マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

それでも春は来る!・・・『WHO世界保健機関』・・・『その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。』

2020-03-31 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

3月31日。火曜日。晴れ。

      今日も、コロナウイルスとの戦いは続きます。
        今日も負けないで頑張りましょう。


 今早朝。

  我が家の近く・・・    『東公園』
            
                           早朝。まだ薄暗い

      コロナウイルスが猛威を振るっていても・・・
        それでも、開けない日はない!

          それでも、春は来ます!
            桜は咲きます!
          希望を持ちましょう!

  

 
更に走るうちに・・・


     近所の側道・・・    『市民花壇』
      
                        すっかり陽もあがって

      市民の皆様の手入れが行き届いて・・・。
      皆様の心が一つになります。一致団結。

 

           まだ。 つぼみです。 かわいい。

        


家近くまで戻ってきて・・・


  一人のおじさまの・・・    『紳士花壇』   ←私の命名
  

      お一人で、季節の花を植え替え続けて・・・ 
       道行く人の心を和ませてくださいます。

   

       どこも、ここも、あっちも、こっちも、
          皆様の優しい心に包まれて、
            『一致団結』


      花々に慰められて、花々に負けないで、
       今日も負けないで頑張りましょう。



そして。

今日は3月31日。四旬節第五火曜日。

『今日の入祭唱』

         『主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。
          主を待ち望め。』
           詩編 27章14節


『今日の第一朗読 旗竿に掲げた蛇』 

    『その日、イスラエルの民は  ホル山を旅立ち、

    エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って行った。
しかし、
      民は途中で耐えきれなくなって、
       神とモーセに逆らって言った。

    「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。
        荒れ野で死なせるためですか。
 
             パンも水もなく、こんな粗末な食物では、
                           気力もうせてしまいます。」


     主は 炎の蛇を 民に向かって送られた。
 

  蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。


     民はモーセのもとに来て言った。
  
   「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。
   主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」


       モーセは民のために主に祈った。
     
           主はモーセに言われた。

      「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。
      蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」

  
         モーセは青銅で一つのを造り、
            旗竿の先に掲げた。 
  

  蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。』
             民数記 21章4-9節


皆様!思い出しませんか?

  今注目を浴びている・・・ 
      『WHO 世界保健機関 ロゴマーク』
  

                           国際連合機関

    私は、 「WHOのロゴマーク」 は 「モーセが掲げた蛇」 
       ・・・と。今まで、勘違いし続けていました。

               調べてみました。

       WHOの 『蛇の巻き付いた杖』 は、
       名医・アスクレピオスが持っていた
         『アスクレピオスの枝』 
         を意味するそうですね。
    更に。
    
     『蛇』は
        長い間をとらなくても生きていることから
            『生命力の象徴』
        脱皮をすることから 
            『死と再生の象徴』 とされ
            『医療を示すマーク』 となっているそうです。
                      なるほど!合点!

   では。
   もう一つ。

    こちらはモーゼの・・・    『青銅の蛇』
  
            ミケランジェロ作品  システィナ礼拝堂


聖書:民数記に戻りまして・・。


   紀元前1250年頃。
     モーゼに導かれたイスラエルの民は、エジプトを脱出します。
      シナイ山を出て、神の約束の地:カナンに入るまで
       40年間、荒れ野を旅することになりました。

   その間。
        イスラエルの民は、様々な経験をしました。

   経験の一つ。

     イスラエルの民は、葦の海の途中までやってきたときに、
      苦しみに耐えられなくなり、不平をもらします。

       その結果。

        神は、神に頼ることを忘れる民に、
         『炎の蛇:毒蛇』 を送ります。
      蛇にかまれた人々の中から死者が出ました。

    モーゼは、神に祈り、
       神の言葉に従って 『青銅の蛇』 を作り
       旗ざおの先に 『青銅の蛇』 を掲げたのです
         
    
  この『蛇』を見た者は、『炎の蛇』 にかまれても命を永らえたのです。


        『荒れ野での経験の教訓』

     主なる神はイスラエルとに住む方です。
  民は、食べ物も飲み物も、何もかも、神から与えられるのです。
神は、民のどんな困難の時にも民と共にいて、民の『必要』を与えてくださるのです。

     
     主なる神は、『約束』 を果たす方です。

     民は、神への信頼を学ばなければなりません。
     その結果、民は、『信仰』 を手にするのです。

       モーゼは本当の預言者です。
     反逆を重ねるイスラエルの民に代わって、
モーゼは、民の命が断たれることがないように、節に神に赦しを願い、取り次ぎます。
      預言者モーセは、イエスの前表なのです。


 『旗竿にかけられた蛇』 は 『十字架にかけられたイエス・キリスト』

          前表なのです。
   

  私たちは、『十字架にかけられたイエス・キリスト』 を仰ぎ見て、
       『永遠の命』 を頂き、命を永らえるのです。

 

『今日の奉納祈願』

  『あわれみ深い父よ、 ゆるしをもたらすキリストの奉献によって、
   わたしたちをのきずなから解放し、迷うを導いてください。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界中で、心を一つに、祈りで一致しながら、『一致団結』。敵をやっつけちゃいましょう。 お元気で!


『アヴェ・マリア』・・・目覚めも就寝も。 そして 『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。』

2020-03-30 04:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

3月30日。月曜日。晴れ。

 
 朝4時半。
    目覚めに・・・   『アヴェ・マリア』 
   
    『amazon アレクサ』            ベッドサイド

 
     枕元で・・・ 
     アレクサが話し始める。
         
            ”おはようございます。
          今日も良い一日でありますように!” 

