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お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

映画「レ・ミゼラブル」

2013-02-24 08:08:41 | FILM
ミュージカル好きがことごとく絶賛する2012年英国映画「レ・ミゼラブル」をシャンテ・シネで観てきました。
12月の終わりに公開されたのに、今でも満席。

原作はヴィクトル・ユゴーの大河小説「ああ無情」
今回は1985年以来上演され続けているミュージカルの映画化。
おなじみのキャラクター、曲が、暗い19世紀のパリに息づき、心情を吐露する登場人物たちが、演技力も歌唱力も兼ね備えた俳優の 時として表情で語るアップの画像の助けもあり、胸に迫るそれぞれの人生の苦悩や喜びを圧倒的な迫力で伝える展開に、あっというまの2時間38分でした。



パンを盗んで5年、脱獄を企てた罪が加算されての19年。
看守ジャベール(ラッセル・クロウ)に送り出されての実社会は、前科者ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)に厳しく職を得て生活を立て直すことができない。
飢えて世間の冷たさにすさんだ彼を救ったのは雪の夜開かれた教会の門。
食事と暖炉の火と休む場所。
銀器を奪ってつかまったジャンを神父はかばい、更に燭台を持たせます。

その心に報いんと、囚人であった過去を捨て、新しい人生を歩んで成功した彼。名はマドレーヌ。
市長にして工場経営者。
彼の会社で働くことのできる労働者は幸い。でも、その一歩外には暗愚の貧困と悲惨な運命が。
その境界線で転がり落ちた若いシングル・マザー、ファンティーヌの転落を演じるアン・ハサウェイが印象的。
預けてある娘に送金するために髪や歯を売り、娼婦に転落。
幸せな恋愛の思い出から現在の絶望的な状況までをクロ―ズアップの表情と刻一刻と変わる歌声で、彼女自身受け入れられない運命の変遷をリアルにドラマチックに描いて圧巻。

前科者の出頭義務を放棄し、姿をくらましたジャンを執拗に追うのは刑務官から警部に転身したジャベール。
疑いを察知して心穏やかでないマドレーヌ市長はファンテーヌの直訴に耳を傾ける余裕がなく、結果として自分がファンテーヌの死に至る転落の原因の責任を持つと知り、遺児コゼットの保護者を買って出ます。
とことんがめつい宿屋の夫婦に預けられたコゼットを救いだし、数奇な運命のもと、修道院でひっそりとコゼットを育てます。

ここで、感じるのは、ジャンがコゼットを得たことで知る人生の真の意味について。
自分では何の力もない(ように見える)少女が、その成長を見守る保護者に与える喜び。

怪力で知られ、更生した後は、市長に上り詰めるまでにビジネスの能力、人間力ともに兼ね備えた1人の男。
彼が自身の権力欲・自己実現欲よりも、無事に少女を幸せな環境で育て、そして後には嫁がせるために、ある意味恋敵であるマリウスを途方もない努力で救出するという行動に至るパワー。
それを生み出すその愛の力たるや。

また、貧困の中、たくましくがめつく生きるテナルディエ夫婦(妻:ヘレナ・ボナム・カ―タ―)の生き方、その娘として、実らぬ恋心を切々と歌うエポニーヌ(サマンサ・バークス)、一寸先の闇に引きずり込まれて若さと美しさと命を失ったファンティーヌらの背景にある社会的なセーフティーネットのない政治のあり方。
その隙間を埋める存在としての教会の持つ役割や力、慈善事業の意味。
一方、その政治自体を変えるべきだとするマリウス(エディ・レッドメイン)含む学生運動のうねり。

などなど、今にも通じる面もある当時の社会的背景が、複雑に絡み合い、ともに結びつきながら、個人の感情や人生をくまなく散りばめて心を揺さぶり続ける手法はさすが。

暗い時代でありながら、神父に導かれて神の愛を知った善行の人、ジャン・バルジャン、コゼット(アマンダ・セイフライド)とマリウスの初恋とその行方の一抹の安らぎ。
その一方で、監獄で生まれて法による正義を行うことを自らの信条として迷うことのなかったジャベールがジャンに救われたことで生じた混迷と葛藤。
エポニーヌの自己犠牲。
はしっこくて賢い市民活動家のアイドル少年ガブローシュ(ダニエル・ハトルストーン)の最期。
美しく健やかな学生たちの敢え無い最期。
投降を呼びかけつつも対立する立場上致し方なく発砲する軍部の立場と(多分)無念の思い。


