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お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

バレエ・リュスの衣装展

2014-08-23 06:30:13 | ART
2014年8月22日、六本木の国立新美術館で9月1日まで開催中の

現代の芸術・ファッションの源泉 ピカソ、マティスを魅了した伝説のロシア・バレエ
「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」
Ballets Russes: The Art of Costume
に行って参りました。

レオン・バクスト
「青神」の衣裳(《青神》より)1912年頃

バレエ・リュスとは、1909-29年にディアギレフによって主宰され、20世紀初頭の動乱の時代に、舞踊や舞台デザインの世界に革命をもたらしたバレエ団のこと、です。

天才的なインプレサリオ(興行主)であったディアギレフ(1872-1929)は、ヒトを惹きつけずにはいられない魅力と実行力洗練された教養の持ち主で、パリでロシア帝室バレエ団出身のメンバーを率いて興行を打ち、一大センセーションを起こしたことで知られていますが・・・。

パリにも、といいますか、もともとイタリアで始まり、フランスの太陽王ルイ14世が洗練させたバレエですから、勿論フランスにもバレエはあったのですが、当時はロマンチックな女性を主体とした演目が主流。
そこに、ロシアの民族舞踊をベースにしたテクニックを満載した男性の超絶技巧をふんだんに取り入れたロシア・バレエを観て、特にニジンスキー(1889―1950)をはじめとする男性舞踊手のエネルギッシュなパフォーマンスがパリっ子には新鮮だったと思われます。

オーギュスト・ベール《《薔薇の精》─ニジンスキー 1913年

勿論、ストラヴィンスキー、リムスキー・コルサコフといったロシアの作曲家たちも、このバレエ団の公演でパリで知名度を増し、レオン・バクストらのエキゾチックな衣装がバレエ・リュスの魅力を高めていたこともありますが、じきにディアギレフは当時のパリに集結していた様々な分野の才能~ジャン・コクト―、アンリ・マティス、マリ―・ローランサン、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・キリコ、ココ・シャネルらとのコラボレーションを始め、「バレエ・リュス」は「ロシア・バレエ」という本来の名前の枠を超えて文化の実験場的な様相を呈してくる・・という特異な発展を遂げて行きます。

このバレエ団はパリを中心にヨーロッパ各地やアメリカ、オーストラリアなどで公演しましたが、実はロシアで公演したことは一度もなかったそうです。伝説のダンサー兼振付家ニジンスキーをはじめ、レオニード・マシーン(1895-1979)やブロニスラワ・ニジンスカ(1891-1972)、セルジュ・リファール(1905-1986)、ジョージ・バランシン(1904-1983)ら、20世紀におけるバレエの革新に大きく貢献した振付家を輩出し、ストラヴィンスキーが広く世に知られる契機となったのも、ディアギレフに依頼されバレエ・リュスのために作曲した《火の鳥》(1910年)や《春の祭典》(1913年)です。
ディアギレフ没後、リファールはパリ・オペラ座の芸術監督を務め、バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団の母体をつくるなど、世界各地のバレエ団の礎はバレエ・リュス出身のダンサーたちによって築かれました。

オーストラリア国立美術館が有する世界屈指のバレエ・リュスのコスチューム・コレクション32演目、約140点の作品を中心に、デザイン画や資料などもふんだんに揃えられ、会場のあちらこちらで、動画、ドキュメンタリーも放映されていたり・・とわたくしは2時間くらいかと余裕をみて訪れたのにもかかわらず、最後は駆け足になってしまいました。

「ペトリューシカ」「眠れる森の美女」「牧神の午後」「シェへラザ―ド」など、あぁあの!と思う作品のコスチュームもありますが、「青神」「不死身のカスチェイの従者」「女王タマ―ルの友人」など、知らない演目も多く、会場に丁寧に用意された、作品のあらすじ、それに対するキャストとその衣装の対照表など、舞台を彷彿とさせる仕掛けや音楽が上手に取り込まれて、非常に興味深く見られるように工夫されています。


レオン・バクスト「女王タマールの友人」、「女王タマール」、「レズギン人」の衣裳(《タマール》より)1912年頃

衣装そのものも、間近でみられるので、大胆な意匠がアップリケやステンシルでどのように表現されているのか、衣装の素材の重厚感や金モールや鎖で作られた模様の状態など、細部に渡って観ることができ、とても面白く思いました。