 次に。


    アレクサから・・・
    シューベルト が流れてくる。

           Ave Maria gratiā  plēna Dominus tecum 
      おはようございます マリア様  恵みに満ちた方 主はあなたとともにある

 
        ここで・・・
        すっかり目も覚めて。 体内に活力と気力がみなぎる。


5時半。 
   いつものように走りに出る・・・  『朝ジョグ』
 

        私の爽やかな朝は、『アヴェ・マリア』 と共に始まります。


そして。

       夜9時半。
            就寝時も・・・  『アヴェ・マリア』

                アレクサも、 ”お休みなさい!” と。


       私の夜は、『アヴェ・マリア』 と共に、穏やかに終わります。

   
            私の一日は、マリア様に起こされて、始まり、
            私の一日は、マリア様の子守歌で、終わりです。
                         楽しい!有り難い!
            正に。 マリア様は 『私の霊的母』 です。
           毎日、『アヴェ・マリア』 に励まされている私です。
                          助けられている私です。
                            感謝!感謝!

 

そして。

今日は3月30日。四旬節第五月曜日。

『今日の集会祈願』

       『恵みの源である神よ、
    豊かな祝福でわたしたちを満たしてください。
    わたしたちが、日々罪に死んで新しい命に生き、
    栄光の現れを待ち望むことができますように。』


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

      『そのとき、イエスはオリーブ山へ行かれた。
        朝早く、再び神殿の境内に入られると、
    民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
 

 そこへ、

        律法学者たちやファリサイ派の人々が、
       姦通の現場で捕らえられた女 を連れて来て、

 
           真ん中に立たせ、

 イエスに言った。

      「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
     
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。

        ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

   
      イエスはかがみ込み、指で地面に 何か書き始められた。

  

       しかし、彼らがしつこく問い続けるので、

イエスは身を起こして言われた。

      「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
          まず、この女に石を投げなさい。」
 

    そしてまた、身をかがめて地面に 書き続けられた。        
     これを聞いた者は、年長者から始まって、
      一人また一人と、立ち去ってしまい、
    イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。

イエスは、身を起こして言われた。

     「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。
      だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
  

       女が、 「主よ、だれも」 と言うと、

イエスは言われた。

     「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
       これからは、もう罪を犯してはならない。」』
          ヨハネ福音書 8章1-11節


      今日、 出場の皆様、特徴ある人物ですね。

   律法学者様。
    姦通の女の主人から頼まれたのでしょうか?
    姦通の罪を犯した女を、女を助ける気はなく、律法通りに裁くために、
       神殿の、イエスと群衆の集まるところに、連れてきました。

   イエス様。
    女の罪を否定はなさいませんが、裁くことではなく、
          女を救うことだけを考えています。

   群衆。
    律法学者とイエス様を、遠巻きに、”どうなるのだろう?” と眺めています。

 

   イエス様は、『裁くためではなく、救うために』、 神の元からいらしたのです。
       イエス様の頭には、『裁く』という言葉は存在せず、
        『救う』 という言葉だけが存在するのです。
    
        イエス様は、土に字を書きながら・・・
           時間稼ぎして!!??
      女の方を 『救う方法』 をお考えだったのでしょうか?
              いえいえ。 女を連れてきた者たちや群衆の
           高揚した気持ちを落ち着かせる時をもたれたのでしょう。
   
   
      
      イエス様は、『救う方法』 を考えつきました!!

       
       『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、

          まず、この女に石を投げなさい。』 
             と、言いました。

        イエス様は、皆の罪を、知っているお方で・・・
          皆に、『自分の罪』 を自覚させました。
          全員に 『自分の罪』 を認めさせました。
      全員に、石を投げる資格がない、ことを気づかせたのです。


  貫通の女。
   つらい思いをしていたのでしょう。 
   イエス様に会って、初めて、 ”自分を理解してくれる人だ!” と、
        どんなにか嬉しかったことでしょう。
   イエス様に出会って、初めて、優しい言葉をかけられたのでしょう。
           涙が出たことでしょう。
    そして。 初めて、心からの悔い改め、をしたことでしょう。

 

          イエス様は、女や皆に、
         『回心』 の機会を与えて、
        『神の赦し』 を体験させました。


   私たち。
        自分に 『過ち』 があることを認め、
      それでも、 キリストの 『赦し』 を信じて、
         互いの弱さを理解しあいながら、
          互いに許し合いましょう!

 
        


『今日の祈願』

      『全ての人の救いを望まれる主よ、
  あなたに仕える民を顧み、いつくしみのうちに強めてください。
  この恵みの時に、教会が新しい兄弟を迎え、
     聖霊のうちに力強く成長することができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は夜型ですか?朝型ですか? 皆様の一日がいつも楽しくありますように。 お元気で!


