マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

待たれる登山 そして 『聖母の訪問 祝日』・・・『身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった。』

2021-05-31 10:27:15 | 登山・ハイキング
5月31日。月曜日。快晴。

  
                               昨年の収穫です。
        苗植えの時期を見逃しては大変です。
         昨年同様、ミニトマトと紫蘇。
         他には何を植えましょうか?

     ”天気もいいし、山登りはどう?” 山登りに誘ってくれた夫。
      飛び出したいのは山々ですが・・・
        ”ワクチン二本目を打ってからに致しましょうよ。”
               お誘いに、感謝!感謝!

  

        今日もおとなしくSTAY HOME。
         夏野菜を植えます。
     収穫のミニトマトを持って、山に行けるのはいつでしょうか?
                    その日が待たれます。


そして。

今日は5月31日。 『聖母の訪問 祝日』
             
  
           『聖母のエリザベト訪問』   ドメニコ・ギリランダイオ作

  イエスを宿したマリアが、聖霊に導かれて、エリザベトを訪問を記念する日です。

 マリアが、天使から受胎告知を受けたころ、彼女の親族であるエリザベトも懐妊します。
       エリザベトは、長年子どもができず年老いていたので、
      マリアはエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美し、
        さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねるのです。


 マリアの訪問を喜んだエリザベトは
   「あなたは女の中で祝福された方です。
  わたしの主のお母様がわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。」
                        と感動したのです。
                        『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『神を畏れる人は皆、聞くがよい。
      わたしに成し遂げてくださったことを物語ろう。』

            詩編 66章16節

『今日の福音 聖母マリアのエリザベト訪問』

 『そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
    そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

 
      マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、
      その胎内の子(洗礼者ヨハネ)がおどった。


    エリサベトは聖霊に満たされて、 声高らかに言った。

      「あなたは女の中で祝福された方です。
       胎内のお子さまも祝福されています。
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
  主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」


    
         そこで、マリアは言った。

 「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
    身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
     今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
      力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

  その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、 主を畏れる者に及びます。
      主はその腕で力を振るい、 思い上がる者を打ち散らし、
    権力ある者をその座から引き降ろし、 身分の低い者を高く上げ、
   飢えた人を良い物で満たし、 富める者を空腹のまま追い返されます。


   その僕イスラエルを受け入れて、 憐れみをお忘れになりません、
 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


  マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。』
         ルカによる福音書 1章39-56節


マリアに、神の使い・天使ガブリエルからの、『イエスの受胎告知』が伝えられます。
その『しるし』として、
『親戚エリザベトも年をとっているが、男の子を身ごもっている』と伝えられ、
『神にできないことは何一つない。』 と言われます。
すると、マリアは急いでエリザベトを訪れ、『神の計らい』を確かめます。
そこで、マリアは、神がなさったことを信じました。
エリザベトも、マリアの話を聞いて、神がマリアになさったことを信じました。


           そんなマリアの『エリザベト訪問』で、
  二人は、同じ気持ちで神に感謝し、互いに喜び合い、信仰を深めることができたのです。
       神様が一緒におられることを確信したのです。

   
   人は、共に集まり、信仰の喜びを分かち合うときに、『信仰』が深まるのです。
      マリア様の『エリザベト訪問』は、『信仰者の模範』です。



エリザベト様は、マリアの訪問を受けたときに、
 
  『わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。』
            と、『マリアの訪問』を喜び、賛美したのです。

マリアは、エリザベトの喜びの言葉を聞いたときに、
  『わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
    身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。』
      と、『マニフィカト』といわれる『神の御前の貧しい人の祈り』を捧げました。


     神様は、今も、私たち一人一人を訪れてくださるのです。
  私達は、『神の前に貧しい者』として、私たちの元に、喜んで、神をお迎えしたいものです。

              

  その後・・・
   マリア様は、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰りました。
     喜んで、年老いて懐妊したエリザベトの大事な三ヶ月間の手助けをしました。
       マリア様の『エリザベト訪問』は、『生き方の模範』なのです。

私たちも、
神を信じて、神から力を頂いて、
『神の救いの業』に協力できると嬉しいですね。
祈りましょう。

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『おとめマリア、信じたあなたは幸い。神からあなたに言われたことは成就される。』
           ルカによる福音書 1章45節参照    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍が終息する日のために、あれこれとやりたいことを温めておきましょう。
体も鍛えて準備しておきましょう。 お元気で!

緊急事態宣言中の週末は時短生活 そして 『三位一体の主日 祭日』・・・『神の子とする霊を受け、この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。』

2021-05-30 05:30:00 | 私のこと
5月30日。日曜日。快晴。

朝5時半。

  

      どこのお宅の庭先も、 きれいに整えられています♡♡

          STAY HOMEの毎日で・・・
        お庭の美しさが、心を癒してくれます。
   どこのお宅も、庭のお手入れに、沢山の時間をかけていらっしゃるようです♡♡

  


朝6時。

  

        バスターミナルには、バスも人も、全く見当たりません。

       緊急事態宣言中の週末は、 バスは時短営業なのでしょうか?
      電車改札口前も、電車は動いているのかな? お人の姿は0です。
 いつも週日の6時には、バス停前も駅前も、通勤者や通学者であふれているのですが・・・。

        ジョグ途中の道路も、 自動車が見当たりません。

  

          緊急事態宣言が延長されての最初の週末です。

       一人でも多くの人が、STAY HOMEを守って、ゆっくりとして、
          コロナ禍に打ち勝つ体力をつけられますように!

        私も、今朝も、トッチントッチン・ジョグを終えて・・・
           脳に沢山の酸素を蓄えることができました。
         肺の大きさも少しだけでも大きくできたことでしょう。
             元気になって、
         これから、今日も家に閉じこもります。 感謝!感謝!


そして。

今日は5月30日。

         『三位一体の主日 祭日』
     

     キリストの死と復活、聖霊降臨という『偉大な秘義』
  その『救いの秘義』は、『父と子と聖霊のわざ』によるものです。

     聖なる父は、みことば(イエス)聖霊を世に遣わし、
        神の命の神秘を示してくださいました。

『三位一体の神秘』は、私たち人間の知性では決して知ることのできなかったことです。
    それを私たちに教えてくださったのは、イエス・キリストです。
     更に、
イエス・キリストは、私たちを三位一体の内面のいとなみに招き、導いてくださるのです。
        『教会のカレンダー』より


『今日の入祭唱』

     『全能の神、 父と子と聖霊にとこしえに賛美。
    神はわたしたちにいつくしみを示してくださった。』


『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

      『皆さん、 神の霊によって導かれる者は皆、 神の子なのです。
        
        神の子・・・ 『イエス・キリスト』 
                  ・・・全ての人の兄弟・長兄です。
                  全ての人は神の子、キリストの弟です。

       あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、
           神の子とする霊を受けたのです。

            この霊によってわたしたちは、
         「アッバ、父よ」と呼ぶのです。


       この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、
       わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。

          もし子供であれば、相続人でもあります。
         神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。
      キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。』