今回の展示がオーストラリアでのコレクションである、ということも大変に感慨深いものがあります。
ディアギレフの死後も、バジル大佐という人物に引き継がれ、オーストラリアも含めて世界巡業を行うのですが、とりわけ歓迎が熱烈であった、オーストラリアに定住しバレエ教室、バレエ団を設立したメンバーが多くいたことなどから、特別に縁があったのだということを、実はわたくしは2010年のオーストラリアバレエ団の来日公演時に知ったことがあり・・。
http://yaplog.jp/maria-pon/archive/531
オーストラリア国立バレエ団の「くるみ割り人形」は、バレエ・リュス出身のロシア人ダンサーたちがオーストラリアで余生を過ごしている・・・というところから始まるお話に仕立てられていたのですよね。
その舞台を思い出したりしつつの観賞で、
とりわけ感慨深く感じたことでした。




レオン・バクスト、アレクサンドル・ゴロヴィン
「不死身のカスチェイの従者」の衣裳(《火の鳥》より)1910年



「モード・オブ・バービー展」

2014-08-19 10:53:22 | ART
2014年8月5日(火)~17日(日)
渋谷の西武A館7Fスペースで行われた、バ―ビ―人形の生誕55周年記念展「モード・オブ・バ―ビ―展」を観て参りました。


会場に並ぶのは、約250点のバービーたち。
バービーは、米マテル社が1959年にニューヨーク・トイ・フェアで発表したファッションドール。
1962(昭和37)年に日本でも正式に発売され、この頃のバ―ビ―の服や小物は仕事が丁寧で、小さなものを創意工夫で作りだす職人芸が息づく東京で作られていたとか。
細かいところまで良くできていて感心します。

これは、1964年のスクール・ポニーテール・バ―ビ―の1965年コレクション、「プードル・パレード」。
ドッグショーで愛犬のプードルが賞を!という場面で、バッグにプードルがいたり、トロフィーまで付属品が作られていて感動。
個人的にこの時代のファッションが大好きなので、ワクワクしてみておりました。

コレクター関口泰宏さんのコレクションで初期から現代までを振り返る「ファッションヒストリー」や未公開コレクション、クリエーターとのコラボドールなどが紹介されていて、観ごたえ充分。

 流し目に赤いリップ、5枚の布を縫い合わせて作られたボーダーのスイムウエアの初代バービーをはじめ、当時、米本国では水着姿が主流だったのに対し洋服を着させて販売した「日本仕様」や、植毛のまつ毛とストレートヘアが特徴的な「モッズ期」(1965年~)、白い歯がのぞく笑顔の「スーパースター期」(1977年~)など、ドールの変遷を目の当たりにすることが出来、時代とファッションをコンパクトに表現したバ―ビ―の世界、見ていてとても楽しかったです。
同じディオール調のスーツでも、膝下タイトに7分袖のアメリカ版と膝丈ミニに長袖の日本版があったりしてそんなこだわりにも感心。
70年代からは素材がぐっと安っぽく?なって、付け睫毛も目頭から目尻まで同じ長さがふさふさしてちょっと雑な感じ。
21世紀から経営方針が変わったのか、デザイナーや作家とのコラボレーションで、驚くほど精巧なファッションドールの世界を堪能できます。


バ―ビ―のイラストなどでも有名な「リゼット・バ―ビ―」2001年。

2003年、NYのグッケンハイム在団の展覧会に出品されたドレスをまとったアルマ―二・バ―ビ―。

左がヴェルサーチ、右がウェディングドレスで有名なヴェラ・ワン。2004年。
ヘアメイクもデザイナーの指示でカスタマイズされているそうで、そこも含めての世界観を堪能できます。
いかにも、なお顔立ちに仕上がったバ―ビ―を見比べるのが楽しい

これはデザイナーの顔写真とコメントが入ったスペシャルBOX入りの「ライフ・ボール・バ―ビ―」
Valentinoでエレガントゴージャス。他にラクロワなど3体が展示されていました。

クリスチャン・ルブタンコレクションも。
後ろ左の3体はSANRIOで、左から3つ目が2007年「HELLO KITTY」左端はMyMelodyです^^

意外と(?)楚々としたコム・デ・ギャルソン。2009年。

個人的にツボだったのが
「女の子の憧れの職業」バ―ビ―。手前左端のアーティスト、右端ショーダンサー、その隣のバレリーナ^^
後ろの列左から3体目のファッション・エディターのコーディネートは今でもそっくりそのまま真似したいほど好みですv


