マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『大晦日の晩餐』・・・『新年の餅作り』 そして 『最後の晩餐』・・・『あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』 『鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。』

2021-03-30 17:30:44 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
3月30日。火曜日。曇り。

一年の終わりの大晦日の夕食は、
家族にとっての一年の締めくくり
『最後の晩餐』ですね。
12月31日・・・

       我が家では・・・     『新年の準備の餅つき』
 
                                         5軒分。150個。
 
           『最後の晩餐』 前の 『年の最後の年中行事』です。


昨年の『最後の晩餐』は、コロナ禍のため家族の集合もなし、私たち親二人だけでの晩餐でした。
     今年の『最後の晩餐』は、家族全員集合、にぎやかな晩餐でありますように。
          今日も、コロナ終息を願って、ひたすら、祈ります。


そして。

今日は3月30日。受難の火曜日。

『今日の入祭唱』


   『貪欲な敵にわたしを渡さないでください。
 偽りの証人、不法を言い広める者が、わたしに逆らって立ちました。』

         詩編 27章12節


『今日の福音 イエスの最後の晩餐』 

    『そのとき、 イエスは、弟子たちとともに  食事の席についておられたが
 
          『最後の晩餐』             ダ・ヴィンチ作品

          心を騒がせ、断言された。
    「はっきり言っておく。
      あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」


  弟子たちは、 だれについて言っておられるのか察しかねて、 顔を見合わせた。

       イエスのすぐ隣には、 弟子たちの一人で、
     イエスの愛しておられた者(ヨハネ)  が食事の席に着いていた。
 
             
     シモン・ペトロは この弟子に、
       だれについて言っておられるのかと尋ねるように 合図した。
     その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、
       「主よ、それはだれのことですか」  と言うと、

  イエスは、 「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」 と答えられた。
 
 金袋を手に・・・  『内通の報酬を受け取るユダ』      ジョット作品
            ユダだけが仲間から外れて外を向いているのは、『罪』の状態を表わすのでしょうか?

 それから、パン切れを浸して取り、
       イスカリオテのシモンの子ユダ  にお与えになった。

      
             『イスカリオテのユダ』    ダ・ヴィンチ作品
           
     ユダがパン切れを受け取ると、 サタンが彼の中に入った。

そこでイエスは、 「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」 と彼に言われた。

  座に着いていた者はだれも、 なぜユダにこう言われたのか分からなかった。
    ある者は、 ユダが金入れを預かっていたので、
     「祭りに必要な物を買いなさい」  とか、
   貧しい人に何か施すようにと、 イエスが言われたのだと思っていた。

   ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。


さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。

        「今や、 人の子は栄光を受けた。
       神も人の子によって栄光をお受けになった。

    神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、
     神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。
        しかも、すぐにお与えになる。

   子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。
      あなたがたはわたしを捜すだろう。

   『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』
        とユダヤ人たちに言ったように、
      今、あなたがたにも同じことを言っておく。」


     シモン・ペトロがイエスに言った。
       「主よ、どこへ行かれるのですか。」 
   
           『悔悛する聖ペトロ』       エル・グレコ 作品

  イエスが答えられた。
   「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
       後でついて来ることになる。」

ペトロは言った。
     「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。
       あなたのためなら命を捨てます。」

イエスは答えられた。
     「わたしのために命を捨てると言うのか。
        はっきり言っておく。
鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。

     
                                 2018年巡礼時に
ペテロが三度イエスを否認した場所に立つ・・・『鶏鳴教会』:『入り口扉』
             以上。 ヨハネ福音書 13章21-33&36-38節


         『最後の晩餐』
イエス様は、 約3年間共に生活をしてきた大切な12人の弟子たちと共に、
          この世での『最後の晩餐』をなさいました。

     『最後の晩餐』により、 『イエスの時』 が来たのです。


            イエスが、 『人類の贖罪』 となって
       
             『苦しみ』を受ける『時』です。

『時』は、人類の始まりの時から神が計画なさった、『救い』の成就 の『時』です。
           イエスが、父である神に『栄光』をお与えになり、
         イエスご自身も、神から『栄光』をお受けになるのです。

『時』は、イエスが敵に勝ち、愛が憎しみに勝ち、イエスが罪に勝たれる、『時』です。
            『希望』が生まれる『時』なのです。


  ヨハネ福音書では、イエスがイスカリオテのシモンの子ユダにパン切れを渡し、
       イエスが『苦しみ』を受けることを決心なさった『時』に、
         イエスが『勝利』なさった と、『イエスの時』 を教えます。

もう一つ。
私は考えました。

     『最後の晩餐』により、 『希望の時』 が来たのです。


    イエスの最後の晩餐の席での『予言』通り・・・
  イエスが逮捕、連行された後、
      ペテロはイエスの仲間であることがばれるのが恐ろしくなり、
         三度もイエスを知らないとウソを言いました。
 
                                        を手に震える思いの私でした。
           鶏鳴教会入り口扉に描かれた『イエスとペトロ』 
      『鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。』
                           と、ペトロに予言するイエスです。


       ペトロは、最後の晩餐の席で、
          イエスのために『自分の命』を捧げることを誓いました。
        しかし実際には、
          ペトロは、イエスの『予言』通りに、
          『イエスを知らない」と、三度、イエスを否みました。  
      イエス様が、 『自分の命』を捧げたのです。

         『イエスの愛』が、 ペトロ=人類の『弱さ』 に勝利し・・・
    『十字架』 が 『イエスの栄光』 となり、
  最後まで『従順』であったイエスは、 御父に『栄光』 をお与えになりました。
      そして、
    神様は、 『イエスの従順』:『イエスの十字架』 に応えて、
     イエスを『復活』させて、イエスに『栄光』をお与えになったのです。

    神様は、  『イエスの時』に・・・   
       人類に、 『神のみ旨』である『神の許し』 を約束なさったのです。
      人類が、 ペトロ同様に、自分の弱さと罪を認めて、 『悔悛』するなら、
          神様は、愛をもって、一人ひとりをされるのです。

         
     『イエスの復活』 こそが、 私たちの『希望』 です。
             『イエスの犠牲』により、
         神が、もう決して、人間を捨てることがない。
        私たちは、もう決して、神を恐れることはない。
私たちは、人生で『愛神愛隣』を実行しながら、自分の『復活』の『時』を待つのです。


私たちも、
神を恐れる必要はありません。
神様には賛美と感謝があるのみです。
神様は、いつも、私たちに呼びかけられています。
私たちは、回心して、
神のもとにいつも戻りたいものですね。


『今日の祈願』

   『万物の造り主である神よ、
 あなたの『最後の晩餐』のかたどりである『ミサ』に預かるあなたの家族が、
       永遠の喜びに満たされますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一日三回の食事を、心豊かに、おいしく、頂けますように。 お元気で!

