肺炎で危篤と知らされた91歳の母が、入院10日目の今日退院しました。
高齢の母の退院は、とても嬉しく、神に感謝です。
しかし、私の気持ちを、心の中で整理しなくてはなりません。
まずは、高齢の母を、私の家で最後を迎えさせたい望み・・・・・。
何時かは、人に平等に与えられた「死」の時が、母にも来ることを認めなければとの覚悟・・・。
『神の時』は、私の思いの『時』とは違うのだと、心で納得すること・・・・等々。
とりあえず、今日の母の退院の事実を受け止めた私は、平常を保ち、日常生活をこなすことが、母の退院を喜ぶ今日の私の取るべき姿ではないかと考えました。
午前中は、「ヨハネの黙示録」を読みました。・・・旧約聖書の初めから読み続けてきた仲間との聖書通読は、3年半を迎え、残すのは「ヨハネ福音書」だけになりました。
午後は、聖書通読クラスの世話役に出向きました。・・・一人の仲間が、「次の復活祭に洗礼を受ける覚悟が出来ました」と、嬉しい電話を、夜に下さいました。
夜は、金曜日恒例の「花金食事」をしました。・・・ワインを1本開けて、健康でいられる喜びを、夫婦で再確認しました。
『神の時』は、私達の計り知るものではありません。
『神の時』を、平常心で受け入れる信仰をお与え下さいと神に祈り、日常を繰り返し、母の退院の日を終えました。神に感謝
高齢の母の退院は、とても嬉しく、神に感謝です。
しかし、私の気持ちを、心の中で整理しなくてはなりません。
まずは、高齢の母を、私の家で最後を迎えさせたい望み・・・・・。
何時かは、人に平等に与えられた「死」の時が、母にも来ることを認めなければとの覚悟・・・。
『神の時』は、私の思いの『時』とは違うのだと、心で納得すること・・・・等々。
とりあえず、今日の母の退院の事実を受け止めた私は、平常を保ち、日常生活をこなすことが、母の退院を喜ぶ今日の私の取るべき姿ではないかと考えました。
午前中は、「ヨハネの黙示録」を読みました。・・・旧約聖書の初めから読み続けてきた仲間との聖書通読は、3年半を迎え、残すのは「ヨハネ福音書」だけになりました。
午後は、聖書通読クラスの世話役に出向きました。・・・一人の仲間が、「次の復活祭に洗礼を受ける覚悟が出来ました」と、嬉しい電話を、夜に下さいました。
夜は、金曜日恒例の「花金食事」をしました。・・・ワインを1本開けて、健康でいられる喜びを、夫婦で再確認しました。
『神の時』は、私達の計り知るものではありません。
『神の時』を、平常心で受け入れる信仰をお与え下さいと神に祈り、日常を繰り返し、母の退院の日を終えました。神に感謝