ミュージカル好きがことごとく絶賛する2012年英国映画「レ・ミゼラブル」をシャンテ・シネで観てきました。
12月の終わりに公開されたのに、今でも満席。
原作はヴィクトル・ユゴーの大河小説「ああ無情」
今回は1985年以来上演され続けているミュージカルの映画化。
おなじみのキャラクター、曲が、暗い19世紀のパリに息づき、心情を吐露する登場人物たちが、演技力も歌唱力も兼ね備えた俳優の 時として表情で語るアップの画像の助けもあり、胸に迫るそれぞれの人生の苦悩や喜びを圧倒的な迫力で伝える展開に、あっというまの2時間38分でした。
パンを盗んで5年、脱獄を企てた罪が加算されての19年。
看守ジャベール(ラッセル・クロウ)に送り出されての実社会は、前科者ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)に厳しく職を得て生活を立て直すことができない。
飢えて世間の冷たさにすさんだ彼を救ったのは雪の夜開かれた教会の門。
食事と暖炉の火と休む場所。
銀器を奪ってつかまったジャンを神父はかばい、更に燭台を持たせます。
その心に報いんと、囚人であった過去を捨て、新しい人生を歩んで成功した彼。名はマドレーヌ。
市長にして工場経営者。
彼の会社で働くことのできる労働者は幸い。でも、その一歩外には暗愚の貧困と悲惨な運命が。
その境界線で転がり落ちた若いシングル・マザー、ファンティーヌの転落を演じるアン・ハサウェイが印象的。
預けてある娘に送金するために髪や歯を売り、娼婦に転落。
幸せな恋愛の思い出から現在の絶望的な状況までをクロ―ズアップの表情と刻一刻と変わる歌声で、彼女自身受け入れられない運命の変遷をリアルにドラマチックに描いて圧巻。
前科者の出頭義務を放棄し、姿をくらましたジャンを執拗に追うのは刑務官から警部に転身したジャベール。
疑いを察知して心穏やかでないマドレーヌ市長はファンテーヌの直訴に耳を傾ける余裕がなく、結果として自分がファンテーヌの死に至る転落の原因の責任を持つと知り、遺児コゼットの保護者を買って出ます。
とことんがめつい宿屋の夫婦に預けられたコゼットを救いだし、数奇な運命のもと、修道院でひっそりとコゼットを育てます。
ここで、感じるのは、ジャンがコゼットを得たことで知る人生の真の意味について。
自分では何の力もない(ように見える)少女が、その成長を見守る保護者に与える喜び。
怪力で知られ、更生した後は、市長に上り詰めるまでにビジネスの能力、人間力ともに兼ね備えた1人の男。
彼が自身の権力欲・自己実現欲よりも、無事に少女を幸せな環境で育て、そして後には嫁がせるために、ある意味恋敵であるマリウスを途方もない努力で救出するという行動に至るパワー。
それを生み出すその愛の力たるや。
また、貧困の中、たくましくがめつく生きるテナルディエ夫婦(妻:ヘレナ・ボナム・カ―タ―)の生き方、その娘として、実らぬ恋心を切々と歌うエポニーヌ(サマンサ・バークス)、一寸先の闇に引きずり込まれて若さと美しさと命を失ったファンティーヌらの背景にある社会的なセーフティーネットのない政治のあり方。
その隙間を埋める存在としての教会の持つ役割や力、慈善事業の意味。
一方、その政治自体を変えるべきだとするマリウス(エディ・レッドメイン)含む学生運動のうねり。
などなど、今にも通じる面もある当時の社会的背景が、複雑に絡み合い、ともに結びつきながら、個人の感情や人生をくまなく散りばめて心を揺さぶり続ける手法はさすが。
暗い時代でありながら、神父に導かれて神の愛を知った善行の人、ジャン・バルジャン、コゼット(アマンダ・セイフライド)とマリウスの初恋とその行方の一抹の安らぎ。
その一方で、監獄で生まれて法による正義を行うことを自らの信条として迷うことのなかったジャベールがジャンに救われたことで生じた混迷と葛藤。
エポニーヌの自己犠牲。
はしっこくて賢い市民活動家のアイドル少年ガブローシュ(ダニエル・ハトルストーン)の最期。
美しく健やかな学生たちの敢え無い最期。
投降を呼びかけつつも対立する立場上致し方なく発砲する軍部の立場と(多分)無念の思い。
「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督は、細部にまで行き届いた映像という映画ならではのリアリズムでもってそれぞれの登場人物の想いとその背景を捉え、歌の力ですべての感情にカタルシスをもたらし、ミュージカルの映画化、という難題を、単なる映像化以上のものに仕上げることに成功したと言えるでしょう。
観ながら、様々な場面で落涙し、観た後もいくつもの曲がしばらく耳に残って離れない・・・そんな、原作の力と歌の力を味わえる良作でした
