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お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

「天使の分け前」

2013-05-11 09:20:57 | FILM
銀座のミニシアターとして1987から27年間親しまれてきた「銀座テアトルシネマ」が今月いっぱいで幕を閉じます。
母体の東京テアトルが建物の売却を決めた、というのがその理由。
ホテル西洋銀座、ル・テアトル銀座など、バブル景気の風を背に受けて、質の高い生活を目指していた志の高い日本の一時代を代表する施設が同時に閉館・・・残念です。

ル・テアトル銀座では、ベジャール・バレエ団を退団した小林十市さんが俳優としての第一歩を踏み出すために出演された、麻実れいさん主演の「エリザベス・レックス」や、まだ記憶に新しい、大地真央さんを中心として大女優の競演で話題を呼んだ、フランス映画の舞台化「8人の女たち」・・・いや、もっと古くは、映画女優として活躍する前のロマ―ヌ・ボーランジェが出演していたあシェイクスピアの「テンペスト」のピーター・ブルック演出を観たのは1991年・・・
あの頃は「銀座セゾン劇場」という名称であったなぁなどと、色々と思い出深い劇場の閉鎖は心痛みます。


ということで、「銀座テアトルシネマ」最後の上映作品は質の高いドキュメンタリータッチの作品をコンスタントに撮り続けて評価の高い英国のべテラン監督ケン・ローチの「天使の分け前(The Angel's Share)」
2012年作品。第65回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作品。
映画館に足を運ぶ回数がめっきり減った昨今ですが、なんとなく映画館と監督へ敬意を表したい気分になり、先日、夜の最終回の上映で観て参りました。
会社帰りのサラリーマンと思しき男性率が高く、その日はほぼ満席・・・。



舞台はスコットランドのグラスゴー。
主人公は、ロミオとジュリエットさながらの、対立するグループとの抗争に明け暮れ、ヤクをキメては喧嘩沙汰。失業者である若者ロビー(ポール・ブラニガン)。恋人の妊娠で真っ当な道を模索するも、暴力の連鎖は断ち切れず、真っ当な仕事を探すすべも知らない。
ここまでは、今までのケン・ローチ作品のデフォルト通り。

そんな彼が、温情ある判決として宣告された300時間の社会奉仕活動従事中、世話役の年配者、情あるハリー(ジョン・ヘンショウ)と出会い、彼の楽しみであり趣味であるスコッチウイスキーの世界を知る。
彼の誘いで訪れた蒸留所で知った自らのテイスティングの天分と幻のシングルモルトウィスキーの世紀のオークション。一樽100万ポンド(約1億4000万円)以上で落札されるこのウイスキーに目をつけてのある計画・・・。
「オーシャンズ」のような異能集団とは180度異なる、社会奉仕活動中に知り合いつるむようになったダメダメな仲間たち。時には足を引っ張りさえする彼らとの珍道中も織り込みつつ、幻のシングルモルトをありがたがる人々を手玉にとっての人生を賭けた真剣勝負。



若者に真っ当な道を説き、親身になって世話を焼く無骨な中年男、母となった自覚から夫とともに生活を立て直そうとする思慮深い若妻、そんな近しい人々のサポートで、生来持っていた能力、ネゴシエーション能力からリーダーシップまでを発揮していくロビーを、観客は知らず知らず応援している。

「天使の分け前」とは、熟成の年月が樽の中のウイスキーを毎年2%蒸発させて行く分をさすこと、だそうです。
この夢のあるタイトルにふさわしい後味の良いラストでした。

面白かったのは、スコッチ・ウイスキーのテイスティングの場面。
ワインと全く同じお作法で、行われるテイスティング。
その味わいを表現する術も、文学的で、ちょっとスノッブ。
音楽が爆音のように流れ、人が入り乱れてクスリを打つクラブのバックヤードで寝泊まりし、荒れた生活をしていたロビーがどのようにしてそんな世界の言語を自分のものにしたのか・・・ハリ―に教えてもらって読んだ専門書を読破する力はいつ?とちょっと疑問に思ったり、大金を手にした仲間たちが数日で飲み代にしてしまいそうな気配を漂わせる当たり、運をものにするためにはその本人の意思と力量が欠かせないのだな、という新たなる教訓を読み取らせたり・・・。
あくまで、ユーモアを持って、必要以上に語らずに深い余韻を残すローチ監督の熟練の技、堪能させていただきました。

