マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

ワインの秋・・・『10月のワイン』 そして 義とは何か?・・・『キリスト・イエスによって示された神の義から、わたしたちを引き離すことはできないのです。』

2019-10-31 04:07:35 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。

10月31日。木曜日。10月も終わりです。晴れ。


  私の大いなる楽しみはワインです。大好きです。

 
  10月に飲んだ・・・    『お家ワイン』
  
                                   9本。

  『獺祭』は、私が常時用意してある大吟醸の純米酒、日本酒。ワインにあらず。
    それでも。
      純米酒はワインと同じ製造方法で、大地の香りがするので、
        私としてはワインの仲間に昇格させてある。

        料理に合わせての出番を待つ『獺祭』です。

     
     10月も、日本・フランス・チリ、国際色豊かに、ワインを楽しみました。
        な~んて言いながらも・・・
 10月の『Myブーム』 は 『Cadet d'Oc』、『南フランス・ラングドック地方』 でした。3本。

      

昨日。
     夫から・・   『国際色豊かなワイン』
  

   『国際色を取り揃えましたよ! 楽しんでください!』 ですって。グー!
      チリ・フランス・イタリア・スペイン・アルゼンチン

       11月のお家ワインは10本になりそうですね!
       
       ワインの秋。私の出番の秋です。大好きです。
                   頑張る私への 『ちっちゃなご褒美』 です。
           今日も明日も、頑張ります!

 

そして。

今日は10月31日。年間第三十木曜日。

  今日も、使徒パウロは、力強く信仰宣言をして、
   私たちを励まし、力づけてくださいます。


『今日の第一朗読 使徒パウロの信仰宣言

      
    『皆さん、人を義としてくださるのは神なのです。

    復活させられた方であるキリスト・イエスが、
 神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

   
 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
   艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

わたしは確信しています。

        死も、命も、天使も、
  支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
     高い所にいるものも、低い所にいるものも、

        他のどんな被造物も、

  わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
   わたしたちを引き離すことはできないのです。』
       ローマの信徒への手紙 8章31-39節

 

では。
         『義』とは何か?

    皆さん! 人を義としてくださるのは、神様なのです。
    では、神が人を義とする、その『義』とは何なのか?

 
 神は、『義なる神』であられ、その『義』を全うされる方であります。

   
 『神の義』は、
      『神の憐れみ』 と符合するものであり、
   『憐れみ』のように、『神の一属性』をさすこともあれば、
  神が『慈愛の心』から施す 『数々の賜物』 を意味する場合もある。

 
 『神がキリストを償いの供え物として公に示したのは、そのを現わすためである。』
   
               ローマの信徒への手紙 3章35節


『神の義』は、確実に救いを行う義、つまり、憐れみに満ちた『神の誠実さ』をさすのです。


  『神の義』は、
    神が完全無欠の典型であるところに、そのを有するのである。
  
 『人間の義』は、
  神の崇高な義、 つまり、宇宙を統治し被造物を恵みで満たす神の驚くべき心遣いの
         『反映』であり、『実り』でしかないのである。

  

   『神の義』は、信仰によってのみ、人間は理解に到達できるのである。

              以上。『聖書思想辞典』より。


更に。

       人間は、
       神から心は離れ、罪の状態にあるのです。
 
           『人間の原罪と楽園追放』     ミケランジェロ作品


  心が鈍くなっており、神の怒りを受けるのは当然、罪の状態にあるのです。

     
    『神の義』のみが、人間を罪の状態から解放できるのです。


『神の義』は、
その独り子を世に派遣し、人間となったイエスキリストを『人間のあがない主』とされた、
      『神の憐れみ』 によって、示されたのです。


『人間の義』は、
 私たち人間の罪の責任をすべて引き受け、全人類の身代わりになって自分の命を捧げ、
      死んで葬られ、三日目に復活されたイエスキリスト
  

      を信じる『信仰』によって、神から与えられるのです。
  
もはや。
    『どんな被造物も、
    わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、  
       わたしたちを引き離すことはできないのです。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
食欲の秋。皆様の好物は何ですか。おいしく食べて健康でいましょう。 お元気で!  