最後のコーナーに今の日本の有名人とのコラボコーナ―がありましたが、この人形作家さんの和の花嫁バ―ビ―は優雅で秀逸。べっこうの簪まで丁寧に作られていて思わず見行ってしまいました。

ヘアメイクコンセプト全てに完成度が高くて2度見したのがこちら。
銀のスパンコールのショーハットとスリットの中のピンクのガーター黒網タイツが洒落ていてステキ。
女優の萬田久子さんのプロデュースでした

場内写真撮影可、ということと、渋谷という土地柄もあってか、若いファッション好きの女性で大賑わい。あ、これ好き!これイイ!と友達どおしでワイワイ言いながら盛り上がって写メの流れで、会場は熱気に溢れていました。



福田美蘭展

2013-10-15 15:50:09 | ART
すでに終わっていますが、あまりに面白かったので記事として残しておきたく・・・。
上野の東京都美術館で、2013年7月23日から9月29日まで2カ月に渡って開催されていたこの美術展、
美術コレクターの知人宅で図録を見せてもらい、学芸員に知人の多い友人が、「ルーブル美術館展」が物足りなかったので、お口直し(笑)にたまたま見たらとても面白かった、などと聞き及んで、是非、会期中に・・・と思っていたのですが、訪れたのは9月27日と終了直前で^^;

それでも、間に合って良かった!と思える充実した内容でした。

福田美蘭氏(50歳)の父親はグラフィックデザイナーの福田繁雄氏。
ウィットとユーモアに溢れた洒脱な作品が思い浮かびますが、血は争えないと言いますかなんと申しましょうか・・・。
写実の圧倒的な技量に加えて、あらゆる角度から自分の心の赴くままに、現在過去未来を行き来して、アイデアをどんどん形にしていく力技と軽やかなフットワークに感嘆。



これは、震災後の海底をアサリの気持ちで描いた・・・という連作の一つ。
アサリにとってもストレスは多大だったろう・・・というミクロの視点から全体を想起させますね。
9.11のテロで失われたツインタワービルの窓の明かりを、夜空の星としてちりばめた「ニューヨークの星」。東日本大震災を報じる紙面を、心象を加えて描いた「春―翌日の朝刊一面」。赤飯の包装紙に描かれた南天を、イラク攻撃に使われた兵器に見立てた「日本もクラスター爆弾を持っているらしい」など、時事問題を捉えた作品も秀逸ながら、古典作品を捻ってその先やその背景を想像した作品群も。

黒田清輝が孫を膝に抱いて、その肖像画を描いている様子とか、見られすぎて疲れたのか、横になってくつろぐモナリザとか・・・^^;

美術作品のあたりまえをくつがえす発想の転換シリーズも。



これは、足で踏んでも良い作品。
後ろはちょうつがいで留められて、開けなければ見られない作品。
他にも冷蔵庫を開けると内部が重厚な油絵の歴史画になっていたり、天井の隅に収まるように作られた油絵作品と重厚な額、などなど。

パロディ的な意味でわたくしが一番面白く思ったのは、こちら。



群馬県立美術館蔵の2000年作品「リンゴとオレンジ」
美大受験の塾や通信教育で、添削を受けたセザンヌ・・・という発想がなんともウィットに富んでおり、「テーブルの位置が不安定」「リンゴの表現が甘い」などと駄目押しをして評価Bをつけているという大胆さ。
東京藝大出身の静物画家にとって、セザンヌは一つの理想形であり、そのコンポジションなどにアカデミックな議論を戦わせることが多いことを含んでみるとなんともシニカルで思わずニヤリとさせられてしまいます

それにしても、アイデアが豊富でしかもそれをサラサラっと走り書きのデッサンで表現するのではなく、スーパーリアリズムで古典作品から銭湯画まで再現してしまう画力をもって大作に仕立ててしまう・・・というのが彼女のエネルギーのただならぬものを感じさせて圧巻。
今回のような充実した回顧展はなかなかないと思いますが、これからも注目したい作家です





「プーシキン美術館展」横浜美術館

2013-09-14 06:11:32 | ART
2013年7月6日から、愛知会場の後に、横浜美術館に巡回してきた
「プーシキン美術館展 ―フランス絵画の300年―」を観に、最後の平日の夜間開館日にみなとみらいに行って参りました。


