9月30日。月曜日。快晴。夏日。
またもや。
夫。
神がかりと言うべきか・・・ 『ゴルフ準優勝』
3cm厚さの 『牛ヒレ肉 800g』 超うまし。
夫は、昨日の大きなコンペで、ハンディーゆえに優勝を逃し、『準優勝』
実質においての『実力トップ・一位』
夫は、事前練習をすることがなく、本番で『頭脳のゴルフ』 をする。
夫は、勝負師のように、すべての試合を、自分のゴルフも仲間のゴルフも、記憶する。
夫は、ゴルフに関しては、非常に『謙虚』で、おごることがない。
夫には『ゴルフの神様』が乗り移っているのではないか! と思えたりする。
私も。
ひょっとして『神様が乗り移っておいで?』 と思える経験を、2度しました。
神様が乗り移っておいで?!の私の姿を見た私の知らない婦人が、お二人、洗礼を受ける決心をなさったのです。
お一人は・・・
私は、交通事故で生死をさまよっている小学5年の我が娘が寝ている病院のベット
の足下で祈っていた。
見舞いにおいで下さった娘の友人のお母様は、
祈る私を見て、私に声をかけることなく帰られた。
その2年後・・・「お母様の祈る姿を見て私は決心しました」 と洗礼を受けられました。
もう一人は・・・
私は、教会の『聖書100週間』クラスの時
参加者の皆様のため『お茶』を準備し、お出ししていました。
教会で、同じ時間に『カトリック要理クラス』 に御出席のご婦人が
私の毎週の『お茶』の準備と片付けの姿を、見ておいでだったようです。
ある復活祭で・・・「あの方が代母になってくださるなら」 と洗礼を受けられました。
私の姿をご覧下さり・・・私の存じ上げない方たちお二人が洗礼を決心なさったのです。
お二人の婦人に洗礼をお与えになるために、
”神様が私に乗り移っておいでだったのだは!” な~んて考えました。
謙虚に・・・、無心に・・・、子供のように・・・、
神様は、そんな人がお好きなのようです!
そして。
今日は9月30日。年間第二十六月曜日。
イエス様は『小さい者』がお好きです。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
イエスは彼らの心の内を見抜き、
一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」』
ルカ福音書 9章46-50節
弟子たちは、
イエスのそばで学びながらも、どんな人が真に『偉い人』なのか、分かっていませんでした。
イエス様は、
弟子たちに教えるために、
小さな無力な子供を真ん中に呼び寄せ、
「この子供のような人こそ、『最も偉い人』なのだ」
と、弟子たちに子供たちを指し示しました。
子供は、
社会の中では、目立たず、謙虚で、『最も小さな者』 なのです。
そんな『最も小さな者』 こそ 『最も偉い人』 である。
と、イエス様は断言なさるのです。
更に。
イエスは断言なさいます。
「世の中の『最も小さな者:弱い者』 を受け入れ、その人たちのために働くことは、
イエスを受け入れ、神を受け入れることなのです。
『最も偉い人』になるための働きなのです。」 と。
イエスに倣って、『人に仕える人』 が 『一番偉い人』 なのです。
『今日のハレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、
多くの人の贖いとして自分の命を与えるために来たのである。』アレルヤ、アレルヤ。
マルコ福音書 10章45節
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
世間の考え方とイエス様の考え方は正反対のようですね。 お元気で!