           ローマの信徒への手紙 8章14-17節


   皆様! 
     今日は、『父を意味する「アッバ」ということばに焦点を当てた』
   教皇フランシスコの「主の祈り」に関する『講話』に耳を傾けたいと思います。
         よろしくお願いいたします。

では、始まりです。

『親愛なる兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。

 今日は、新約の祈りは「一つの本質」に至るように思われることについて考え、
        父を意味する「アッバ」ということばに焦点を当てたいと思います。

   聖パウロの「ローマの信徒への手紙」が読まれました。
「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。
    この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」
8・15

        パウロはガラテヤの信徒にはこう伝えています。
          「あなたがたが子であることは、
神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」

            ガラテヤの信徒への手紙 4章6節
 
   パウロは、繰り返します。
  イエスと出会い、その教えを知ったキリスト者は、もはや神を恐れるべき支配者とは思いません。
      神を恐れるのではなく、神への信頼が深まるのを感じます。
    「父よ」と呼びかけることによって、キリスト者は創造主と話すことができます。
「父よ」の「ことば」は、キリスト者にとってあまりにも重要なので、しばしば「アッバ」という原型がそのまま用いられます。

        アラム語の表現がギリシア語に翻訳されずに、『アッバ』と記されるのは、
             新約においては非常に珍しいことです。
イエスご自身の声がまるで「録音されている」かのように、このアラム語のことばに残されているように思えてなりません。
            イエスの母語が尊重されたのです。

    それは、単に神の神秘と結びつくために象徴を――この場合、父親像――を用いるということではなく、
           いわば、イエスの世界全体が自分の心に注がれます。
         「父である神」と呼ぶよりも、「アッバ」と唱えるほうが、
           ずっと親しみがこもっており、心が動かされます。


           だからこそ、この「アッバ」というアラム語を、
           「パパ」「お父さん」と訳す人がいるのです。
     「わたしたちの父よ」と言う代わりに、「パパ」「お父さん」と唱えるのです。


 わたしたちは、父親のことを「パパ」「お父さん」と呼ぶ子どものように、神とかかわるために、
        心の中では、「お父さん」 と唱えるよう招かれています。
      これらの表現は愛情や温かみを帯びており、子どもの頃のことを思い出させます。
         父の限りない優しさに完全に包まれた子どものイメージです。

        ですから皆さん、正しく祈るためには、子どもの心を持つべきです。
          自分のことは自分でできるという心で祈るのではありません。
   それでは正しく祈ることはできません。お父さん、パパの腕に抱かれた子どものように祈るのです。


                心の中で問いましょう。
      「神よ、あなたは本当に愛しか知らないのですか。憎しみは知らないのですか」。
         「そうです、愛しか知りません」と神はお答えになるでしょう。
  「あなたの中に報復や、裁きを求める要求や、自分が傷ついたことに対する怒りはないのですか」 
と尋ねても、
             神は「愛しか知りません」とお答えになるでしょう。

         このたとえの中の父親の態度は、どこか母の心情を思わせます。
            たとえわが子がどうしようもない状態になっても、
       その子をゆるし、守り、思いやり、愛し続けるのは、母親にほかなりません。


 「アッバ」とひとこと唱えるだけで、
         キリスト者の祈りは十分、深められます。

        それはイエスから教わった道です。
    『主の祈り』には、他のすべての祈りを引き寄せる力があります。 

       たとえあなたが神を探し求めなくても、神はあなたを探し求めます。
     たとえあなたが神のことを忘れても、神はあなたを愛してくださいます。
たとえあなたが自分のすべての才能を無駄に浪費したと思っても、神はあなたの素晴らしさに目を向けてくださいます。

       神は父親であるだけでなく、わが子を愛し続ける母親のようでもあります。
     また、その「胎に宿す期間」は、人間の9カ月をはるかに超えて、永遠に続きます。
          それは永遠に続く愛の周期を生み出す期間だからです。

       キリスト者にとって、祈ることはただひたすら「アッバ」と唱えることです。
   それは「パパ」「お父さん」と唱えること、子としての信頼をもって「父よ」と唱えることです。

              神は決して顔を背けません。
       神は沈黙のうちにご自身を閉ざされることは決してありません。
        「父よ」と神に呼びかければ、神は答えてくださいます。あなたには父親がいます。
          あなたには、愛してくれる父親がいます。

          「父よ」と呼びかけ、まず祈ってください。
    わたしたちをずっと見守っていると、神は沈黙のうちに語ってくださいます。

         「父よ、わたしはこんなこともしてしまいました。」
           そして神はこう答えてくださるでしょう。
     「わたしはずっとあなたを見守ってきました。すべてを見ていました。
   わたしはずっとそこにいて、あなたへの愛のうちに、あなたに寄り添っていました。」


       「父よ」と唱えることをどうか忘れないでください。』
               以上。 2019年1月16日一般謁見演説 の一部でした。
                   ご一緒していただき、有り難うございました。



『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、
  全能者が言われる。「私はアルファであり、オメガである。」』
 アレルヤ、アレルヤ。
        ヨハネの黙示録 1章8節 参照  


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
緊急事態宣言中も、穏やかで、有意義な日曜日をお過ごしください。 お元気で!  

『ふんどしを締め直す時期だ』・・・『STAY HOME』 そして 『何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。』

2021-05-29 13:24:15 | 日々のこと。 世界のこと。
5月29日。土曜日。快晴。

昨夜、両宣言の期間を延長し、6月20日までとした。
『緊急事態宣言』
10都道府県(北海道、東京、愛知、大阪、京都、兵庫、岡山、広島、福岡、沖縄)
『まん延防止等重点措置』
5県(埼玉、千葉、神奈川、岐阜、三重)


              『ボケの実』
    
                      長年我が庭を彩ってくれるボケのピンクの花が好き♡♡
     今年は、
          五つほど『実』をつけています。
                   ・・・疲労回復、滋養強壮、に良しとの『実』

早速『クックパッド』を検索

            『ボケの実酒』
       
                             クックパッドより拝借
       自家製『ボケ果実酒』のレシピ。
       ボケの実:5個 氷砂糖:300グラム ウォッカ:適宜 

       ちょうど5つの実で作る『ボケ・リキュール』の作り方です。
          我が家の5つの実が熟した折に作ってみましょう。
       半年は熟成とのこと。『クリスマス酒』になりそうです♡♡
              

そして。
         またもや、『緊急事態宣言』の延長です。

政府の分科会の尾身茂会長が・・・
   『ふんどしを締め直す時期だ』
   『クラスターが多様化していたり、 PCR検査の陽性率が少しずつ増加したりしている。
      このまま行くと、国民の努力だけではコントロールするのが難しく、
        さらに強い対応をしないといけない事態になる可能性がある。
          そうならないために、感染リスクが高まる場面を避け、
        緊急提言を踏まえた対応を早急に実施することが求められていて、
            今がもう一度、ふんどしを締め直す時期だ。』
         と、述べたのは、半年前の、2020年11月18日 でした。

そして。
尾身茂会長の警告以来・・・6ヶ月後の昨日・・・更なる非常事態となり、
    再び、『緊急事態宣言』の延長宣言です。


        ここまできては・・・尾身茂会長に敬意を払って・・・
          再び、”ふんどしを締め直して”・・・
      日本国民一致団結! コロナ撲滅『基礎』を実施いたしましょう! 
          STAY HOMEを実施いたしましょう! 
         『新しい生き方』の模索を致しましょう!
    ワクチン接種は、自分のためにも、是非お人の安全のためにも、受けましょう!
          大切な全ての人の命を守りましょう! 
 