CASTでは、ウイスキー講座の講師、ロリー・マカリスター役を嬉々として努めているのが、実際のスコッチ・ウイスキー界では知らぬ人とてないチャ―リ―・マクリーン。
オ―クションで競り負け、ロビーと接触する仲買人タデウス役のロジャー・アラムはローレンス・オリビエ賞主演男優賞受賞歴のある舞台・映画俳優の重鎮。
本格派の彼らとオーディションで選ばれた若手俳優のバランスもまた見どころです


映画「レ・ミゼラブル」

2013-02-24 08:08:41 | FILM
ミュージカル好きがことごとく絶賛する2012年英国映画「レ・ミゼラブル」をシャンテ・シネで観てきました。
12月の終わりに公開されたのに、今でも満席。

原作はヴィクトル・ユゴーの大河小説「ああ無情」
今回は1985年以来上演され続けているミュージカルの映画化。
おなじみのキャラクター、曲が、暗い19世紀のパリに息づき、心情を吐露する登場人物たちが、演技力も歌唱力も兼ね備えた俳優の 時として表情で語るアップの画像の助けもあり、胸に迫るそれぞれの人生の苦悩や喜びを圧倒的な迫力で伝える展開に、あっというまの2時間38分でした。



パンを盗んで5年、脱獄を企てた罪が加算されての19年。
看守ジャベール(ラッセル・クロウ)に送り出されての実社会は、前科者ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)に厳しく職を得て生活を立て直すことができない。
飢えて世間の冷たさにすさんだ彼を救ったのは雪の夜開かれた教会の門。
食事と暖炉の火と休む場所。
銀器を奪ってつかまったジャンを神父はかばい、更に燭台を持たせます。

その心に報いんと、囚人であった過去を捨て、新しい人生を歩んで成功した彼。名はマドレーヌ。
市長にして工場経営者。
彼の会社で働くことのできる労働者は幸い。でも、その一歩外には暗愚の貧困と悲惨な運命が。
その境界線で転がり落ちた若いシングル・マザー、ファンティーヌの転落を演じるアン・ハサウェイが印象的。
預けてある娘に送金するために髪や歯を売り、娼婦に転落。
幸せな恋愛の思い出から現在の絶望的な状況までをクロ―ズアップの表情と刻一刻と変わる歌声で、彼女自身受け入れられない運命の変遷をリアルにドラマチックに描いて圧巻。

前科者の出頭義務を放棄し、姿をくらましたジャンを執拗に追うのは刑務官から警部に転身したジャベール。
疑いを察知して心穏やかでないマドレーヌ市長はファンテーヌの直訴に耳を傾ける余裕がなく、結果として自分がファンテーヌの死に至る転落の原因の責任を持つと知り、遺児コゼットの保護者を買って出ます。
とことんがめつい宿屋の夫婦に預けられたコゼットを救いだし、数奇な運命のもと、修道院でひっそりとコゼットを育てます。

ここで、感じるのは、ジャンがコゼットを得たことで知る人生の真の意味について。
自分では何の力もない(ように見える)少女が、その成長を見守る保護者に与える喜び。

怪力で知られ、更生した後は、市長に上り詰めるまでにビジネスの能力、人間力ともに兼ね備えた1人の男。
彼が自身の権力欲・自己実現欲よりも、無事に少女を幸せな環境で育て、そして後には嫁がせるために、ある意味恋敵であるマリウスを途方もない努力で救出するという行動に至るパワー。
それを生み出すその愛の力たるや。

また、貧困の中、たくましくがめつく生きるテナルディエ夫婦(妻:ヘレナ・ボナム・カ―タ―)の生き方、その娘として、実らぬ恋心を切々と歌うエポニーヌ(サマンサ・バークス)、一寸先の闇に引きずり込まれて若さと美しさと命を失ったファンティーヌらの背景にある社会的なセーフティーネットのない政治のあり方。
その隙間を埋める存在としての教会の持つ役割や力、慈善事業の意味。
一方、その政治自体を変えるべきだとするマリウス(エディ・レッドメイン)含む学生運動のうねり。

