我が家は何も変わらない。
おはようございます。
猫砂が当たり前みたいに散らばる床も、
よれたままのマットも、猫の嘔吐物のシミもそのままで、
ただ、撮りためた写真を眺めていると、
何も変わらないこの部屋に、彼らが今、
ここに居ないことが不思議でならない。
今日は、うんこの命日だ。
長いこと、うんこの写真を振り返って見ることさえ出来ずにいた。
見てしまったら、この部屋にうんこがいないことを思い知ってしまう。
私は、それが怖かった。
我が家は何も変わらない、変わらないっと
呪文のように、自分に言い聞かせて過ごしてきたが、
この部屋は、実は大いに変わっていた。
床に散らばる猫砂は、ああ、それは相変わらずだが、
うんこは、もっと大胆に砂を床に掻き出していたし、
よれたマットが敷いてあった床には、違うマットがよれていて、
あちこちに残るシミに、うんこが残した嘔吐のシミは一つもない。
それどころか、うんこが可愛がって育てた、たれ蔵もいないじゃないか。
我が家は、すっかり変わっていた。
うんこもたれ蔵もいないのに、平気な顔して笑っているし、
死んでいった猫らを思い出して、泣いてみたりしながら、
私は、どうしようもなく私のまま、生き続けている。
どうしようもない私のままなくせに、
死んでいった猫らの分、私の胸に眩しい思い出が刻まれていく。
私は、その眩しい思い出の分だけ勇気が湧いて、
いけしゃあしゃあと私のままでも、生きながらえてしまえている。
これは、記事にしたこと、あったっけ?
『掃除機と闘う猫』
うんこらしくて、たれ蔵らしい対決だね。