   『いつくしみ深い神よ、
 新型コロナウイルスの感染拡大によって、 今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。   
    わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
 世界のすべての人と助け合って、 この危機を乗り越えることができるようお導きください。』

      『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』 より


そして。

今日は5月29日。年間第八土曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を神に歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
   右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』

         詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

        『そのとき、イエスと弟子たちは  またエルサレムに来た。
           イエスが神殿の境内を歩いておられると、
          祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、
   
      言った。
       「何の権威で、このようなことをしているのか。
          だれが、そうする権威を与えたのか。」


  イエスは言われた。
       「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。
     そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。


           ヨハネの洗礼は天からのものだったか、
          それとも、人からのものだったか。答えなさい。」


  彼らは論じ合った。
   「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
      しかし、『人からのものだ』と言えば……。」 彼らは群衆が怖かった。
        皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。

        そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。
すると、イエスは言われた。
     「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」』

           マルコによる福音 11章27-33節

その前の日、
イエスは神殿で商売をしている人々を追い出しました。
それは、祭司長、律法学者、長老たちが許していた商売で、
祭司長たちは、イエスの行動は納得できていなかったのです。
イエスは、神殿は『神の住まい、祈リの場』、『聖なる場』であると、
考えを譲りませんでした。


      そんな時、イエスが神殿の境内を歩いておられるのを見て・・・
        祭司長、律法学者、長老たちは、イエスに質問したのです。

  「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」     
     天からの権威がなければ、神殿から人々を追い出すことができない、
            ことを、祭司長たちは知っていたのです。

      イエスが、 御自分の権威は『神から遣わされた者』だから、だと答えば、
       彼らは、 それは『神への冒涜の言葉』である、と言うことでしょう。
   そこで、
       イエスは、直接に答えず、逆に、彼らに『質問』をしたのです。
        『洗礼者ヨハネの洗礼は、天からのものなのか?』と。


     『洗礼者ヨハネの権威』は、 預言者として 『天から与えられたもの』です。
        群衆は、ヨハネが本当の預言者である、と認めていました。
      ところが、
        祭司長たちは、 ヨハネを預言者として認めなかったのです。
          ヨハネを信じず、ヨハネの『悔い改めの洗礼』を受けなかったのです。

   そこで、
     祭司長たちは、イエスに答えて、『知らない』 と言いました。
   従って、
     イエスも、『それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。』
                        と、返事をしたのです。


    イエス様は、決して、祭司長たちと話すことを、拒んだのではないでしょう。
       白紙の気持ちで、イエスの話に耳を傾けない祭司長たちとは、
        イエスの行いに『神の業』を認めない祭司長たちとは、
       堂々巡りとなるばかりなので、時間をおかれたのでしょう。

私たちも、
日々の生活の中で、
神の御業を見つけたいものですね。
しっかりと、目を見開いていましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『キリストの平和があなたがたの心を満たし、キリストのことばが豊かに宿りますように。』
                                 アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
WHOが、4月30日に、これまでの『説明』を大幅変更。
「コロナウイルスの感染者から遠く離れていても、
空気中にただようウイルスを含む微粒子『エアゾル』により感染拡大している。
風通しの悪い場所などでは、『2m離れていても感染する』。
エアゾル感染を防ぐには、マスク着用が有功である。」と。
最重要ポイントの『マスク着用』を守って、『STAY HOME』を守って、命を守りましょう。 お元気で!

三年半の猛烈訓練・・・『聖書100週間・聖書通読会』 そして 『少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。』

2021-05-28 11:33:34 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月28日。金曜日。晴れ。

毎週・金曜日は、

    午後2時~4時      『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』
   

         毎金曜日に開かれて、3年半かかる『聖書100週間』は、
    聖霊に導かれての、『恵みの時』であり、同時に、『訓練の時』でもあります。

     この集まりに参加する仲間は、聖書に親しみ、聖書に関する知識を豊かにし、
一人一人が『神の言葉』を霊的糧として読み取り、 確信を持って『信仰の喜び』のうちに生きるようになります。
   それは、同時に、
   聖書をただひたすらに3年半の間読み続けるという、『猛烈な訓練』を要求されるのです。


 3年半の長き時間の途中に・・・聖書の理解がむずかしく、3年半の長さに、くじけそうになることもありますが、
         読み続けるうちにのみ、身についていく喜びがあり、
         キリストに結ばれ、聖霊によって内側から新しくされて、
           『信仰の喜び』を獲得する『訓練期間』です。


      参加者が互いに支え合って、苦労と努力と喜びを分かち合いながら、
      3年半続く『恵みの時』、そして 自己形成のための『訓練期間』が、
             『聖書100週間』です。 

 
       今日の『通読範囲』 は 『ヨナ書』と『トビト記』です。
  神は、成長しない預言者ヨナを、魚の腹の中に『三日間』閉じ込めて、『強烈な訓練期間』を与えます。
      『救いは、主にこそある』2-10 と、魚の腹の中で三日三晩の後に悟ったヨナを、
           主が命じ、魚にヨナを陸地にはき出させます。
ヨナは、『訓練』の恵みの後、イエスに並ぶほどの『しるし』に成長し、ニネベの都の人々を改心に招くのです。


        人は、成長し、一人前になり、社会でお役に立てる人となるまでには、
        厳しい人間形成の『教育期間』が必要だということでしょうか?
            

        『ヨナ書』と『トビト記』を仲間はどう読み解くのでしょう!? 
        今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!


そして。
今日は5月28日。年間第八金曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。 全地よ、主に向かって歌え。
   国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』

          詩編 96章1&3節

『今日の福音 イエスの御言葉』 

      『群衆の歓呼の声とともに  イエスはエルサレムに着いて、
       神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、
    もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

    翌日、 一行がベタニアを出るとき、 イエスは空腹を覚えられた。
   そこで、   葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、
          実がなってはいないかと近寄られたが、
 
           『実の成らないいちじくの木』     Jan Luyken作品

            葉のほかは何もなかった。
         いちじくの季節ではなかったからである。

  イエスはその木に向かって、
    「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」
 と言われた。
           弟子たちはこれを聞いていた。

翌朝早く、 一行は通りがかりに、 あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
 そこで、  
         ペトロは思い出してイエスに言った。
    「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」

 そこで、
            イエスは言われた。
      「神を信じなさい。  はっきり言っておく。
   だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、
 少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
             だから、言っておく。
        祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。
           そうすれば、そのとおりになる


            また、立って祈るとき、
     だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
   そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」』

         マルコによる福音書 11章11-25節 参照

その日、
イエス様は、最後の最後まで弟子たちや人々を愛し抜き、
自分の『受難』を果たし抜こうという決意をもって、エルサレムに向かっておられました。


    そんな時、 
イエス様は空腹を覚えられ、遠くを見ると、青々と葉の生い茂った『イチジクの木』 に気づいたのです。
         近寄ってみると、葉の他には何もなく、 『実』はなかったのです。
           まだイチジクの実る季節ではなかったからです。