などなど、今にも通じる面もある当時の社会的背景が、複雑に絡み合い、ともに結びつきながら、個人の感情や人生をくまなく散りばめて心を揺さぶり続ける手法はさすが。

暗い時代でありながら、神父に導かれて神の愛を知った善行の人、ジャン・バルジャン、コゼット(アマンダ・セイフライド)とマリウスの初恋とその行方の一抹の安らぎ。
その一方で、監獄で生まれて法による正義を行うことを自らの信条として迷うことのなかったジャベールがジャンに救われたことで生じた混迷と葛藤。
エポニーヌの自己犠牲。
はしっこくて賢い市民活動家のアイドル少年ガブローシュ(ダニエル・ハトルストーン)の最期。
美しく健やかな学生たちの敢え無い最期。
投降を呼びかけつつも対立する立場上致し方なく発砲する軍部の立場と(多分)無念の思い。


「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督は、細部にまで行き届いた映像という映画ならではのリアリズムでもってそれぞれの登場人物の想いとその背景を捉え、歌の力ですべての感情にカタルシスをもたらし、ミュージカルの映画化、という難題を、単なる映像化以上のものに仕上げることに成功したと言えるでしょう。

観ながら、様々な場面で落涙し、観た後もいくつもの曲がしばらく耳に残って離れない・・・そんな、原作の力と歌の力を味わえる良作でした


「アーティスト」

2012-05-11 08:23:38 | FILM
映画つながりで・・・

4月に公開されて、今も人気上映中の新作白黒映画^^、
「アーティスト」
4月13日に銀座シネスイッチで観ました。



1927年のハリウッドが舞台。
ルドルフ・バレンチノ風味の無声映画の銀幕のスターが、トーキーへと向かう時代の変化に背を向けて人気失墜。
その一方、ファンとして出会ったエキストラ女優が、スターからのアドヴァイスを得て、チャンスをものにし、時代の寵児となる。
全く立場が逆転した2人が再び出会って・・・。

大きな瞳と気どらないBIG SMILE、くるくる変わる表情とスレンダーな容姿が活発なお嬢さん、というムードのぺピ―・ミラー役のべレ二ス・べジョが魅力的。



憧れのスターの楽屋にしのびこんで、そっと彼のタキシードに腕を通して1人芝居・・・
こんな芝居がかった情景も、白黒映画で無声映画仕立てのテンポにはぴったりハマります。



カリスマ2枚目スター、転落しても誇りを失わないジョージ・ヴァレンティン役のジャン・デュジャルダンは無声映画時代の神秘的なスターの端正な美貌と、トーキー時代のミュ―ジカルスターの気さくでチャーミングな笑顔を併せ持ち、時代の雰囲気をよく出していました。現代の俳優なのに、タップを踏む姿はまるでジーン・ケリー。
往年のスターのムードを醸し出せるものだと感心。
チャンスを与えられても気づかず、自分の築き上げた栄光とその手法に執着し、転落を招く・・・という設定も、27年から29年の間のトーキー革命を忠実になぞっているだけではありますが、その教訓は現代的で身につまされます。
デュジャルダンの古き良き時代のスターっぷりはどこか映画ファンの郷愁を誘う風情がありますね。
主演映画のスチールやタイトルにも、無声映画マニアの心をくすぐるオマージュが散りばめられていて、そのメッセージを受け取れるマニアにはもちろん、知らなくても雰囲気は味わえるので、マニアックな映画にありがちな排他的な嫌みもなく、ミシェル・アザナヴィシウス監督の手腕の確かさを感じます。
ちなみに監督が挙げた、この作品を撮るにあたって影響を受けた映画監督が、ヒッチコック、ラング、フォード、ルビッチ、ムナウ、ワイルダー・・とはまた豪華な^^
わたくしは、タッチはルビッチですが、それほどウィッティでも洗練されすぎてもおらず、ワイルダー的な素朴な温かさもある映画だなと思いました。

スターの愛犬アギ―、忠実な運転手など、脇を固める役者(&役者犬?)も存在感あり。

第84回アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、作曲賞、衣装デザイン賞など5部門制覇。
2011年フランス映画。





イタリア映画祭2012 「ジョルダ―二家の人々」

2012-05-06 14:11:40 | FILM
毎年のGWの恒例行事と言えば、有楽町朝日ホールでの「イタリア映画祭」

イタリア語学校「Bell'Italia」の文学のクラスに長く通っているのですが、
イタリア人の先生が大変な映画通で、毎回、この映画祭のラインナップが出ると、知る限りの情報をくださることもあり、この時期になると楽しみにしている催しです。


今年は、5月4日(金・祝)の13:00~6時間半(休憩20分)の長きにわたって上映された
Le cose che restano(仮題:そこにとどまるもの)



