約束だ。

だから、貴方に避妊をしたいと思っているんだ」

私は、シロに会う度、説得を続けた。

 

半年が経った頃、また子猫を連れて歩いていた。

生後3か月は経っている子猫だった。

「これ以上、時間はかけられない」

私は焦った。

「シロ、お前の子を連れて来て。私におくれ」

そう伝えると、シロは次の日、本当に子猫を連れてきた。

あまりにも早い展開に、

私は言ったくせにたじろいだ。

必死に餌に食らいつく子猫を撫ぜてみたが、逃げない。

シロも子猫に触る事を、許しているように見えた。

このまま抱けば、子猫を保護できる。

しかし、私は抱き上げる事ができなかった。

保護をすれば、我が家にまた猫が増える。

やっと、おたまが我が家に馴染んだ頃で、私は躊躇してしまったんだ。

「ごめん、シロ。もう少し待ってて」

 

腹を決めるのに、数日考えた。

よし!っと思った日、子猫だけが少し離れた場所に居た。

おいでと言っても、子猫は来ない。

こちらを見ながら、離れていく。

それにいざなわれるように着いていくと、

いつもの場所で座り込むシロを見つけて近付いて行った。

シロは、ちょうど、出産をしている場面だった。

長毛だったから、妊娠に気付かなかったという訳だ。

驚いたまま、声を掛けた。

「シロ、おめでとう。」

用意した餌の皿をそっと置いて、

「シロ、もう少し経ったら、その子達も保護する。

必ず幸せにする。

だから、もうそれで終わりにしよう。お願いします。」

と伝えて帰った。

 

2週間、シロも子猫達も、まったく姿を見せなかった。

子育てに専念しているのだろうと思っていた。

そんな、ある日の明るい夕方、

帰社したドライバーが

「道に白い猫が死んでる」

と伝えに来た。

取るものとらず走って行ったら、

道にシロが倒れていた。

ウジ虫まみれで、私はシロに触る気概が持てなくて、

しばらく立ち尽くし、死骸を捨て置いてしまった。

あの椅子のように。

会社へ帰ると、他のドライバーが

「駐車場の脇に、子猫が3匹いるんだけど」と。

「それシロの子だわ。探そうと思ってたの」

見てみれば、生後2週間のまだ歩けない子猫だ。

こんな場所まで出て来られるはずなどない。

私は3匹を抱き上げて、そのまま病院へと走った。

保護に躊躇した、あの子猫は姿を消した。

結局、私がシロとの約束で、守れたことは、3匹の子猫の事だけだった。

シロは命を懸けて約束を守った。

終わりにしたんだ。

 

4面前のあの日のように、明るい夕方、

道に死んでいる小ぶりの白猫は、私の知らない猫だった。

けれど、私はシロを思い出さずにはいられず、

シロとの約束を守れなかった事を謝るように、

ウジ虫が湧き始めた死体を抱き上げて、

涼しい草むらに、そっと置いた。

 

我が家の、のん太も、シロの遠縁だろうな?

のん太?

小さな虫を見つけたんか?

 

おい、スタンド倒すなよ?

まあ、君との約束には、スタンド倒すなって入ってないもんな~。

仕方ないか。

 

猫との約束なんて、するもんじゃないな。


一瞬の衝動を信じて・・・

2020年05月04日 | 真面目な日記

私は、愛がどんなもんかなんて、

語るほど言葉を知らないし

分かっちゃいない。

 

おはようございます。

連休一日目なのに、会社から連絡が来た。

また、トラックの荷台で子猫が産まれたそうで、

1匹だけ、昨日から車庫に残ってしまっているという内容だ。

親が迎えに来る気配がないと。

 

突然、身支度を始める私に、我が家の猫達は集まってきた。

あやの頭を撫ぜ、のん太の尻尾を手で滑らせ、

おたまに、「どうしよう?お前、大丈夫か?」と問いかけた。

寝ぼけたような、平和な顔のおたまだ。

実に平和な朝だ。

我が家は、やっと平和になった。

去年はよねが逝き、立て続けに子猫の保護をする中、

一番混乱していたのは、おたまだったろう。

私は、顔つきまで変わって行くおたまに気付きながらも、

放ったらかして、目の前の事を優先させた。

 