木々の蘇生・・・『復活の春』  そして 『ラザロのよみがえり』・・・『この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。』

2021-03-29 10:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
3月29日。月曜日。曇り。

春本番。
新芽の美しい季節です。

眠っていた木々が
蘇生しだしました。

                 『もみじの新芽』
 
  我が家の玄関前・・・  『シンボル・ツリー・もみじ』  ・・・復活の春です。


      深い眠リにはいりそこから再び目を覚ましだした木々。
              神々しくほどに美しい。

               『復活の思想』

            人もいつか・・・
     神の恵みによって、 木々同様に、 生きた姿で復活するであろう。

        『復活の思想』は、
         旧約時代から語り伝えられ、 新約になり、
     イエス・キリストが『死者の中から最初に生まれた方』
        として、 よみがえられました。     コロサイの信徒への手紙 1ー18
     
              『墓からよみがえられたイエス』

         ここに、キリスト者の信仰と希望の中心あるのです。

          これは、人間の単なる願望なのではなく、
       旧約の『預言者の約束』は、その実現をはっきりと証言しています。
『エルサレムを目覚めさせ、死人のように横たわっていたチリの中からよみがえらせる。』
                                イザヤ書 51-17&60-1
     
  善人が悪人と共に死んで葬られるように、一時的には陰府の力に屈するのですが、
     神は実際に、死者を陰府から引き上げて神の国へ移すのです。
       それは、
    もはや現世の命と同じものではなく、変容した命となるのです。
       すなわち、
  死者の魂は、陰府から上がってよみがえるとき、
   神が未来の世のために準備しておいた『変容した世界』の中に入るのです。
           以上。 『聖書思想辞典』 参照   


    穏やかな一日、 受難節・主の復活祭・過越祭の六日前、 の今日。
    美しい 『もみじの新芽』 を愛でながら・・・
    ”わたしもいつか、眠りについて、よみがえり、『神の世界』へ仲間入り!”  
       ・・・と、信仰の喜びを確認した一日でした。 感謝!感謝! 


そして。

今日は3月29日。受難の月曜日。

『今日の入祭唱』

 『主よ、 わたしと争う者と争い、 わたしと戦う者と戦って下さい。
     大楯を取り、 立ち上がってわたしを助けて下さい。
 主よ、 わたしの神よ、 救いの力よ、
    わたしが武器を執る日、 先頭に立ってわたしを守って下さい。』

          詩編 35章1-2節&140章8節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『過越祭の六日前に、  イエスはベタニアに行かれた。
    そこには、 イエスが死者の中からよみがえらせたラザロ がいた。
    イエスのためにそこで夕食が用意され、 マルタは給仕をしていた。
 
           『シモンの家での食事』       Frans Francken the Younger作品

    ラザロは、 イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
   そのとき、
   マリアが、 純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、
  
       イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。
          家は香油の香りでいっぱいになった。

弟子の一人で、 後にイエスを裏切るイスカリオテのユダ 
          
                        ジェームズ・ティソ作品 
         が言った。
 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
     彼がこう言ったのは、
       貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
     彼は盗人であって、
   金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。

イエスは言われた。
     「この人のするままにさせておきなさい。
  わたしの葬りの日のために、 それを取って置いたのだから。

      貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、
       わたしはいつも一緒にいるわけではない。」


イエスがそこにおられるのを知って、
      ユダヤ人の大群衆がやって来た。
         それはイエスだけが目当てではなく、
   イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。

       祭司長たちは ラザロをも殺そうと謀った。
多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。』
               ヨハネ福音書 12章1-11節


        『シモンの家での食事会』  
    ここでも、 さまざまの人間模様 が露わになります。 

 ラザロの妹のマリア
     弟ラザロを復活させた方・イエス様の足を、 『香油』で洗いました。
      イエス様が、ラザロと『食卓』を共にされる喜びを表わしました。
   イエスの偉大さを認め、 イエスを信じ、 感謝と喜びに満ちあふれていたのです。

 後にイエスを裏切るイスカリオテのユダ
      マリアの行為をみて、
『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか』 と述べました。
     当時のユダヤ社会では、死に向かう人の頭に『油』を塗る習慣がありました。
 ユダはそれを理由に、『無駄をしている』 と、自分のつぶやきを正当化しました。
      『ユダの言葉』を聞いたイエスは、
   『貧しい人はいつでもいるので、いつも助けなさい。
  しかし、葬リの近い私に香油を塗ることは、善いことである』 とおっしゃったのです。 


 イエス様
      マリアの際立つ信仰を見て、
   『マリアのするままにさせておきなさい。』 と、
     又
 『マリアは私の葬りのためにそれをとっておいたのです。』 とおっしゃいました。
      イエスは、ご自分の葬リの近いことを示唆されたのです。


 ユダヤ人の大群衆 と ユダヤ人の祭司長たち
    今日は、『マリアの信仰』 と 『ユダヤ人たちの不信仰』
         が際立ちました。
     イエスの回りに、興味とねたみと殺意をもって、集まったのです。

        皆様は、イエス様に出会ったとき、イエス様にどんな反応をしますか?

      私が惹かれるのは、ラザロさんです。
  ラザロが、何かを語ったとか、何かをしたとかという話は、聖書のどこにも記されていません。
        イエスの養父・ヨセフ様と同じです。
姉妹のマルタとマリヤは、イエス様と積極的に関わり、その行動について記されているのですが、
            ラザロの記録は何もないのです。
  イエスによってよみがえらされたのも、自分の希望からではなく、姉妹の希望からです。
    マルタとマリヤが、『主よ、あなたが愛しておられる者が病気なのです』
     と助けを求めたのです。  ヨハネ福音書10章3節       
    ラザロの姉妹は、ラザロを、わざわざ、 『イエスが愛しておられる者』 と呼ぶのです。  
        イエス様は、ラザロさんを、 特別に愛されたのです。

 
私たちも、
キリストを信じ、
キリストと共におられることを信じ、
キリストを自分の生活に迎えて、
『キリストの喜び』のうちに過ごせることができますように。
祈ってまいりましょう。


『今日の祈願』

  『恵み豊かな神よ、
    わたしたちをいつくしみをもって顧みてください。
  死の定めから解放するあなたの力によって、
    わたしたちが永遠に生きることができますように。』

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
木々の芽吹き、花々の開花、新人生たち誕生、 と、
美しく、希望に満ちた、『新生の時期』ですね。 常に喜んでいましょう。

2020年度最終週・・・『2021年度への門出』  そして 『受難の主日』・・・『キリストは、神の身分でありながら、へりくだって、十字架の死に至るまで従順でした。』

2021-03-28 09:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
3月28日。日曜日。雨。

学校は終業式や卒業式を終えて・・・
政府機関や業界団体も決算を終えて・・・
新年度に入ります。

      今日から4日間・・・     『2020年度最終週』
 
  年度終わりにも 年度始まりにも   『満開の桜』   よく似合います。


        年度最終日を迎え・・・今年度はどんな年だったのか?