「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督は、細部にまで行き届いた映像という映画ならではのリアリズムでもってそれぞれの登場人物の想いとその背景を捉え、歌の力ですべての感情にカタルシスをもたらし、ミュージカルの映画化、という難題を、単なる映像化以上のものに仕上げることに成功したと言えるでしょう。

観ながら、様々な場面で落涙し、観た後もいくつもの曲がしばらく耳に残って離れない・・・そんな、原作の力と歌の力を味わえる良作でした


宝生流「五雲会」

2013-02-17 04:56:29 | 伝統芸能
2013年2月16日(土)、水道橋は宝生能楽堂での「五雲会」に行って参りました。

12時に始まり、17:50に終了というたっぷりとした時間をお能4演目、狂言2演目、間の休憩が10分ずつというスケジュールで、みっちりとした伝統芸能の時間に浸りました^^

12:00 能「竹生島(ちくぶしま)」
13:15 狂言「腹不立(はらたてず)」
休憩10分
13:45 能「芦刈(あしかり)」
休憩10分
15:15 能「源氏供養(げんじくよう)」
休憩10分
16:40 狂言「しびり」
16:50 能「舎利(しゃり)」

■「竹生島」

延喜帝(醍醐天皇)の臣下が、竹生島の弁才天の社に詣でようと、琵琶湖を訪れ、湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟に便乗し、湖に浮かぶ竹生島を目指します。湖春のうららかな景色を眺めるうちに竹生島へ着き、老人は臣下を社に案内します。女人禁制のはずなのに、女性が杜に同行するのを怪しんだ臣下がそれを尋ねますが、実は女性はまつられている弁財天、老人は湖の主であるという顛末に。
杜に入って宝物を拝見している間に御殿が鳴動し、光輝く弁才天が現れて夜の舞楽を奏するうち、こんどは湖中より龍神が現れ金銀珠玉を臣下に捧げ、祝福の姿を表す・・・という、まことにめでたく壮麗なお能です。

まず、一畳敷きの敷物を、次に杜を表す屋根とワク組みを垂れ幕で覆ったものがそれぞれ運ばれて舞台に設置されます。能の大道具はこのようにして運ばれ、そして終了とともに、また、粛々と端正な身振りで持ち去られて、最後の1人に至るまで、舞台の上から人とモノがきれいに引ける様までを無駄なく様式化された動きで見せるのもまた特色。

3人が島に向かう船も枠組だけの装置ながら、舳先と艫の別がわかる秀逸な造型で、琵琶湖に浮かぶという竹生島に、改めて行ってみたくなりました^^
うららかな春の湖を行く遊覧気分と、夜の典雅にして神々しい天女と龍神の舞のコントラストが楽しめる、清々しさのある演目でした^^

■「腹不立」
2人の村人が御堂の住職を探していると、妖しいにわか坊主がエントリーしてきます。
名を「腹立てずの正直坊」と名乗るので敢えて腹を立てさせるように2人が詰め寄るとあっさり馬脚を出すという単純なストーリーながら、演者のリズミカルな動きや凛ととおる声に感心。
宝生流のお能には、大蔵流の狂言という御約束があるそうで・・・。
野村萬斎でメジャーな和泉流のナチュラルな台詞回しとはまた異なる様式美を感じました^^

■「芦刈」

世阿弥の人情噺。
津の国の日下の里(大阪府東大阪市)の住人の左衛門はもとは武士であった様子ですが、主君が没落したか何かで、今は困窮し、生活のために芦を売り歩く商人となりました。やむなく別れた愛妻は、京の都で高貴な家の乳母となって、幸せに暮らしている・・・という設定。
心ならずも別居の2人、妻は生活が安定したので、夫を探す旅に出ます。
夫は不遇を嘆くでもなく、自分の生業に満足し、平常心で芦を売り歩いているのですが、ある日、彼を探す妻の一行にそれと知らずに、面白く囃しながら芦を売り、問われるままに、昔、仁徳天皇の皇居があった御津の浜の由来を語り、笠尽しの舞を見せます。
ところが思いがけずに妻の姿を認めた夫は急に困窮の身の上を恥じて、近くの小屋に身を隠してしまいます。
その後、言葉を交わして打ち解け直して、夫は装束を改めて男舞を舞います。