一瞬の神との出会い・・・『濃霧注意報』 そして 『神は、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。』

2019-10-30 04:03:32 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

10月30日。水曜日。

          午前中12時まで 濃霧注意報。


早朝5時半。
ジョグ、スタート。 
 

 
 一つ目の公園・・・     『濃霧』

 
       
        は、濃霧が空を覆い被さる、鉛色。濃い灰色。

   いつもは、樹木のを楽しみながら走る公園が、濃霧の中。何も見えない。
     今朝は、街灯が、私のジョグする道を照らし、導いてくれる。


40分後。
6時10分。

  二つ目の公園。   『濃霧の中』

     は、まだまだ、濃霧が空を覆い被さる、鉛色。濃い灰色。
     足下の道だけは、町の明かりで、見えるようになってきた。

     
       『毎日のミサ・毎日の典礼』
    毎朝、ジョグ前に読んで、しっかり頭にたたき込む。
ジョグ中、頭にたたき込んだ『御言葉』を思い巡らしながら、『御言葉』を楽しむ私です。
     

 

6時半。  

 三つ目の公園・・・     『霧の切れ目』
 
                              公園は霧の中。

       が、空に覆い被さる濃霧に切れ目が見えて、
        空が、美しいグラデーションになった。
          美しさに目を見張ります。

          ピンク色。水色。灰色。
         太陽の色。空の色。濃霧の色。

           ”なんてステキ!” と、
         思わず手を合わせたくなった。
        
                『手を合わせるイエス』  

        移り変わる濃霧の姿の中に、
   変わらぬ『永遠の美』を見い出した、感動の瞬間でした。
        驚くべき『神の御業』でした。
              感動!感動!


6時50分。
ジョグ散歩終了。
   
       
今日は、変化に富んだ早朝ジョグ散歩でした。楽しかった。満足!満足! 
          今日も、変わらぬ一日のスタートでした。感謝!感謝!


 そして。

今日は10月30日。年間第三十水曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を神に向かって歌え。神は驚くべき御業を行われた。
  右の御手、聖なる御腕によって、神は救いの御業を果たされた。』
                    詩編 98章1節

   そうですよね。
神様の恵みは限りなく、人の思いをはるかに超えて、地上の世界の上に注がれます。
                         『今日の集会祈願』より。


そして。

『今日の典礼・第一朗読 使徒パウロの言葉

     
       『神は前もって知っておられた者たちを、
   御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。
    それは、
    御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
 
   『キリストがお兄ちゃん・神の長子。 キリスト者は皆・キリストの兄弟・神の子。』

    
     神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、
        召し出した者たちを義とし、
 
      義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。』
            ローマの信徒への手紙 8章26-30節


つまりこういうことです。

   
   イスラエル人は、
『神の民』として選ばれた、アブラハムの子孫です。
         イスラエルは『木の幹』
 私たち神の民に加えられる異邦人は、『木の幹』に接ぎ木され、『枝』になるのです。


言い換えれば。

 
  キリスト者は、聖霊によって新しい命に生まれ変わり、『神の子』となりました。
        イエス・キリストは『神の長子・長男』
私たち神の民に加えられた異邦人は、キリストと同じ『遺産=神の栄光=永遠の命』を受け継ぐ『神の相続人』となって
                             『イエスの兄弟』 になったのです。

 

   以上が、神がイエスと共に成就された、『神の救いの御業』、『福音』 なのです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
思わず手を合わせたくなるような、神の領域の世界に触れることがありますよね。
    それって、神との一瞬の出会いでしょうかね。 お元気で!


神を信じる人が日ごとに増し、教会が絶えず成長する。・・・『聖シモン 聖ユダ使徒 祝日』・・・「皆は一つの大きな家族です。」」

2019-10-29 04:12:23 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

10月28日。月曜日。晴れ。

 穏やかな早朝。
    
     いつものように・・・  『ジョグ』
  

   全距離の、ジョグは1/ 10。速歩が9/10。 というとこかな。
        5時半~6時45分。 8806歩。
    
    今日は、走行中ず~と、二つの願いを、神に祈り続けた。
      1時間15分が、あっという間に過ぎた。

 

そして。

今日は10月28日。年間第三十月曜日。

『今日の入祭唱』
    『神に選ばれ、偽りのない愛に生きた聖人たちに、
     神は終わりのない栄誉をお与えになった。』

      
   今日は・・・    『聖シモン 聖ユダ 使徒 祝日』
   
       『聖シモン』             『聖ユダ』

          『聖シモン』は、
      イエス・キリストの12人の弟子であり、
       シモン・ペトロと区別するために、
   熱心党というグループに属していたことから「熱心党のシモン」と呼ばれる。
 彼は、カナン人であり、使徒のなかでも特に信仰が深く、モーセの律法を厳格に守っていた。
 

          『聖ユダ』は、
  イエスを裏切ったイスカリオテのユダと区別するために「タダイ」とも呼ばれる。
       小ヤコブの兄弟で、キリストの親類とされている。
   最後の晩餐のとき、
『主よ、ご自分を現わそうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか』ヨハネ福音書 14章22節
                        とイエスに尋ねた使徒である。
                            『毎日の読書』より


    
                 『聖シモン 聖ユダ』

    聖ユダは、
   キリストの昇天後、ユダヤ、シリア、小アジアなどで宣教したといわれ、
      64年頃、小アジアの諸教会に書簡『ユダの手紙』 を書き、
 信者たちが誤った教えに陥らないように警告し、祈り、神の愛にとどまるよう教えました。
 
