11月30日。月曜日。晴れ。
午前4時47分
何かに引っ張られるような
誰かに呼ばれているように感じて
玄関を開けてみました。
真っ暗闇の中。
『満月』
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ただ一つで、静かな輝き を見せる。
昨日から始まった『待降節』を象徴するかのようです。
キリストの誕生・御降誕までの残り25日間の、『マリア様の産みの苦しみ』 が頭によぎりました。
心静かに・・・静寂、深沈、 です。
それにつけても。
昨日の新聞の『一言』
忘れられない。頭から離れない。
私が毎週心待ちにしている
日曜日の新聞の『人生相談』の『回答』です。
T氏の『一言』です。
85歳・女性からの『お嬢様の相談』への『答』です。
こんな風でした。
『お嬢様の状態、ご心痛のことと思います。
けれども、その点に関しては、私にできるアドバイスはほとんどありません。
残念なことですが、何よりも早く専門家に相談されるべきとだと思います。
その上で、いくつか、申し上げたいことがあります。
相談者の年齢を考えれば、残りの時間も多くはありませんね。
ならばお嬢様のこと以外で、
あなたのこれまでの人生の中の、
気にかかっていること、やり残したことに始末をつけなければなりません。
あなたの人生の責任をとれるのはあなただけなのですから。
わたしたちはみんな、
どこからかやって来て、この世という「仮の家」に住み、やがて出てゆきます。
その「家」をきれいに片づけ、できうるなら、次に住む誰かのために、
一つでもいい、何かを残して、去りたい。
私はそう思うようになりました。
お嬢様も苦しいことでしょう。
これからの彼女を助けてあげられるのは、財産や具体的なサポートではありません。
人間として見事に完結してみせる親の後ろ姿。
それを、子どもへの最後のプレゼントとされますように。』
年を重ねたとき、
人生の現役から離れることにより、一人ひとりが持つしがらみを手放し、
物事を少し引いて見る。
そういう『境地』により、人は『悟り』を得るのでしょうね。
私たちも、あれこれと悩む、大切な人たちへの
『クリスマス・プレゼント』
何よりも素晴しいプレゼントは
『人間として見事に完結してみせる後ろ姿』
なのですね。
待降節の真っ最中の私たちは、
若きも年を重ねた者も、皆で、
ちょっと現実から離れる 『静寂な時間』 を持ち、
『イエス・キリストの御降誕』の『準備』を怠らないようにしなければなりませんね。
今日も、 『神の御言葉』や『識者の言葉』から、 学ばしていただきました。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月30日。待降節第一月曜日。
『聖アンデレ使徒 祝日』
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アンデレは、ガリラヤのベトサイダの出身。
初めは、洗礼者ヨハネの弟子であったが、後にキリストに従う。
兄弟ペテロをキリストのもとへ連れて行った。 ヨハネ福音書1章40-42節
「イエスにお目にかかりたい」と申し出た異邦人・ギリシャ人の願いを、
フィリッポとともにイエスに取り次いだ。 ヨハネ福音書12章22節
イエスが五千人に食べ物を与える奇蹟を行う前には、「パン五つと魚一匹」
を持っている少年をイエスに紹介した。 ヨハネ福音書6章8-9節
アンデレは、 聖霊降臨の後、多くの地方に宣教をし、
ギリシャ南部の町・アカイアで十字架につけられて殉教する。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『イエスは ガリラヤの海辺で、漁師の二人の兄弟ペトロとアンデレを見て言われた。
「わたしについて来なさい。おまえたちを人間をとる漁師にしよう。」』
マタイ福音書 4章18-19節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、
湖で網を打っているのを御覧になった。 彼らは漁師だった。
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『ペテロとアンデレの召命』 ドウッチオ作品
イエスは、
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。
そこから進んで、
別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
彼らをお呼びになった。
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この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。』
マタイ福音書 4章18-22節
ペテロとアンデレ兄弟も、 ヤコブとヨハネ兄弟も、
イエスが呼ばれると・・・『すぐに従った』のです。
彼らとイエスの出会いは、初めてではなかったでしょう。
イエスのうわさを聞いて・・・『イエスの話』を2~3回は聞きに行っていたかもしれません。
そして、イエスから呼ばれたときに、『すぐに従った』 のです。
私は考えてみました。
『イエスに従う』 ということは、
『新しい生き方』、『新しい考え方』
を始めるということではないでしょうか?
日々『改心』を続けながら・・・
『イエスにすべてをゆだねる』 という生き方です。
私たちも、
すべての人が、
イエスに呼ばれて、
神から導かれているのです。
イエスに呼ばれるということは、
日々の『改心』となるのです。
キリストを中心に生きることができるためです。
一人ひとりが『新しい生活』を始めるためです。
毎日の生活をしながら、
聖書を読みながら、
イエスと出会って・・・
すぐに、『新しい生き方』、『新しい考え方』を始める。
イエス・キリストを忘れることがないように祈りたいですね。
『今日の祈願』
『救いの源である神よ、
わたしたちが、聖アンデレの模範に励まされて、 日々キリストの死を身に受け、
復活の命に生きることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ明日から12月です。今年の師走は自粛ムードで例年とは一変しますね。
お風邪をひきませんように。 お元気で!