午前10時、

車庫へ行ってみれば、生後間もない子猫が新聞紙の上に置かれていた。

目も開いていない子猫だ。

すぐに保護をして哺乳をしなければ、命も危うい状態だろう。

とやかく考える暇などない。

それでも、私は手が出ない。

心に衝動が起こらない。

「いけ、私、いけってば」そう思っても、手が動かない。

小さな子猫に触れない。

私は、いったん子猫から離れて、家に帰った。

なぜか、のん太がやたら甘えて来る。

そこに割って入るように、おたまがすり寄ってきた。

「おたま、お前はどうだ?大丈夫か?」

当然だか、猫は何も教えてはくれない。

白いのを交互に撫ぜていたら、涙が出てきた。

そんな私を見上げる2匹の素っ頓狂な表情に、ハッとした。

 

午後12時過ぎ、

再び、会社の車庫へ行く。

「よし、生きてるな」

生存を確認して、私は携帯電話で電話を掛けた。

「はい、豊田市動物愛護センターです」

電話口の声は、男性職員だった。

私は、子猫の経緯を説明してから、言ってしまった。

「自分が保護をするべきです。まだ覚悟ができません。

出来ないくせに、お願いするつもりは無いんです。

でももう、分からなくなってしまって、すみません。

ただ可能性として、そちらでの保護をしていただくことは出来ますか?」

職員は、穏やかに丁寧に説明をしてくれた。

・まずは、もう少し母猫を待ってみましょう。

・自然淘汰という考え方も、否定するものではないと思います。

ただ、保護がきでなくても見過ごせないというお気持ちがあるなら、

どうぞ連れて来てください。

助けられるかは約束できませんが、こちらで育ててみます。

今はまず、そこから離れて、ひと気のない状態で母猫を待ってみましょう。

私は、それを聞いて、また一旦家へ帰った。

 

午後3時過ぎ、

職員の話を聞いて、続いていた動悸がすっかり収まっていた。

落ち着いた。

なぜか、凄く落ち着いたのだ。

腹が決まった。

「よし、ちっこいの来るかもしれんぞ」

誰に言うでもなく声を発し、

私はタオルと液体ミルクとスポイドを持って、

また、車庫へと出かけて行った。

「取り急ぎミルクを飲ませてやろう。」

しかし、子猫は居なくなっていた。

這って移動したかもしれないと、しばらく探したが、

どこにも姿は見えず、その代わりに成猫が距離を取って

こちらを伺っていた。

 

もう分からない。ここで終了だ。

子猫の行方は、まったく分からなくなった。

 

ここで、申し上げておきたい事があります。

野良猫の子猫を見つけた時、

可哀想だからといって、すぐに動物愛護センターへ

「保護してください」と安易には言わないでください。

きっと、どこのセンターも、ボランティア団体も、

常に保護した動物で精一杯の状態だと思います。

ただ相談をしてみる事で、様々なアドバイスが頂けると思います。

まずは、自分に何ができるかを模索してみてください。

 

こんな事を言っているが、

私にも分からなくなっている。

何を優先させるのか、そんなの分からないんだ。

今回、子猫は母猫が連れて行ったのかもしれない。

じゃあ、それを良かったと言えるのか?

我が家の平和が保てて、良かったのか?

私は保護して育てる事は出来たと思う。

家の構造上、それによって先住猫に精神的負担を掛ける。

それがネックで、保護しようと覚悟する時間が掛かってしまった。

そんな事で、命を何時間も見過ごした。

 

私は衝動を待っていた。

自分の中から突き上げてくる衝動を。

難しい事は抜きにして、

闇雲だろうが無責任だろうが知った事か。

そんな事はどうでもいい。

とにかく、命を助ける。

心全てを、一気に変えてしまう、そんな強い衝動を待っていた。

この衝動が起こらなければ、私は小さな命一つも拾えないんだ。

なんと、無力で弱い人間だろうか。

今回で分かった事は、それだけだ。

 

のん太達を育ててた時も、あった。

もういいじゃん?

