今朝のラン途中のプロテスタント教会の『掲示板・今週の一言』
『誘惑』 とありました。
『誘惑』で思い出すのは、『人祖・イブへの蛇の誘惑』 そして 『救い主・イエスへの悪魔の誘惑』
まずは。
旧約聖書から。
『人祖・イブへの蛇の誘惑』
『楽園』 ミケランジェロ作品
人祖の罪は、『もっとも賢い蛇』の誘惑によるとされています。
その誘惑のしかたは巧妙です。
何気ないことから始め、混乱させ、偽りの魅力を示し、最終的には決定的なうそに至ります。
人は罪の善悪を識別する良心を授かっています。
誘惑を受けることは罪ではありませんが、
人は誘惑を通して良心が乱され、誤った自由の決断、つまり 罪に陥ることもあるのです。
カトリック教会の教えより。
創世記の第2章。
神は、人間を造られ、その人間に対し、一つだけ制限を与えました。
『主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」』 創世記 2章16-17
神は、人間に、善悪の知識の木の実だけは食べないようにと、制限を与えたのです。
ここで。
蛇の誘惑が始まります。
『主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。
蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
「決して死ぬことはない。それを食べると神のように善悪を知る者となることを神は御存じなのだ。」』
『蛇』は、悪魔のかたどりです。
キリスト教では、従来、人間より優れた霊的存在として、天使と悪魔の存在を教えます。
『天使』は、神の意志を人に伝えたり、実行したりする、神の使者です。
『悪魔』は、罪によって神に逆らうようになった天使です。人を罪へと誘う強固な働きがあるのです。
『人』は、神への働きかけ、罪への働きかけ、の両者に対して、注意深く敏感に対処しなければなりません。
カトリック教会の教えより。
神は、『食べると必ず死んでしまう。』 と言われました。
蛇は、『決して死ぬことはない。』 と言いました。
蛇は、小さな言葉:『ない』を加えることによって、神の御言葉とは正反対の結論に導いたのです。
同様に。
神は、『決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』 と言われました。
イブは、『食べてはいけない。触れてもいけない。死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」と。
イブは、『神の御言葉』に、自分勝手に、語句を加えたり除いたり、強調したりしたのです。
その結果。
イブは、『神の御言葉』を守ることなく、『蛇の言葉(誘惑)』を受け入れたのです。負けました。
『その木はいかにもおいしそうで、目を引きつけ、賢くなるようにそそのかしていた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。』 創世記3章
次は。
新約聖書から。
『イエスへの悪魔の誘惑』
『イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
マタイ福音書 4章1-4
イエスは、決して、『神の御言葉』に、自分勝手に、言葉を付け加えることはありませんでした。
イブとは逆の姿です。
イエスは、『神の御言葉』を、悪魔を退けるための『神の武具』として生かしました。
『主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。』
エフェソの信徒への手紙 6-11
『神の御言葉』こそが・・・
神が私たちに与えてくださった『神の武具』であり、
『悪魔の策略に対抗して立つことができるようにするのもの』なのです。
『誘惑・悪魔』は・・・
イブにもイエスにも、最初からは、真の正体を明かしはしませんでした。
その代わり、
質問から始めるのです。神の言われたことへ疑いを持つよう仕掛けるのです。
『誘惑』に立ち向かうためには・・・
私たちに必要なのは、『神の御言葉』なのです。
イエスが言われたように、『書いてある…』と、『御言葉への信頼』なのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
誘惑が多いこの世です。 誘惑に負けず・・・心強くありましょう!
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今日・28日のランニング 10㎞ 2月ラン距離合計:39㎞
6時半。0度。 月間39㎞は、ラン生活の最低新記録です!