今年・2016年に頂戴した年賀状
年ごとに一冊の『冊子』にして、大切に保存しています。
今年も、
年賀状作成の時期を迎えました。 一年に一度、沢山の友人全員に出会う日です。
今年の『冊子』を読み直し、過去の『冊子』まで取り出して読み直し・・・
友人全員に、年一度、 ”元気にしているかな?” ”お孫さんは水泳上達したかな?”、 と出会うのです。
昨年の年賀状『冊子』から量り知る友人たちの生活を想像しながら・・・
今年の年賀状を送る友人達全員に、一言、『コメント』を書き添えます。
今年も、代わり映えしない、でも変わらぬ私のお知らせとなるはずの、例年通りの年賀状です。
そして。
今日は12月27日。主の降誕第三日。
『聖ヨハ使徒ネ福音記者 祝日』
『福音記者ヨハネ』 エル・グレコ作
ヨハネは、兄のヤコブと共にガリラヤ湖で漁師をしていたが、イエスと出会い、
イエスの最初の弟子の一人となった。
ペトロ、兄弟ヤコブとともに、イエスと特に親しい三人の弟子の一人となり、特に地位の高い弟子とされた。
『イエスの変容』の場面や、『イエス最後の祈り』の場面では、彼ら三人だけが伴われた。
又。
『最後の晩餐』の時は、その準備を、イエスから、ペトロとヨハネの2人が仰せつかっている。
『今日の福音 福音記者ヨハネの証言』
『(イエス処刑後の週の初めの日、マグダラのマリアは、)
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子(福音記者ヨハネ)のところへ走って行って彼らに告げた。
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
それから、先に墓に着いたもう一人の弟子(福音記者ヨハネ)も入って来て、見て、信じた。』
ヨハネによる福音 20:2ー8
福音記者ヨハネ・・・
墓に入って・・・イエスの遺体がなくなり 又イエスの頭を包んでいた覆いが丸めてあったのを見て・・・信じました。
何を信じたのでしょう?
①イエスの遺体は盗まれたのではない。と信じた? ②理解不可能な不思議なことが起こった。と信じた?
それとも
③イエス御自身が「殺され、三日目に復活する」と予告なさった『復活』を、一瞬のうちに悟り、信じたのでしょうか?
真相は分かりません。でも、その日以来、福音記者ヨハネは変わりました。
『今日の福音記者ヨハネの手紙・宣言』
『わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、手で触れたものを、あなたがたに伝えます。
すなわち、
命の言(ことば)について。ーーーこの命は現れました。
御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。
わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。』
ヨハネの手紙Ⅰ 1章1-4
福音記者ヨハネ・・・
イエスの死後・・・数々の『福音』を書き残し、イエスを力強く宣言する人になったのです。
又。
イエスが十字架にかけられた時、弟子としてただ一人、イエスの母と共に、十字架の下にいたのはヨハネです。
『イエスは十字架のそばに立っている母とそのそばにいる愛する弟子を見て、
母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」
そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。』 ヨハネ福音書 19-26&27
『聖母マリアの家』
福音記者ヨハネ・・・
イエスの母マリアを連れ、喜びに満ちあふれて、エフェソス(現在のトルコの小村アヤソルク)に移り住んだ。
のちに、パトモス島に幽閉され、そこで黙示録を記した。
『パトモス島で神から啓示を受ける聖ヨハネ』
釈放されて後、エフェソスに戻り、そこで没した。
ウィキペディアを参考にしました。
福音記者ヨハネは、イエスの『あなたの母です』の言葉を大切に、聖母マリアと生涯を共にしました。
私達も、イエスの『あなたの母です』の言葉を信じて、聖母マリアを母として尊敬し見倣いたいものですね。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、年賀状を投函なさったのでしょうか? 私はまだまだです。 嬉しい忙しさです。