盛りだくさんな内容をすべて初見で理解するのが少し難しく感じましたが、職業に貴賎なしと胸を張って自足して生きる姿にも日本人の心を感じる後味の良いお話でした^^

■「源氏供養」

紫式部の供養を高僧が頼まれる・・・という幻想的な能。
「源氏物語」の執筆場所と伝えられる琵琶湖を望む石山寺。
そこに向かう高僧、安居院法印(あぐいのほういん)を呼びとめる1人の女性が。
彼女は自らを源氏物語60帖の作者であると名乗り、光源氏を供養しなかった罪ゆえに成仏できずにいると語り、供養を願い出ます。
法印がそれを受けて、石山寺で紫式部の菩提を弔ううちに、灯火の影に幻のように美しい女が現れます。在りし日の姿で現れた式部は、供養を喜び、お礼にと法印の望みのままに舞います。その後成仏を望む願文を記した巻物を法印に手渡します。その願文は『源氏物語』54帖の題目を織り込んだ凝ったものであった・・・という展開。

ワキの福王和幸氏の装束の着こなしがとてもきれいだったこと、紫式部の装束が前・後半の2種ありともに大変豪華なものであったことが印象に残っているのですが、楽しみにしていた源氏から引かれているはずの謡の文句が充分には聞きとれず・・・
長丁場の疲れ?自分自身の勉強不足ゆえ?
両方あるかと思いますが、次回、この演目を観賞する機会があれば、もう少し予習が必要かも・・と思いました^^;


■「しびり」

主人が太郎冠者を魚を買いに使いにやろうと命ずると、気の乗らない太郎冠者が持病のしびり(痺れ)で足が痛くなり動けないと主張。
一計を案じた主人が、叔父がご馳走すると招待してくれたがその様子だとムリだから、代わりに次郎冠者を連れていくと言い渡します。
すっかりなおったと調子のよい太郎冠者に再び使いを命じる主人が上手。

主人役の山本凛太郎氏、太郎冠者の山本則俊氏は祖父と孫の関係でしょうか?
口跡の良いお二人でした^^

■「舎利」

始めに一畳台が出されその上に、光輝く金色の卵のような舎利を載せた黒い三宝が置かれます。
舞台の客席よりギリギリに置かれるので、2列目で観賞していたわたくしは、目の前であのスペクタクルが展開されるのか・・・!とワクワク^^

出雲の国(島根県)美保の関から来た旅僧が仏舎利を拝観しに、東山の泉涌寺にやって来ます。寺の僧の案内で、仏舎利を拝んで感激していると寺の近くに住むという男(里人)がやって来て、一緒に舎利を拝みます。彼は異形で、蓬髪(ほうはつ・みだれがみ)に怪士(あやかし)という怪奇な面をつけており、仏舎利のありがたいいわれを語ります。
ところが俄かに空がかき曇り稲妻が光ると、男はひとっ飛びに台に上り、舎利とその台を捧げ持ち、三宝を踏み砕いて去ってしまいます。彼は昔、一度、仏舎利を奪ってまた奪い返された、昔の足疾鬼(そくしっき)の執心であると言い、懲りもせずにまた仏舎利を奪ったのですが、設定としては、天井を蹴破って虚空に飛び去ったことになっています^^;(実際には、走り去る・・のですが)
音楽も、笛・大小の鼓、太鼓がエモ―ショナルに鳴り響き、非常に盛り上がる場面です。
それにしても、三宝を踏み砕く、とい舞台上における器物破壊行為には度肝を抜かれます@@

僧は、物音に驚いて駆けつけた寺の僧に事情を説明。寺の僧は、釈迦入滅の時、足疾鬼という外道が、釈迦の歯を盗んで飛び去ったが、韋駄天という毘沙門の弟の足の速い仏が取り返した、という話をします。そして、二人が韋駄天に祈ると、韋駄天が現れ、足疾鬼を天上界に追い上げ、下界に追いつめ、仏舎利を取り返します。最終的に足疾鬼は、力も尽き果てて逃げ去ります。

この韋駄天と足疾鬼の対決がVISUAL的にも観もので・・・
ともに歌舞伎の唐獅子のような鬘をつけて面を装着しているのですが、真っ赤な頭に黒地に金襴緞子の胴着、白袖の足疾鬼と黒髪の韋駄天が一畳敷の両端でにらみ合う様は絢爛にしてドラマチック、宇宙の果てである天竺から来たという2人の超高速の闘いをスローモーションコマ送りのような動きで表現する様も新鮮でした
この主役(シテ)である足疾鬼を演ずるのが内籐飛能先生(友人が師事しているので^^)で、ダイナミックな演技で舞台を盛り上げていらっしゃいましたが、ツレの韋駄天の木谷哲也氏とともに、面をつけているために声がこもって聞こえるのがちょっぴり残念と言えば残念。
このすべてを目撃しつつも動揺を見せずに物語る旅の僧を演じるワキの則久英志氏の声が良く、また節回しも美しく、非常に謡の上手い方で、わたくしのような素人でも、上手いなぁと聴きほれるほど。

