1月31日。日曜日。曇り。
今日は「品位」とは何だろう?
と考えさせられました。
今日・主日、私は、
用事のために奉仕できなくなった友人に代わって
『今日の第二朗読・パウロの言葉』の『聖書朗読奉仕』です。
お陰様で、ミサに出席です。
今日は、パウロは「品位」について語ったのです。
そこで、「品位」といえば平山邦夫を思い出しました。
私は『絵』が好きです。
『流沙淨土変』

平山邦夫 46歳の作品 1976年作品
平山邦夫は述べます。
『東洋画、日本画の世界では、絵の品格=「画品」ということを非常に重んじます。
それは「絵は人なり」と考えるからです。
『文は人なり』と言いますが、それと同じで芸術は人格の表現そのものなのです。』
『絵』の中で、
私は平山邦夫の作品が好きです。
同様に、
平山氏の品格の表われる
格調高い『文章』も好きです。
『絵に品があるかないかは、一本の線を見ればわかります。
どんなに技術的に優れた線を描いても、また、複雑な色合いの線を引いても、
そこに中身がないと品がなく、いやらしく見える。
人格がしっかりしていなければ、それは絵として出てしまう。
下品な人間には「品のない絵」しか描けない、ということが起こってしまうのです。』
ここまで読んで、
なるほどね。そんなものなのですね。 と感心する私です。
では。
平山氏の考える
『品各ある人物』とはどういう人なのか。
『インドでスケッチをしていたときのことです。
朝、一本の大樹の下に一人の老人が座っていた。
東から昇った太陽でできた西側の陰のところに西の方向を向いて座っているのです。
一日のスケッチを終え、夕方になってそこを通りがかると、
今度は太陽が西に傾いているので、その老人は東側の陰に東を向いて座っていた。
この老人の1日といえば、
樹の陰とともに一八〇度すこしずつ座り直すだけ。
何かを考えているのか、何も考えていないのか、時を超えて超然としている。
忙しく走りまわっている私と比べてどちらが幸福なのでしょうか。
この老人から、私は人間の品格ということを深く考えさせられたのです。』
聖書朗読奉仕の担当のお陰様で・・・
今日は、パウロの言葉の「品位」を読み、大いなる反省にも至り、
平山邦夫の本を読み返す機会が与えられたのです。
感謝!感謝!
そして。
今日は1月31日。年間第四主日。
今日は、使徒パウロは勧告します。
『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、思い煩わないでほしい。
独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。
独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、
結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
このようにわたしが言うのは、
あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、
品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章32-35節
使徒パウロは、
先週の勧告:『この世の有様は過ぎ去る』 コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章31節
そのことを確信しており、
未婚の人たちは結婚しないでいるのもよい、 という意見を持っていました。
それは、『世の事』に思い煩うことが少なくなる、からと考えたようです。
当時のギリシャの港町・コロントの町は、
人口55万人くらいで、その2/3は奴隷であったようで、商業と遊びの町として有名でした。
パウロは、
イスラエルとは全く異なる社会環境や文化の中で、
福音に従って生活する者が、
色々の困難や誤解に直面してもくじけず、確固とした信仰を持つようにと、励ますのです。
結婚することもしないことも、各自の自由であり、各自の選択であるが、
この世の有様は過ぎ去るのであるから、
主キリストに心も体も捧げることもよい。 と勧めるのです。
それは、
『品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。』
と考えたのです。
私はこんな風に考えました。
『品位』には、 『時を超えて超然としている』 と 『ひたすら』 が鍵かもしれません。
それは
絶対者の存在と共に、頭を垂れながらの二人三脚。 生かされていることに気づいて、謙虚に進む。
という生き方ではないでしょうか。
私たちは、
移り変わる現代の社会環境や文化の中で、
『品位ある生活』のために、どうすればよいのでしょう。
平山邦夫は、
「品位ある生活」とは、
「何事も「私心」なく、人に責任を転嫁することなく、礼儀正しく、
他人のこともよく理解しようとすることです。」 と言います。
これこそ、老若男女、どの国の方も、誰もが認める
「美しい品位ある 生き方」ですね。
それぞれの生活の場や環境の中で、
『品位ある日々』を送れるようになりたいものですね。
『今日の祈願』
『わたしたちの神である父よ、
心を尽くしてあなたに仕える喜びと、
すべての人を愛する恵みをお与えください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日からは、新しい週、新しい月・二月が始まります。
コロナ感染予防に十分に気を付けながら、穏やかな始まりの日々でありますように。
今日は「品位」とは何だろう?