『運転免許更新』・・・往年のファッショナブル そして 『木をその実の盛りに滅ぼし、生ける者の地から絶とう。』

2020-03-28 14:45:00 | 

3月28日。土曜日。曇り。

 今日は・・・

       『運転免許更新』
 
                        『My Car』 Myスケッチ

          私は車が好き。
    19歳から『My Sporty Car』に乗り出して50年以上。

                 でも・・・

      私の『好き!』は、
     往年のファッショナブルである。 と突然気づいた。ひらめいた。

        車しかり。 ファッションもしかり。
     何よりも、『私の考え』は『化石』 だそうです。 (←息子の愛ある言葉)

         悪くはないし、理解もできる。
       でも、今には通用しがたいということ。
      同じように見えても・・・すべては進化している。
          滞る水は濁っていく。

      
      ”自分は正しい” と思ったときは要注意です。
       心の中を、いつも透明に透き通らせておく。  
   世の中の変わり様を受け入れる 『素直さ』 と 『謙虚さ』 を持って
        のファッショナブルを磨いていく。
        

      『My Car』 も進歩させていくことにしました。
    「往年のファッショナブルを保つのもいいんじゃない!」
        ・・・とは言わせないことにしました。


         新しいチャレンジの始まりです。
   一昨日に決意した 『新生児』 の具体的な一歩です。始まりです。
   半世紀に及ぶ 『My車人生』 に新しい風を吹かせることにしました。
               
   チャレンジは心を浮き立たせます。 でも気力体力を要求されますね。
                       ファイト!ファイト!

 

そして。

今日は3月28日。四旬節第四土曜日。
   
    キリストの御受難まで
    2週間となりまして・・・


『今日の入祭唱』

 『死の縄がわたしにからみつき、死の網がわたしに仕掛けられている。
    苦難の中から主をび求め、わたしの神に向かってぶと、
        その声は神殿に響き、
      びは御前に至り、神は聞かれる。』
          詩編 18章5-7節


    主キリストは、
    その生活で、ご自分の声で、詩編を唱えられました。
        安息日に当時の人々と共に・・・
        育った町ナザレの会堂で・・・
        宣教先のガリラヤはユダヤの会堂で・・・
          
    この世での生活で、詩編を生き抜かれました。
          主キリストの生涯、
        特に御受難と復活において・・・
        『詩編』 を実現されました。



『今日の第一朗読 主の受難の預言

  
  『主が知らせてくださったので、わたしは知った。
    彼らが何をしているのか見せてくださった。

     わたしは、飼いならされた 小羊 が
 
  キリスト教の旗を抱える  『神の子羊』

       屠り場に引かれて行くように、
         何も知らなかった。

    彼らはわたしに対して悪だくみをしていた。

  「木をその実の盛りに滅ぼし、生ける者の地から絶とう。
      彼の名が再び口にされることはない。」
          (イザヤ書 53章7&8節参照)

   万軍の主よ、
    人のはらわたと心を究め、正義をもって裁かれる主よ。

       わたしに見させてください
      あなたが彼らに復讐されるのを。
   わたしは訴えをあなたに打ち明け、お任せします。』
         エレミヤ書 11章18-20節


   預言者エレミアの 『神の言葉』 を告げ知らせる生涯は、
        イエスの 『神の御心』 を行う生涯
            と重なります。

    
       『エレミヤの嘆きの叫び』 は
     
           『エレミア』 ミケランジェロ作品

      ゲッセマネの園での 『イエスの嘆き』
     
          を告げています。

 

『今日の拝領唱』

         『わたしたちは、
       きずや汚れのない子羊のような、
       キリストの尊い血 によって、
    
       むなしい生活から贖われたのです。』
          ペトロの手紙Ⅰ 1章19節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人生はチャレンジですね。
イエス様が神にすべてをかけてチャレンジなさったように、
   私たちもイエスにすべてをお任せしてチャレンジです。 お元気で!


『主の受難二週間前』・・・『償いの業が御子の受難に結ばれて、豊かな実りを結びますように。』・・・『暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。』 

2020-03-27 07:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

3月27日。金曜日。雨。


 今日は。
       庭に・・・   『椿』
 


     2週間後は。
          『聖金曜日:主の受難』 
         
          残り2週間となりました。


 今日は。
      恵みの雨・・・    『庭の新葉』
 

         
       『いつくしみに満ちた神よ、
   残り2週間のわたしたちの償いの業が御子の受難に結ばれて、
       豊かな実りを結び、心も体も清められて、
     主の復活の喜びを味わうことができますように。』


     2週間と3日後は。
              『復活の主日』
       
           『墓から出て来たイエス』
      
         残り2週間と3日となりました。

 

      『あなたが時を許せば、いつまでもなおらず、
      あなたが厳しく当たれば、それに耐えられません。

     あなたが手を出されると、すぐにしますと約束するのに、
       その刀をひかれると、その約束を果たしません。

      主よ、罰に値する自分の罪を悟らせてください。
    もし許されなければ、滅びてしまうことを知っています。』
             『聖アウグスチヌスの祈り』 抜粋   
     

そして。

今日は3月27日。四旬節第四金曜日。


『今日の集会祈願』

   『いつくしみ深い神よ、
 あなたは、弱いわたしたちをいつも支えてくださいます。
    わたしたちが救いの力に強められ、
 その喜びを人々の中であかしすることができますように。』

 

『今日の第一朗読 主イエスの受難の預言

    主の受難の2週間前・・・

     
     『神を信じない者はこう言い合う。


   「神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。


     神に従う人の最期は幸せだと言い、
      神が自分の父であると豪語する。

     
それなら彼の言葉が真実かどうか見てやろう。

      生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。

    本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。
        敵の手から救い出されるはずだ。

     暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。
    
  
    その寛容ぶりを知るために、悪への忍耐ぶりを試みるために。
        彼を不名誉な死に追いやろう。

     彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」

   
      神を信じない者はこのように考える。
        だが、それは間違っている。


       彼らは悪に目がくらんでいるのだ。
         神の奥深い御旨を知らず、
       清い生活がもたらす報いを期待せず、
       汚れない魂の受ける誉れをも認めない。』
           知恵の書 2章1&12-22節