           コロナウイルスの世界的流行で始まり・・・
         いまだにコロナウイルス感染の終息を見ないままに、
            年度最終週を迎えることとなりました。

   それでも、
              外出がままならぬ一年間でも・・・
   沢山の人が、 全国区オンラインで歌や体操を披露して、 日本中の人々を励ましました。
各地の、 ランドマークタワーを青色一色にして、 医療関係従事者の皆様への感謝を示しました。
私の教会では、 司祭様や評議会の皆様の努力のお陰様で、 典礼とミサが守られていきました。

        今年度の私たちは、
     逆境の困難な年でも、人の優しさで乗り切れるものである、 と学びました。
         相手を思いやる気持ちの大切さ、 を学びました。


        今日から、年度末最終週、4日間です。
     こういう、『節目』、『境目』 というか 『変わり目』 が大好きな私です。
         新しい始まりに胸高鳴るのです。
     本年度にしっかり感謝しつつ・・・来年度に旅立つことにいたしましょう。
                         感謝!感謝!



そして。

今日は3月28日。受難の主日(枝の主日)。

       『今日の第二朗読  キリスト賛歌

          『キリストは、 神の身分でありながら、
        神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
         かえって自分をにして、の身分になり、

           『弟子の足を洗うイエス』

          人間と同じ者になられました。

           人間の姿で現れ、

            『イエス誕生』

        へりくだって、死に至るまで、
      
        『人類の贖罪のイエスの十字架』
    
      それも十字架の死に至るまで従順でした。


      このため、神はキリストを高く上げ、

        『復活されたイエス・キリスト』

     あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

   こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて
        イエスの卸名にひざまずき、
          すべての舌が、
      「イエス・キリストは主である」  と公に宣べて、

           父である神をたたえるのです。』
            フィリピの信徒への手紙 2章6-11節


    使徒パウロは、 『キリスト賛歌』 を語り・・・

          『キリストの教え』:『互いに愛し合い』 『へりくだる』 
           そして 
           『十字架の死に至るまで』  の  『キリストの模範』 
           また
        人は、『イエスの贖罪の十字架』への信仰によって『義』とされる。
                        ・・・それらを全人類に思い起こさせました。


カトリック教会では、
今日・受難の主日から始まる今週は
  『聖週間』 と呼ばれます。
特に、
聖木曜日の『主の晩餐』(最後の晩餐)の夕べから
    復活の主日までは、
 『聖なる過越の三日間』 と呼ばれます。
この、
 『聖週間』は一年の教会典礼の
  『頂点』 をなすものです。


        皆様の、 素晴しい『聖週間』 をお祈り申し上げます。
       私たちの父なる御神 と 私たちの救い主なるイエス様に、
           私たちの信仰を行いで示しながら、
         私たちの『聖週間』を捧げてまいりましょう。



『今日の祈願』

   『慈しみ深い神よ、 あなたは、独り子の死によって、
     信じる者に希望を与えてくださいました。
 御子の復活によってわたしたちが、望みの地に達することができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年度は、世界中の『苦しみの年』でありました。
来年度こそは、世界中の『復活の年』でありますように、祈ってまいりましょう。

人生のパートナ-・・・『スマホと花々』  そして 『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む。』・・・『散らされている神の子たちを一つに集める。』

2021-03-27 15:00:00 | 私のこと
3月27日。土曜日。快晴。

人生になくてはならないもの。

        その     『iPhone 12 Pro』
    
              『Myスマホ』

 小さな 『smart phone』:『賢い電話』が、 沢山の機能を果たしてくれる。
ガラ系携帯電話、ラジカセ、運動用時計、地図、現金、メモ帳、カメラ、等々。
                    持たなくてすむようになりました。


ところが、悲しいかな、恥ずかしいかな、
スマホ機能Upのための作業・・・私にはできかねるのです。
コロナ禍の中、iPhone店に行くのも、足が鈍る。
精密機器全般のエキスパートの娘、に頼るのが一番近道です。
そんなわけで、今日、娘に『Myスマホ』を送りました。
戻ってくるまでに5日はかかるでしょう。    


 スマホが無くなって、 タブレット・電話・ラジオ・財布・等、 を持ち出しました。
  ハンドバックも、 使わなくなっていた大きめのバッグ、 に変わりました。

        『スマホ』の『便利さ』が当たり前になっていて・・・ 
             それが無くなった今日
         すべてが無くなる『時』を考えさせられました。


私の人生になくてはならないもの。


       その      『花々』
 

        ”人生になくてはならないもの、 どちらか一つだけ!”
     といわれれば・・・『スマホ』は諦め、 『花々』を選択する私でしょう。
             
                両者の違いは、
          『便利さ』:『今』 と 『愛』:『永遠』 
                       といえるのかもしれない。


          当たり前と考えている『便利さ』を無くした今日。
     私の人生に、『本当に必要なもの』 は何か? と考えた一日でした。
          『本物の人生』を送りたいと哲学した一日でした。
                        感謝!感謝!

そして。

今日は3月27日。四旬節第五土曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、 あなただけはわたしを遠く離れないでください。
    わたしの力の神よ、 今すぐにわたしを助けてください。
      わたしは虫けら、 とても人とはいえない。
         人間のくず、 民の恥。』

          詩編 22章20&7節


『今日の福音 イエスの奇跡への人々の反応』

『そのとき、マリアのところに来て、     
   イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。
しかし、中には、
  ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。

そこで、 
      祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集 して言った。
 
      「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。
        このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。
     そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」


    彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。
     「あなたがたは何も分かっていない。
  一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、
      あなたがたに好都合だとは考えないのか。」

      

     これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。
その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、 と言ったのである。
 国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、
                        と言ったのである。

      この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
  それで、
    イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、
   荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。

       さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。
   多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。
       彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。
     「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか。」』
             ヨハネ福音書 11章45-56節



       『ラザロの復活』の『イエスの奇跡』 を見聞きした人々には・・・
           数々の反応 があるものです。


    イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じました。

     ユダヤ人の人々は、『イエスの奇跡』:『ラザロの復活』 を目撃したのです。
      死んで葬られて四日経っていたラザロを、イエスが生き返らせたのです。


  イエスのなさったことを目撃した人々の中には、
  ファリサイ派の人々のもとへ行き、 イエスのなさったことを告げる者もいました。


      イエスがラザロを復活させたことをファリサイ派の人々に告げたのです。
           それは、悪意があっての行動だったのでしょう。


    告げ知らせを聞いた祭司長たちとファリサイ派の人々は、
         最高法院を召集してイエスをどうするかを協議したのです。

         『この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ』 のです。

          最高法院は、イエスを殺そうという結論を出したのです。


    最高法院の一人・カヤファは、
     『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む』 と、
           『イエスの死:償いの死』 を預言したのです。


    
イエスをねたんで、 イエスが実力者となりローマ人の反感を買う、 のを恐れる律法学者もいました。

          

   さて・・・
      私たちは、これらの中の誰でしょう?