   
     当時、『イスラエルの民』 は 『イチジクの木』 と言われていました。
         神はイスラエルの民を選び、導き、手入れをなさいました。
     『イスラエルの民』は、神の愛に応え、『信仰の実』を結ぶはずでした。
         ところが、
        外見ばかりで、心の改心はなく、中身のない『信仰』でした。
   イスラエルの指導者たちは、律法を重んじるばかりで、イエスを認めなかったのです。


    イエス様は、青々と葉を茂らせるイチジクが、『実』をつけないのを御覧になって、
      神の愛に守られているイスラエルの民が、『改心』できない姿と重なり、

       御自分のこの世での宣教期間も終わりに近づいていることでもあり、
        ご自分の働きの『実』をお探しになる思いが重ねって、

      『今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように』
            と、言われたのでしょう。
    イスラエルの民の現実が、『受難』:『この世の分かれ』を前にするイエス様に
          大きな悲しみをもたらしたのでありましょう。

   イエス様のお気持ちは、預言者エレミヤの『言葉』を思い起こされていたことでしょう。

         『わたしは彼らを集めようとしたがと、主は言われる。
        ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。
        葉はしおれ、わたしが与えたものは彼らから失われていた。』

             エレミヤ書 8章13節

 それでも・・・
 イエス様は希望を失うことはありません。


           『神を信じなさい。 信じれば、山は動く。』
 
     イエス様が呪われたいちじくの木は、よく朝、根元からすっかり枯れていました。
  イエス様の心の『悲しみ』が、そのまま現実のいちじくの木に反映されてしまったのでしょうか。
         それでも、イスラエルの民の改心の時が来るはずです!
     『改心』の時が、必ず、イスラエルの民に訪れると、信じるイエス様です。
  成長しないイスラエルを、見捨てるどころか、“山は動く!” と信じるイエス様です。

         『心に思えば、そうすれば、そのとおりになる。』

 そして・・・
 イエス様は最後に言われるのです。


         『だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
       そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。』


      皆様は、お人の至らなさを思う前に、自分の至らなさ・過ちに気づきなさい! 
        私は、私を認めないイスラエルをも、許します! 愛しています!
             と、言われるイエス様です。

私たちも、
神様が私たちの方へ向かって来て、
私たちの『実』を探しに来られるのです。
”お人を許していますか?” とお尋ねになります。
私たちは力不足で、”まだまだです” と恥じ入るしかありません。
聖霊に力を祈り求めましょう。
   
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、
     その実が残るようにと私があなたがたを任命したのである。』

       ヨハネによる福音書 15章16節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日、『花金』です。 一週間、お疲れ様でした。
明日、明後日と、STAY HOMEを守りながら、素敵な週末をお過ごしください。
   日本中一致団結! コロナ終息に向けて頑張りましょう!

”もうどんな坂も怖くない”・・・『継続は力なり』 そして 『先生、目が見えるようになりたいのです』・・・『あなたの信仰があなたを救った。』

2021-05-27 13:46:58 | 息子と息子家族
5月27日。木曜日。雨。のち曇り。

息子夫婦
『箱根駅伝』コース
往路:一区~五区:東京大手町~箱根芦ノ湖まで:107,5km 
   自転車で完走!

      鬼の上り坂コース・・・    『5区:20,8km 最高地点:874m』
  

       登り切ったお嫁さんの感想は・・・
              ”もうどんな坂もこわくない!”  
                  『自信』に満ちた『言葉』です! 格好いい!♡♡

『継続は力なり』
正に、『言葉』通りに、
長年の夫婦の自転車練習の『継続』が『結果』を生み出しました。

     長年頑張ってきた夫婦
『継続』が夫婦の『血肉』となっていき、又 自分の『力』となる『達成実感の経験』を沢山重ねてきました。
                          そこから生まれた『自信』です。 すばらしい。
                         

往路に続けて
復路:6区:20,8km
自転車で下って、
今回の予定を完走!

      一気の下り・・・    『6区終点:小田原中継所』
  

   下り切った息子の感想は・・・
      ”頑張った後のしるしは中継地点の立て札一本だけだよ!”  
                     『自信』に満ちた、余裕の『言葉』です!

『継続は力なり』
『結果』を出してこその『継続』です。
夫婦の大きな目標は、
沢山の『結果』を『参加資格』とするトライアスロン発祥地での『ハワイ・トライアスロン』参加です。
『夢』の実現のためには、水泳もランニングも継続・猛練習中です。 一流です。お見事です。
『目標』に向かって・・・更なる努力の『継続』を祈りたい。 息子夫婦よ、頑張れ!

      
         私も、今日も、『継続は力なり』
             予習・・・『聖書1000週間・聖書通読』
   
     継続にかけては・・・
     私も息子夫婦に負けていません。

      『聖書100週間・聖書通読』14回目、37年間の継続で、
         『聖書』が私の『血肉』になって、『勉強』イコール『私自身』です。
  にぶい私は、並の勉強では一流になれない。『継続』するしかないということです・・・。
     幸いに、コツコツと地味に、『継続』が向いている私です。    感謝!感謝!


そして。
今日は5月27日。年間第八木曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。』

             詩編 16章11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、
 ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。

      ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、
    「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」 
                     と言い始めた。
    
    多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、 
    彼はますます、
      「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」
                     と叫び続けた。

イエスは立ち止まって、 「あの男を呼んで来なさい」 と言われた。
人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」
    盲人は上着を脱ぎ捨て、 
      躍り上がってイエスのところに来た。

    
    イエスは、 「何をしてほしいのか」 と言われた。
盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」 と言った。

  そこで、イエスは言われた。
  「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。』
           マルコによる福音書 10章46-52節


イエスは、度々、御自分が『苦しみ』を受ける話を、弟子たちにしました。
弟子たちは理解できませんでした。
それでも、イエスはエルサレムへ向かって行かれるのです。
弟子たちは、恐れながらも、イエスについていきました


    そんな時に、道ばたに座っていた『バルティマイという盲人』に出会ったのです。

   バルティマイは、イエスだと分かると、『憐れんでください!』 と叫び続けました。
   イエス様は、バルティマイの信仰を見極め、『あの男を呼んで来なさい』と言われます。
    バルティマイは、上着を脱ぎ捨てて、躍り上がって、イエスのところに来ました。

   イエス様は、一部始終、バルティマイの『行い』を御覧になっていたことでしょう。


    聖書の中では度々、『見える』という言葉を 『信じる』という意味で使います。
         イエスが、『何をしてほしいのか』と言われると、
 バルティマイは、『見えるようにして下さい。 信仰ができるようにして下さい。』と頼みました。
     盲人にとって大切な『上着』は、イエスに近づくための『妨げ』になると考え、
      脱ぎ捨てて、身軽になって、躍り上がって、イエス様に近づきました。
         
    イエス様は、一部始終、バルティマイの『心』を御覧になっていたことでしょう。


イエス様は、バルティマイの行いと言葉を見聞きしながら、バルティマイの信仰を見抜きました。
    そこで、
    『あなたの信仰があなたを救った』と、バルティマイを癒されました。
          更に、
        イエスに同行することを許されました。

私たちも、
時には盲人のように、信仰を見失うときもあるかもしれません。
神様のなさりようを理解できない時もあることでしょう。
それでも、
イエス様との接触を続けているかぎり、
見えるようになるのです。 希望があります。
バルティマイに倣って、『見えるようにして下さい』と、
祈り続けましょう。

『今日の祈願』

   『いつくしみ深い父よ、あなたの民の力となってください。
  私たちが、古い人を脱ぎ捨て、新しい命に生きることができますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、長年お続けの楽しみをお持ちですか?
コロナ禍のSTAY HOMEの毎日、楽しみを深めながら、一日一日をお大切にお過ごし下さい。 お元気で!