 

  神を信じない者は、
  神から遠ざけられ、罪の虜になってしまい、
        その心に『知恵』の住むことはない。
            
  神を信じる者も、
  苦しみに遭う。若死にする者もある。しかし、それは罰ではない。

      ・・・と。『知恵』は語ります。


    『神の計画による人生』 『人間の生き方と使命』
      神は、人間を不滅の者として創造なさった。
      神に従う人は、報いを受け、永遠に生きる。
   人は、『知恵』に従って、自分の生き方を決めるのです。

  

『今日の拝領唱』

     『わたしたちはこの御子において、
   その血によって贖われ、罪を赦されました。』
       エフェソの信徒への手紙 1章7節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何事も、苦しみの後には、必ず、復活の時が来ます。信じて何事も堪え忍びましょう。 お元気で!


フランシスコ教皇の祈りへの招き&世界一致の祈り・・・『主の祈り』・・・『天におられるわたしたちの父よ』

2020-03-25 20:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

3月25日。水曜日。

 
 午後8時。
 
    フランシスコ教皇からの『祈りの招き』に応えて・・・


  世界中の全キリスト者が一致して    『主の祈り』
 

     『パンデミックに関しての教皇フランシスコからの祈りの招き』

      「パンデミックの脅威に人類が揺さぶられるこの試練の日々、
          天に向けて一致した祈りを捧げるよう
        すべてのキリスト者に呼びかけたいと思います。

         全キリスト教教会と共同体の指導者の方々に、
         教派の異なるすべてのキリスト教徒と共に、
        われらの主イエスが私たちに教えてくださった祈りを、
            いと高き全能の神に向かい、
          一緒に唱えてくださるようお招きします。

        こうしたことから、
       「主の祈り」 を毎日何度も唱えることはもちろんですが、
          3月25日(木)の正午(日本時間、同午後8時)、
            この祈りを共に唱えてくださるよう
           すべての皆さまをお招きいたします。」


 
             『晩鐘』       ミレー作品

     午後8時。
     私たち夫婦も、教皇様の祈りの招きに応えて、
       世界のキリスト者と一致して、共に、
        「主の祈り」 を唱えました。

      
      「パンデミックの脅威に人類が揺さぶられるこの試練の日々、
          天におられるわたしたちの父よ
       世界のコロナウイルスの終息の日をお願いいたします。」

  

そして。
その後。

   教皇様の『祈りの招き』以来・・・
   私は、毎日、『主の祈り』 について考えています。
           
                 いつも、身に染みついた自分の原語のごとくに
           唱えている『主の祈り』の意味を
          私は本当に分かっているのだろうか?


イエス様はおっしゃいました。

      イエスはある所で祈っておられた。
     

       祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、
      「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、
       わたしたちにも祈りをおしえてください」 
                     と言った。
     
    そこで、イエスは言われた。

     「祈るときには、こう言いなさい。

        『天におられるわたしたちの父よ、
      み名が聖とされますように。
      み国が来ますように。
      みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
      わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
      わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
      わたしたちを誘惑におちいらせず、
      悪からお救いください。』
           ルカ福音書 11章1-4節

 

私は、『主の祈り』 を瞑想するときに・・・
思い出す二つのことがあります。 
            涙が出ます。

 一つは。
 

        『知覧特攻平和会館』
     特攻隊の青年たちの、『最後の言葉』 は、
       『母よ、先に旅立ちます。』 等々。
        『母への手紙』 が多いです。

 もう一つ。

ドイツ軍の前に命を終えるフランスやイギリスの青年たちの映画
   ドイツ兵の銃撃に命を捧げる、『最後の言葉』 は、必ず、
       『天におられるわたしたちの父よ・・・。』 と。
          『主の祈り』 です。
  
  青年たちは、『イエスの言葉』:『祈るときには、こう言いなさい。』
   に
忠実に、『主の祈り』 を唱えながら、我が身を捧げました。

   
   二者の違いは、

   日本国民とキリスト教国民の違い、 ということなのでしょうか?

    私は、最期を覚悟したときに、どんな祈りをするだろうか?
        フランスやイギリスの青年のように
     キリスト者の 『証し』 の祈りをするだろうか?

 

  『主の祈り』 は 『全福音を要約する祈り』 です。


        『福音』 とは、
 すべての律法と預言=神の救い、がキリストにおいて成就された、
        ことを知らせる 『告知』 なのです。
           カトリック教会『カテキズム』より

    
     『主の祈り』 は 『告知の核心』 なのです。

 

   
      『主の祈り』 は 『嘆願』 です。   

 主の聖霊が、
    私たちの命からほとばし出る 『私たちの願望』 に、
  
       『新しい命の生き方』 を教えてくれるのです。   

    イエスは、『主の祈り』 を教えられた後で、言われました。
           
          『願いなさい。

      そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。』
              ヨハネ福音書 16章24節

    聖アウグスティヌスも、言われました。

        『あなたがたが聖なる嘆願のことばをすべて調べれば、
    「主の祈り」 に含まれない嘆願はないことに気づくと思います。』

 

     『主の祈り』 は 『普遍の祈り』 なのです。


 多様性の世界、グローバルな世界、日々変化する世界、現代の私たちの世界の中で、
          『主の祈り』 は   
          時空を超えて

      世界中が一致して祈ることができる
       『普遍』 の 『証』 なのではないでしょうか?