     イエスはトマスに言われました。
       『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』
                 ヨハネ福音書 20章29節


私たちも、
『見ないで信じる者のまことの幸い 』
を味わいたいものです。
聖書から『神の言葉』を聞き、
『本物の信仰』
を手に入れたいものですね。
祈り願いましょう。


『今日の祈願』


  『キリストは、散らされていた神の子らを一つに集めるために、
        死に渡された。』

       ヨハネ福音書 11章52節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は雨のようです。桜が散ってしまいませんように。
明日が穏やかな日曜日でありますように。 お元気で!    

桜満開・・・『終業式』と『聖書100週間』  そして 『わたしの業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、悟るだろう。』

2021-03-26 14:00:00 | 娘と娘家族
3月27日。金曜日。快晴。

今日は孫娘の終業式。

      快晴のもと・・・     『満開の桜』
 
             
   美しい桜 や 桜のもとで撮影したクラスメートたちと一緒の写真が送られてきました。

 

     おかっぱのお嬢さん。 ポニーテールのお嬢さん。 ストレートのお嬢さん。
           笑みがほとばし出る青春時代の、美しい若者たち。

         コロナ禍で始まった初めての中学生活でしたが、
         自宅でのオンライン授業。 時差通学の対面授業。
        難局に対応しながら、本当によく勉強した孫娘でした。
         今日、 無事に終業式、 一年生の卒業でした。
              おめでとう!


そして。
私は今日は『聖書通読会』

        万全のコロナ対策下で・・・   『聖書100週間 クラス』
 
           
銀髪のアップスタイルの貴婦人。 ショートカットのエネルギッシュなご婦人。 フレンチ・ボブヘヤースタイルの私。
           笑みがほとばし出る成熟時代の、美しい年配たち。
           成熟につれてますます若くなるメンバーたちです。

          コロナ禍で休会を余儀なくされた聖書通読会でしたが、
             緊急事態宣言解除に乗じて、
        待ちに待ったクラス再開で、皆様の聖書への熱情がほとばし出ます。
                うれしい!


               学びは楽しい!
       今日も、 若者世代も 熟年世代も、 それぞれの世代を花咲かせます。
         私も、内面に向かっての猛勉強の一日でした。 感謝!感謝!


そして。

今日は3月26日。四旬節第五金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、憐れんでください、 わたしは苦しんでいます。
 主よ、わたしはなお、あなたに信頼し、「あなたこそわたしの神」と申します。
     御手をもって、 敵の手から助け出してください。』

          詩編 31章10&16節     


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。
 

すると、イエスは言われた。
     「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。
        その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」

ユダヤ人たちは答えた。
      「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。
          神を冒涜したからだ。
    あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」


そこで、イエスは言われた。
「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』 と書いてあるではないか。
     神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。
        そして、聖書が廃れることはありえない。
     それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、
       『わたしは神の子である』 と言ったからとて、
        どうして『神を冒涜している』と言うのか。

   もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。
       しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、

     その業を信じなさい。 そうすれば、
      父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、
         あなたたちは知り、また悟るだろう。」



       そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、
 
       イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。

    イエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、
      そこに滞在された。 多くの人がイエスのもとに来て言った。
「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」
          そこでは、多くの人がイエスを信じた。』
          ヨハネ福音書 10章31-42節
  


      イエスの『願い』は, 
           イエスの言動を見聞きした人たちが、
   『イエスこそキリスト・メシア、神の子である』 という『結論』を、 各自が下すことです。  
       一人ひとりに、 『キリストへの信仰』 が生まれることです。


    そこで、今まで、
        人々が、 各自が自ら、 『結論』を出すために・・・
 イエスは、 ご自身メシアであることを誰にも話さないようにと、 弟子たちに命じてきたのです。

    そして、今日、
     イエスは、自ら、 自分に敵意を抱いている相手に、はっきりと言いました。

   『父の名において私が行っている事柄を見れば,私が誰かは明らかです。
           しかしあなた方は信じません。』
 ヨハネ 10:25&26
      又、
    『律法』に書かれているのは、『神々』で、 『私と父は一つです』 と。
       神は、律法の中の『神』は『三位一体の神』:『神々』 を顕示なさったのですね。


     実は、以前にも、
   「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」 と、
          『自分は神である』 と言われたことがあります。ヨハネ 8-58


     心から信じたい人は、 『イエスは神の子・メシア』 と 『結論』を確信するのです。
キリストに属さない羊たちは、 自分の確信にこだわり、 『牧者』の声を聞き分けることができないのです。


     ユダヤ人たちはイエスの『返事』を聞いて激怒し,またもや石を拾って殺そうとします。
        敵に囲まれ、死に直面しても、 イエスは恐れておられません。
        イエスは、神から守られることを、確信しておられるのです。


        そこで、 イエスは、エルサレムを去って、 ヨルダン川を渡り,
     3年近く前にヨハネがイエスに洗礼を授けた地域:ガリラヤ湖近くに行かれます。

     イエスは、洗礼を受けたときに、 そこで、ご自分の『使命』が分かりました。
       そして今、
    イエスは、洗礼を受けた場所に戻り、自分の『使命』は『苦しみを受けること』 かと、
          改めて、考えられたことでしょう。

       そこでは、大勢の人たちがイエスの所にやって来て,
 「ヨハネはしるしを一つも行わなかったが,ヨハネがこの人について言ったことは全て本当だった」 と言い、
       『結論』を確信し、 多くの人がイエスを信じたのです。
            これぞ! 神の計らい! 奇跡!

          多くの人がイエスを信じる姿を見て、
    イエス様は、再び、確かに、『使命』 を再確信なさったことでしょう。


私たちも、
『イエスの御言葉』の意味
が分からないときがあります。
そんな時は、
『イエス様の行いと生活』において
『イエスの愛』を確信していきたいものですね。
祈りましょう。


『今日の拝領唱』

   『イエスは、十字架の上でわたしたちの罪を身に負われた。
    それは、わたしたちが罪に死んで正しく生きるためである。
     私たちはキリストの傷によっていやされた。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
満開の桜が本当に美しく咲いています。
明日からの週末、ご近所の桜を愛でながら、穏やかにお過ごしください。 お元気で!

