12日に大斜面のカヤ刈りが完了し、10日ぶりに駐車場へ行ってみたら、端の方はチガヤがまた伸びていました。
チガヤが伸びるのは自然ですが、そこにはまた空き缶が3個転がっていました。
カヤを刈り終わった時、3個拾っていったコーヒーの空き缶を洗って資源ごみの袋に入れたばかりです。
こういうのを、「いたちごっこ」と言うのだなあと思ったのですが、なぜいたちごっこ?
調べたら、子供の遊びで互いに相手の手の甲をつまむことを繰り返す遊びが、延々と手を重ねていき終わりのない様子から生まれた言葉でした。
同じことの繰り返しで進展のないこと、その通りで虚しさも感じますが、私は空き缶拾いを続けます。
政治とカネ、こちらはいたちごっこで済ませないでしょうと思うけれど、現実は、由緒正しき?いたちごっこそのものです。