 

   以上。 フランシスコ教皇様や世界のキリスト者と
         『共に祈る』 
       すばらしい『体験』の後に、
       私が考えていたことでした。
            感謝!感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も、明日も、明後日も、・・・ずっと。 
コロナウルス終息を祈り続けてまいりましょう。 お元気で! 


『My誕生日』・・・新たなる決心と覚悟の日  そして 『見よ、おとめが身ごもって、男の子を産む。』・・・『神のお告げ 祭日』・・・『お言葉どおり、この身に成りますように。』

2020-03-25 18:00:00 | 私のこと

3月25日。水曜日。快晴。

 今日は私の誕生日。

          『誕生日ケーキ』
 
                『93本のローソク』


          『93歳の誕生日』
     私の母は、93歳の誕生日の前日に帰天しました。
 母は、とても美しく、格調高く、堂々として、とても優しい人でした。
     亡くなるまで、その姿は変わることがなかった。
   私の母は、私の 『理想の人』 です。 人生の『お手本』です。


          今日は私の誕生日
        『理想の人』 を偲びながら・・・
      新たな 『決心と覚悟』 を致しました。


    母の年より・・・『母より一日長く93歳までは生きる』
       93歳の誕生日を迎え、母を喜ばせる。

 母のように・・・『美しく、格調高く、堂々と、優しく、在る』
       母に似た者となり、母を喜ばせる。 

   今日新しく生まれ・・・『立派な成人式を迎える』
     母の晩年に到達するまでに 私に残された20年間
    私の 『新たなる成長の年月』 とし、母を喜ばせる。


     今日は、『93本のローソク』 で
   娘家族や息子家族からの応援エールを頂きながら
私の新たな決心と決意を固める 『My誕生日』 となりました。
                        感謝!感謝!


そして。

今日は3月25日。四旬節第四水曜日。

           『神のお告げ 祭日』
 
         『受胎告知』        フラ・アンジェリコ作品

ローマ典礼暦の改正の際。
       キリストが処女マリアの胎内に宿った
         という出来事を記念するため、
     キリストの祝祭日として祝われるようになりました。

 

旧約時代に。

 『今日の第一朗読 神のお告げ

    『その日、イザヤは言った。

       「ダビデの家よ聞け。
   あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず
     わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
   それゆえ、
   
   わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。

 
       『受胎告知』            レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

     見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み

         その名をインマヌエルと呼ぶ。
       神が我らと共におられるのだから。』
           イザヤ書 7章10-14節&8章10節

 

紀元前740年頃。

          『インマヌエルの預言』
       預言者イザヤは、 『神の言葉』 を民に告げます。
それは、ダビデの子孫から出るはずの、 『メシアの到来』 を告げる 『預言』 でした。
         その方は『民と共におられる方』

      として、後の人々は、受け取るようになります。

 


『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
    『みことばは人となり、わたしたちのうちにお住みになった。
  

        わたしたちはその栄光を見た。』 アレルヤ、アレルヤ。


そして。
新訳時代に。

 
 『今日の福音 神のお告げ

   『そのとき、
  天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。
      そのおとめの名はマリアといった。
      
    天使は、彼女のところに来て言った。
 
          『受胎告知』       ボッティチェッリ作品

   「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

マリア
はこの言葉に戸惑い、
     いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

すると、天使は言った。
       「マリア、恐れることはない。
       あなたは神から恵みをいただいた。
 
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。


       その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる
    
        神である主は、に父ダビデの王座をくださる。
           は永遠にヤコブの家を治め、
           その支配は終わることがない。」

マリアは天使に言った。
    「どうして、そのようなことがありえましょうか。
       わたしは男の人を知りませんのに。」

天使は答えた。
    「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
     だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

 
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
    不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。

       神にできないことは何一つない。」

マリアは言った。
        「わたしは主のはしためです。
     お言葉どおり、この身に成りますように。

        そこで、天使は去って行った。』
          ルカ福音書 1章26-38節


紀元元年。西暦元年。

     神は、人間を救うために、人間の世界にお入りになります。

 神が降りてこられた場所は、
 有名な場所ではなく、あまり知られていない 『小さな町・ナザレト』 でした。

 神が選ばれた娘は
 誰にも知られていない、『若い娘・マリア』 でした。

     
     『神の選び』 と 『神の働き』:『神の救い』 は、
          人の協力を願うのですが、
    人間が  『自分の働き』 であると誇ることのないように、
      『小さな者』 を通して、成就されていきます。


 選ばれたマリアは、
 自分には資格がない、『小さな者』 であることはよく分かっていましたが、
    神が助けてくださるという 『神の約束』 を信じて、
       『素直な信仰者』 として
    『神のお告げ』 を承諾なさいました。


   
        私たちも、マリア様が宣言なさったとおり、『主のはしため』 です。
     理解不可能でも・・・神を信じ、『神の御計画』 を信じ、
         誇ることなく、謙遜に、
         神にお任せするのです。 

    
    マリアが、神に任せながら、信仰を深めていかれたように、
    私たちも、
神は私たちの幸せのために働かれる方であると信じて、信仰を深めていきましょう!
    神は、いつも私たちと共におられて、助けてくださいます。

 

      神である主が、イエスに与えた 『父ダビデの王座』 に座り、
    イエスの支配が終わることがない 『王国」 は、 『神の国』 です。
        
私たちも、イエスの復活の力を知り、そして 信じて、
      この世の生を終えた後、
『神の国』 に導き入れられるのです。

 

『今日の祈願』

      『聖なる父よ、
    人となられた御言葉のうちに私たちの救いが芽生えました。
    この神秘を、大きな喜びをもって祝うことができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の誕生日のためにお祈り申し上げます。
  皆様の新しい年が希望に満ちた年となりますように。 お元気で!