私の誕生日・・・・『シャンパン』  そして 『神のお告げ 祭日』・・・『あなたは身ごもって男の子を産む。神にできないことは何一つない。』

2021-03-25 16:00:00 | 私のこと
3月25日。木曜日。雨のち曇り。

今日は私の誕生日。。。

   恒例の・・・       『シャンパン』
 
             『Champagne TAITTINGER』

毎年、誕生日に、一人で、必ず、一番好きなホテルの決まった『Bar』で、シャンパンとカクテルを飲む。
               10年ほど続いています。

     ”今年もシャンパンをおいしく飲めた!”  ”来年もこの日が巡り来ますように!”
           毎年続くことが有り難く、 感謝せずにはいられない。


   カクテルは・・・      『マンハッタン』
   
           『ハドソン川河口部の中州であるマンハッタン島 』

        ハドソン川沿いに住んでいた頃を懐かしく思い出しながら・・・
 ”マンハッタンのイメージなのね♡” と、 『カクテル・マンハッタン』もおいしく飲めました。


      当事者として経験した阪神・淡路大震災。 その後の、東日本大震災 
        コロナウイルス。 等々。 多くの悲しい災害が続きます。

 それでも・・・

       『いつものBar』 という 『毎年巡り来る誕生日の時間』 は、
              私にとって、
神様によって与えられた 『かけがえのない時間』 であると、感謝せずにはいられません。

      今年の誕生日も、 シャンパン片手に、 ゆっくりと、 静かに、
         今年の一年を振り返り、 これからの一年を思い、
      一年分の充電ができたような、 感謝一杯の有り難い時間でした。
                       感謝!感謝!


そして。

今日は3月25日。四旬節第五木曜日。


           『主のお告げ 祭日』
 
                『受胎告知』                ボッティチェッリ作品

    今日は、『神の御独り子の受肉』と、 
それを知らせる天使の言葉を信仰をもって受け入れた『マリアの承諾』を思い起こす祭日です。

      東方教会を起源とするこの祭日は、 “聖母の祝日” とされていましたが、
ローマ典礼暦の改正の際、キリストが処女マリアの胎内に宿ったという出来事を記念するため、
       ”主キリストの祝祭日” として祝われるようになりました。
               『毎日の読書』より

   
            『神のお告げの祈り』
    『主のみ使いの告げありければ、 マリアは聖霊によりて懐胎したまえり。
       我は主のつかえ女(め)なり、 おおせのごとく我になれかし。
      しかしてみ言葉は人となりたまい、 我等のうちに住みたまえり。
           天主の聖母われらのために祈り給え。
          キリストの御約束に我等をかなわし給え。』
              『カトリック祈祷書 祈りの友』より


『今日の福音 マリアの神のお告げの次第』

『そのとき、  天使ガブリエルは、 ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。
         そのおとめの名はマリアといった。
   
           『受胎告知』              エル・グレコ作品

  天使は、彼女のところに来て言った。
      「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

  すると、天使は言った。
    「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
      その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
       神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
     彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。


マリアは天使に言った。
  「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。
     「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
      だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

  あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
     不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。

        神にできないことは何一つない。」

マリアは言った。
   「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
         そこで、天使は去って行った。』
           ルカ福音書 1章26-38節


  今日は、 『神の御独り子の受肉』 と 『マリアの承諾』 を思い起こす祭日です。
       いよいよ、
          神様は人間を救うために、 人間の世界にお入りになりました。

      『受胎告知』を告げる天使は、
あまり知られていない小さな町・ナザレ の あまり知られていない若い乙女・マリア様
 
                        のところへ遣わされました。

         
       ここに・・・『神様のなさり方』 が示されたのです。


     神の『救いの業』は、 『小さな者の協力』を願って、 進められるのです。 
  神様は、人間が自分の働きだと誇ることがないように、 『小さな者』を通して働かれるのです。
       神様は、『小さな人』は、『謙遜』の模範の方たちであるのをご存じなのです。


 神は、『ご自分のなさり方』について、説明をなさいました。 

    『あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。
      主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、
    あなたがたが他のどの民よりも数が多かったからではない。
      あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、 あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、
  主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、救い出されたのである。』
            申命記 7章7-8節 参照
   
同様に。

  『兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。
         人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、
       能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
      ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、
        力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
   それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。』
           コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章26-29節 参照


       マリア様は、自分には『資格』がないことを、よく知っておられました。
   ただ 『神にできないことな何もない』と告げられた 『神の言葉』を信じ、 
         神が助けてくださるという 『神の約束』を信じ、
      素直な信仰の持ち主として、 『承諾』なさったのです。

      『神の計画』は正しい・・・ゆえに、神のなさることは神に任せましょう。
      『神のはしため』の私・・・ゆえに、神のなさることは神におまかせします。
           
        これが、『マリア様の信仰』 です。


私たちも、
自分の弱さを経験し、
自信のない場合が多々あります。
それでも、マリア様の信仰に倣って、
神がいつも一緒にいてくださり、助けてくださる、
 ことを素直に信じることができますように。
   祈ってまいりましょう。


『今日の祈願』

   『聖なる父よ、
 おとめマリアの子イエスが真の神であり、 真の人であると信じるわたしたちが、
     その復活の力を知り、 永遠の喜びに導かれますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の毎年巡り来る誕生日が、穏やかでお幸せでありますように。
皆様の日常の日々も、かけがえのない素晴しい日々でありますように。 お元気で!

コロナ禍に負けず・・・『卒業式』  そして 『わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』

2021-03-24 09:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
3月24日。水曜日。快晴。

9時半。
ウオーキング途中に
出会いました。

           『小学校 卒業式』
    
                                    校門前
  卒業生たちは、最後のホームルーム中だろうか? 見当たらない。

    式服の父母たちが2カップル、 校門をくぐるところでした。
     我が子の晴れ姿を見守ることができるのでしょうか♡♡
         コロナ禍のもとでの卒業式です。
    ”おめでとうございます!” と思わず一言出てしまいました私。
”ありがとうございます。” 深々とお辞儀を返してくださった父母さんでした。


       校門前の・・・   『満開の花』
 
  白色の小さな花々による・・・  『卒業祝花』    桜はまだ咲いていない。
                     これも又よし。

           コロナ禍のもとでの日本全国での卒業式。
        卒業の合唱もなしだったり、 親の参加もなしだったり。
           予想もしなかった卒業式が続いています。

             ご卒業おめでとうございます。
        日本中の卒業生の豊かな未来をお祈り申し上げます。


 コロナ禍で学びました。
 『当たり前』と思っていたことが、 自分では為す術もなく、 突然に消え去るものである。 と。
       これからは、明日はなしと思って、『当たり前』を大切に生きたいものです。
     そんなことを考えた卒業式の小学校校門前の、今朝の私でした。 感謝!感謝!
           