     のちの伝承によれば、

    シモンとユダは、ペルシャで宣教し、そこで殉教したといわれている。

 

『今日の集会祈願』

        『すべてを治められる父よ、
    わたしたちは、使徒の証を通してあなたへの信仰へ導かれました。
       使徒シモンとユダの祈りに支えられて、
    神を信じる人が日ごとに増し、教会が絶えず成長しますように。』

 

そして。

『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉

   『皆さん、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、
       聖なる民に属する者、神の家族であり、
     使徒や預言者という土台の上に建てられています。

       
       『教会を支える使徒や預言者たち』
        聖シモンも聖ユダも 頑張ります!

    
      そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 
 
   キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、

       主における聖なる神殿となります。

    キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、
    霊の働きによって神の住まいとなるのです。』
          エフェソの信徒への手紙 2章19−22節

 
使徒パウロは宣言しました。

父なる無限の憐みにより、イエスキリストにおいて、『すべての人の救い』 は実現しました。
   『救い』 は、外国人にも寄留者にも、すべての人に及ぶものです。
   『キリストの過越の神秘』 に預かった者は、神との和解が成立し、互いも和解し、一つになるのです。

すべての人が、一つの『教会共同体』に集められ、神の民となり、『キリストイエスの体=教会』 を構成します。
   『キリストの体・教会』の『頭』は、イエスキリストです。
   『キリストの体・教会』の『肢体』は、キリスト者なのです。 

   

教皇フランシスコも宣言しました。

         
    『教皇フランシスコ、カトリック教会の支援を受ける人々と』
  
 2018年9月25日                          エストニア首都タリンで 

         「皆は一つの大きな家族」教会です。 

 『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』ヨハネ福音書13章34節

       教皇は、『イエスの言葉』 を引用しました。

     愛は、わたしたちを分け隔てる鎖を断ち切り、橋を架けながら、
   わたしたち皆が「家」だと感じることができ、理解と尊厳を与えてくれる、
      一つの大きな家族づくりを可能とする。』

      又。

   『絆を育て、外に出て、皆にこの家族の一員となるよう呼びかけ、
         神の御国を伝え続けて欲しい。』
             
    と、教会関係者や支援を受けている人たちを励まされました。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
       栄光を受けた使徒の群れもあなたをたたえて歌う。』アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の一週間が穏やかな日々でありますように。 お元気で!                   


孫息子のバイオリン発表会・・・『三つ子の魂百まで』・・・『今や、義の栄冠を受けるばかりです。』

2019-10-28 04:43:34 | 娘と娘家族

10月27日。日曜日。晴れ。

  孫息子のバイオリン発表会

まずは・・・

   ソロ・・・   『ソナタ 第四番』 
  
                                ヘンデル曲
  

   孫息子・小学4年生の四肢の隅々までのびのびと育った姿が美しい。 
   バイオリンを弾くことだけに 『集中する姿』 には神々しさが宿る。

        3歳から初めて7年間。
    一つ事を極めるには、忍耐の長い年月を要する。
      両親の長い年月の励ましがありました。
              質の高い幼児期を送った孫息子です。


孫の姿から『使徒パウロの言葉』を思い出しました。
使徒パウロが自分の経験から生み出した『言葉』です。

    
      『そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
       希望はわたしたちを欺くことがありません。』
             ローマの信徒への手紙5章1~5節

 

       勿論。 孫息子の弾く曲は、美しい曲でした。
      続いての 『先生とジュオ』は『バッハ・アベ マリア』
         『合奏』は『バッハ』 他でした。
       美しい曲は、時を超えて、生き続けるのです。

 

そして。

今日は10月27日。年間第三十主日。

『今日の第一朗読』    
             『使徒パウロのテモテへの遺言』
     
                       晩年の?『パウロ』
     『愛する者よ、
 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。

わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
        今や、義の栄冠を受けるばかりです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

  
  わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。
        彼らにその責めが負わされませんように。

しかし、
  わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、
     主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。
      そして、わたしは獅子の口から救われました。

  
 主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。
    主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。』
         テモテへの手紙Ⅱ 4章6-8&16-18節

    
        
           テモテは、パウロから愛された弟子でした。
     父親はギリシャ人、母親と祖母はユダヤ人でしたが、キリスト者になり、
   
         家族はパウロの宣教によく協力しました。
     幼いテモテは、家族の姿を見て、『心の有り方』 を学びました。

        若いテモテも洗礼を受けてパウロの弟子となり、
  
       パウロの協力者として、共に宣教をしました。
     パウロ殉教の後に、エフェソの教会の責任者となりました。
   青年テモテは、パウロの姿を見て、『信仰の有り方』 を学んだのです。
     