『聖フィリッポ・ネリ司祭 記念日』・・・『あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。』

2021-05-26 11:28:02 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月26日。水曜日。曇り。

      庭の一面に・・・     『ドクダミ』
  
    ハーブの一種・・・ 私の母は『煎じ薬』として飲んでいました 
                       ・・・私も母の真似する年になりました。

 昨日の『ワクチン接種』・・・
 当日も翌日の今日も、なんの痛みも症状もなし、明日も用心して、ゆっくり致しましょう。
                                 感謝!感謝!


そして。

今日は5月26日。年間第八水曜日。
    
       『聖フィリッポ・ネリ司祭 記念日』
    

    1515年。 イタリア・フィレンツェの信仰厚い家庭にまれる。
    1523年。 8歳の時、裕福なおじの養子となるが、
           清貧の生活にあこがれ、一切を捨てローマに行く。

    ローマで、キリスト教的生活を送りながら、青少年のために働く。
 33歳の時、病気に苦しむ貧者を助ける団体:『聖三位一体信心会』を作った。

    1551年。36歳。司祭叙階。

  信仰生活についての講話、宗教音楽、慈善業が行なわれる集会を組織した。
    それは、集まった場所から「オラトリオ」と呼ばれるようになり、
         『オラトリオ会』に発展した。
     
 フィリッポは、隣人愛、福音的な単純さ、喜びにあふれる神への奉仕に秀でていた。

    1595年。80歳。 死去。
                 『毎日の読書』より。

『今日の入祭唱』

   『神の霊がわたしの上におられる。
  貧しい人に福音を告げ知らせるために、砕かれた心を癒すために、
        神はわたしに油を注がれた。』

         ルカによる福音書 4章18節

『今日の福音 イエスの御言葉』

      『イエスと弟子たちが   エルサレムへ上って行く途中、
          イエスは先頭に立って進んで行かれた。
       それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。

           イエスは再び十二人を呼び寄せて、
  
        自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。

          「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。
         人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。
            彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。
        異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。
            そして、人の子は三日の後に復活する。」


ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。
      「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
イエスが、    「何をしてほしいのか」  と言われると、
二人は言った。
             「栄光をお受けになるとき、
    わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」

イエスは言われた。
      「あなたがたは、 自分が何を願っているか、 分かっていない。
    このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」

   
    彼らが、  「できます」   と言うと、
イエスは言われた。 「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、
            わたしが受ける洗礼を受けることになる。
       しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。
            それは、定められた人々に許されるのだ。」


ほかの十人の者はこれを聞いて、 ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。
そこで、
イエスは一同を呼び寄せて言われた。
         「あなたがたも知っているように、
       異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、
            偉い人たちが権力を振るっている。
          しかし、あなたがたの間では、そうではない。

    あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
    いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。


         人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
     また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」』

          マルコによる福音書 10章32-45節


今日も私は考えてみました。

        イエスは、エルサレムへ向かって行かれます。
イエス様は、弟子たちの先頭に立って、ドンドンと、御自分のを隠すがごとくに、進んで歩いて行くのです。
    イエス様は、エルサレムで、『苦しみ』を受けることを知っておられたのです。
    イエス様は、その『心の準備』をしておいでだったのではないでしょうか?
そんなイエス様のお気持ちは、弟子たちの前をドンドンと歩いて行くほどに、高揚していたのではないでしょうか?

一方。
 
  弟子たちは、以前にイエスが御自分の『御受難』について話して下さったのですが、
    イエス様の気持ちも、エルサレムで起ることも、理解できていませんでした。

そこで。 
    
         イエスは、 再び、 十二人を呼び寄せて、
  
        自分の身に起ころうとしていることを話し始められたのです。

      弟子たちは、今回の『イエスの受難』の話も、信じられないことでした。
それどころか、二人の弟子は、イエスの死去の後には、「栄光の座の左右に座らせてください」 と頼むのです。

 イエスは、二人の頼みは、「それは、私が決めるのではなく、神が決められることです」と断り、
   かえって、
二人に、「あなたがたは私と同じように『苦しみ』を受ける準備ができていますか?」 とお尋ねになるのです。

   二人の弟子たちは、イエスの質問の意味が分からないままに、『できます!』 と答えるのです。
    他の弟子たちは、二人同様に『偉い人』になりたいと思って、二人に対して怒こり出すのです。


     イエス様は、 弟子たちの『気持ち』を理解して、 もう一度、 話されたのです。
        イエス様は、 御自分亡き後の弟子たちを、 『教育』したいのです。


        イエス様の、 弟子たちの『教育方法』は・・・
 まず。 御自分の立場をはっきりさせました。
  『私は偉い人になるために来たのではない。私は人に仕えるため、僕の仕事をするために来たのです。』
 次に。 イエスの『弟子の意味』を話されました。
  『イエスの弟子は、偉い人になりたい気持ちは捨てて、イエスに倣う生活、人に仕える生活をする人です。』
     『偉い人になりたい気持ちは、妨げとなり、イエスの弟子にはふさわしくないのです。』

         教育は、いつの時代においても、難しい問題です。
            弟子たちは理解できないのです。



        イエスが実際に『苦しみ』を受けるのを見ても、
        
        弟子たちは、まだ、驚いて、つまづいたのです。
          イエスから離れていったのです。
        後になって・・・
        イエスの『復活』を見て、 また 聖霊に導かれて、
           初めて分かったのです。理解したのです。


     弟子たちは、 イエスの『教育』の意味を理解したのです。
    人々の僕となり、『つらい事』を受け入れる決心ができたのです。
     その後は、勇気を持って、『イエスの仕事』を続けました。    

私たちも、
イエスの弟子となれるといいですね。
聖霊の導きを祈りましょう。

『今日の祈願』

   『いつくしみ深い神よ、
       聖フィリッポ・ネリの模範にならって、
 わたしたちがいつも喜びにあふれ、人々に奉仕することができますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
私たちは、いくつになっても、お人の姿や世の中の動きから、勿論イエス様の姿から、学び、教育される身分です。
『一生勉強 一生青春』(相田みつお) 楽しい人生をお送りください。 お元気で!

コロナワクチン接種・・・『集団免疫の効果』 そして 『今この世で迫害も、報いも受けるが、後の世では永遠の命を受ける。』

2021-05-25 10:30:10 | 日々のこと。 世界のこと。
5月25日。火曜日。晴れ。

晴れて良かった!