そして。

今日は3月24日。四旬節第五水曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしのために報復してくださる神よ、
      諸国の民をわたしに従わせてください。
 敵からわたしを救い、
     はむかう者よりも高く上げ、不法の者から助け出してください。』

          詩編 18章48&49節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 イエスは、  御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
 

 「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
            あなたたちは真理を知り、
           真理はあなたたちを自由にする。


すると、彼らは言った。
        「わたしたちはアブラハムの子孫です。
       今までだれかの奴隷になったことはありません。
     『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」


イエスはお答えになった。
          「はっきり言っておく。
        罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
  奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、 子はいつまでもいる。
 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

   
イエスは言われた。
     「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。
        なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。
   わたしは自分勝手に来たのではなく、 神がわたしをお遣わしになったのである。」』

         ヨハネ福音書 8章31-42節 参照


       イエス様は、今日、宣言なさいました。
 

            『真理』はあなたたちを『自由』にする。
『イエスの言葉』にとどまるならば、 その『真理』をあなたたちは知ることになる。


今日は
『真理』と『自由』について
検証してみましょう。

まずは、
             『真理』とは何か?


   旧約においては、 『神はすべての真理の本源である』 と証言しています。

          『神の真実』 が 『真理』である。 との証言です。
      『神の意志』の表れである 『神の言葉』、『律法』、 が『真理』 です。
 『神が私たちすべての人を大切になさる』 という  『神の愛』が、『神の事実』:『真理』 なのです。


新約において、 『神の真理』 は 『イエス・キリスト』 のうちに余すところなく表わされました。

    恵みと真理に満ちておられる『イエス・キリスト』が、 『世の光』であり、 『真理』 なのです。
        キリストを信じる者は、だれも暗闇の中にとどまることがありません。
       『イエスの言葉』にとどまり、 『自由』にする『真理』を知るようになり、
           その『真理』によって聖なる者とされるのです。
     


次に、
             『自由』とは何か?

     『自由』とは、罪と律法からの『解放』であり、 死からの『自由』を表わす。

  聖書における『自由』は、
  社会的自由というより、 『内的霊的自由』であり、 『キリストの贖罪』との関係で理解されるのです。
     人間が『罪の奴隷』として生き、 正しいはずの『律法』が人間を殺すものとなったため、
       キリストは、『罪過』を十字架において精算され、
        『罪』の価である『死』を克服されたのです。

       『自由』は、
     キリストの救贖によって成立し、キリストにある『自由』に関わって、
         人間の『真の自由』が生まれるのです。

結論は、
      人間は、本来、『真理』向かって歩むように造られています。
 

 人は、 『真理』を見つけ、 『真理』を敬い、 『真理』を証しする、 義務があります。
         いったん『真理』をとらえた上は、これを認め、
       『真理』の要求に従って、自分の生活を規制する必要があるのです。

       キリストの弟子は、「真理のうちに生きること」 を受け入れます。
         すなわち、キリストに倣って、飾り気のない生活を送り、
            キリストの『真理』にとどまります。

         以上。 『カトリック教会のカテキズム』と『聖書辞典』 を参照しました。


私たちも、
聖書の『神の言葉』を読みながら
『真理』を知り、『真理』に至り、
『自由』な心で、
日々の生活を送ることが出来るといいですね。


『今日の祈願』

  『全能の神よ、
      わたしたちを、救いの力で強めてください。
 あなたの恵みに支えられて、罪の傾きに打ち勝つことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ対策を万全にしながら、『ウイズコロナ』の気持ちで日々強く生き、
変わらぬ『新年の始まり』を迎えましょう。 新入生を応援してまいりましょう。

春がきたきた・・・『ラベンダー』  そして 『あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということが分かるだろう。』

2021-03-23 05:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
3月23日。火曜日。快晴。

桜のつぼみも
すっかりふくらみ

    
   我が家にも春がきたきた・・・      『ランベンダー』
  
  水仙から始まって・・・
  パンジー。 梅。 ユキヤナギ。 バラ。 ボケ。 桃。 桜。 デージー。
           そして今日は 『ラベンダー』


    どの花々も、 一つ一つがこの上もなく美しく、 そして輝く。
  何ひとつ欠けることのない完全さを宿して、 見る者を喜ばしてくれる。


    なぜか、なかなか我が家に根付いてくれなかった『ラベンダー』
      今年は美しい花を咲かせてくれました。 感謝!感謝!


そして。

今日は3月23日。四旬節第五火曜日。

『今日の入祭唱』
 

       『主を待ち望め。
     雄々しくあれ。 心を強くせよ。 主を待ち望め。』

        詩編 27章14節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、   イエスは  ファリサイ派の人々に言われた。
 

              「わたしは去って行く。
            あなたたちはわたしを捜すだろう。
        だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
        わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」


ユダヤ人たちが、
     「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』 と言っているが、
          自殺でもするつもりなのだろうか」
  と話していると、

イエスは彼らに言われた。
     「あなたたちはのものに属しているが、 わたしはのものに属している。
      あなたたちはこの世に属しているが、  わたしはこの世に属していない。
        だから、
         あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、

                       わたしは言ったのである。

         『わたしはある』ということを信じないならば、 
        あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」


      彼らが、 「あなたは、いったい、どなたですか」  と言うと、
イエスは言われた。
         「それは初めから話しているではないか。
     あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。
        しかし、 わたしをお遣わしになった方は真実であり、
      わたしはその方から聞いたことを、 世に向かって話している。」


   彼らは、 イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
そこで、
   イエスは言われた。
    「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、
    
     『わたしはある』ということ、
       また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、 
     父に教えられたとおりに話していること
                           が分かるだろう。

  わたしをお遣わしになった方は、 わたしと共にいてくださる。
      わたしをひとりにしてはおかれない。
  わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」


  これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。』
      ヨハネ福音書 8章21-30節


   イエス様の考え方・・・対・・・ファリサイ派の人たちの考え方
             対立しました。
   そこで、
   イエス様は、ファリサイ派の人々に、はっきりと言われました。

 私はって行く・・・・・あなた方は探すことになる。
      私の行く所にあなたたちは来ることができない。
 私はこの世に属していない・・・・・あなたたちはこの世に属している。
       『この世』は、神のない世界、神に反対する世界。
           ファリサイ人は神に反対する意見です。
 私は『わたしはある』というもの・・・・・あなたがたはそれを信じない。
    『わたしはある』 とは 『いつでも、いつまでも、どこにでも、おられる方』を意味し、 
     神様は、『わたしはある』 と、ご自分を顕現されました。 出エジプト記 3章13ー15節
 私は『神のもとからこの世』に遣わされた者・・・・・あなた方はそれを信じない。
私は父に教えられたとおりに話している・・・・・あなた方は自分勝手に行い、話している。
      それ故、私をお遣わしになった神は、わたしと共にいてくださる。