作品はエカテリーナ2世やアレクサンドル皇帝などの時代の収集品から、シチューキン、モロゾフら繊維貿易で財をなした豪商コレクターの個人コレクションからの名品を時代別に4分割して展示されており、17世紀のクロード・ロランら古典主義の画家、そしてブーシェらロココの逸品が第1章として。

画像はフランソワ・ブーシェの美しい作品、「ユピテルとカリスト」(1744)
月の女神ディアナの従者、美しいカリストを誘惑するために、ディアナの姿に変身したユピテル(Jupiter)の図。
ディアナの後ろにJupiterの象徴である雄牛が描かれていますね。
カリストの青と黄の衣装、ディアナの白と赤、の色彩のコントラスト、天使たちから2人へ至る優美で活き活きとしたS字型の画面構成、薔薇の花ひとつに至るまで繊細に描きこまれたタッチなど、どの細部も美しく、華麗で優美な逸品。



第2章は19世紀前半の新古典主義、ロマン主義、自然主義。
アングル、ジェロームらのアカデミーの画家から、ドラクロワ、そしてミレ―やコロ―の労働者や農夫などを題材とした作品群。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの「聖杯の前の聖母」(1841)は崇高な美しさを湛えた作品。
聖母マリアの背後にいるのがニコライ1世、のちのアレクサンドル2世である皇太子と同名の聖人。
アレクサンドル2世の発注により、アングルが応えて描いたものだとか。

第3章は19世紀後半の印象主義、ポスト印象主義の絵画。

モロゾフ氏による、親しみやすく心和む作品群が多く、人気のコレクションです。



今回の展覧会の象徴的な作品として、メディアに出ることの多かったルノワールによる肖像画の傑作「ジャンヌ・サマリーの肖像」(1877)。
柔らかな薔薇色の背景に包まれて、夢見るように微笑む20歳の人気女優ジャンヌの碧い眼と活き活きとした肌に、若さ溢れるモデルの魅力がダイレクトに伝わってくる作品です。
実際に間近で観ると驚くほど大胆な粗いタッチで肌ひとつとってもブルーとピンクがポンポンと置かれたような感じで、ちょっと引きで1.5mほど離れて初めて、焦点が合うような感じのタッチがまた、躍動感を生んでいるのだなと。


こちらはエドガー・ドガの「バレエの稽古」(1875―1877)
ドガの多く残された踊り子をテーマにしたパステル画の中でも繊細な色彩、床面を多く取った画面分割の中にのリズミカルなバレリーナの配置など、特に魅力のある作品。
他にもゴッホの「医師レ―の肖像」(1889)、ゴーギャンの「エイアハ・オヒバ(働くなかれ)」、モネの「陽だまりのライラック」(1872-73)、セザンヌ「パイプをくわえた男」(1893-96)など、傑作目白押し。

最後の部屋、第4章 20世紀―フォービズム、キュビズム、エコール・ド・パリ―は
先見の明があり、ピカソやマティスの初期から目をつけコレクションをつづけたというシチューキンによるコレクションがメイン。



パブロ・ピカソの青の時代から薔薇色の時代に移り変わる移行期に描かれた「マジョルカ島の女」(1905)。
薔薇色を含んだベージュ、グレイッシュなブルーの色彩もさることながら、指のラインひとつとってもピカソの画力と卓越したセンスがうかがえる作品。
この他、緑とグレー・黒で、アールデコっぽい装飾性とキュビズムへの移行を内包した「扇子を持つ女」(1909)も。
マティスの「カラ―、アイリス、ミモザ」もとても良い作品で、他にもシャガ―ル、ローランサンなど。
国に没収されて美術館に収められたとはいえ、コレクターの作品に対する愛情が感じ取れるセレクトといい保存状態の良さと言い、やはり足を運ぶ価値のある展覧会だったと思います。

もともと、東日本大震災で、一度キャンセルされたこの企画展が、今、こうして改めて開催されていることに喜びを感じます。

展示は16日(月・祝)まで。
13日は金曜日の平日夜ではありましたが、入場制限がかかっており、20分待ちでした。
週末は展覧会最後の駆け込みの方も多いでしょうし、3連休ですから込み合いそうですが、是非、足をお運びください。