それらは、

  『キリストへの真実な献身』 『使徒パウロへの真実な服従』 『教会への真実の関心』
                                      でした。

   
使徒パウロは、
近々死刑になることを覚悟した時・・・
     獄中から、愛する弟子のテモテへ、『手紙』:『遺言状』 を書いたのです。
  
   『パウロ同様に、『キリストの兵士』として働き、信仰に忠実である者は、
          必ず迫害を受ける。

      しかし、  忍耐強く、堪え忍ぶように・・・。
      くじけずに、働き続けるように。福音の宣教を続けなさい。
       必ず、  主があなたのそばにいて、力づけて下さいます。
      最後に、  主が、必ず、『義の栄冠』を授けて下さるのです。
      信じて、  希望はわたしたちを欺くことがありません。』
 と。

 

     テモテは、使徒パウロの信仰とその心を学び、しっかりと育ちました。
     パウロは、テモテの謙遜を見て、我が子のように愛し、教え導きました。
         
          ついには。

      『テモテはパウロと同じ心になった』 フィリピの信徒への手紙2章20節 のです。


   
  以上。今日は、『三つ子の魂百まで』そして『質の高い人生』 を考えた一日でした。
                      楽しい一日でした。 感謝!感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
芸術の秋。読書の秋。時を超えて引き継がれる音楽や聖書。良いものですね。 お元気で!


One for all, All for one・・・『聖書100週間』 そして 『神は神の国のことを、幼子のような者にお示しになりました。』

2019-10-26 04:29:30 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

10月25日。金曜日。雨時々曇り。

       
      毎金曜日は 『聖書100週間』

 
                    今日の通読範囲は 『列王記下 14章~23章』
        
         紀元前798年頃 ~ 紀元前609年頃
      ユダ王国:12代アマツヤ王 ~ 21代ヨヤキム王
        約200年間の王国時代の歴史を学びます。


    一人で読んでいたのでは・・・
         理解が浅い。理解が難しい。

ところが。

    仲間10人の通読後の感想を聞くと・・・
        理解が深くなる。内容が鮮明になる。


              仲間であることの喜びを、今日もしみじみと味わいました。
  皆の理解が、私の理解を助ける。 私の理解が、仲間のお役に立つこともあろう。
 聖書完読までの苦しい3年半の長い道程も、仲間と一緒だから、乗り越えられます。



クラスを終えて。

クラスの様子を思い浮かべているとき・・・

      頭に、突然に、一つの『言葉』がひらめいた。

        『One for all, All for one』

  人は一人ではない。 私も仲間を助け、仲間も私を助けて、皆が共にある。
     私の存在は皆のため。 皆の存在は私のため。
        『One for all, All for one』

       仲間はいいな! 聖書はいいな!
         幸せなクラスです。 

 

そして。

今日は10月25日。年間第二十九金曜日。

  イエス様は、『One for all』:『人類の救いのための唯一の神』 をたたえます。
  


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
     『天地の主である父よ、あなたをほめたたええます。
あなたは神の国のことを、知恵ある者や賢い者には隠くして、幼子のような者にお示しになりました。』アレルヤ、アレルヤ。
                     マタイ福音書 11章25節


      イエスは、
 『すべての人の救い』を望み、計画され、成就した、『唯一の神』をほめたたえました。
    『One for all』:『すべての人の救いのための唯一の神様』 です。

      
      私たち人類は、
    神が示してくださった『神の御国』を悟り、
『神の愛』を知り、”あなたこそ我が神!” と『唯一の神』に向かって、人生の巡礼を歩みます。
    『All for one』:『唯一の神に従う私たち人類』 です。

 

     私たち聖書通読の仲間も、
    仲間同士の力により、聖書の理解を深め、
『唯一の神』への信頼を深めて、”あなたに従います!” と『唯一の神』に向かっての、聖書の巡礼を歩みます。

    『All for one』:『唯一の神に寄り頼む 聖書100週間仲間』 です。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は誰のために生きておられますか。『One for Who?』 愛するあの人のためですよね。 お元気で!


興味の尽きない無尽蔵の宝庫・・・『聖書』 そして 『神は日々祈るわたしの声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。』 

2019-10-25 04:50:32 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

10月24日。木曜日。雨時々曇り。


毎木曜日は、家にこもって、ひたすら聖書通読。『聖書100週間』の予習。

      
    いっぱいの頭を癒やす・・・・  『窓外の緑』
    
                                     My書斎にて。

           面白さと新鮮さの 『旧約聖書』
            興味の尽きるのを知らない。
             無尽蔵の宝の宝庫です。

        
         物事を楽しく始めるには、こだわりと順序が大切。
       『その世界』に入り込むための、精神統一の段取りです。

    
を拭き清め・・・
こだわりの、ノート(A罫のピンク色)ペン(SWAROVSKI)文鎮(イスラエル巡礼土産の十字架)聖書(書き込みゼロ)写真(祈る少年サムエル)
                                            を並べる。