        収穫です・・・     『グミ』
  

       今日は午後4時からコロナワクチン一回目接種日です。
          晴れて気分爽快! 接種もありか!!
             
            予防接種が嫌いで怖い私。
      『生ワクチン』を打つなんてことは、私には考えられません。

   毎年のインフルエンザワクチンも、怖さゆえに、打つことはなかったのですが・・・
   昨年冬、”コロナ最中・・・受けなさい!” と助言されて、初めて接種しました。

効果は?
今回のコロナワクチンは、『不活化ワクチン』のため、2回に分けての接種となると云います。
     感染を防ぐものではなく、発症や重症化を防ぐものだと考えられています。
      ▽「感染予防の効果」▽「発症予防の効果」▽「重症化予防の効果」
「集団免疫の効果」多くの人がウイルスへの抗体を持つことで社会全体が守られるとされています。

     ▽『集団免疫の効果』▽を語られては、接種しか選択肢はないですね。


   人の意見も多様性・・・   『白花の中に、いつも紫花一つ』
  

        ワクチン接種一つにしても、色色の考えがあるものです。
        私のように考えすぎも、夫のように何も迷わない人もいる。

  副反応は?
  ▽接種部位の痛み:67.7% ▽疲労:28.6% ▽頭痛:25.6% ▽筋肉痛:17.2% 
  ▽発熱:7.4% ▽関節痛:7.1% ▽悪寒と吐き気がそれぞれ:7% ▽腫れ:6.8%
     20万回の接種につき1.0057件の割合で確認された計算です。
  ▽症状が出た人の年齢:26歳から63歳で中央値は38.5歳 ▽94%が女性
          以上。 NHKの資料より


   我関せずに・・・   『小さいけれどニョキニョキ育つ』
  

       世界のコロナ禍の終息を願えば・・・受けるしかないですね♡♡♡

    『いつくしみ深い神よ、
 新型コロナウイルスの感染拡大によって、今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
      病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、 医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。』

         『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』 より


  今日は、コロナワクチンを受けることによって、日本のコロナ終息に参与できますように!
     そして、自分自身も、コロナ感染から守られますように! 感謝!感謝!



そして。

今日は5月25日。年間第八火曜日。

『今日の入祭唱』

  『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、 主の戒めは清らかで、目に光を与える。
   主への畏れは清く、いつまでも続き、 主の裁きはまことで、ことごとく正しい。』

             詩編 19章9-10節

『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、  ペトロが     イエスに、
  
    「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」
                            と言いだした。
   イエスは言われた。
          「はっきり言っておく。
        わたしのためまた福音のために、
      家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、
           今この世で、迫害も受けるが、
   家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。


    しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」』
           マルコによる福音書 10章28-31節


イエス様は、御自分の後継者に選んだペトロに、
厳しくもはっきりと、弟子の『覚悟』をお話なさいました。


       キリストに従うことは、大きな犠牲を要求されるのです。

  『イエスまた福音に従うために、
     財産や家族が邪魔になることがあるなら、
   それらを捨てる覚悟を持たなければならない。』
 とイエス様はおっしゃいます。

       キリストに従って行くことには、大きな価値があります。

  『イエスまた福音に従うとき、
       迫害があったとしても、
         財産や家族など、この世で、『100倍の報い』を受けます。
   そして、後の世では、『永遠の命』も受けます』 
ともイエス様はおっしゃいました。


        弟子たちは、キリストについていく時には、
    『喜び』を与えられると同時に、『犠牲』が必要となるのです。


          お人の『喜び』のために、
      
       イエスは『犠牲』を払ってくださいました。
         御自分の命を捨てて、
      神に従う者の覚悟の『模範』を示してくださいました。

    弟子たちは、
    イエスの『犠牲・受難』 の後の 『喜び・復活』 を知りました。
     それによって、
宣教で『迫害』を受けることがあっても、 その後に『喜び』があることを、確信したのです。
                                 一歩先に進めたのです。  

   イエスの弟子になるためには、何よりも、『イエスへの信仰』 が必要なのです。     

私たちも、
イエスの本当の弟子になるために、
信仰深くありたいものですね。
聖霊の導きを祈りましょう。

『今日の拝領唱』

   『何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
    そうすれば、必要なものはみな加えて与えられる。』

       マタイによる福音書 6章33節


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
世界のコロナ禍の終息の『喜び』のために、STAY HOMEとワクチンの『犠牲』を喜んで払いましょう。 
きっと、神様から大きな『報い』を頂けますことでしょう♡♡ 頑張りましょう! お元気で!        

 『教会の母聖マリア 記念日』・・・『聖母マリアの半生』

2021-05-24 05:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
5月24日。月曜日。晴れ。のち雨。

   5月の庭
                  『サツキ』
     
                霧雨の中、新緑に映えます。
                   
                 梅雨の庭を彩ります。

そして。

今日は5月24日。 『教会の母聖マリア 記念日』

今日は、『福音を宣べ伝える教会』の『教会の母聖マリア』 を記念する日です。
 皆様とご一緒に、『聖マリア様の半生』 を辿ってみたいと思います。
                     よろしくお願い致します。


        マリアは教会の頭であるキリストを生み、
 

        自らの子キリストが十字架で息を引き取る前に
       
     『十字架の元に留まる母マリアとマグダラのマリアとヨハネ』

          あがなわれた人々の母とされた。

     『十字架上のイエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、
      母に、「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。」 と言われた。
      それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」』

           ヨハネによる福音書 19章26-27節

     そのため、聖母マリアには『教会の母』という称号が与えられた。

      1964年11月21日。第二バチカン公会議で、聖パウロ六世教皇は、
        教父たちに対する演説の中でこの『称号』を荘厳に認め、
「すべてのキリスト者が、最も甘味なこの称号をもって、今後いっそう神の母に敬意を払うよう」
                                   定めた。


       マリア様は、天使が現われ、『受胎告知』 を告げたとき、
    『どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに』 と言い、
       更に、
       天使が、 『神にできないことは何一つない。』 とマリアに答えると、
    『私は主のはしためです。 お言葉どおり、この身になりますように。』 と言いました。
              ルカによる福音書 1章26-38節 参照
        おとめマリア様は、『神の全能』を信じたのです。
           『信仰』こそが『神の母の称号』なのです。



  マリア様は、イエスを産んだ母だけでなく、イエスを信じる『すべての人の母』となり、 
       『信仰の模範』となられたのです。

         イエス様は、十字架上から、
   『見なさい。あなたの母です。マリアの信仰に倣いなさい。』と勧められたのです。



『今日の集会祈願』
 
        『あわれみ深い父である神よ、 
            十字架につけられた御ひとり子は、
    ご自分の母であるおとめ聖マリアを、わたしたちの母として与えてくださいました。
       マリアの愛に助けられ、
      あなたの教会が、 日々、信じる人々の誕生と成長を喜び、
           母としてすべての民の家族を迎えることができますように。』