12月の終わりに公開されたのに、今でも満席。
原作はヴィクトル・ユゴーの大河小説「ああ無情」
今回は1985年以来上演され続けているミュージカルの映画化。
おなじみのキャラクター、曲が、暗い19世紀のパリに息づき、心情を吐露する登場人物たちが、演技力も歌唱力も兼ね備えた俳優の 時として表情で語るアップの画像の助けもあり、胸に迫るそれぞれの人生の苦悩や喜びを圧倒的な迫力で伝える展開に、あっというまの2時間38分でした。
パンを盗んで5年、脱獄を企てた罪が加算されての19年。
看守ジャベール(ラッセル・クロウ)に送り出されての実社会は、前科者ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)に厳しく職を得て生活を立て直すことができない。
飢えて世間の冷たさにすさんだ彼を救ったのは雪の夜開かれた教会の門。
食事と暖炉の火と休む場所。
銀器を奪ってつかまったジャンを神父はかばい、更に燭台を持たせます。
その心に報いんと、囚人であった過去を捨て、新しい人生を歩んで成功した彼。名はマドレーヌ。
市長にして工場経営者。
彼の会社で働くことのできる労働者は幸い。でも、その一歩外には暗愚の貧困と悲惨な運命が。
その境界線で転がり落ちた若いシングル・マザー、ファンティーヌの転落を演じるアン・ハサウェイが印象的。
預けてある娘に送金するために髪や歯を売り、娼婦に転落。
幸せな恋愛の思い出から現在の絶望的な状況までをクロ―ズアップの表情と刻一刻と変わる歌声で、彼女自身受け入れられない運命の変遷をリアルにドラマチックに描いて圧巻。
前科者の出頭義務を放棄し、姿をくらましたジャンを執拗に追うのは刑務官から警部に転身したジャベール。
疑いを察知して心穏やかでないマドレーヌ市長はファンテーヌの直訴に耳を傾ける余裕がなく、結果として自分がファンテーヌの死に至る転落の原因の責任を持つと知り、遺児コゼットの保護者を買って出ます。
とことんがめつい宿屋の夫婦に預けられたコゼットを救いだし、数奇な運命のもと、修道院でひっそりとコゼットを育てます。
ここで、感じるのは、ジャンがコゼットを得たことで知る人生の真の意味について。
自分では何の力もない(ように見える)少女が、その成長を見守る保護者に与える喜び。
怪力で知られ、更生した後は、市長に上り詰めるまでにビジネスの能力、人間力ともに兼ね備えた1人の男。
彼が自身の権力欲・自己実現欲よりも、無事に少女を幸せな環境で育て、そして後には嫁がせるために、ある意味恋敵であるマリウスを途方もない努力で救出するという行動に至るパワー。
それを生み出すその愛の力たるや。
また、貧困の中、たくましくがめつく生きるテナルディエ夫婦(妻:ヘレナ・ボナム・カ―タ―)の生き方、その娘として、実らぬ恋心を切々と歌うエポニーヌ(サマンサ・バークス)、一寸先の闇に引きずり込まれて若さと美しさと命を失ったファンティーヌらの背景にある社会的なセーフティーネットのない政治のあり方。
その隙間を埋める存在としての教会の持つ役割や力、慈善事業の意味。
一方、その政治自体を変えるべきだとするマリウス(エディ・レッドメイン)含む学生運動のうねり。
などなど、今にも通じる面もある当時の社会的背景が、複雑に絡み合い、ともに結びつきながら、個人の感情や人生をくまなく散りばめて心を揺さぶり続ける手法はさすが。
暗い時代でありながら、神父に導かれて神の愛を知った善行の人、ジャン・バルジャン、コゼット(アマンダ・セイフライド)とマリウスの初恋とその行方の一抹の安らぎ。
その一方で、監獄で生まれて法による正義を行うことを自らの信条として迷うことのなかったジャベールがジャンに救われたことで生じた混迷と葛藤。
エポニーヌの自己犠牲。
はしっこくて賢い市民活動家のアイドル少年ガブローシュ(ダニエル・ハトルストーン)の最期。
美しく健やかな学生たちの敢え無い最期。
投降を呼びかけつつも対立する立場上致し方なく発砲する軍部の立場と(多分)無念の思い。
「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督は、細部にまで行き届いた映像という映画ならではのリアリズムでもってそれぞれの登場人物の想いとその背景を捉え、歌の力ですべての感情にカタルシスをもたらし、ミュージカルの映画化、という難題を、単なる映像化以上のものに仕上げることに成功したと言えるでしょう。
観ながら、様々な場面で落涙し、観た後もいくつもの曲がしばらく耳に残って離れない・・・そんな、原作の力と歌の力を味わえる良作でした