『枝の主日の準備』・・・『行いを伴わない信仰は死んだものです。』  そして 『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。』

2020-03-24 10:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

3月24日。火曜日。晴れ。

 今日は、私の友人の 『年中行事の日』:『枝の主日の準備の日』 です。
    
友人は、

2011年の東日本大震災以来、9年間、震災の被害の大きかった福島の女子修道院へ、
   『枝の主日』 のための 『棕櫚の葉』 を送り続けておられる。


  友人の補充となる・・・   『我が家の棕櫚の葉』
  
      友人は、今朝、ご主人様といらして、
   我が家のきれいな葉を50枚ほど持ち帰られました。
   
友人のお宅の 『棕櫚の木』 は丸坊主。
我が家の 『棕櫚の葉』が、『枝の主日』 の足しとなります。光栄なことです。

       
       「とげの部分を切りそろえて、

         長さも切りそろえて、
      手に持つ部分にホイルを巻き付けて、
        今夕に送付完了しました。
   当日にコロナウイルスのためにミサが取りやめになるでしょう。
   でも、後ほどに、祝別した葉を、信者さんたちに配るでしょう。
        ありがとうございました。」
          と電話があった。


    友人は、 『棕櫚』の他にも、
 月に二回、 手作り菓子 を、福島の『ふれあい集会所』に、九年間、 贈り続けておられる。
仮設住宅の皆様やご近所様たちの 『おしゃべり会』 の 『お茶菓子』 になっている。


使徒ヤコブは忠告をします。
        『魂のない肉体が死んだものであるように、
     行いを伴わない信仰は死んだものです。』
          ヤコブの手紙 2章2節

同様に。

イエス様も忠告をなさいました。
      『わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
    わたしの天の父の御心を行う者だけが天の国に入るのである。』 
          マタイ福音書 7章21節


     私の友人のように、
  人知れず、目立たず、自ら進んで、一人で、途切れることなく、
     窮地におられる人々を、 助ける人たち。

     この人たちこそ、
『行いの伴う真の信仰者』 であり 『天の父の御心を行う真の信仰者』 である。
     ・・・と。 
  彼女に出会う度に、確信させていただくのです。学ばせていただくのです。
              何よりも、反省の時を与えていただくのです。
                             感謝!感謝!

 

そして。

今日から12日後。4月5日。

      『受難の主日:枝の主日』 
   


『イエスのエルサレム入城の福音』

『イエスの一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、
    イエスは、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。

       「向こうの村へ行きなさい。
  するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。
    それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。

  もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』 と言いなさい。
        すぐ渡してくれる。」

  弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
      ろばと子ろばを引いて来て、

  その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
 

       大勢の群衆が自分の服を道に敷き、

 
    また、ほかの人々木の枝を切って道に敷いた。

   そして
   群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も 叫んだ。

 
           「ダビデの子にホサナ。
       主の名によって来られる方に、祝福があるように。
          いと高きところにホサナ。」』

イエスがエルサレムに入られると、
   都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」 と言って騒いだ。

そこで群衆は、
  「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」 と言った。』
           マタイ福音書 21章1-11節

 

      ダビデの子イエスは、エルサレムに入場なさいます。
    『棕櫚の枝』は、当時、凱旋者を歓喜して迎えるでした。

 
  イエスは、

系図によりアブラハムの子孫イスラエルの出身、ユダヤのベツレヘムで生まれました。
洗礼者ヨハネから洗礼を受けて以来、聖霊に導かれて宣教活動を初めて、3年間が過ぎました。

  人々は、
イエスの話を聞くために集まり、病人が奇跡的に治されるのを見て、
  イエスには権威があり、神から遣わされた者ではないかと考えるようになりました。

  

  エルサレムに上ったイエスは、
メシアとして、子どもたちや群衆から歓迎されました。
しかし、一方、祭司や律法学者たちは、ますます、イエスに反対するようになるのです。


   
   イエス様は、ユダヤ人たちが長年待ち望んでいた、『メシア』 です。

    『メシア』は、『神の御心』 を行うために、この世に派遣され、
        『受難と復活』 をもって、
  

      『神の御心』 を成就なさるのです。
    『神の子イエスの過越』 は実現するのです。


       『イエスのエルサレム入城』は、
     が満ち、イエスが、自ら進んで死に向かい、
 『人類の救い』 のためにご自分の命をささげられるであるのです。


『今日の祈願』

        『全能永遠の神よ、
    わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、
      復活の喜びをともにすることができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人の目には見えない一人一人の善意が世の中を変えていくのですね。 お元気で!