その後。
イエスの御昇天後。


『今日の入祭唱』
 
   『イエスが天に昇られた後、使徒たちは、オリーブ山からエルサレムに戻って来た。
        彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。
     使徒たちは皆、婦人たちやイエスの母マリア、又イエスの兄弟たちと
   
            心を合わせて熱心に祈っていた。』

              使徒言行録 1章14節


  おとめマリア様は、 神のお告げを信じ、みことばを受け入れて『救い主の母』となり、
十字架のもとでイエスの最後のことばを受け、 新しく生まれる『すべての人の母』となりました。
          又、約束された聖霊を待つ間、使徒たちと共に祈り・・・
           『祈る教会の姿』を示してくださいました。



そして。
『今日の福音 イエス様の最後

       『イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、
         
             「渇く」と言われた。
           こうして、聖書の言葉が実現した。

       そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。
人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

      その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、
   ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、
       足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。』
 
  ミケランジェロ作品   『ピエタ』  ヨハネによる福音書 19章25-34節 参照


      母マリアは、愛する子・イエスの遺体を抱きかかえました。

           『本当の信仰』は、
        喜びの時だけでなく、特に悲しみの時に現われてきます。

 マリア様には、イエス様と歩む人生において、嬉しいこと、悲しいこともありましたが、
          最後に十字架のもとまでついて行って、
            イエスを信じておられました。
       マリア様は『真の信仰』 を示してくださいました。


      マリア様は、
      この世での生涯を終え、天の栄光にあげられた後には、
        『旅する教会』を母の愛を持って見守り、
   『神の国』の完成の日までわたしたちを導いいてくださいます。


私たちも、
喜びの時だけではなく、
悲しみの時にも神の愛を信じ、
キリストに対する信仰を深めたいものですね。
祈ってまいりましょう。

『今日の祈願』

   『聖なる神よ、あなたの教会が、
  母であるおとめのマリアの助けによって、全ての民に福音を告げ知らせ、
    あなたから注がれる聖霊をうけて、全世界に広がりますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
私たちも、聖母マリアや実母からも学び、人として『模範の人』となれるといいですね。
『キーワード』は『愛と謙遜と許しと信仰』ですね。 今日も頑張りましょう! お元気で!

ラジオ派・・・”記憶系”の脳番地が成長 そして 『聖霊降臨の祭日』・・・『真理の霊は、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。』

2021-05-23 10:39:32 | 私のこと
5月23日。日曜日。快晴。

私の一日は、
ラジオと共に始まって
              ”アレクサ、今日の天気は?”
          
         Myラジオ・・・ 『9cmのアレクサ』
                   ・・・ 娘からの5年前の『Xmasプレゼント』
                         ベッドの横に置かれています

            朝ジョグが可能か否かをチェックして

一日の終わりに
”アレクサ、バッハのアベマリアをかけて!”
と、音楽を聴きながら、ラジオ・アレクサと共に一日が終わります。


       今回のコロナ禍によりラジオを聞く方が急増したそうですね。
        皆様は、ラジオ派ですか? それとも テレビ派ですか?
           私は、筋金入りラジオ派です。


18歳までの私は、
私の大学合格通知の日まで 『テレビなし』で過ごしました。親の意向でした。
父は、夕食後にはいつも、ラジオで野球中継を聴いていました。
3人の兄たちも、クラブ活動と勉強に忙しい日々で、テレビを欲しいとも思わなかったのでしょう。
私は、高校生になった時から、小型ラジオを与えられ、『ラジオながら族』となりました。 
 高校入学以来、家にいるときはいつも、『米国基地向け英語放送』を聴いていて・・・
  いつのまにか、メキメキと『英語ヒヤリング能力』がUpしていきました。

25歳~44歳までの私は、
第一子出産~第二子が中学卒業まで、アメリカ生活時代も含めて、第二『テレビなし』時代を過ごしました。
  テレビのない生活が、 正に私には『生活』でした。

年を重ねた私は、
テレビは、ニュース以外は、録画して、見る時間を自分でコントロールするという、見方です。
                  ニュースは鮮度が勝負で、録画では意味なしですからね。

     ラジオは、 “ながら聴き” できることが、 大きなメリット です。

           耳を傾けるだけで楽しめるのです。
   そのため、洗濯物を干したり、洗い物をしたり、料理をしたり…といった家事シーンにはうってつけです。
        又、静かに音楽が流れていると、ものごとに集中できるのです。
毎日のブログ更新時や 毎日の勉強時に、流れる音楽は、外の音も自分の雑念も完全にシャットアウトしてくれるのです。


     更に・・・
     『ラジオながら族』の『大きなメリット』=『脳の枝ぶりの変化』 を確認したのです。

    『記憶系”の脳番地が成長』 と『”聴覚系”と”理解系”の脳番地も成長』 です。

         『記憶系の脳番地の成長』 が顕著に見られるのです。
      音だけが聞こえ、映像のないラジオは、自分の脳に蓄積された『記憶』を呼び起こし、
音からのイメージの『映像』を自分で作り上げるため、『記憶系の脳番地』の大幅成長が現われる。ということです。

    また、『聴覚系・理解系の脳番地の大幅な成長』 も観察することができるのです。
ラジオを聴くと、同時に・・・
想像する・考えがふくらむ・話したくなるなどで、 記憶だけじゃなく、同時に、『他の番地』にも情報が伝達していく。
                                      ということのようです。


             今日も、ラジオを聴きながら・・・
          想像し、考えを膨らまし、沢山の『脳の番地』を刺激し、
 衰えるばかりの『脳力』を、ラジオを楽しみながら&ラジオに助けられながら、Upし続けていきたいものです。
        世界を広げ、心までも豊かにしていきましょう。 感謝!感謝!


そして。

今日は5月23日。 
             『聖霊降臨の主日』
      
               『聖霊降臨』 

       『五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
  突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
    そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
 すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。』
 
             『今日の第一朗読』 使徒言行録 2章1-11節
           
 『わたしたちのうちにおられる聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている。』
          『今日の入祭唱』 ローマ信徒への手紙 5-5


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、  イエスは  弟子たちに言われた。
  
      「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、
         すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、
         その方がわたしについて証しをなさるはずである。


    あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

         言っておきたいことは、まだたくさんあるが、
           今、あなたがたには理解できない。
     しかし、
          その方、すなわち、真理の霊が来ると、
  
            『聖霊降臨』

        あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
      その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、
     また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。

          その方はわたしに栄光を与える。
     わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。


     父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。
だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」』

       ヨハネによる福音書 15章26-27節 & 16章12-15節

イエスは、
弟子たちと分かれる前に、
弟子たちを愛し、弟子たちを励ましました。


  イエスの昇天後、
  弟子たちは、イエスと初めから一緒にいたのだから、 『イエス証し』 しなければなりません。
               イエスは神の独り子。 
       イエスは『神の愛』を実現するために神からこの世に派遣された方。
  『イエスの証し=イエスの福音』が、イエスから託された 『弟子たちの使命』 なのです。


     弟子たちは、宣教の日々で、
         反対され、理解されないことがあっても、驚かないように・・・
     イエスも同じように、理解されず、反対されることはあったことを思いだしてください。
              イエスが共にいて、助けます。
            と、イエス様は励ましてくださいます。