午前4時47分
何かに引っ張られるような
誰かに呼ばれているように感じて
玄関を開けてみました。
真っ暗闇の中。
『満月』
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ただ一つで、静かな輝き を見せる。
昨日から始まった『待降節』を象徴するかのようです。
キリストの誕生・御降誕までの残り25日間の、『マリア様の産みの苦しみ』 が頭によぎりました。
心静かに・・・静寂、深沈、 です。
それにつけても。
昨日の新聞の『一言』
忘れられない。頭から離れない。
私が毎週心待ちにしている
日曜日の新聞の『人生相談』の『回答』です。
T氏の『一言』です。
85歳・女性からの『お嬢様の相談』への『答』です。
こんな風でした。
『お嬢様の状態、ご心痛のことと思います。
けれども、その点に関しては、私にできるアドバイスはほとんどありません。
残念なことですが、何よりも早く専門家に相談されるべきとだと思います。
その上で、いくつか、申し上げたいことがあります。
相談者の年齢を考えれば、残りの時間も多くはありませんね。
ならばお嬢様のこと以外で、
あなたのこれまでの人生の中の、
気にかかっていること、やり残したことに始末をつけなければなりません。
あなたの人生の責任をとれるのはあなただけなのですから。
わたしたちはみんな、
どこからかやって来て、この世という「仮の家」に住み、やがて出てゆきます。
その「家」をきれいに片づけ、できうるなら、次に住む誰かのために、
一つでもいい、何かを残して、去りたい。
私はそう思うようになりました。
お嬢様も苦しいことでしょう。
これからの彼女を助けてあげられるのは、財産や具体的なサポートではありません。
人間として見事に完結してみせる親の後ろ姿。
それを、子どもへの最後のプレゼントとされますように。』
年を重ねたとき、
人生の現役から離れることにより、一人ひとりが持つしがらみを手放し、
物事を少し引いて見る。
そういう『境地』により、人は『悟り』を得るのでしょうね。
私たちも、あれこれと悩む、大切な人たちへの
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何よりも素晴しいプレゼントは
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待降節の真っ最中の私たちは、
若きも年を重ねた者も、皆で、
ちょっと現実から離れる 『静寂な時間』 を持ち、
『イエス・キリストの御降誕』の『準備』を怠らないようにしなければなりませんね。
今日も、 『神の御言葉』や『識者の言葉』から、 学ばしていただきました。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月30日。待降節第一月曜日。
『聖アンデレ使徒 祝日』
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アンデレは、ガリラヤのベトサイダの出身。
初めは、洗礼者ヨハネの弟子であったが、後にキリストに従う。
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フィリッポとともにイエスに取り次いだ。 ヨハネ福音書12章22節
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を持っている少年をイエスに紹介した。 ヨハネ福音書6章8-9節
アンデレは、 聖霊降臨の後、多くの地方に宣教をし、
ギリシャ南部の町・アカイアで十字架につけられて殉教する。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『イエスは ガリラヤの海辺で、漁師の二人の兄弟ペトロとアンデレを見て言われた。
「わたしについて来なさい。おまえたちを人間をとる漁師にしよう。」』
マタイ福音書 4章18-19節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、
湖で網を打っているのを御覧になった。 彼らは漁師だった。
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『ペテロとアンデレの召命』 ドウッチオ作品
イエスは、
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。
そこから進んで、
別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
彼らをお呼びになった。
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この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。』
マタイ福音書 4章18-22節
ペテロとアンデレ兄弟も、 ヤコブとヨハネ兄弟も、
イエスが呼ばれると・・・『すぐに従った』のです。
彼らとイエスの出会いは、初めてではなかったでしょう。
イエスのうわさを聞いて・・・『イエスの話』を2~3回は聞きに行っていたかもしれません。
そして、イエスから呼ばれたときに、『すぐに従った』 のです。
私は考えてみました。
『イエスに従う』 ということは、
『新しい生き方』、『新しい考え方』
を始めるということではないでしょうか?
日々『改心』を続けながら・・・
『イエスにすべてをゆだねる』 という生き方です。
私たちも、
すべての人が、
イエスに呼ばれて、
神から導かれているのです。
イエスに呼ばれるということは、
日々の『改心』となるのです。
キリストを中心に生きることができるためです。
一人ひとりが『新しい生活』を始めるためです。
毎日の生活をしながら、
聖書を読みながら、
イエスと出会って・・・
すぐに、『新しい生き方』、『新しい考え方』を始める。
イエス・キリストを忘れることがないように祈りたいですね。
『今日の祈願』
『救いの源である神よ、
わたしたちが、聖アンデレの模範に励まされて、 日々キリストの死を身に受け、
復活の命に生きることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ明日から12月です。今年の師走は自粛ムードで例年とは一変しますね。
お風邪をひきませんように。 お元気で!