2010年RAIでTVの4回シリーズとして放映されたローマのインテリ一家の大河人間ドラマ。
映画祭では一度限りの上映とあって朝日ホール満席御礼の盛況でしたが
7月21日(土)から、「ジョルダ―二家の人々」という邦題で岩波ホールにての一般上演も決まっているとか。

実は、イタリア映画で印象深いのが近年では「輝ける青春」
La Meglio Gioventù (2005年7月9日より岩波ホールで公開)があり、自分の評を読み返そうと思ったら、ブログに残してなかったことに気が付きがっかり(笑)
いや、いい映画だったのです。
マルコ・トゥーリオ・ジョルダ―ナ監督作品。
1966年から2003年までのイタリアを、2人の対照的な性格の兄弟の半生を軸に描く6時間6分の大河ドラマ。
フィレンツェの大洪水と書庫修復のための学生ボランティア、赤い旅団、精神病院の廃止運動など、時代が個人の生活を左右しながら、2人を同時に身近に感じながらともに生きているような感覚を味わった秀作でした。

今回、その撮影に関わったスタッフチーム(脚本・撮影)が手掛けた同じく6時間超の大河ドラマ、というので、是非観に行きたい!となった次第。

監督 Gianluca Maria Tavarelli
脚本・演出 Sandro Petraglia 、 Stefano Rulli
撮影  Roberto Forza

<CAST>
Nora   Paola Cortellesi
Andrea  Claudio Santamaria
Nino  Lorenzo Balducci
Pietro   Ennio Fantastichini
Francesca   Antonia Liskova
Alina  Leila Bekhti
Shaba   Farida Rahouadj
Anita   Daniela Giordano
Lorenzo   Alessandro Sperduti
Valentina   Valentina D'Agostino
Vittorio Blasi   Enrico Roccaforte
Alberto   Maurilio Leto
Lila   Karen Ciaurro

e con la partecipazione di Vincenzo Amato (professor Nicolai)
Thierry Neuvic (Michel)
Francesco Scianna (Cataldo)



今回の主役は、ローマに暮らす、熟年夫婦、技術者の父と元医師の母、それに、20代から40代の4人兄弟、外務省勤務の長兄アンドレア、臨月の心理カウンセラーの長女ノ―ラ、卒業間近の建築科の学生、次兄二―ノ、そして末っ子の学生ロレンツォ。
幸せそのものの一家が、ロレンツォの交通事故死をきっかけにバラバラになり、また、赤の他人を含む新しい家族の形態を取り戻していくまでの道筋を、1人1人のエピソードを積み上げてじっくりと描いた作品。
不倫、記憶喪失、親子の葛藤、夫婦のすれ違い、ゲイのカップル、血のつながらない家族、マフィアと薬物、外国人娼婦、東欧・アフリカからの移民問題などを盛り込みつつ、人と人との係わりあいを丁寧に描いて、長丁場を飽きさせない手腕はさすが。

問題を抱えたカップルを見て、身近な家族や友人は直接相手に話すべきだとアドヴァイスするのですが、自分が当事者である問題については、なかなか頑なな姿勢を崩せないのがリアル。

魅力的な人物の多い中で特に好きなのは、気難しいイケ面次男二―ノの幼馴染、ヴァレンティーナ。
実はなかなかの才女らしいのですが、とにかくチャーミング!
二―ノが好きなのに振り向いてもらえない設定。
引っ越し荷物で手いっぱいの二―ノに突然キスして、「ごめんね!一度してみようと決めてたの!ホントごめん!」と言いながら手を振って去って行った次に会った時には自分の婚約で幸せいっぱい。二―ノは煙にまかれるばかり・・・
ユーモアたっぷりの彼女が折に触れて登場するだけで場面が明るくなります。

ちなみに原題の「Le cose che restano」は、二―ノと彼女がローマ郊外の団地を眺めながら、そこにある生活をつぶやく二―ノに対し、ヴァレンティーナがつぶやきかえすエミリー・ディッキンソンの詩の一節。
何?と訊く二―ノに「女性の詩人が書いたのよ・・・野蛮な男どもには理解できないでしょうけど」と切り返すのですよね^^

もちろん、繊細なアンドレアとクールな二―ノはそれぞれに共感できる部分を持つ魅力的なキャラクターで素敵ですし^^
6時間なんてあっという間!
おススメです





イタリア映画祭2011 「われわれは信じていた」

2011-05-11 14:09:12 | FILM
今年も、有楽町朝日ホールで開催された Festival del Cinema Italiano2011
このイタリア映画祭も、今回で11回目になるのですね^^
大体5月の連休中に開催されるのですが、今年は4月29日(金・祝)から5月4日(水・祝)まで
一日3作品ペースで、イタリア映画の今を紹介します。
軽い恋愛ものから感動的な家族の歴史まで、様々なタイプのイタリア映画が観られるチャンス。