 
いざ始まり。

         『聖書100週間』創設者・ルドールズ神父 は語ります。

 自宅で聖書を読む前に、
      目をつむって、参加者一人一人のために、聖霊の助けを祈り求めます。
 自宅で聖書を読み終わった時も、
      読む前と同じように、
      目をつむって、参加者一人一人のために、聖霊の助けを祈り求めます。

     
         自分自身のために聖霊に祈り求めます。
自分のために祈り求めたのと同じように、参加者一人一人のためにも聖霊に祈り求めなければなりません。

     
    聖書を読み続ける人は、聖霊に導かれて、すばらしい恵みを頂きます。
        神が愛にあふれる親のように身近な存在となり、
         神に賛美と感謝の心で祈るようになります。
                 
              以上。『聖書100週間ご案内』より。


いつの間にか。

明日の通読範囲の完読です。

     
      ”仲間の皆様が、明日の『聖書100週間』で、
   聖霊に導かれて、すばらしい恵みを頂くことができますように!”

     祈り終えて、木曜日:『聖書100週間』予習の終了です。



そして。

今日は10月24日。年間第二十九木曜日。

『今日の入祭唱』

        『わたしは神を愛する。
   神は日々祈るわたしの声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。
  
       生涯、わたしは神を呼ぼう。』
          詩編 116章1&2節


      人々は、神を信頼して・・・助けを願い求めます。
        そして。
    与えられた助けに、神に感謝を捧げて歌います。
神に愛されていることを確信して、真実そのものである神を信頼して、すべてを神の憐みにゆだねるのです。


『今日の集会祈願』

   『聖なる神よ、あなたをいつも敬い、愛する心をお与えください。
    あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
読書の秋。皆様はどのジャンルの本がお好きですか?本は楽しいですね。 お元気で!


心身の洗濯・・・『登山会月例会』 そして 『腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。』

2019-10-24 03:40:24 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

10月22日。火曜日。晴れ。


今日は登山。 『櫻会 月例会』
  心身の洗濯日です。


9時。      入山
    

           いつもの櫻会仲間三人 
      今日は、休みなく、昼食なし、一気に歩こう、との計画。
        自然の中での洗濯。 全身運動での洗濯。
         登り3時間。休憩。下り3時間。昼食。 


登山道始まり。

      自然の中に吸い込まれていく・・・
  
     新鮮な空気の中で、自然の息吹、を楽しませてもらいます。  
   
    9月は例会がお流れ。8月の富士登山以来の2ヶ月ぶりの例会。
       心身ともに大自然に飢え乾いていた私です。


12時。
3時間の一気の登り後。


 到着・・・     『修法が原』
 
   たっぷりの水面に映る   『青空』               人も少なく静寂


        登山が好きで良かった。
         登り慣れた六甲山。
   一気に3時間の登りは、心身のデトックス、汗も半端ではない。


紅葉にはまだ早い・・・
 


コーヒーを沸かして・・・  
      
         『休憩 コーヒーブレイク』
  
       さわやかな味  『レモンケーキ』
  
       
        小学校時代の父との登山。
       高校時代や大学時代の山岳部登山。(大学はワンダーフォーゲル部)
          結婚以来の夫婦登山。
       子育て終了で山女二人で高山登山。
          そして。
        山好き中年仲間と月例登山。
  
   絶えることなく続く、それぞれの思い出いっぱい、私の登山人生。
     『No 登山 No Life』  登山人生に 感謝!感謝!


1時。 下山開始。

     
   水量たっぷり・・・
   

  途中の景色を楽しみます。

        雰囲気たっぷり・・・
        
                 『猿のかずら橋』
      

4時。
3時間の一気の下り後。

    到着・・・     『布引の滝』
    
                    いつもより多い水量

  滝を眺めながら・・・

            『遅い昼食』
        
                                                                       至福の時間

  今日も、頭の中を空洞に、心身の洗濯ができました。
   山なくしてMy人生なし。友なくしてMy人生なし。
            感謝!感謝!