       イエス様は、ファリサイ派の人々に、はっきりと言われたのです。
     以上、これらの故に、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
          イエスは、神の独り子、神、メシア・救い主、である。 と。


  イエス様が現われ・・・・・人々は、決心を迫られたのです。
     イエスを選ぶか・・・選ばないか。 イエスの味方になるか・・・ならないか。

イエス様は神から派遣された方・・・・・人々は、「イエスの十字架』を仰ぎ見るとき救われる。
    イエスを信じるか・・・信じないか。 イエスと共にいるか・・・ひとりぽっちか。


私たちも、
もうすぐ復活祭。
イエス様の復活の日を迎えます。
十字架上のイエスに希望をおき、
救われることを希望いたしましょう。


『今日の祈願』

   『あわれみ深い父よ、
       赦しをもたらすキリストの奉献によって、
   わたしたちを罪の絆から解放し、迷う心を導いてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
ものすごい変化の世の中でも、
変化することのない美しい花々を見つめながら、心は穏やかにありたいものですね。

女性平均寿命は87.45歳・・・『バラの花束』 そして 『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』

2021-03-22 20:26:02 | 私のこと
3月22日。月曜日。曇り。


日本人の平均寿命
女性87.45歳、男性81.41歳
2019年統計記録

    もうすぐ私の誕生日・・・   『バラの花束』
 
              🌹🌹自分にプレゼントしよう🌹🌹


              世界の女性の平均寿命
     一位:香港 88,13歳  二位:日本 87,45歳  三位:スペイン86,22歳
               長寿にカンパイ♡♡

        私も世界のG・G(グラント・゙ジェネレーション)の仲間入りをしよう。
      人生という長い時間のなかで素敵な季節に到達した年齢層だそうです。
             仲間。健康。前向きな気持ち。好奇心。知恵。
       そして、これまで多くを学び、多くの経験をして、積み重ねた年齢。
             培ったものをフル回転の年齢層です。
    

     平均寿命まで、平穏な時間の中で、たっぷりと人生を楽しみましょう。
          そんなことを考えた今日でした。  感謝!感謝!


そして。

今日は3月22日。四旬節第五月曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、わたしを憐れんでください。
  人が私を踏みにじり、絶えることなく私を虐げます。』

         詩編  56章2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、   イエスはオリーブ山へ行かれた。
          朝早く、再び神殿の境内に入られると、
        民衆が皆、御自分のところにやって来たので、
   
            座って教え始められた。

そこへ、  律法学者たちやファリサイ派の人々が、
        姦通の現場で捕らえられたを連れて来て、  真ん中に立たせ、
 
         『キリストと姦淫の女』               レンブラント作品

  イエスに言った。
          「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
        こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
            ところで、あなたはどうお考えになりますか。」


        イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

       イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
       
       しかし、彼らがしつこく問い続けるので、
         イエスは身を起こして言われた。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
           そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

   これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、
          イエスひとりと、 真ん中にいた女が残った。
 
     イエスは、身を起こして言われた。
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
           女が、 「主よ、だれも」 と言うと、
イエスは言われた。
        「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
         これからは、もう罪を犯してはならない。」』

           ヨハネ福音書 8章1-11節


      今日のイエス様の『お姿』と『御言葉』を見聞きして・・・
私は、以前におっしゃった、『神様の言葉』 と 『イエス様の言葉』 を思い出します。

         『神の思い』 の詰まった 『神様の言葉』

      『彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。
 わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。
           立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
        イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。』

              エゼキエル書  33章10-12節


        神様は、人類すべての人が『永遠の命』を得ることをお望みです。
         罪人である人間が永遠に『生きること』をお望みなのです。

     永遠の命とは、
  唯一まことの神であ等れる神と、神のお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。』

                              ヨハネ福音書 17章3節


もう一つ。

        『イエス様の使命』 を凝縮した 『イエス様の言葉』

           『わたしが求めるのは憐みであって、いけにえではない。
      わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』

              マタイ福音書 9章13節


     イエス様は、人類すべての人が『互いに愛し合う』 ことをお望みです。
すべての人が、自分が至らない者であることを認めて、『愛し合う』 ことをお望みなのです。

  『あなたがたに新しい掟を与える。
互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』

                 ヨハネ福音書 13章34節

 
 ファイサイ派の人たちは、律法を守る努力家でしたので、
     モーセの律法を公然と守らない人たちは『罪人』ということになるのでしょう。
     『姦通の女』は、有無を言わせず、律法通りに、『死罪』 と考えたのでしょう。
   その『努力』の故に、自分は人よりましな人間、
     神様からよい評価を受けられる資格があると自負していたのです。

  一方。

   イエス様は、に分かってもらいたかったのでしょう。
      『自負』こそが、神様から遠い存在、救いがたい存在となっている。
      『赦し』こそが、神に一番近い存在、救いとなる。 と。

     そのことをイエス様は会衆に分かってもらいたかったのだと思います。

   イエス様は、に分かってもらいたかったのでしょう。
      あなたの罪は許されています。わたしもあなたを罪に定めない。
          これからは、もう罪を犯してはならない。  と。


私たちも、
自分の過ちを認めて、
お人の苦しみや弱さも理解できる
ような人になりたいものですね。
お人を許せる力を求めてまいりましょう。


『今日の祈願』

  『すべての人の救いを望まれる神よ、
    私たちが悪に打ち勝ち、 キリストの跡に従って、
    あなたのもとに近づくことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の毎日が、互いを認め合い、愛し合い、穏やかな日でありますように。

保育園の幼子たちの成長を毎年見守る・・・『三分咲き桜』  そして 『新しい契約』・・・『十字架上のイエス』・・・『一粒の種が死んで、実を結んだ。』

2021-03-21 09:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
3月21日。日曜日。雨。

朝から小雨。
傘をさして、
早春の早朝散歩を楽しみました。



  淡い桜色・・・       『3分咲きの桜』            美しい♡♡

            保育園前、 雨にも負けず、 頑張って咲く。

          保育園の幼子たちの成長を、毎年、見守っている桜。
            私も、 桜のように静かに、穏やかに、
    大切な人たちの今春の『門出』を精一杯に応援したいと、 誓った朝でした。
                        感謝!感謝!



