
『アブラハムとイサク』 レンブラント28歳作品:1634年
『御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。」』

(創世記22章12節)
神:『アブラハムよ。あなたの愛する独り子イサクを、焼き尽くす捧げ物として捧げなさい。』
アブラハム:「息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そして、アブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」(レンブラントの絵

)
御使い:『その子に手を下すな。何もしてはならない。』
(創世記22章)
『疑問』が残る
○アブラハムが、神の命令に応じ、独り子イサクを殺すことが、できるだろうか? 許されるのだろうか?人の父親として。
○イサクは、自分を殺そうとした父親を、これから、信頼していけるのだろうか?
○神は、隣人を愛せと命じながら、『イサクを捧げなさい』と命じるのはなぜ?

これが最大疑問。私の場合。
○信仰とは何?
聖書22章の決着。『疑問』に答を出さなければならない。今日の授業でした。
聖書通読クラスでも。同じ創世記22章を考察した。両者の決着は同じでした。
決着。
『聖書の真髄』、と云われる、『アブラハム物語』に決着をつける。
それは・・
何よりもまず・・・
信仰を語る時・・「信仰的実存と倫理との関係を極限まで考察する必要がある。」ということ。
キルケゴールの考察
『息子・独り子を全焼の犠牲として捧げよ。』を黙想する。
イサクを犠牲とするアブラハムの行為は殺人であり・・
倫理的レベルでは理解できない。それは神との関係。信仰のレベルでしか理解できない。 当然。私でも分かる。
では・・
「倫理と信仰はどのように異なるのか?」
「神に対する絶対的義務が存在するのか?」
考察を重ねて・・
キルケゴールの結論。まとめてしまえば。
「倫理とは、普遍的であって、個別者はその中に自己放棄してこそ幸福になれる。」
「信仰は、普遍的なもの(倫理)に対する彼の関係によって、絶対的な彼の関係を規定しない。」
言い換えれば・・
「神に対する絶対的義務が存在する。」
「信仰とは、人があくまで個別者として、神という絶対者とだけ、他の一切の関係から独立して関係することである。」
だから・・
「倫理は相対化され、
信仰する個別者は、普遍的な倫理より高いという逆説が生じる。」
とか・・なんとか・・何人かの哲学者の考察を重ねました・・。授業で。
最終的に・・
アブラハムの信仰。 22章への決着。です。
アブラハムの信仰とその心は・・
アブラハムの『一言』、が証明する。
=『わたしの子よ、焼き尽くす捧げ物の子羊はきっと神が備えてくださる。』(22章8節)←『一言』
アブラハムは、
倫理的言説や人間関係にいない。ということ。
絶対者の前にだけ立っている。←『一言』がそれを証している。ということ。
アブラハムの信仰は、
絶対者の前で・・
無限に、自分の大切な人ないし事物を諦めて、絶対者にゆだねる。逆説である。
自らの自同的在り方、をはるかに離脱する。
いかなる時にも。神への絶対なる信仰。に生きてゆく。
絶対なる信仰
絶対なる信仰を持つには、自分の考えや倫理を超越しなければならない。自己脱自。自己無化。ケノーシス。
『疑問』の解決には・・
『自同』的生き方の留まっている限り・・解決はない。自己の中に留まるに過ぎない。
『自己離脱』を、自分の内に、構築しなければならない。限りない広がりに自己を置く。そこから『解決』が見えてくる。
イサクを捧げることは、
アブラハムの自己脱自。同時に、アブラハムの死をも意味した。
一身同体の関係のアブラハムとイサクの分離。二身二体。へ。二人の変化。
神は・・
イサクの殺害を要求。それは、アブラハムの死の要求。をも意味した。
図式の確立。成立。
イサクとの霊的離別=アブラハムの自己放棄

神とアブラハムの対等な関係の成立

イサクの父親から信仰の父=人類の父への脱皮。

『図式の成立』。こそが! 神が、、創世記22章で、意図したことであった。と私は考えた。
アブラハムは、どのようにして、自己無化。自己脱自にまで信仰を育だてたか? 大いなる疑問。が又沸く。
それは・・
全ての前の事実=神の脱自。があったから。 天地創造において。
神の脱自を習うアブラハム。 アブラハムに習う次世代。
キリストも、神の身でありながら・・
人類のために身を捧げた。自己脱自を図られた。私も習う。信者が習う。

自己脱自の連鎖が起こる。

脱自を起こさせるのが『聖書』である。

自己否定。自死。自己脱自。は、他者との共生の場である。
以上二つが授業の結論。でした。
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旧訳聖書学クラス風景。二つ。

先生は、すぐ、「ヘブライ語の聖書では・・」と、ヘブライ語をひも解く。一語一語。ヘブライ語の説明と相成る。
クラスで、必要に迫られて、ヘブライ語の別クラスも始まった。
学問に終わりはない。学問の泉は汲みつくせない。益々深くなっていく泉。

旧約聖書学
5つのテーマに要約されます。
①「族長を呼び出す」②「エジプト脱出」③「律法の授与」④「荒野の40年の放浪」⑤「土地取得」
やっと、4月~6月、3ヶ月近くかけて。
①「族長を呼び出す」=アブラハムを、今日、終了
来週から。
②「エジプト脱出」に入る。
夏休み前・・1ヶ月ちょいしかない。 ⑤まで・・ほど遠い。はるか先。
学問に終わりはない。学問の泉は汲みつくせない。好き者の集まるクラス。気にしない。気にしない。



。ドンマイ。ドンマイ。どうにかなるさ!