お能も奥が深いですね。
謡と仕舞の発表会を拝見する機会を去年から持つようになり、その面白さにハマりつつありますが、
装束をつけての能舞台はまた格別の味わいがあることだと
また、機会があれば観賞したいと思いました


2013お着物を愛でる会

2013-02-11 02:10:06 | きもの
色々書きたい観賞記録を飛び越えて、まずは近況から・・・

2月9日の土曜日に、お着物仲間の宮本さん、どなさん、miwaちゃんと4人での集いです。
2月・・・ではありますが、今年になって初の着物会ですので、旧正月と相まって新年会気分で

まずは、銀座三越のトラットリアGARGAにて、のLUNCHから・・・。





ヘルシーな印象の前妻の盛り合わせ、選べるパスタとメインは
インぺラト―レ(魚貝のトマトソース)
イサキのズッパ・ディ・ペッシェ
それにグラスのスプマンテ、ジェラ―トとコーヒーで、美味しく頂きました・・・が。

あの雰囲気を再現していたら凄いけど・・と期待半分、期待しない気分半分であのFirenzeの個性的なレストラン、GARGAを再現出来ているかどうか・・と選んだこの日のレストラン、でしたが、やはり全くの別物でした。
もともとオーナーが美大生に自由に壁画を描かせた独特のスノッブさとカジュアル感が魅力のこじんまりとしたレストランで、お肉料理や豆料理のトスカーナの郷土料理がメインのレストランが多い中、南イタリア風の魚貝類が美味しい貴重な店として、フィレンツェに行くたびに必ず立ち寄っていたので、初の支店が日本で、しかもデパートに出店?!と興味駸々だったのですけど^^;
壁画?はありますが、よくあるフレスコ画風で、赤白チェックのクロスといい、ROMAにありそうなおおらかな雰囲気のお店で、あの個性的なFIRENZE店のムードとはかなり異なるかな?と。
あと、お店のスぺシャリテのパスタ、インぺラト―レですが、トマトソースにオレンジを合わせるというオリジナルのフレッシュな味覚にハマって、これがある!とオーダーしたら、やはりといいますが、オレンジの風味が弱弱しくて・・・

本店の再現率目線で辛口なことを書いてしまいましたが、比較さえしなければ、美味しいイタリアンのバランスの良いコースで、楽しく語らうことのできる空間での満足のお食事でした。

それよりも、この日のメインは


さすがは我が、お着物を愛でる会の皆様!

全身のお姿で左から・・。
ダークレッドの色無地に白地に刺繍の梅の帯、とても華やかな利休バッグを合わせていらっしゃる宮本さん。
利休バッグのメインカラ―、色無地、口紅の赤のTONEを完璧に合わせていらして、とても艶やか。
去年おもとめになって、今回お初おろしのバッグは、デザイナー横森美奈子さんのアーティスティックな一点もの。
本体がテキスタイルデザイナーNUNOとのコラボで、ダークレッドにモ―ル刺繍のようなシックな金糸の唐草模様。
マチの部分はVintageのCHANELのスカーフで、トルコブルーとVIVIDピンクとGOLDのCHANELのCをモチーフにした幾何学柄。持ち手はグリーンのサテンで、洋装でも映えそうですエキゾチックな美貌の宮本さんにピッタリですね^^

センターのどなさんは去年あつらえて、初おろしのお着物で。
グレーベージュのストライプの地模様に、繊細な金糸のダイヤ柄がストライプ状に織り込まれた、ちょっとARMANIっぽい反物に一目ぼれして仕立てられたとか。
お太鼓の大きな鶴の飛翔が柄あわせ完璧な状態で占められた帯にくっきりと浮かび上がって清々しい新年の気分を盛り上げています。金のあられ柄が飛んだ白絹の半襟、白黒ストライプが粋な帯上げ、それと呼応するカレンブロッソの草履の台の黒白市松。更に、手にされたストールと鼻緒の淡い桜色で粋なコーディネートを品良く和らげる術はどなさんならでは。

miwaちゃんはアンティーク昭和中期~後期のお着物にソフトなGOLDの袋帯。
モチーフは・・・ムラで観劇&感激覚めやらずの宝塚月組公演「ベルサイユのバラ」に心奪われた、気持ちの入った薔薇柄ですが、はんなりとしたオレンジと若草色のグラデーションがなんとも春らしく、フレッシュなmiwaちゃんにお似合いです
お食事のときに取りだされた手ぬぐいも若草色・・・と見たら、去年MATSUYAで開催された「ベルばら展」会場で販売されていた「オスカル様てぬぐい」で・・!