この子達が死んだって、私のせいでもないじゃん?

眠れない休めないが10日続いた頃、そんな事を思った。

 

そしたら

のん太があくびするのを見て、

衝動が突き上げた。

 

眠気が吹っ飛んで、自分の細胞全てが活性したくらいの衝動だった。

「カワイイ!!」って、最強だね。

一瞬の衝動が、自分の全てを変える。

私は、それが愛なのではないかと、そう信じている。


約束

2019年11月27日 | 真面目な日記

おじさんのお父さんが亡くなった数日後、

私は、白い子猫を拾った。

 

おはようございます。

49日まで毎週日曜日に、

7日参りのご供養をすることになっていたが、

私は子猫の世話で行けなくなってしまった。

 

その5年後の今月8日、

おじさんのお母さんが亡くなった。

私が初めて会った時には、もうすでに寝たきりで認知症を患い、

人と話すことも、ままならない状態だった。

そんなお母さんに、私はどう自己紹介していいか分からなかった。

施設に入所していたから、介護らしいことなどしていない。

お父さん亡きあと、手続きや支払いなどの事務的な事をしてきただけだから、

当のお母さんは、私を、全く認識できないままだった。

そして、お母さんが亡くなった今も、

やっぱり、我が家には白い子猫が居て、

ご供養も、ドタバタする中で行う事となってしまっている訳だ。

 

私は、今更だが、お嫁さんではない。

おじさんと暮らし始めて、10年ほど経つが、

法律上は、れっきとした独身だ。

私などに、お嫁さんなんて務まらない。

 

それでも、お父さんは亡くなる数日前、私と二人きりの病室で言った。

「息子を、どうか、よろしくお願いいたします」と。

うわごとのように、しかし丁寧に、2回繰り返した。

この言葉が、お父さんが声に出して発した最後の言葉だった。

当時の私は、今も治っていないが、かなり適当な人間だったが、

あの言葉は、とても重くてとても真剣で、痛いほど伝わってくるから、

私は、うろたえたまま、はいっと答えてしまった。

 

そうして、

お父さんが亡くなった直後から、その家族の間では、

おじさんの事だけでなく、妹さんの事やお母さんの事で

様々な問題が起こった。

私は、それらを解決する手助けをせんと、

自分なりに奔走してきたつもりだが、

傍から見たら、迷走状態に見えただろう。

所詮私だ。

出来のいいお嫁さんだったら、もっと良く手伝えたに違いないんだ。

それに加え、私は私で、

大事な時に限って子猫の世話で思うように動けなかったりで、

全く、どうなってんだい?と天を仰いだ。

 

私は今、せめて、小さな骨壺に話しかけている。

今なら、きっと、お母さんに伝わるだろうと、なぜかそう思えるからだ。

そして、お父さんに問いかけている。

私は、貴方との約束を守れているだろうかと。

 

あなた達の息子さんは、

今、こうなっています。

なんと、2本のじゃらしを、器用にさばきこなしている!

こき使い倒されています!主に私に・・・。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。あんま見ないでってね。

そして、ありがとうございます。

 


知っているのは、あなただけ

2019年03月06日 | 真面目な日記

一昨日は、卵を買い忘れた。

「今日は、絶対、卵を買わないとな」

そう思い、家から一番近くにある、

こじんまりしたスーパーに立ち寄った。

 

おはようございます。

昨日は、買い物をするために立ち寄ったが、

普段、このスーパーで買い物をすることは、滅多にない。

最低限の品数しか置いていないからだ。

しかし、その駐車場に停車することは、

私にとっては、日常だった。

買う物もないくせに、駐車するなどと無礼な話だが、

3回に1度は、何かしら買うようにしているから、

それで勘弁して欲しい。

きっと、私のような輩は、少なくはないはずだ。

そうならば、スーパーの売り上げにも貢献していると思いたい。

 