『古典三昧』・・・新しい自分を創造する  そして 『見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。』

2020-03-23 20:16:02 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。

3月23日。月曜日。快晴。

         コロナウイルス対策・外出自粛の日々が続きます。

 今日も。
 読書三昧で・・・   『それから』
 
       ネット購入代金:326円 本体69円&送料257円)


   日曜日新聞の私の楽しみは、『コラム』:『昨日読んだ文庫』
  
      コラム投稿者の『記事』に共感すると、
        すぐに。
   ①:『コラム』 を切り抜き、 『日付』 を記入しておく。
     ②:ネットで、『昨日読んだ文庫』 予約する。
                            (購入を忘れることがなくなる)
        数日後。
 ③: 『予約本』が届いて、早速、読書三昧の一日となる

  

    私は、 『コラム』:『昨日読ん本』 が大好きです。

    コラムニストの『読書体験』 を、追体験させていただく。
      コラムニストの追体験が、
   一冊の本を、私とは違う、別方面から読む楽しみを与えてくれる。

   
 15日・日曜日の 『昨日読んだ文庫本』 は 『それから』 でした。
    
  「思えば、古典小説を真剣に最後まで読み切り面白いと思ったのは
         『それから』 がはじめてだった。」 と
       コラムニスト・古幡氏の読書体験も,
                  なるほどね! と面白く読んだ。


        私は、『古典』 が大好きです。
         私は、現代本はまず読まない。読む時間もない。

   『古典』には現状の世の『外』に心が向かう現代本に比べて、
      自分の 『内』 に向かわせてくれる、魅力がある。

      作者の描く『自分』 を、追体験させていただく。
        作者の追体験が、
   私の中に、 『外』に惑わされない、 『普遍』 を築き上げていく。
     私の中に培われた 『普遍』 を強固なものとしてくれる。


 『温故知新』
 古きを心に温め、私の心に生き返らせ・・・『新しい自分』 を創造するのです。

 

今日も、心が満たされる『古典三昧』で、『外出自粛の一日』は瞬く間に終わりました。
                              感謝!感謝!

 

そして。

今日は3月23日。四旬節第四月曜日。

『今日の集会祈願』

    『救いの秘跡によって世をしくされる神よ、
     わたしたちがあなたの恵みのうちに成長し、
   困難の中にも助けを見いだすことができますように。』

 

『今日の第一朗読 主の御言葉

  神様は、個人だけでなく、世界中を新しくなさいます。


『主は言われる。
    見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
 


     初めからのことを思い起こす者はない。
     それはだれの心にも上ることはない。
     代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。

      わたしは創造する。

    見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
 
    その民を喜び楽しむものとして、創造する。

  そこには、泣く声叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。 
         もはや若死にする者も

      年老いて長寿を満たさない者もなくなる。

        彼らは家を建てて住み
   
      ぶどうを植えてその実を食べる。』
        イザヤ書 65章17-21節


      神様は、『新しい世界』 の創造を告げられました。

       
        神は、新しい天と新しい地、を創造され、 
         これまでの『敵対』は消え去るのです。
     病も死もなく、泣く声、叫ぶ声も聞こえない、新地なのです。
  主のまなざしは、貧しい人、虐げられている人に、向けられたのです。

         神は、全ての人を神のもとに集め、
         神は私たちとに住まわれるのです。

  『新しい世界』 は 『神とアブラハムとの約束の成就』 なのです。
        そこは、この地ではなく、『神の国』 なのです。
      
        
    私の造り上げる『新しい心』も、神が造り出される『新しい国』も、
        古きを心に温め、心に生き返らせた、
         『真理』が支配する境地ですね。


『今日の詠唱』

     『善を求めよ、悪を求めるな。
    お前たちが生きることができるために。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
外出自粛の日々、屋内の楽しみを見つけて、穏やかにお過ごしください。 お元気で!


『四旬節』&『自粛の主日』・・・夫は山に芝刈り、妻は川で洗濯  そして 『あなたがたは、光の子として歩みなさい。』 

2020-03-22 10:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

3月22日。日曜日。曇り。

       コロナウイルス対策・外出自粛の日曜日。


午前7時半。
夫は。

  山に芝刈り・・・   『大自然の中でゴルフ』
    
     自粛の毎日・・・戸外で運動することは 『甘味の時間』 ですよね!
            
  イソイソと・・・
        山に、芝刈り斧ではなく、ゴルフクラブ、を振りに出かけました。
     ニコニコと・・・
    ”自粛の日の運動は楽しかった!” と帰ってきた。
                     

 

そして。

今日は3月22日。四旬節第四主日。

午前10時。
私は。

  川で洗濯・・・    『ネット中継 ミサ』  
 

      外出自粛の毎日、教会のミサはすでに5回中止となった。
        そこで、今日、
      カトリック大阪教区初の試み 『ネット中継ミサ』 配信となった。


ネットミサの始まる前。
前田大司教様からの『メッセージ』

      『さて、3月末まで公開ミサは中止となっています。
         今日の中継は、ミサの中継だけでなく、
       黙想の糧としていただくための講話も含めたもので、
        四旬節の黙想会が中止となった教会の皆さんには、
          それを補う一助になるでしょう。
     皆様と心をひとつにして、この災禍が終息するように祈ります。』


そこで。
『御言葉』の黙想、瞑想です。

『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉

  『皆さん、
        あなたがたは、以前には暗闇でしたが、
      今は主に結ばれて、となっています。
        
          