そんなベルばらモードのmiwaちゃんからムラ遠征のお土産として、こんなカワイイチョコレートをいただきました!
ありがとう~

銀座のAntiqueお着物SHOP,「円窓のやや」さんでShopping。
タクシーで東京駅に向かい、東京STATION HOTELのロビーカフェでティータイム。




POTサービスのオリジナルブレンドのハーブティーと小さなサイズが3種類、のケーキセットで
ゆったりとしたお時間を過ごしました。

いつの間にやら夕刻となり、宮本さんとmiwaちゃんとはこちらで失礼し、どなさんと2人で向かった先は
三菱一号館美術館・・・。
この日が初日の「奇跡のクラーク・コレクション展」へ。

印象派の画家の秀作73点を、ゆったりとした空間で楽しむことが出来ました。
シンガ―ミシンの創業者一族のロバート・スターリング・クラーク氏がパリで出会ったコメディ・フランセ―ズで活躍した元女優の妻フランシ―ヌと2人で作り上げたコレクション。
誰が観ても心地よい美しい色彩と構図の作品がメインで親しみやすく心休まる19世紀絵画で構成された展覧会。
モネやシスレー、ルノアールらが独自の個性を発揮する画風を身につける前の若描きの珍しい作品なども含め、コレクターの審美眼、好みがはっきりと表れた個人コレクションの逸品を一同に観られるチャンス。
そうそう、コレクションの隠しテーマ(?)として、「手芸をする女性」の絵が多く・・・
他にもこだわりポイントがありそうで、それを見つけるのもまた一興かと
クラーク・コレクションはボストンから車で3時間、マサチューセッツ州のクラ―ク美術館に収められているということで、なかなか足を運ぶ機会もなさそうですが、このたび安藤忠雄の設計で新館に着工するにあたり、閉館期間中にコレクションを巡業させよう・・・ということらしく。
東京の後は神戸に行くようですが(奇しくもこの美術館も安藤忠雄の設計なのですね@@)東京での展覧会は5月26日(日)まで。
木金土は20:00までの夜間開館もありますので、開催期間中にもう一度足を運びたいと思います


ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート2013

2013-02-04 23:02:47 | MUSIC
というタイトルが空々しい立春
1月はついに一度もブログを更新せずに終わってしまいました・・・。
というのも、2012年、書きそびれたことをどこかでUPしなくては・・ともんもんとしている間に怒濤の年末年始に突入して、2012年の残滓が行き場を失ったため・・・

とはいえ、このままでは2013年が始まらないので^^;
例年通りのウィーンフィルから遅ればせながらのSTARTに

今更ながら、今年もよろしくお願い致します。

ウィーン楽友協会から放送。
フランツ・ウェルザー・メスト指揮、ウィーン・フィルが奏でるワルツやポルカの名演。
【スタジオゲスト】夏木マリ、池辺晋一郎【司会】中條誠子アナウンサー

劇場付き指揮者のウェルザーメストの飄々とした学者肌の雰囲気と洒脱なウィーンフィルの持ち味が響き合い、
とてもリラックスした楽しい演奏を聴かせてくれました。



演奏された曲目は、シュトラウス一族の中でも地味めな存在のヨーゼフ・シュトラウスに焦点を合わせると言う
マニアックなもの^^。
ウェルザーメストらしいなと^^


ヨーゼフ・シュトラウス:   ポルカ・シュネル「スブレット」op.109
ヨハン・シュトラウス2世:  「キス・ワルツ」op.400
ヨーゼフ・シュトラウス:   「劇場カドリーユ」op.213
ヨハン・シュトラウス2世:   ワルツ「山から」op.292
フランツ・フォン・スッペ:  オペレッタ「軽騎兵」序曲
ヨーゼフ・シュトラウス:   ワルツ「天体の音楽」op.235
ヨーゼフ・シュトラウス:   ポルカ・フランセーズ「糸を紡ぐ女」op.192


― 休 憩 ―

リヒャルト・ヴァーグナー:  オペラ「ローエングリン」第3幕への前奏曲
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世: ポルカ・マズルカ「二人きりで」op.15
ヨーゼフ・シュトラウス:    ワルツ「宵の明星の軌道」op.279
ヨーゼフ・シュトラウス:   「ガロパン・ポルカ(使い走りのポルカ)」op.237
(バレエ)ウィーン国立バレエ団
ヨーゼフ・ランナー:     「シュタイアー舞曲」op.165
ヨハン・シュトラウス2世:   「メロディー・カドリーユ」op.112
ジュゼッペ・ヴェルディ:   オペラ「ドン・カルロ」第3幕からバレエ音楽
ヨハン・シュトラウス2世:   ワルツ「シトロンの花咲く国」op.364
(バレエ)ウィーン国立バレエ団