そして。

今日は3月21日。四旬節第五主日。
今日は『オンラインミサ』に参加です。

『今日の入祭唱』
   『神よ、 あなたの裁きを望みます。
 わたしに代わって争い、 よこしまの者から救ってください。
    あなたはわたしの神、 私の砦。
  わたしを虐げる者から、わたしを救いだしてください。』

         詩編 43章1-2節



      『今日の福音 イエスの御言葉』
 
              『司式司祭様の福音朗読』           於:十勝カルメル会修道院

      福音の朗読には最大の尊敬を払うべきことは、典礼自体が教えています。
      他の朗読にもまして、特別の栄誉をもって福音の朗読は飾られています。

       福音を告げ知らせる奉仕者の側は、祝福あるいは祈りによって準備し、
  信者の側は、キリストが現存され、自分に語っておられることを応唱によって認め、公言し、
            朗読そのものを起立して拝聴するのです。
   また福音書に対する尊敬のしるし自体によっても、福音の朗読はきわだっています。

            『キリストと我等のミサ』より


『今日のイエスの御言葉』

   『さて、祭りのとき  礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、
         何人かのギリシア人がいた。
  彼らは、 ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、
       「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」  と頼んだ。

フィリポは行ってアンデレに話し、
       アンデレとフィリポは行って、 イエスに話した。
イエスはこうお答えになった。

        「人の子が栄光を受ける時が来た。
           はっきり言っておく。

    一粒の麦は、 地に落ちて死ななければ、 一粒のままである。
 
        だが、 死ねば、 多くの実を結ぶ。


        自分の命を愛する者は、それを失うが、
    この世で自分の命を憎む人は、 それを保って永遠の命に至る。


     わたしに仕えようとする者は、 わたしに従え。
 そうすれば、
  わたしのいるところに、 わたしに仕える者もいることになる。
 わたしに仕える者がいれば、 父はその人を大切にしてくださる。』           
        ヨハネ福音書 12章20-26節


ここで。
司式司祭様の説教。 一部です。

   『どういう風に、 イエス様は、私たちを救ってくださるのでしょうか?

   私たちには理解は難しいですが、
    今日のイエス様の話は、私たちの疑問への『答』でした。

      第一朗読のエレミヤの言葉を通して、
      神様は私たちと、 『新しい契約』 を結ぶと約束なさいました。
      更に、『新しい契約』を結ぶ『時』が来る。 ともおっしゃいました。
     その上、神様はその『新しい契約』を『ユダヤ人』と結ぶ、と言われるのです。


  神様は、『新しい契約』によって、人類の『救い』を実現する。 と約束くださったのです。


 そして、今日は、
    ギリシャ人が、 『イエスにお目にかかりたい』 と願うのです。
      その時・・・
  イエス様は、『人の子が栄光を受けるが来た。今日がその時です。』 
           と、『返事』をなさり、 『救いの方法』:『答』 を出されたのです。

     
  イエス様のギリシャ人への『返事』をどのように理解すればよいでしょうか?


   実は、 神様が『新しい契約』を結ぶのは、ユダヤ人とだけ結ぶのではないのです。 
         すべての人と結ぶことになります。
      神と『契約』を結んだユダヤ人ではないギリシャ人が、
           イエスと出会いたい申し出ることで、
    この『新しい契約』の『神秘』に、すべての人が預かることが可能となったのです。

    イエス様は、『今』、『時』が来ましたので、
        ギリシャ人とも、すべての人とも、『新しい契約』を結びましょう。
              というのが、ギリシャ人への『返事』の意味です。


もう一つ。
   今日、イエス様は、『新しい契約』を理解させるために、  
        短い 『たとえ話』 を使いました。
   『一粒の『種』は死ななければ,『実』を結ばないのです。そのまま残るのです。』 と。


   イエス様は、この『一粒の種』です。
     ですから、この『たとえ話』 のとおりに、
        イエス様は、『自分の命』を捧げます。 死ぬのです。 
     そしたら・・・
  『一粒の種』は『実』を結び、 すべての人が『救い』を受けたのです。
    この『イエスの十字架上で贖罪の死』 こそが、 神が約束くださった『新しい契約』 なのです。

 
では・・・
  
     私たちは、どうしたらよいのでしょうか?
   
 
   自分の命を守りたいのですか? 自分をきれいにしていただきたいのでしょうか?
          永遠に生きたいのでしょうか? 
     
         私たちは、このような『質問』をされたら、
 『自分の命を守りたい。 きれいにしてください。  永遠の命をください。』 と答えたいですね。
         イエス様は、
    『素晴しい命』を頂きたいなら、 あなたの『命』をゆずってください。』 と答えられるのです。 

         イエス様の『答』には、『深い意味』があるのです。

   自分の力だけで、『自分の命』 を守ることはできません。
         自分の力だけで、 『永遠の命』 を得ることはできません。

     キリストが、あなたの命をきれいにしてくださいます。  
         ですから、
        『自分の命』を生きるということは、
         『自分の命』を捨てること。 自分の『傲慢』を捨てること。 
           あるいは、自分にある『古い人』を捨てることです。

ですから、
   どうぞ、『自分の命』を捨ててください。 自分に信頼することを捨ててください。  
        今、『ご自分の命を捧げるイエス様』を信頼しながら・・・
          『自分の命』をイエス様にゆだねてください。

  そうしたら、
      キリストによって、 すべてが新しく生まれることになります。
        その場合、
         私たちも、実は、『一粒の麦』と同じように死んで、
            すべてを神様から頂こうと決める、ことになります。
       

私たちは、『神様の永遠の命の神秘』 に預かるように招かれているのです。

 
    私たちは一粒の麦として死んだら、 私たちは生かされるのです。  
         それは、 『十字架の神秘』  です。 
              
    十字架上で、 イエス様は、 すべてを神様にゆだねて、
        ご自分の『命』を捧げました。 
      そして、イエス様は神様から『栄冠』を 頂いたのです。

  私たちは、このキリストと結ばれて、つまり、自分のことをすべて捨てて、
       キリストより、すべてを頂くことになります。


      四旬節に入って、復活祭で、 
   私たちは、このイエス様の『いけにえ』を記念します。
      『いけにえ』は、 大昔にあったということではないのです。
どのように『いけにえ』によって、キリストが私たちを生まれ直してくださったかを理解しながら、
        『今』、『今日』、神様に感謝いたしましょう。』
            以上。神父様の説教の一部でした


    皆様、今日は『オンラインミサ』にご一緒してくださり、ありがとうございました。
コロナ禍でも、オンラインでミサに預かれ、神父様のお説教も拝聴できますことは、有り難いことです。
        嬉しさと有り難さを、皆様にも分かち合いさせていただきました


『今日の祈願』

   『信じる者の力である神よ、
 キリストとひとつに結ばれ私たちを光で満たしてください。
   苦しみや困難にあっても希望と信頼を失わず、
   あなたの光を輝かせる者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
3月も終わりにちかづき、部屋も心の中も、整理整頓に励み、
4月の、何もかも新しい『新しい年度』、に向けて楽しく準備をいたしましょう。