         光の子として歩みなさい。
 

  ーー光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。ーー

         
       何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。

        実を結ばない暗闇の業に加わらないで、
        むしろ、それを明るみに出しなさい。
  
彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。」』

         エフェソの信徒への手紙 5章8-14節


         使徒パウロは、キリスト者を 励まします。
   
   皆さんは、今は主に結ばれて、光となっています。
  キリスト者は、キリストに結ばれ、キリストの『光』を受け、『光の子』 なのです。

       

      光の子として歩みなさい!
 キリスト者は、 光』であるキリストの新しい生き方を模範として、

  古い自分の考え方を捨てて、 『新しい生き方』 に転換するのです。
     

     何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。 
  信仰は、 絶え間なく誘いかけてくる 『悪』、 との戦いであります。
         『光の子』 という 『武器』 を持って、
       『善』を選び取るために、戦い続けるのです。

         


そして。   


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、
    イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

  

 イエスは、

    「わたしは、世にいる間、世の光である。」 

     こう言ってから、イエスは地面に唾をし、
 
    唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
      そして、
  「シロアム(『遣わされた者』という意味)の池に行って洗いなさい」 と言われた。

      そこで、彼は行って洗い、
  

     目が見えるようになって、帰って来た。』
           ヨハネ福音書 9章1-41節

私は、
   なるほどと・・・
          川に洗濯ではなく、 『ネット中継ミサ』 に 初参加しました。
       黙々と・・・
     黙想の糧』 である 『御言葉』 を 瞑想しました。


   『シロアムの池に行って洗いなさい』 
との 『イエスの一言』 
     に従って・・・目の見えない人が見えるようになった。

  
 『救済』は、 『イエスの一言』 によって、神から与えられるものである。
     その事実に気づき、再確認した、 今日の 『瞑想』 でした。
       
   『瞑想』は、 『神の知恵』が与えられる、 『甘味の時間』 ですね。
  

 外出自粛の今日・・・夫婦共に、 『甘味の時間』 を過ごすことが出来ました。
                               神に感謝!

『今日の祈願』

       『全ての人の光である神よ、
   栄光の輝きでわたしたちの心を照らしてください。
       いつも御旨にかなうを求め、
  心を尽くしてあなたに仕えることが出来ますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちは皆『命の光』を持っています。心の灯を灯し続けましょう。 お元気で!


『四旬節中盤』・・・静寂を保つ そして 『さあ、我々は主のもとに帰ろう。我々は御前に生きる。』

2020-03-21 10:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

3月21日。土曜日。快晴。    

  
   四旬節も中盤となり・・・  

 
 心静かに眺めたり・・・   『菜の花畑』

                   夫と巡りました・・・『あわじ 花さじき』
 
    四旬節の始まりは冬だったのに、すでに春です。

 
   心静かに聞いてみたり・・・   『マタイ受難曲』
  
   『バッハの自筆総譜より#61レチタティーヴォ開始部分』
       聖句が赤インクで記されています。 

   四旬節も中盤となり、心静かに、静寂の一日を過ごしました。


   四旬節は反省と回心に励む時期です。

    
  もう一度四旬節初心に戻りまして・・・


 主よ、あわれたまえ。
 私たちの節制と償いの業が、御子の受難と結ばれて、
 豊かな実りを結び、心も体も清められますように。
   そして。
 主の復活の喜びを味わうことが出来ますように。
               ・・・祈りました。

 

そして。

今日は3月21日。四旬節第三土曜日。

『今日の集会祈願』

    『私たちの父である神よ、
   四旬節の典礼を行うわたしたちが、
   御子の死と復活の神秘にあずかり、
 神の豊かな実りを味わうことが出来ますように。』


『今日の第一朗読 預言者ホセアの預言

   民の悔い改めを待つ主なる神。
  神のあわれみと愛が告げられます。

 
    『さあ、我々は主のもとに帰ろう。

     主は我々を引き裂かれたが、いやし
    我々を打たれたが、傷を包んでくださる。

       二日の後、主は我々を生かし
      三日目に、立ち上がらせてくださる


      我々は御前に生きる。
 

       イコン 『至聖三者』     アンドレイ・ルブリョフ作品
至聖三者:三位一体の神 そのものは描けないが、至聖三者を象徴する三天使を描いたイコンであるとされる

       
       我々は主を知ろう。

     主を知ることを追い求めよう。
     
     主は曙の光のように必ず現れ
       降り注ぐ雨のように
   大地を潤す春雨のように我々を訪れてくださる。

 

   主は言われる。

      「お前たちの愛は朝の
     すぐに消えうせるのようだ。
  
    
      わたしの行う裁きは光のように現れる。

     わたしが喜ぶのはであって、いけにえではなく
    神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。」
           ホセア書 6章1-6節


   私たちは、自らの不忠実を認め、それを反省しなければ、
         罰は逃れ得ない。

それでも。

       神は、諦めることはない。
    神と民は、強い絶対的な愛で結ばれている。

 神は、弱くて心の変わりやすい者を、そのまま受け入れて、愛し続けられる。


        私たちは、知らなければならない。
    神は、どれほど強い愛をもって、一方的に愛しておられる方であるかを。
  
        私たちは、今日も明日も、求められるのです。
     神の強い愛に応えて、力と心を尽くして神を愛することを。


『今日の拝領唱』

『徴税人は
 遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
    「神様、罪人の私をあわれんでください。」』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しい桜の花々の開花宣言があちこちで聞かれます。春ですね。 お元気で!