
白梅:亡き母のイメージです。
凛として、ぶれない、美しい人でした。
平成20年2月11日。3年前。梅の満開の中。
『又会いましょうね。お母さんの娘であったことに感謝します。ありがとう。』
最後の挨拶を交し合って・・私と手に手をとって・・先に旅立ちました。
クリスマスの前後・・
母は, 孫達が赤ん坊の頃は、我が家に来てくれました。
孫とクリスマスを楽しむために。
大好きなおばあちゃんと過ごすクリスマスを子供たちはとても楽しみにしていました。
母は楽しみだけでなく、私の体を休めるためにと・・。
洗濯をしてくれたり、買い物をしてくれたり、食事の用意までしてくれました。
孫達へのクリスマスプレゼント。そして必ず、私たち夫婦へのクリスマスプレゼントもありました。
日頃は・・
母は、手作りの物を送り続けてくれました。(野菜栽培と荷造りは主には父の仕事でした)
手作りの食べ物。・・季節の自家栽培野菜。孫の大好きな手作りおもち。惣菜まで。ジャムや煮豆やきんぴらも。書ききれません。
手作りの木目込み人形。・・孫の端午の節句や桃の節句に。孫の留学先のホームステイの皆様に。書ききれません。
手作りの洋服や着物。・・孫の・・端午の節句に。桃の節句に。753に。夏の浴衣に冬の真綿入りじんべさん。セーターやカーデガン。書ききれません。
手作りの花々。・・庭を埋め尽くしていた季節ごとの花々。母がこよなく愛した美しい花々です。





丁寧な日々を送る人でした。手抜きしない三度の食事。雑草一つない季節の花々の咲く庭と季節の野菜の生まれ続ける家庭菜園。季節の行事を大切にして。・・。と。
アメリカに住んでいた頃は・・
孫や私たちに会いに、アメリカに飛んできました。
異国で孫達と住む日々を、それはそれは楽しんでくれました。
お掃除。買い物。食事用意。家事全般の手伝いは欠かしませんでした。
孫の結婚・・
母は、それはそれは、喜びました。
80歳を過ぎた母・・着物を新調して列席でした。
喜ぶ顔が忘れられません。
自分のことは・・
母は、自分のことは、二の次でした。孫と私たち夫婦が一番です。
「自分の買い物に行っても、孫の物が目に付いて買いたくなちゃうの。自分のものはどうでもよくななちゃうのよ。」口癖でした。
孫を無条件に愛してくれました。孫達の伴侶も無条件でした。
私を無条件に受けいれ、応援してくれました。
欲のない母でした。
買い物は・・
何でも質の良い物を買う人でした。
母が買ってきてくれた茶道具。食器。着物。庭の灯篭まで。書ききれません。
一緒に出かけて・・『素敵ね!」と私。「では買ったら。」と買ってくれた母。
母のいなくなった今。壊れることなくあせることなく美しく活躍してくれています母の買ってくれた品々です。
母の形見・・
宝石。洋服。ハンドバック。時計。スカーフ。・・・。
母が身に着けていた品々を、今は私が身に着けています。今も、母の限りない愛に包まれているようで幸せな私です

。
女性の優しさと暖かさと落ち着きを感じさせる品々を選ぶ母でした。
今日は、母の命日です。
母の写真に、母がこよなく愛した花を捧げました。
母の素敵で優しい笑顔。・・今は私の胸の中。・・いつまでも母が大好きな私です。
母のように素敵な女性。・・・いつの日にか私もなりたい。