12月25日。金曜日。晴れ。
クリスマスおめでとうございます!
クリスマスといえば・・・
『シュトーレン』
『ドイツの伝統菓子』
待降節以来、クリスマスの今日まで、『1センチ厚さ』 に切って、楽しんできました。
←ドイツの伝統風習です。
娘夫婦からの
『牛肉』 とで、
『クリスマスディナー』 です。
感謝!感謝!
そして。
今日は12月25日。『主の降誕祭日』
コロナ感染対策のために
教会でのミサはなし。
朝9時半。
『主の降誕 日中のミサ』
静寂に包まれた聖堂です
十勝カルメル会修道院 ネット配信ミサの始まりです。
『今日の入祭唱』
『ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は永遠のみことば・言と呼ばれる。』
イザヤ書 9章5節参照
『今日の福音 使徒ヨハネによる福音』
『初めに
言があった。
言は
神と共にあった。
言は
神であった。
子なるキリスト・
言。 聖霊。 父なる神。
『三位一体』 イメージです。ネット上で発見。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに 成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。 暗闇は光を理解しなかった。
神から遣わされた一人の人がいた。
その名は
(洗礼者)ヨハネである。
『洗礼者ヨハネ』 サンドロ・ボッティチェッリ作品
①彼は証しをするために来た。
光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
②彼は光ではなく、 光について証しをするために来た。
その光は、 まことの光で、 世に来てすべての人を照らすのである。
言は世にあった。
世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
しかし、
言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、
神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
神によって生まれたのである。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
『言・神の御言葉・神の独り子なるイエス の誕生』
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
③ヨハネは、
この方について証しをし、声を張り上げて言った。
「『わたしの
後から来られる方は、わたしより優れている。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは、
この方のことである。」
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。
律法は、モーセを通して与えられたが、
恵みと真理は、イエス・キリストを通して現れたからである。
いまだかつて、神を見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、 この方が神を示されたのである。』
ヨハネ福音書 1章1-18節
今日の司式司祭の説教。一部です。
『皆様 主の御降誕おめでとうございます。
昨日は・・・
私たちは、暗闇の中にいて・・・
『光に照らされた』 ということを理解しました。
そして、
それを理解するために、
『イエス様の誕生の物語』 を聞きました。
今日は・・・
『主の降誕の真理』 について、考えてみましょう。理解いたしましょう。
それを理解するために、
使徒ヨハネは、『福音書』の中で、神学的に教えてくださいます。
『私たちの内に生まれたこの
『救い主』は『言』 です。』 と。
どうやって
『主の降誕の真理』を理解しましょうか?
思い出してください。 神の『天地創造』を・・・。
『言』は、『創造のもと』 なのです。
神様は、創造を始めたときに、『言』を使いました。
たとえば、『光あれ。』と言われると、『光があった。』 のです。
創世記1章3節
『言』は、 神様の
『道具』ということだけではなく、
『神』そのものなのです。
神様は、 『言』で、 私たちの『世』を造ったのです。
それだけではなく・・・
神様は、 『言』で、 私たちを『救って』下さったのです。
昨夜・・・私たちは、みどりごの
『栄光』 を見たのです。
どうやって、人間は、
『神様の栄光』 を見ることができるでしょうか?
『神の栄光』は、『救われた者(の姿)』 なのです。
私たちは神様によって 『救われる者』 だということは、
神様は、 『言』によって、 私たちを救って下さるのです。
たとえば、『福音書』の中で、
中風の人が、 イエス様の『言葉』を聞いて、
救われたのです。 罪を赦されたのです。
マルコ福音書1章1~12節
それは、紛れもない
『奇蹟』 でした。
『栄光』 なのです。
イエス様は、その『奇蹟』をお人に見せるために、「立ち上がって帰りなさい。」 と言いました。
私たちは、中風の方の
『癒やしの姿』によって、
『救い』 を見ました。
その『救いの姿』こそが、『神の栄光』を見るということになるのです。
最終的には、
イエス様は、完全にこの『栄光』を見せたのは、
ご自分を通して、私たちを『復活の命』にあずからして下さることでした。
『御降誕』の今日
私たちは、 救われるために、 『神様の言葉』を聞くようにと招かれているのです。
『言は肉となって私たちの間に宿られた』
ということを深く理解したら・・・
実は、『イエスの御言葉』を聞くということは、
『救い主を迎える』
ことであると分かるのです。
私たちは、今日、『主の御降誕』を記念する
『目的』として、
『今日生まれた赤ちゃん・
言』を、心に、
迎え入れましょう。
『イエス様・
言』を胸に抱いて、
成長させましょう。
そして、
私たちは、『救われた者』として、 生活をしましょう。
『インターネットミサの終わり 司式神父様のお言葉』
「今日も、インターネットを通して共に祈るすべての皆様と共に、
主の恵みを願いましょう。」
皆様! 今日は、祈りと労働を行いながら、自分の一生を神に捧げておられるシスターたちのカルメル会での
ネット配信ミサにご一緒していただき、ありがとうございました。
『お生まれになった男の子』について理解を深めることができ、主の大きなお恵みでしたね。
感謝!感謝!
『今日の祈願』
『恵み豊かな神よ、 主の降誕を祝い、 心から祈ります。
わたしたちにゆるしと平和が与えられ、あなたに完全な礼拝が捧げられますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
キリストの御降誕おめでとうございました。
待降節から始まった『カトリックの典礼暦』も、いよいよ本格的『年間』に入ります。
皆様の『新年』が恵み豊かな年となりますようにお祈り申し上げます。 お元気で!