ヨハン・シュトラウス1世:  「エルンストの思い出、またはヴェネツィアの謝肉祭」op.126


― アンコール ―

ヨーゼフ・シュトラウス:    ポルカ・シュネル「おしゃべりな子供」op.245
ヨハン・シュトラウス2世:   「美しく青きドナウ」op.314
ヨハン・シュトラウス1世:  「ラデツキー行進曲」op.228

シュトラウスの他には、生誕200年を迎えるヴェルディとワーグナーから一曲ずつ。
ワーグナーのローエングリンは・・・圧巻ですね!
シュトラウスのワルツを聴いた耳でこれを聴くと、当時の人々がワーグナーの革新性に熱狂したのが実に良く理解できます^^;
VERDIも偉大な作曲家ですが、ドン・カルロよりももっとキャッチ―な演目があるでしょう!と思ってしまいました^^;
ちょっと割をくってしまいましたね。
また、スタジオで夏木マリが池辺晋一郎相手に平凡な常識人VERDIとワルイ天才肌のワーグナーという視点で先生はワーグナーですね、などとおもねる様がVERDIの天才はこんなものではないのに・・・と忸怩たる気分でいるVERDIファンの気持ちを逆なでし・・・(笑)
フォローを入れない中條アナにまで、どうして!軽く憤りを感じたりして^^;
まぁ、、それはともかく、今年のクラシック界は2人の偉大な作曲家へのオマージュ公演で盛り上がりそうですね

とても楽しかったのがウィーン国立バレエ団のバレエ。
色とりどりの衣装が夏の庭園をバックに鮮やかに映えて陽気なムードを盛り上げていた「ガロパン(ギャロップ)ポルカ」

白い衣装の貴族の男女が麗しい「シトロンの花咲く国」。
この白い貴族風の脇ロール付きの鬘をつけさせられていたのは唯一の東洋人、我らが木本全優くん。
ウィーン国立バレエ団の来日公演のときに、フォーゲル君がバレフェスで踊ったマルコ・ゲッケの「モペイ」を踊ってその美しい筋肉のついた素晴らしいプロポーションとフィギュアの本田武史くん顔負けの素朴なお顔立ちのGAPで強い印象を残した彼が抜擢されている!とコーフン。
でも、あの鬘は・・・ちょっと微妙な心持にさせられてしまいました・・・。


それにしてもORFの画像の美しさ・・・・会場の楽友協会の写し方、曲の見せ場を心得た楽団員のUP,雄大なアルプスなどオーストリアの美しい自然・四季折々の姿を格調高く見せるカメラワークと曲のシンクロ具合の職人技の素晴らしさは流石は世界に向かって開かれたヨーロッパの田舎町ウィーンならではであると感動します。

