11月13日。水曜日。晴れ。
今日は、二十四節気では立冬も過ぎ、『小雪』の時期でしょうか?
冬空に・・・ 『うろこ雲』

午後3時頃。 空いっぱい、空一面が、『うろこ雲』に覆われました。 美しい!
うろこ雲のブルー と 紅葉の赤色 が映えます。
えっ! でも!
うろこ雲って・・・秋を代表する雲ではなかったかしら?
『小雪』の時期にも見えることがあるのね!
買い物の途中の道で。
360度 クルクルと回りながら・・・
空一面の美しい『うろこ雲』 をしばらく見上げていました。
30分ほどして。
買い物が終わって。
空を見上げると・・・
えっ! さっきの『うろこ雲』はどこ?
『うろこ雲』は全く跡形もなく消えて、青空が広がっていました。
さっきの『うろこ雲』 幻だったの?
でも。楽しかったです。美しかったです。うれしかったです。感謝!感謝!
そして。
今日は11月13日。年間第三十二水曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。
ある村に入ると、
重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、
遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、

「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」 と言った。
イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、
「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」 と言われた。
彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
その中の一人は、自分がいやされたのを知って、
大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
この人はサマリア人(異邦人)だった。
そこで、イエスは言われた。
「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。
「立ち上がって、行きなさい。
あなたの信仰があなたを救った。」』
ルカ福音書 17章11-19節
イエス様は・・・
重い皮膚病を患っている10人が、癒やしを願っているのを見て、
すぐにその場で癒やされるのではなく、
『祭司たちのところに行って、体を見せなさい。』 と言われました。
10人の信仰を試されたのでしょうか?
病人たちは・・・
『イエスの言葉』を信じて、『イエスの言葉』とおりに、祭司の所へ、走りました。
イエスは、10人が行く道途中で、10人の病気を癒やされたのです。
重い皮膚病を患っている人たちは、
世間からは隔離された生活を強いられ・・・苦しい日々を送っていたことでしょう。
『癒やす力』を持っておられるというイエス様に、望みをかけて、
律法に忠実に・・・イエスから遠くにとどまったまま、顔も布で覆って、
「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
と、イエス様に、声をかけたのです。
イエス様が、苦しむ方々を見て、放っておくはずがないでしょう!
ここで。
私は、『マタイ福音書』を思い出しました。
『中風に苦しむ自分の僕のために、イエス様の癒やしを頼む百人隊長(異邦人・外国人)』の『言葉』を。
『ただ、一言おっしゃってください。そうすれば私の僕は癒やされます。』
すると。イエスは百人隊長におっしゃったのです。
『帰りなさい。あなたが信じたようになるように。』
『ちょうどイエスが一言おっしゃったとき、僕の病気は癒やされた。』 のです。
更に。イエス様はおっしゃったのです。
『はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰を見たことがない。』と。
以上。マタイ福音書 8章5-13節
では。
10人の重い皮膚病を患う人たちに戻りまして・・・。
10人の患者さんたちは、
百人隊長同様に、
『ただ、一言おっしゃってください。そうすれば私の体は癒やされます。』
と信じていた。 のではないでしょうか。
ですから。
イエス様の、訳分からないような『言葉』 :『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』
『イエスの御言葉』を信じて、『イエスの御言葉』とおりに行いました。
すると、
『信じたとおりに』・・・重い患いが癒やされたのです!
『10人の信仰』が、イエスの奇跡を招き、10人は癒やされたのです!




『信仰の勝利!』




その後。
10人のうちの9人は、
当時の律法上の手続き=自由の身になれる喜び=を考えて、
『病気の癒やし』の報告をするために、
大喜びで、
祭司の元へ走りました。

10人のうちの1人は、
『病気の癒やし』の報告を祭司にする前に、
大声で神を賛美しながら、
感謝と賛美を述べるために、
大喜びで、
イエスの元へ戻って来ました。
すると。
イエス様は、その一人だけに、
『立ち上がって、行きなさい。 あなたの信仰があなたを救った。』
と、おっしゃったのです。
では。
10人のうちの、9人と1人の違いは何でしょうか?
10人全員が、
『イエスへの信仰』はあったのです。
しかし。
一人だけが、
自分がいやされたのを知って、
大声で神を賛美しながら、イエスの元に戻って来たのです。
9人と1人の違いは、『主の恵みの深さを、味わい、見る、心』 です。
『味わい、見よ、主の恵みの深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。』
『今日の拝領唱 詩編34章9節』
主の恵みの深さを、味わい、見て・・・御もとに身を寄せるとき、
イエス様は、
『立ち上がって、行きなさい。あばたの信仰があなたを救った!』と言ってくださるのです。
イエス様は、一人だけにではなく、10人全員にお声をかけたかったことでしょう。
9人は、『主の恵みの深さを味わい、見る、心』に欠けていた。
のを御覧になって、イエス様は寂しい思いをされたことでしょう。
『信仰』は、主から恵みを頂いたときに、
『主の恵みの深さを味わい、見る、心』で・・・主の元に身を寄せるときに、
更に深めていただけるのでしょう。
『イエス様のお声』が聞こえるのでしょう!
そこには、信仰の大いなる飛躍を見ることができるのでしょう。
私たちも、
信仰で頂く恵みを、一つづつ、しっかりと味わい・・・御許に身を寄せながら、
信仰生活を豊かなものにしてまいりましょう! 感謝!感謝!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
目を高く上げて、澄み切った冬空を眺めながら、豊かにお過ごしください。 お元気で!