 

そして。

今日は10月22日。年間第二十九火曜日。

   イエスは、『いつも目を覚まして祈っていなさい』 と言われます。


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

         「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。

  
  
       『腰の帯=真理』            『ともし火=信仰』


     主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、

   すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
  

 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。

はっきり言っておくが、  
  主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
    

         主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、
        目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。」』
                ルカ福音書 12章35-38節

      

イエス様は、いつも、忠告されます。
 

『だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。』マタイ福音書25章13節 と。


教皇フランシスコ様は、今年8月11日の正午の祈りの説教で、話されました。 

『腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。』とは、
     『巡礼にあたっての姿勢、旅立ちの用意』 として示された『言葉』です。

     『問題は、心地よく、安心した住まいに落ち着くことではなく・・・
   質素さと、次の目的地に導かれる神の意志に自らをゆだねることなのです。』


『灯をともしていなさい』とは、
  『真の、成熟した信仰』 を生き、
      『人生の多くの暗闇』 を照らす ことができるように勧めておられるのです。


   『信仰の灯火』は、
    祈りの中で 素直な心で イエスと出会いイエスの言葉に耳を傾ける 中で、
 
          育て続けられる必要があります。


『真の信仰』は、
       隣人に心を開き、
    私たちの兄弟姉妹、特に助けを求めている兄弟姉妹と固い交わりを持つように、
           私たちを駆り立てます。


『油断なく待っていなさい』とは、
    私たちは、最終的で決定的な主との出会い、のために準備する必要があります。
    私たちに、『人生は永遠に向けた旅』、だということを思い起こさせます。
          
          人生のどの瞬間も貴重であり、
        私たちは心に天国への希望を持ちながら、
       この地上で生き、活動せねばならないのです。

    
『永遠の幸せ』とは、
    『神ご自身の永遠の幸せ』 に私たちが与ることを認めてくださることです。 
   
                              『新しい住まい』

  イエスは、私たちに、
     自分の帰りを待ってずっと起きていた僕たちを目の当たりにして、
      「彼らを食事の席に着かせ、そばに来て給仕をしてくれる」
 それは、
   『私たちが神に仕える召使ではなく、神ご自身が私たちに仕えてくださる』 のです。


教皇フランシスコ様は、説教の締めくくりに、こう祈られました。

  「父との最終の出会いについての思いが、私たちを希望で満たしてくれるように」
       「聖なる者となるとの誓いを常に持ち続けるように」
   そして   「正義と友愛に満ちた世界を作るように」
               
          以上。』2019.8.11 バチカン・ニュース』の抜粋でした。


            『信仰の武具』 
 
    いつも、『神の全ての武具』 を身に付けて、この地上で生き、活動しながら、
                          準備していましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日々・・・隣人・お人と仲良く、困っている人と助け合って、神の平和のうちに過ごしましょう。 お元気で!


わずか10年の近江・八幡山城・・・『同窓会遠足日』 そして 『お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか。』 

2019-10-22 05:20:15 | 登山・ハイキング

10月20日。日曜日。晴れ。

  今日は、卒業校関西支部ウォーキング部の 『歴史遠足日』
       豊臣秀次の28年の短い人生を学びます。

      
     豊臣秀次・・・   『近江・八幡山城』
  「八幡山城」の画像検索結果
                         八幡山城案内板

         豊臣秀次18歳。 豊臣秀吉の命令により築城。

 1585年。 築城年。18歳。
     豊臣政権の跡継ぎと目されていた羽柴秀次(豊臣秀次)が、43万石にて八幡山城主となります。
      その築城工事は、同じ頃築城されたた大阪城に入る豊臣秀吉の主導のもと、行われました。


そして。
10年後。

1595年。  豊臣秀次28歳。 臣秀吉の命令により切腹。 没。

   『磯かげの松のあらしや友ちどり いきてなくねのすみにしの浦』
        生きて鳴く音の澄みにしの浦
       秀次の心は澄んでいたかのごとく
         豊臣秀次『辞世の句』