ヨーゼフシュトラウス協会のサイトでとても詳しい曲目紹介を見つけたので、
貼っておきます。



ヨーゼフ・シュトラウスのためのニューイヤーコンサート
曲 目 解 説
日本ヨハン・シュトラウス協会
若宮 由美
シュトラウス家の次男ヨーゼフ(1827-80)が、これほどニューイヤーで取りあげられたことがあるでしょうか。2013年の注目はヨーゼフです。技師であった彼は、1853年に兄ヨハン(1825-99)のピンチヒッターとして初めてシュトラウス楽団を指揮し、ワルツ〈最初で最後〉op.1を発表。音楽家になる意志のなかったヨーゼフでしたが、意に反して職業音楽家の道を歩みました。
生誕200年を迎えるのはヴァーグナー(1813-83)とヴェルディ(1813-1901)。そしてオイゲン公(1663-1736)は生誕350年。かつてのオイゲン公の城、シュロス・ホーフでバレエが踊られます。指揮者はオーストリア出身で、ウィーン国立歌劇場音楽監督のフランツ・ウェルザー=メスト。
<第一部>
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル〈スブレット〉op.109
Josef Strauss: Die Soubrette. Polka schnell, op.109
スブレットとは「小間使い」の意。オペレッタに登場する「ちゃっかりした小間使い」の役柄を指します。《こうもり》(1874)のアデーレがまさにスブレット。しかし、この曲は1861年8月初演で、ウィーンでオペレッタが大流行する以前に作られました。躍動感あふれるポルカは聴く者を楽しい気分にさせ、演奏会への期待を高めることでしょう。
■ヨハン・シュトラウス2世:〈キス・ワルツ〉op.400
Johann Strauss Sohn: Kuß-Walzer. op.400
1878年4月に最初の年上妻を亡くしたヨハン2世は、翌月2度目の結婚をします。再婚したヨハンは、1881年11月にオペレッタ《愉快な戦争》を初演。翌年1月の宮廷舞踏会で、オペレッタのヒット・メドレーというべき〈キス・ワルツ〉を披露します。「愛する妻アンゲリカへ」という献辞にもかからず、蜜月は続かず、25歳年下の妻はすぐに家をでます。
■ヨーゼフ・シュトラウス:〈劇場カドリーユ〉op.213
Josef Strauss: Theater-Quadrille. op.213
カドリーユは6曲の小曲から構成され、舞踏会ではダンスマスターの振付で踊られます。1867年1月初演の同曲には、ウィーンの諸劇場で評判となった劇作品のモティーフが散りばめられています。第1曲:A.ミュラー《エーゼルスハウト》、ヴェルディ《仮面舞踏会》、第2曲:スッペ《軽騎兵》、ヘルテル《フリックとフロック》、第3曲:《エーゼルスハウト》、第4曲:マイヤベーア《ディノラ》と《アフリカの女》、第5曲:J. ホップ《ドナウの乙女》、スッペ《古い箱》、第6曲:《ドナウの乙女》、オッフェンバック《青ひげ》。
■ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ〈山から〉op.292
Johann Strauss Sohn: Aus den Bergen. Walzer, op.292
高貴で優雅な響きの演奏会用ワルツ。夏に仕事で毎年訪れるロシアのパバロフスクで、1864年に作曲。デビュー20年を祝う12月の演奏会でウィーン初演されました。出版譜は音楽批評家ハンスリックに献呈。ハンスリックは10年程前にヨハン2世の管弦楽法を「ヴァーグナー的」と非難した人物ですが、ひそかなワルツ・ファンだったといいます。
■フランツ・フォン・スッペ:オペレッタ《軽騎兵》序曲
Franz von Suppé: Leichte Kavallerie. Ouvertüre
スッペ(1819-95)は、ウィーン風のオペレッタを書き始めた作曲家として知られています。
《軽騎兵》は1866年3月21日、ウィーンのカール劇場で初演。ハンガリー風音楽を用いた、最初のウィーン・オペレッタといえます。いまでは軽快な序曲のみが知られています。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〈天体の音楽〉op.235
Josef Strauss: Sphärenklänge. Walzer, op.235
1868年1月21日、ゾフィーエンザールで開催された医者の舞踏会で初演されました。タイトルが祝祭にそぐわないとみなされましたが、ヨーゼフの代表作となりました。古代ギリシア時代の音楽理論では、音楽の調和(ハルモニア)は宇宙の調和と同じと考えられていましたが、この曲を聴くと崇高な世界に導かれるようです。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ〈糸を紡ぐ女〉op.192
Josef Strauss: Die Spinnerin. Polka française, op.192
1866年謝肉祭にフォルクスガルテンで初演。コトコト回る糸車がリズミカルに描写されています。有名な〈小さな水車〉op.57と、双璧をなすヨーゼフのポルカ・フランセーズですが、近年はあまり演奏されませんでした。シュトラウス楽団がしばしば演奏した、ヴァーグナーの〈糸紡ぎの合唱〉(《さまよえるオランダ人》)を手本にしたといわれています。
<第二部>
■リヒャルト・ヴァーグナー:オペラ《ローエングリン》第3幕への前奏曲
Richard Wagner: Lohengrin. Vorspiel zum 3. Aufzug
同オペラは1850年8月28日にワイマール宮廷歌劇場で初演されました。指揮はフランツ・リスト。夢想家のバイエルン国王ルートヴィヒに好まれました。ウィーン初演は58年8月。第3幕の前奏曲は壮麗な音楽で、オペラでは有名な〈婚礼の合唱〉へと続きます。
■ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世:ポルカ・マズルカ〈二人きりで〉op.15