と考えさせられました。
今日・主日、私は、
用事のために奉仕できなくなった友人に代わって
『今日の第二朗読・パウロの言葉』の『聖書朗読奉仕』です。
お陰様で、ミサに出席です。
今日は、パウロは「品位」について語ったのです。
そこで、「品位」といえば平山邦夫を思い出しました。
私は『絵』が好きです。
『流沙淨土変』

平山邦夫 46歳の作品 1976年作品
平山邦夫は述べます。
『東洋画、日本画の世界では、絵の品格=「画品」ということを非常に重んじます。
それは「絵は人なり」と考えるからです。
『文は人なり』と言いますが、それと同じで芸術は人格の表現そのものなのです。』
『絵』の中で、
私は平山邦夫の作品が好きです。
同様に、
平山氏の品格の表われる
格調高い『文章』も好きです。
『絵に品があるかないかは、一本の線を見ればわかります。
どんなに技術的に優れた線を描いても、また、複雑な色合いの線を引いても、
そこに中身がないと品がなく、いやらしく見える。
人格がしっかりしていなければ、それは絵として出てしまう。
下品な人間には「品のない絵」しか描けない、ということが起こってしまうのです。』
ここまで読んで、
なるほどね。そんなものなのですね。 と感心する私です。
では。
平山氏の考える
『品各ある人物』とはどういう人なのか。
『インドでスケッチをしていたときのことです。
朝、一本の大樹の下に一人の老人が座っていた。
東から昇った太陽でできた西側の陰のところに西の方向を向いて座っているのです。
一日のスケッチを終え、夕方になってそこを通りがかると、
今度は太陽が西に傾いているので、その老人は東側の陰に東を向いて座っていた。
この老人の1日といえば、
樹の陰とともに一八〇度すこしずつ座り直すだけ。
何かを考えているのか、何も考えていないのか、時を超えて超然としている。
忙しく走りまわっている私と比べてどちらが幸福なのでしょうか。
この老人から、私は人間の品格ということを深く考えさせられたのです。』
聖書朗読奉仕の担当のお陰様で・・・
今日は、パウロの言葉の「品位」を読み、大いなる反省にも至り、
平山邦夫の本を読み返す機会が与えられたのです。
感謝!感謝!
そして。
今日は1月31日。年間第四主日。
今日は、使徒パウロは勧告します。
『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、思い煩わないでほしい。
独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。
独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、
結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
このようにわたしが言うのは、
あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、
品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章32-35節
使徒パウロは、
先週の勧告:『この世の有様は過ぎ去る』 コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章31節
そのことを確信しており、
未婚の人たちは結婚しないでいるのもよい、 という意見を持っていました。
それは、『世の事』に思い煩うことが少なくなる、からと考えたようです。
当時のギリシャの港町・コロントの町は、
人口55万人くらいで、その2/3は奴隷であったようで、商業と遊びの町として有名でした。
パウロは、
イスラエルとは全く異なる社会環境や文化の中で、
福音に従って生活する者が、
色々の困難や誤解に直面してもくじけず、確固とした信仰を持つようにと、励ますのです。
結婚することもしないことも、各自の自由であり、各自の選択であるが、
この世の有様は過ぎ去るのであるから、
主キリストに心も体も捧げることもよい。 と勧めるのです。
それは、
『品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。』
と考えたのです。
私はこんな風に考えました。
『品位』には、 『時を超えて超然としている』 と 『ひたすら』 が鍵かもしれません。
それは
絶対者の存在と共に、頭を垂れながらの二人三脚。 生かされていることに気づいて、謙虚に進む。
という生き方ではないでしょうか。
私たちは、
移り変わる現代の社会環境や文化の中で、
『品位ある生活』のために、どうすればよいのでしょう。
平山邦夫は、
「品位ある生活」とは、
「何事も「私心」なく、人に責任を転嫁することなく、礼儀正しく、
他人のこともよく理解しようとすることです。」 と言います。
これこそ、老若男女、どの国の方も、誰もが認める
「美しい品位ある 生き方」ですね。
それぞれの生活の場や環境の中で、
『品位ある日々』を送れるようになりたいものですね。
『今日の祈願』
『わたしたちの神である父よ、
心を尽くしてあなたに仕える喜びと、
すべての人を愛する恵みをお与えください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日からは、新しい週、新しい月・二月が始まります。
コロナ感染予防に十分に気を付けながら、穏やかな始まりの日々でありますように。