21年間勤め上げた
神戸女学院大学を退官
内田樹先生の最終講義でした。
30分前に会場・講堂に到着。すでに会場一杯の人でした。前列3番目の1席を確保。ラッキー
。
ご一緒した大学院聴講クラスメート・・4番目の1席を確保。ラッキー
。
3時~1時間15分の講義でした。
神戸女学院シンボルの校章・三つ葉のモチーフで飾られた(写真)演台で話す内田教授
最初に・・。
女学院での21年間が、どれだけすばらしい日々であったか。と振り返られました。
子女を教育する喜び、そして、未熟な自分が育てられた日々。とうとうと述べられました。
校章のモチーフのクローバーの三つ葉。 『身体・精神・霊魂』の象徴です。
3つが調和した完全な人格の育成を目指す学院の理想を表します。
子女の『身体・精神・霊魂』を育て、そして、ご自分の『3者』も育った。と。謙虚に。
先生の言葉とその姿・・・健全なる『3者』を兼ね持った人だけが持つ威厳を放っていました
。
中は・・。
集中講義です。 哲学の解明が続きました。
「学ぶとはどおいうことか?」・・学びのダイナニズムは、開けた者だけが得る。納得。
「死者とは?」 次に 「存在とは?」・・われわれの社会は存在なきものが多い。云々・・。その通り。
「存在しないものを語る。」・・両者がやり取りするのを学ぶ。その方法は・・。等等。
「生命の開放とは?」・・生命の持つものが社会に働く状態。なるほどね~!
「コミュニュケーションとは?」・・
「自分の語るのを聞く・・ということは・・。」 といろいろ。
「文学研究をして何になる?その必要性は?」と問われれば。「存在しないものとかかわるために文学研究がある。」というのも答えの一部。と先生。
得意の武道の話も出ました。
「全く無になれる自分を得ることができた時・・人は開放される。人は最大の力を発揮する。」とかなんとか・・。納得。実感しています
。
とかなんとか・・・
まだまだ・・先にも後にも沢山でした。 書くのは終わりにしますがね。
最後に・・。
キリスト教精神に基づく、深い深いhospitalty、寛容力と受容力、について話されました。
神戸女学院教育の伝統のキリスト教主義。 『愛神愛隣』が標語です。
神から託された責務にどのように応答するか。 隣人と出会い各自に与えられた力を紡ぐ。『愛神愛隣』。
アガペの愛=贈与の完結。について。ということで・・聖書を読まれました
。
兄弟である最も小さき者に・・
『のどが渇いたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訊ねる。』
(マタイ福音書27章35節)
「私は深く広い神の愛に包まれている。そして、その信仰を表わす行動なくては信仰は本物ではない。ということを感じています。」
と言う先生。・・わたし達聴衆にも問いかけました。
「クリスチャンとかではなく・・人として成長することが目的です。何が問われているのかを考えることが大切。」ではないでしょうか?と。
神の道を自分に問いながら生きておられる内田先生の風貌は・・・神を求めるものだけが持つ気高さを放っていました
。
最終講義後・・在校生から
花束
を受け取る・・濃青色のスーツの内田先生
神戸女学院のスクールカラーは『平和と真実』を表す『濃青色』。1885(明18)年、第3代校長のブラウン女史が制定。今に至る。
内田先生のスーツ・・スク-ルカラーをイメージしたのでしょう。 美しい!
最終講義を終えた先生に・・・・・・鳴り止まぬ拍手
教育界に貢献してこられた先生に・・鳴り止まぬ拍手
今日までの閲覧数15191853回の、
「内田先生のブログ」
一読者としてず~と読ませてもらっている私。 内田ブログから学んでいる私。先生の沢山の本を読んだ私。
内田教授への感謝と敬意をこめて・・
最終講義に出席しました。 鳴り止まぬ拍手を贈くらせていただきました
。
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『信仰を表わす行動なくては信仰は本物ではない。』と、クリスチャンは常に問われます。
今朝5時半・・ラン中・・いつもの『土曜日曜青年』(←私の命名。土・日のみ出会う若い青年。)が、むこうからやってきました。
いつものように・・すでにごみで大きくなったビニール袋に、更に、火箸でごみを拾い入れながら・・こちらに歩いてこられます。
最寄のハイテク工業団地周りの道・・本当にきれい。ごみひとつない。
『土曜日曜青年』・・今朝も、ハイテク工業団地周りの道のごみを集めていました。
『アスリートばあちゃん(私)』・・今朝も、きれいにされた道を走りました。
青年の横を走りすぎる私
青年の幸せと健康を願い・・尊敬と感謝の心をこめて・・丁寧に挨拶をしました。「おはようございます
。」
『行動はその人の心を表す』 実感です。
今朝22日のランニング14km (1月走行距離合計168km)