そして。
今日。

     今も残る風情ある城下町
     
           『近江商人屋敷 通り』
   
                            今日の遠足の仲良し仲間は30人

       先に見えるのが・・・  『八幡山』
              標高は283m
     八幡山の南半分山上に築城された『八幡山城 跡』 を目指します。


歴史を振り返って・・・

    『豊臣秀吉の策略』

1582年。 『本能寺の変』 織田信長が横死。
      近くにある織田信長の安土城に、3歳の三法師(織田秀信)を城主とする。後見として織田信雄を入れます。

1583年。  『賤ヶ岳の戦い』  
      豊臣秀吉が新しい天下人となるべく威光を示すのには、織田信長の安土城があると何かと都合が悪かった。   
       
   そのため。

1584年。  5歳の三法師(織田秀信)を、安土城から、近江・坂本城へ移す。
    
   そして翌年。

1585年。  安土城に代わる 『近江の新拠点』 として 『八幡山城』 を築いたのです。

    
    豊臣秀次は18歳の若さで八幡山城主となったのです。    

    秀次の補佐をしたのは 水口城主・中村一氏、佐和山城主・堀尾吉晴長浜城主・山内一豊 たちでした。


1590年。 
23歳になった豊臣秀次は、尾張・清洲城100万石として移封される。
         その後。 八幡山城には、京極高次が入ります。

1595年。『秀次事件』で、謀反の罪で、豊臣秀吉は、豊臣秀次に切腹を命じる。

      豊臣秀吉は、徹底的に豊臣秀次の痕跡を絶つため、
        既に豊臣秀次が退いていたにも関わらず
          八幡山城を破壊しました。

     
      八幡山城は築城から僅か10年で廃城となったのです。

   その時、 城主だった京極高次は、加増されて大津城主6万石となりました。


そして。
今日。  私たちは、豊臣秀次を偲んで、八幡山を登りました。

  
  今残るのは・・・    『八幡山八城 跡』
  

    『八幡山城』は、険しい山城であったため、
     安土城のように山の斜面は活用できず、
   麓に建てた 『居館』が『政務の中心』 となりました。


   更に進むと・・・   『西の丸 跡』
        

      広い平地になっていました。

 
西の丸跡から眺めると・・・

   眼下に・・・       『比叡山 琵琶湖』
   
                          美しい景色を秀次も眺めたのでしょう。

       秀次も秀吉も、歩いた地。眺めた景色。
    今日、私も、同じ地を歩きます。同じ景色を眺めます。感慨無量です。

 

『滋賀県近江八幡市』

           風情ある城下町が残る水の都
 
                         私たちも乗りました。30分ほど。

       豊臣秀吉が自ら普請の指揮をとり、
     『居館』などは、安土城からも多数移築し、
   『城下町』も、安土城の城下をそっくり移転させ、
      『町民』も、移住しました。
    近江八幡の城下町
     また、
 『八幡楽市楽座を敷いて近隣の町村からも移住を促したので、
     『近江商人発祥の地』となったのです。

 

  『八幡山』は険しい山城であったため、
     山の斜面は活用できず、
  麓に建てた『居館』が政務の中心となりました。
そのため、
  麓には『水堀』などが巡らされ、
 琵琶湖の湖水をひき、直接「舟」で琵琶湖に出れるようにしました。

 

     このように、
    『八幡山城』は築城から僅か10年で廃城となりました。

 

今日の遠足の最後は。

      豊臣秀次
  
     を忍んで・・・

              献杯!
        

          歴史は面白い。大好き。
          仲間も面白い。大好きです。
           


そして。

今日は10月21日。年間第二十九月曜日。

  イエスも、『お前の命は今夜に取り上げられる』 と忠告します。


『今日の福音 イエスの御言葉

       『そのとき、群衆の一人がイエスに言った。
  
  「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」

イエスは一同に言われた。

     「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
 有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」

それから、イエスはたとえを話された。

       「ある金持ちの畑が豊作だった。
 
  金持ちは、

   『倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
       こう自分に言ってやるのだ。

     「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
    ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』

  しかし神は、

      『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。
    
     お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』 
                    と言われた。

  自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」』
             ルカ福音書 12章13-21節

 

    豊臣秀吉は、沢山の富を持ち、その責任も大変なものだったでしょう。
 豊臣秀次は、秀吉に翻弄されながらも、その人生は近江の地を栄えさせる結果となりました。

   
    神は、神からの賜である財産をどのように使うのかを、問われる御方です。

       財産を、
       自分自身のためにだけ、私欲のために、使っていますか?
       多くの人に役立つように、隣人愛のために、使っていますか?


      豊臣秀次の人生は、秀吉に翻弄されて、28年の人生でした。
      私たちの人生も、
     金持ちのように、今夜神に召されるかもしれない、明日も分からない人生です。

   
    私たちは、
        私たちの持っているものを、お金も能力も何もかも、

     お人のために役立つものとして使うための『愛』を神に願いましょう!
          神に富を積んでまいりましょう!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
紅葉もはじまり旅の秋の到来です。『溫古知新』の旅もいいものですね。 お元気で!


すべてを出した、そして泣いた。・・・『ラグビーW杯2019 準々決勝戦 』 そして 『神は、祈りに応えて、速やかに裁いてくださる。』

2019-10-21 04:37:31 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・

10月20日。日曜日。晴れ。


    『ラグビーW杯2019 準々決勝 日本 対 南アフリカ戦』


午後7時15分。キックオフ。
 
そして。
     午後9時。        『試合終了』
     
     
              『3-26』

         日本は敗れ、ベスト4進出はならなかった
     日本はノートライに終わり、世界を沸かせた快進撃に終わりを告げた。

             
『負けたのは悔しいが、すべてを出し終えました。すばらしいチームでした。誇りに思います。』
       桜メンバーたちは、互いをたたえ合い、そして泣いた。


そんな中。

   
  桜チームを一つに束ねてきた・・・  『リーチ・マイケル 主将』
  

         あふれる自分の涙は隠して・・・
     涙するチーム一人一人の肩を抱いて、健闘をたたえた。
最後の最後まで、多国籍チームの主将の大役を全うされた。立派でした。お見事でした。
     