Josef Hellmesberger: Unter vier Augen. Polka mazur, op.15
マーラーの後任としてウィーンフィルの指揮者(1901~03)を務めたヘルメスベルガー(1855-1907)は、20歳で父の四重奏団に加わり、1878年ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者になります。同曲は77年頃の若い時代の作品。ポルカ・マズルカは、3拍子のマズルカにポルカのステップを組み合わせたダンスです。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〈宵の明星の軌道〉op.279
Josef Strauss: Hesperus-Bahnen. Walzer, op.279
ヨーゼフ最後の傑作。1870年4月にウィーン芸術家協会「ヘスペルス」の舞踏会で初演。ヘスペルスは「宵の明星」の意。同舞踏会は、1月に開場したばかりのウィーン楽友協会黄金ホールで開かれる予定でしたが、火事で数ヶ月延期されました。4月に優雅で遠大なワルツは大喝采を得ました。それから3ヶ月後、ヨーゼフは事故が原因で世を去ります。
■ヨーゼフ・シュトラウス:〈ガロパン・ポルカ(使い走りのポルカ)〉op.237
Josef Strauss: Galoppin. Pokla (schnell), op.237
多くのウィーンっ子が、証券取引所に興味を示す時代がありました。その頃、取引所に通信技術がまだなかったため、伝令役として「ガロパン」と呼ばれる「使い走り」が大活躍しました。この曲の初演は1868年。すでにガロパンは過去の風物詩でしたが、彼らが忙しく動きまわる姿がポルカ・シュネルで表現されました。
■ヨーゼフ・ランナー:〈シュタイアー舞曲〉op.165
Joseph Lanner: Steyrische Tänze. op.165
ピアノを習ったことのある人にとって、「シュタイター舞曲」は、ブルクミュラーの練習曲で馴染みがあると思います。この舞曲は3拍子の民俗舞踊で、ワルツの祖である「レントラー」の一種。農民によって踊られました。ランナーはヨハン・シュトラウス1世とともにワルツ隆盛時代を牽引した作曲家。同曲はディヴェルティスマン《芸術の力》(1841年1月ケルトナートーア劇場初演)の1曲。3人のダンサーによって舞台上で踊られました。
■ヨハン・シュトラウス2世:〈メロディー・カドリーユ〉op.112
Johann Strauss Sohn: Melodien-Quadrille. op.112
ウィーンではヴァーグナー以上に叩かれたヴェルディが、《リゴレット》(1852年5月12日ウィーン初演)でようやく賞賛を得ます。批評家はこの時もヴェルディを酷評しますが、皇帝フランツ・ヨーゼフとヨハン・シュトラウスはこのイタリア人作曲家を支持しました。同カドリーユには《リゴレット》(第1, 4曲)だけでなく、不評だった以前の作品、《エルナーニ》(第3, 4, 6曲)と《マクベス》(第2, 3, 5, 6曲)のメロディーも引用されています。
■ジュゼッペ・ヴェルディ:オペラ《ドン・カルロ》第3幕からバレエ音楽
Giuseppe Verdi: Ballettmusik aus dem 3. Akt von “Don Carlo”.
パリ・オペラ座からの依頼作《ドン・カルロ》は、パリ万博の1867年に初演されました。こんにちではイタリア語上演が多いのですが、2004年ウィーン国立歌劇場がコンヴィチュニーの演出でフランス語版を復活上演。それ以来、同劇場では仏語版と伊語版の両方が上演されています。バレエ音楽はグランド・オペラの形式を踏襲する仏語版で演奏されます。
■ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ〈シトロンの花咲く国〉op.364
Johann Strauss Sohn: Wo die Citronen blüh’n. Walzer, op.364
1874年《こうもり》で大成功を収めたヨハン2世は、翌5月にJ.ランゲンバッハ楽団とイタリア演奏旅行に出かけます。同曲はこの旅行用に作曲されました。タイトルは、ゲーテによる『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の有名な「ミニョン」の詩に由来します。
■ヨハン・シュトラウス1世:〈エルンストの思い出、またはヴェネツィアの謝肉祭〉op.126
Johann Strauss Vater: Erinnerungen an Ernst oder Der Carneval in Venedig. op.126
ヴァイオリンの名手、エルンスト作曲の〈ヴェネツィアの謝肉祭〉op.18に基づく変奏曲。原曲がすでに民謡〈私のママ〉による変奏曲であり、1世の曲も変奏曲のスタイルで書かれています。楽器紹介さながらに、さまざまな楽器が入れ替わりでテーマを奏します。
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル〈おしゃべりな子供〉op.245
Josef Strauss: Plappermäulchen. Polka schnell, op.245
1868年4月初演。「音楽の冗談」という副題が付けられています。同じ副題が与えられた兄の作品〈常動曲〉op.257と同様、この曲には終止がなく、際限なく演奏が繰り返される「常動曲」のスタイルで書かれています。タイトルは10歳になるヨーゼフの一人娘カロリーネを暗示しています。ウィーンフィルの演奏によって有名になりました。
* ヨハン・シュトラウス2世の作品タイトルについては、日本ヨハン・シュトラウス協会『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(2006)に従っています。