今回は、イタリア語学校の先生で映画を始め、文化全般に精通しているElizabettaのおすすめで、
Noi Credevamo「われわれは信じていた」
を観て参りました。



監督はマリオ・マルト―ネ(Mario Martone)。
1959年ナポリ生まれ、ですからベテランですよね。ドキュメンタリー中心に活躍している名監督だそうです。

今年がイタリア統一150周年、という記念の年であることもあり、リソルジメント(再興=イタリア統一)をテーマに
当時の混乱を3人の若者の人生を追うことで展開していく・・・といった大河ドラマ。
3人のうち、小作人の息子サルヴァト―レは若くして舞台から姿を消してしまうのデスが・・;;

170分の長尺は、長すぎる、という意見もありますが、こういうたっぷりとした歴史ドラマが好物のわたくしには、じっくりと色々な局面を感じられて満足。

統一前のイタリアは、ロンバルド・ヴェネト王国、サルデ―ニア王国、トスカーナ大公国、両シチリア王国、そして教会国家などが林立し、それぞれオーストリア、フランスなどの大国の影響下、しばしば戦場となり、人民は虐げられていた・・・というところから始まる、3人の若者の人生と、統一に向かって迷走するイタリアの現代史。

イタリアという統一国家を、という悲願こそ一つなれど、それを成し遂げる道筋(テロで現政権を倒せvs人民を教育することで下からの突き上げを)、政権の在り方(民主主義国家樹立vsイタリアの王、であれば王政で良し)など、ひとつひとつに多角的な視点とそれぞれの立場からの衝突があり、多くの誤解から来る、有意な人間の無残な死が累々と積み重なり、なおかつ、新しい政権が生まれたら生まれたで、良心の府としての政府のはずが、声の大きな成りあがりの跋扈する既得権奪取の場となってしまう・・・というアイロニカルな視点が現在の問題提起につながる重厚な作品。

印象に残る場面
① パリに住み、距離をおいてイタリアを俯瞰しながら、統一運動に資金提供を行い、人民民主化教育のプログラムに着手する優雅なサロンの女主人、クリスティーナ・ディ・ベルジョイオーゾ(フランチェスカ・イナウディ)の存在。



② 後にテロリストとなる貴族の子弟アンジェロの転落。と常にどこか追い詰められたような切迫感。(ヴァレリオ・ビナスコの神がかり的な名演!)
③ 静かなる語り部、全てを観、誠実に行動するもうひとりの貴族の子弟、ドメニコ(ルイ―ジ・ロ・カ―ショ)をめぐる人生の真実。
・ 政治犯として等しく拘留された牢獄内での、貴族階級と庶民の知的・実質的な生活レベルの深い溝
・ 人生の後半立ち寄った我が家の、自らの政治的立場から引き起こされた没落ぶりに接した時の彼とその家族の深い痛みと静かな諦念。
・ 庶民も貴族も参加、まさに国民軍として蜂起したガリバルディ軍に対する、彼らが救おうとしたまさにその民衆による、無知による反撃。

はぁ~ひとつひとつの場面の積み重ねが重くて・・・

とはいえ、現在イタリア映画界で望みうる最良の名優陣(低コスト映画なのに志願してきたそうです)をそろえたCASTが豪華絢爛!
「ナブッコ」、「オテロ」など効果的に挿入されたヴェルディの音楽が格調高く、歴史の哀歓を彩る様が素晴らしい

そして何より、名匠レナ―ト・ベルタが撮影監督を務めていることによる、美しい映像が、この重いテーマを持つ作品に イタリアならではの真実を伝えるための美を纏わせていて・・・正直、オープニングのタイトルロールの後に、彼の名を見つけたときにはテンションが上がりましたよ~
見事な仕事でした。

ちょうど日本でいえば、明治維新の頃のドラマを観るような思いがあるのでしょうか。
2010年作品ですが、イタリア国内ではHITして、かなりの動員を記録したとか。
この時代のフリーメーソン思想、マッツォーニ、ガリバルディ、クリスピ、カブール、といった歴史の立役者の名も出てきて・・・ちょっとこの時代のイタリアについて、改めてお勉強してみたくなった映画でした