3月31日。日曜日。
今日から東京入り・・・6日間の東京です。
『東京らしさ』 があちこちに見られるのが、私が東京が好きな理由です。 私の『The東京』です。
The東京 その①・・・『週一回オープンのケーキ屋』
『青い店』 開店30分前。
11時半。
すでに、私の前に15人。私の後ろに15人ほども並んで、開店を待ちます。
12時。
開店・・・ 『30代?の男性二人の店主・パテシエ』
狭い間口の、小さな店。
『小さな個人経営の店』が多いのも、私が東京を好きな理由の一つ。
『個性』を尊重する土壌が東京にはある。 のではなかろうか?
人と一緒ではなく・・・
『その人らしさ』を尊重するのは、大人の世界ですよね。
タルト・・・ 『500円』
アメリカン風菓子が並ぶ。
いわゆる『日本風ケーキ』ではない。
素朴。 無骨。 自然体。
大きなラウンド・ケーキを、大きくカットして売る。
家庭の手作り風です。
開店、販売は、不確定曜日で、週一回のみ。 販売は、お一人様、三つまで。
今回の購入は、
キャロットケーキ。アップル・カスタードパイ。チーズケーキ。クランベリー・パイ。ジンジャーブレッド。
心がほっこり。うれしいお味でした。
そして。
今日は3月31日。四旬節第四主日。
四旬節中の主日司式司祭の祭服は、回心、節制の色、『紫色の祭服』を用います。
今日は特別です。
喜びの色、『バラ色の祭服』を用いることができます。
”喜べ!” ”歓喜せよ!” 『救いの喜び』を表します。
四旬節の、償いの時期をすこし弱め、『救いの時』の喜びが近づいていることを示します。
『今日の第一朗読 旧約時代の神の救いの喜び』
その昔。
紀元前1260年頃。
『その日、主はヨシュアに言われた。
「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた。」
『ヨシュアとイスラエルの民のカナンの地へ入場』
イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、
その月の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭を祝った。』
ヨシュア記 5章9a&10-12節
『約束の地・カナンの地』に着いた神の民が、過越祭を祝いました。
神が、「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた。」 と、
旧約時代の『救いの実現』です。
旧約の『救い』が始まったのは・・・
紀元前1300年頃。
神は、『ウル』の地でアブラハムを呼び出し、『契約』を結ばれました。
『あなた方は、私の示す土地・『カナンの地・イスラエル』に行きなさい。
私はあなたから『星の数ほどの子孫を増やす。』
『アブラハム一族の移動』 ウル カナンの地・イスラエル へ。
カナンの地へ移り住んだアブラハムの子孫は・・・
飢饉に見舞われ、エジプトの地に移り住みます。
そして。
時が流れて・・・500年ほどすぎて・・・。
紀元前1800年頃。
神は、エジプトの地で、奴隷となっていた『アブラハムの子孫・イスラエルの民』を、救い出します。
神は、モーセを呼び出し、イスラエルの民と、『契約』を結ばれました。
『あなた方は、私の示す土地・『カナンの地・イスラエル』に行きなさい。
私はあなたたちの神となり、あなた方を私の民とする。』
『モーセとイスラエルの民の大移動』 エジプト・ラムセス カナンの地・イスラエルへ。
モーセは、エジプトに降り・・・
イスラエルの同胞と、エジプト脱出から脱出。 荒れ野の中を、40年間かけて、カナンの地・イスラエルに到着しました。
悲しいことに。
エジプトを出発したモーセは、到着寸前に亡くなり、モーセの第一弟子のヨシュアがイスラエルの民を引率したのです。
長年のエジプトでの奴隷生活からの解放は、
イスラエルの人々にとって、正に、『神の救い』でした。
奴隷や、困窮や、苦しみからの『解放』は、『救い』です。
人間の尊厳を保証する『自由』の確保です。
そして。
『今日の福音 新約時代の神の救いの喜び』
『ある人に息子が二人いた。
弟の方が父親に、「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
そこで、彼は我に返って言った。
「ここをたち、父のところに行って言おう。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。」と。』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、
走り寄って首を抱き、接吻した。
『放蕩息子の帰還』 レンブラント作品
息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は言った。
『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。』
そして、祝宴を始めた。』
ルカ福音書 15章1-3&11-32節
放蕩息子にとって、父親の優しさと寛大さは、正に、『救い』となりました。
同様に。
私たち人類も、人祖・アダムとイブの背信によって、『神の住む・エデンの園』から追い出されて、放浪者となったのです。
私たち人間は、放蕩息子なのです。
神は、今日も、両手を広げて・・・
私たち・放蕩息子の一人一人が回心をして、御父・神の元へ戻ってくるの待っていて下さるのです。
今の時代。
現代人にとって・・・
私たち人間にとって、イエス・キリストの『贖罪』こそが、『救い』なのです。
四旬節を終えて迎える、『主・キリストの復活』にあずかり、御父の元へ戻れるのです。
私たちの『救い』『解放』なのです。
『今日の祈願』
『神よ、わたしたちが心をこめて主日の祭儀を行い、
世を救うキリストの奉献に結ばれることができますように。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
救われた喜びを、『バラ色の祭服』のように、『喜びの笑顔』の外面で、表現いたしましょう。 お元気で!