特筆すべきは、常設展の充実。
個人コレクション別の展示となっていて、思いがけない傑作が揃っている中、ゆったりと観賞できます

「プーシキン美術館展」はこの後、神戸市立博物館へと巡回し、9月28日から12月8日までの会期となるようです








ドビュッシー展 ブリヂストン美術館

2012-10-15 05:40:08 | ART
10月14日(日)が最終日!ということで、
13日(土)に慌てて行って参りました。

オルセー美術館、オランジュリー美術館共同企画

「ドビュッシー 、音楽と美術 ー印象派と象徴派のあいだで」
2012年7月14日(土)〜2012年10月14日(日)



クロード・ドビュッシーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスを代表する作曲家。「月の光」や交響詩「海」などの作品で知られています。ドビュッシーが生きた時代には、音楽や美術、文学、舞台芸術が、互いに影響し合い、時に共同で作品をつくり上げましたが、彼は作曲家の中ではその代表的な人物と言えるでしょう。本展はドビュッシーと印象派や象徴派、さらにはジャポニスム等の関係に焦点をあて、19世紀フランス美術の新たな魅力をご紹介するものです。オルセー美術館、オランジュリー美術館、そしてブリヂストン美術館の所蔵作品を中心に、国内外から借用した作品約150点で構成されます。なお、本展はドビュッシーの生誕150年を記念して、オルセー美術館とオランジュリー美術館、ブリヂストン美術館で共同開催いたします。

以上、ブリヂストン美術館の公式HPより。

ドビュッシ―ファンの友人から、ドビュッシー愛用の文鎮、蛙のアルケルくん、必見!と聞いて・・・
調べたら余すところ1週間の会期!ということでギリギリに行ってきましたが、なかなか面白い展示で、観て良かったです。

ドビュッシーの同時代の芸術家、作家との交友関係もわかったり、当時のブルジョワのピアノ熱、イギリスのラファエル前派やARTS&CRAFT運動との影響、浮世絵や日本の工芸品が普通に流通して人気を博しており、気にいった版画を送り合っていたり・・・といった状況が、自筆の楽譜(とても繊細!)、写真、絵画、彫刻などを通して時代の空気を味わうことが出来ました。

今回、ブリヂストン美術館とオルセー・オランジェリー美術館との共同開催、ということで、印象派の作品など、オルセーとブリヂストンでそれぞれ同じ作家の同じ構図の作品を所蔵しているものが並べて展示されていたり・・・とか、興味深い展示があり、また、常設展からピックアップされた作品の展示室もあったのですが、改めて石橋財団のコレクションの質の高さを再確認したり・・・。

それにしても、19世紀後半から20世紀初頭にかけてというのは、実に面白い時代ですね。



エリック・サティやストラビンスキーとの写真や、楽曲を提供したバレ・リュスの「牧神の午後」の舞台写真(1914)の展示なども興味深いものでしたが、ドビュッシー唯一のOPERA「ぺレアスとメリザンド」(1902年初演)の原作者、メーテルリンクの写真を撮ったのがエドワード・スタイケン(1879―1973)で、思わず2度見してしまいましたが、スタイケンが長寿で現役生活が長かったのですね^^;
スタイケンは1970年代の晩年まで活躍していたイメージがあるので、1903年の写真に え??と思ってしまい。。。
^^;



ヴェルレ―ヌやマラルメと交友があり、ドニやルドン、ドガの作品を高く評価していた・・・というドビュッシー。
日本の文物を愛好し、葛飾北斎の冨嶽36景神奈川沖波裏をモチーフにして、自身の楽譜「LA MER」の装丁につかっていたり、書斎机に置いていた、という件の文鎮、蛙のアルケルくん(ハンドボールくらいの大きさがありました)、鍋島焼の中国人のいるインク壺なども観られて、エキゾチックで豊かな美術工芸品を身近におく楽しみを共有できたような心持になれたり・・・。
スポンサーの令嬢に贈ったという、日本画の花鳥図で装飾された薄い和紙の張られた大きな飾り扇に作曲家自身でメロディーの楽譜を描きこんだものがなんとも繊細で美しく、なんとステキな贈り物だろうかと・・・感嘆しました。
「金の魚」のインスピレーションを得た、という蒔絵の金魚(実際には鯉、ですかしらね?)も展示され、渋くて華麗な日本美術の美しさを再発見。



ドビュッシーの曲に想を得た、という絵画として、アンリ=エドモン・クロスの「黄金の島」(1891)の展示があり、
ドビュッシーの作品と絵画についての評をも表している、音楽を絵画化することで知られるカンディンスキーやクレーの作品で締めくくられたこの展示、(終了してしまいましたが)大変、内容の濃いものでした