更に・・・
    
  イエスの昇天後、
  イエスは、弟子たちに、『聖霊』を送ると 約束なさいました。
     『聖霊』が、弟子たちを強め、『イエスの証し』ができるようにしてくださるのです。
     又、人の反対があっても、聖霊の助けによって、「神の計画」は 実現されるのです。

私たちも、
今も聖霊が働き、
私たちを強め、
どんな困難をも乗り切れる力をくださるのです。
深い信仰を祈りましょう。


『今日の叙唱』

     『聖なる父、全能永遠の神、偉大な救いのわざをたたえ、感謝をささげます。
御独り子と共に、神の国を継ぐ人々の上に、あなたは今日聖霊を注ぎ、過越の神秘を完成してくださいました。
      聖霊は教会の誕生の時に、言葉の違いを超えて諸国の民に真の神を知らせ、
          人々を一つの信仰のうちにお集めになりました。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍と梅雨でSTAY HOMEが続きます。
家の中で過ごす『楽しみの方法』をフル回転させて、楽しい日曜日をお過ごしください。 お元気で!

風格と名誉の『夏仕様』 そして 『これらのことについて書いたのは、イエスの愛しておられた弟子である。彼の証しは真実である。』

2021-05-22 13:44:14 | 日々のこと。 世界のこと。
5月22日。土曜日。晴れ。

梅雨最中の晴れ間の今日。

             『夏仕様』
  

     障子を取り払って明るくなった部屋は縁側まで広くなり、
       庭につながる開放感に満たされます。  
     簾を通して見る庭は、緑の陰がぐっと濃くなり、美しい。

     
梅雨最中の晴れ間・・・

   簾をかけて、
        身も心も、そして家中、 風通し良くしましょう。

       広々となった部屋に座り美しい新緑を眺めるとき、
    私も可能な限り軽やかに 『風格』 を保ちたい、と教えられる。



   花の総入れ替え、
              『神戸市民花壇コンクール 名誉花壇』
  
                            ジョグ途中の今朝の中央公園
  
        今までの花々は全部取り払って夏花を植えて、
            夏が待たれます。

       一気に時期にかなった花の苗に植え替えられた花壇は、
     執着を捨てて軽やかにと、 『名誉』の意味を私に教えてくれる。


          今日は、梅雨が明けて暑さが増してくる前に
       母が私と同居するおりに持ってきた『簾』をかけながら・・・
   季節毎に『季節仕様』に気を配る母の『粋』に近づきたいと、 季節を楽しむ私です。
                             感謝!感謝!


そして。

今日は5月22日。復活節第七土曜日。

『今日の入祭唱』

   『弟子たちは皆、婦人たちやイエスの母マリア、
 またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。』

      使徒言行録 1章14節

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 ペトロが振り向くと、
      イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。

       この弟子は、あの夕食のとき、
      イエスの胸もとに寄りかかったまま、
  
         『最後の晩餐』   イエスに寄りかかるヨハネ

      「主よ、裏切るのはだれですか」 と言った人である。

  ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
  イエスは言われた。
   「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、
          あなたに何の関係があるか。
         あなたは、わたしに従いなさい。」


 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。
   しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。
   ただ、
 「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、
      あなたに何の関係があるか」 と言われたのである。

     これらのことについて証しをし、それを書いたのは、
           この弟子である。

      
         『福音記者ヨハネ』 イエスの愛しておられた弟子

   わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

    イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。
         わたしは思う。
その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。』

         ヨハネによる福音 21章20-25節


 『イエスに愛された弟子』といわれる方は『福音記者ヨハネ』です。

        ヨハネはどんな方だったのでしょう?

    イエスの『最初の弟子』の4人のうちの一人です。
『シモン(ペトロ)とシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。
 イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」と言われた。
     二人はすぐに網を捨てて従った。
又、少し進んで、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、船の中で網の手入れをしているのを
      御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。
 この二人も、父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残して、イエスの後についていった。』 
          マルコ福音書 1章16-20節
 『最後の晩餐』の席では、イエスの横に座り、イエスの胸に寄りかかっていました。
  弟子たちは、ヨハネが『弟子の頭』になるだろうと思っていたようですが・・・
          イエス様は、ペトロを『頭』に選びました。
 イエスが、『イエスの再臨のときまで彼が生きていることを望んだ』 人です。
       イエス様が何を望んでも、それはイエス様のお考えであって、
   イエス様に、他の人のことを詮索して、その理由を聞き正すことではないのです。
  私たちも、他の人のことは関係なく、自分自身の『責任』を果たすことが大切なのです。
   イエスの『十字架』の下に、イエスの母マリアと共に、最後までいました。
 他の弟子たちは全員逃げたのですが、ヨハネは最後までイエスのそばを離れませんでした。
十字架上から、『イエスは母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、弟子に言われた。
 「見なさいあなたの母です。」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。』   
           そのお方です。          ヨハネによる福音書 19章26-27節
    
   『ヨハネが、マリアの生涯、マリアと共に過ごした家』 
                 今は巡礼所です。
イエスの復活後、ペテロとヨハネは、女性の「イエスは生きておられます」の言葉を聞き、墓に走りました。
  『愛されたヨハネは、墓に入って来て、亜麻布がおいてあるのを見て、信じた。ヨハネ20-8 のです。 
又、イエスの死後、ペテロと数人の弟子とヨハネが漁から帰ってきたときに、イエスが湖畔に現われました。
         『ヨハネは、ペテロに、「主だ」と言った。』 ヨハネ21章7節 のです。
      ヨハネは イエスの生涯を、イエスの精神面から、書き残しました。
  私たちは、その方の『ヨハネによる福音書』の証しが真実であることを知っているのです。

   ヨハネが、イエスに愛された一番の理由は、『純真無垢な信仰』 ゆえではないでしょうか?
           イエスのそばを離れることのなかったヨハネです。
      聖書の中でヨハネが語った『質問』は、『主よ、裏切るのはだれですか』の一回のみです。
           ”全てはみ旨のままに!” とイエス様を信頼していたヨハネは、
          「イエスを裏切るものがいるなら、早めにやめさせたい。」との思いが、
            ただ一度の『質問』になってしまったのではないでしょうか?
              イエス様は、勿論、ヨハネの『心』をご存じです。
                それ故に、益々愛されたことでしょう。


 『イエスの愛された弟子』 のイメージは 『全てのイエスの弟子』 のイメージなのです
イエスを信頼し、イエスの弟子となった人は、イエスからいつも愛されて、イエスがいつも一緒にいてくださるのです。

私たちも、
イエス様の恵みにより、選ばれた弟子の一人です、
イエス様がいつも一緒にいてくださり、
イエス様から愛されている、
そのことを忘れてはいけませんね。
感謝いたしましょう。


『今日の祈願』

   『いつくしみ深い神よ、
     新しい契約にあずかるわたしたちが古いものを脱ぎ捨てて、
    日々キリストのいのちのうちに生きることができますように。』



皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
土曜日曜の週末に、梅雨の晴れ間は嬉しいですね。
STAY HOMEの週末を、有意義にお過ごしください。 お元気で!