その売り上げに貢献せずにはいられなくなる理由は、

スーパーの片隅に住処を持つ1匹の猫の存在だ。

名前は、ブチだ。

白黒のブチ模様だから、私はそう呼んでいる。

しかし、本当の名前は知らない。

言い方を替えれば、彼は名前を沢山持っているのだと思う。

ある日の夕方は、学校帰りの高校生が、その猫をしばらく膝に乗せて微睡む。

きっと、自分が付けた名前を呼んでいるのだろう。

その翌日には、老婦人が、その猫におやつをあげながら

なにか、内緒のお話しているようだし、

小さな子供にも、猫は静かに背中を撫ぜさせてやっている。

ブチはその都度、きっと違う名前を呼ばれているのだろう。

 

みんな、常連客だ。

スーパーのというより、ブチの常連客。

もちろん、私も、その中の一人だった。

初めてブチと会った時、

ブチはもう成猫で、スーパーの片隅で何年も暮らしていた。

たいそう人懐っこい猫だから、

私は、保護をするべきではないかと考えた。

しかし、すぐやめた。

ころっころに太ってて、

ケガをしたかと思ったら、翌日には薬が塗られているし、

時に、被毛にはブラシの跡があり、

冬になれば、あちこちから毛布や小屋が集まってくる。

誰が何をしたか、誰も知らないまま、

ブチは、いつでもなんでも持っていた。

マフラーだって持っているんだ。

誰が巻いたか知らないが。

だから、名前を一つにしてしまう事は、違う気がした。

 

そして、昨日はブチの姿が見えないようで、

しかし、そんな日も少なくはない。

「今日は、ブチじゃなく、卵に用があるんだよ」

そう思いながらも、ブチの定位置に再びしっかり目をやると、

そこには、花が飾られていた。

他にも、いくつか猫の餌も置かれていたから、

私は、急いで店内に入り、卵を探さず、猫の餌を探した。

やっぱり、猫の餌は置いていない。

まったく、品数の少ないスーパーだなと、ため息をつき、

私は卵は探さず、花を探した。

 

ブチが、どうして死んだのか、

誰がそれを知っているのか、

そして、誰が花を飾っているのかなんて、

そんな事、誰も知らない。

私が花を買って飾った事も、知っているのはブチだけなんだ。

ブチ、さようなら。

ありがとう。


命の重さ・・・

2019年02月08日 | 真面目な日記

あの日の空には、

鳥は1羽も飛ばなかった。

その代わりに、ヘリコプターのプロペラ音が

何層にも重なって響いていた。

鳥も私も、きっとみんな、その音に怯えていた。

 

おはようございます。

その時、私の勤め先の近くにある、

養豚場の豚の殺処分が行われていたのだ。

理由は、豚コレラという病気が見つかったからだそうだ。

6000頭以上の豚が殺処分されると知り、

私は、可哀そうにと、反射的に呟いた。

 

養豚場の前の道には、車もたくさん止まっていた。

大きなアンテナのついた車や、黒塗りの車に、

トラックや、重機もあった。

養豚場の建物に目を移すと、全身白い人間が歩いているのが見えた。

私は、その時も、やっぱり反射的に、可哀そうにと呟いた。

 

そして、

今、私は考えている。

何を可哀そうだと思ったのだろうかと。

しかし、答えは導き出せない。

私は、答えの出せない、矛盾の中で生きている。

 

命の重さに違いはない。

そんな言葉に縋りながら、矛盾の中で生きている。

笑ったり、怒ったり、泣く事もあれど、

いつも生きる希望を求めている。

私を一人生かすために、どれほどの命が消えているのか、

それさえ、数えることも出来ないまま、

自分勝手なわがままを言いながら、生きている。

そんな事を考えると、私は、ごめんなさいとしか呟けないのだ。

 

こんな事でも起こらなければ、すっかり忘れて不感症になる。

空に再び鳥が飛び始めれば、きっと、私は忘れてしまう。

忘れたふりをして、生きていくんだ。

 

ただ、

私は、圧し潰されそうな重さを背負って生きぬく、

それだけは、決して忘れたくない。

 

うんこさん?

君は、いつも本気だな

 

ん?

 

はいはい

 

これな。

重い君も守り抜いて、生き抜くぞ。