最後に。

    選手、監督、コーチ、医療団、すべてのスタッフで・・・

            『円陣』 を組んだ。
  

          『One Team。 One Soul。』

    桜チームも 日本国民も 世界中も、 『一つ』になった 『ラグビーW杯2019』

    
          決勝トーナメントに初進出の歴史を塗り替えた 『日本桜チームの偉業』

   この『偉業』が、世界中をわき上がらせ、ラグビーの爆発的人気を生みました。
   
      
    『すべてを犠牲にしてきた4年間の苦労は当事者にしか分からない。
             チームを誇りに思う。』
        ジェヨセフ・ヘッドコーチの『言葉』がすべてを語る。


      私も、日本国民全員が、『円陣』 の輪に加わった。
お見事でした。立派でした。感動しました。勇気を頂きました。私たち日本の誇りです。
                
          ありがとうございました。
                

               
                                          残る、準決勝戦 と 決勝戦。

              日本の地で戦って下さる『世界の4チーム』を、
                日本国民全員で応援しましょう!

 

そして。

今日は10月20日。年間第二十九主日。

  イエスも、何があっても、気を落とさずに絶えず祈り求めるように、と教えます。


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、
     イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、

         弟子たちにたとえを話された。

   「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
ところが、

    その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、
 
     『相手を裁いて、わたしを守ってください』 と言っていた。

裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。
       しかし、その後に考えた。

 『あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。
さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』


それから、主は言われた。

    「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
まして

    神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために

  
  
   裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
     言っておくが、
神は速やかに裁いてくださる。」』

       ルカ福音書 18章1-8節


    イエスの時代。
やもめは、とても貧しく、裁判官を頼れば助けてもらえると信じて、ひつこく訪れ、助けを求めました。
裁判官は、案の定、やもめのひつこさに負けて、助ける約束をして、やもめを救くいました。


   イエスは、やもめの信頼を褒め・・・
       弟子たちに、『やもめのようであれ!』 と教え諭しました。


    今の時代。
私たちも、やもめに倣って・・・
    『自分の足りなさ』 を認めて、『救い』 が必要であると認めて、
       『神の救い』を信じて、『自分の助け』を神に任せて、
              神を信頼して、
    
       『救い』 を、ひつこく、祈り求めましょう!
    

イエス様は、今も、私たちをも、教え諭されるのです。

 『求めなさい。そうすれば、与えられる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。』
                  マタイ福音書 7章7節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
ラグビーW杯2019を御覧になっていますか。今日は『準々決勝 日本 対 南アフリカ戦』に感動しましたね。 お元気で!


花々を愛でて秋深し。 そして 『イエスは、その人を自分の仲間であると言い表す。』

2019-10-20 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

10月19日。土曜日。曇り。

今庭に咲く花。

     『キンモクセイ』
 
    窓を開ける家中に良い香りを充満させてくれる

          『椿』
          
            母の思い出の花は私の元気の素

   『ユリオプスデージー』
  
    どこから舞い込んできたのか可憐な花

 

 『シュウメイギク』
 
     楚々と庭の片隅に咲く姿はかくありたいものと憧れの花


        毎年我が庭に咲いてくれる花々
           名前も、我が家に来てくれたその由来も、忘れない
       年に一度の再会のその日を忘れない
         楽しみにその開花を待つ。
      

 

そして。

今日は10月19日。年間第二十八土曜日。

  イエスも、あなたの名を忘れない、と言われる。


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

  「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、
  人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。

 

 しかし、
人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。」』
             ルカ福音書 12章8-12節


    イエス様は、ご自分を、時に、『人の子』 とおっしゃられます。
 今日は、『審判の日』『最後の日』に、人を裁くために来られる御自身、として表されました。

     
      『その時』が来たときに・・・
  イエス様は、神様と共に、2種類に分けて 人々を裁きます。


イエスがご自分の仲間に入れる人たち。
  それは、生前、『人々の前で自分をイエスの仲間であると言い表わしていた者』です。

   一方。

イエスがご自分の仲間に入れない人たち。
  それは、生前、『人々の前でイエスを知らないと言い表わしていた者』です。
    イエスの愛を信じない人たち。 神の救いを断わった人たちです。


      人は、互いの存在を認め合って、親交が増していきます。
     花々も、開花を楽しみに待つ人の所へ、毎年戻ってくれます。
 イエス様も、イエスの愛を信じ、頼ってくる人を、見捨てることがないのです。


    この世において、
  お人と仲良く、神様と仲良く、花々を愛で、心穏やかに過ごしたいですね。
     そして。
    その時が来れば、
イエス様が準備して下さった新しい世で、イエス様の仲間として、心穏やかに過ごしたいものですね。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
穏やかな週末をお過ごし下さい。私は今日の登山は雨で中止。明日は同窓生たちと年三回の遠足日です。 お元気で!