暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

播磨・コルトレーン茶会・・・その1

2018年11月13日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

  姫路公園(姫路城)内にある好古園にて (2018年11月2日撮影)


11月2日、播磨在住のKさんのコルトレーン茶会へお招き頂きました。

2年半ぶり・・・6回目(だと思う。詳しくは最後に・・・)の訪問です。
回数を重ねる訳は2つあります。
1つは、Kさんの茶会がとても素晴らしく、参席すると、日頃貯めこんでいた虚栄心、慢心、迷い、自己嫌悪などの塵芥が洗い流され、
「そうだ!周りの事に惑わされず、自分の信じるお茶をやろう」といつも勇気を頂戴するのです。
Kさんの茶会は、私にとって茶の湯の原点であり、四国遍路のような存在になりつつあります。

もう1つは、そんな茶会だからこそ身近な方を連れていきたくなります。
その結果、Kさんの茶会をどのように受け止めるかはその方次第ですが、Kさんのおもてなしの素晴らしさはきっと通じるはず、その方の茶の湯人生になんらかの刺激を受けて欲しい・・・と願っています。

そんな訳で、この度はスウェーデンから帰国中のOさん(次客)と、2度目ですが社中Fさん(詰)を同行しました。



4時過ぎに木々に囲まれ山荘の趣き深きK邸へ到着すると、門からのアプローチに水がたっぷり撒かれていました。
実は前日までKさんの体調を案じていましたので、元気に水撒きする姿が目に浮かび、清々しいおもてなしを嬉しく感じながら玄関へ向かいました。

待合は毎回、場所が微妙に変わるのですが、玄関の上がり框の畳に3つの小さな椅子、廊下の奥に乱れ籠があり、傍の壁に額が掛けられていました。
掛物は英語のようですが、う~ん!読めません・・・前にも英語で禅語のような深い意味の詞が書かれていたことを思い出し、興味津々。

白湯が運ばれ、
「庭の腰掛待合でお待ちください」とご案内がありました。
広い庭に面して石のテーブルと石のベンチ(お気に入りが多いのですが、特にお気に入りです)があり、テーブルにはバリ島の盆、異国の雰囲気を感じるテーブルクロス、灰皿とレトロなマッチ・・・Kさんらしい素敵な設えです。
清められた庭には、緑の苔が露を含んできらきらと輝き、これだけでも大御馳走なのに、折から紅葉が美しい盛りでした。
椅子に座し深々と美味しい空気を吸っていると、まるで天蓋のような紅葉が華やかさを添え、この季節に来訪できた幸せを感じます。


  K邸の蹲踞・・・以前に撮影したものですが
 
ご亭主が水桶を持って現れ、蹲踞を清め、いよいよ迎え付けです。
お互い故障しがちながらこうしてお会いできた喜びを胸に、無言の挨拶を交わしました。

これも大好きな蹲踞をつかい(小袖の蹲踞を連想しながら・・・)、躙り口から4畳半の茶室へ席入りしました。
ご亭主と挨拶を交わし、早速、玄関待合の掛物についてお尋ねしました。
茶友(アメリカ在住の日本人男性)がKさんの茶会へ参席し、感じたことを英語の詩で綴ったものだそうです。
原文をご披露できないのが残念ですが、帰宅してから”コルトレーン茶会”を想い出しながら次のように訳してみました。

   蝋燭の灯りのもと、息遣いを感じるほどの静謐な茶室
   魂を揺さぶるようなサックスの音色
   互いの内面の在りように呼応しあいながらお茶を頂くひと時
   お茶にただ感謝!



床の御軸は、
  下手の
    
      真あり


決して上手な字ではありませんが、味わい深く素敵な書でした。
という字が真ん中に大きく書かれていて、こちらも真ん中、心、内面が大事と言っているようにも思えます。



   玄関近くの待合にて

挨拶が終わると、食事が出されました。
3人分の椅子と特製の小テーブルが運ばれ、またまた一段と進化していました。
我が家の茶事でも、最近は椅子席で懐石をお出しすることが多くなっていますが、こちらでも小間に合わせた特製小テーブルを作り、煮物椀の置台が引きだされる用に工夫されていました。
自分で工夫されていろいろ作られるのも参考になり、刺激になります。

食事は、Kさんお得意のイタリア風でした。
品数は多くないのですが、食材からこだわり客の好き嫌いまで気遣って下さった逸品ばかりです。
心して頂戴し最後は大きなピザ、とても美味しく3人でたいらげました。御馳走さま!
ここで中立、先ほどの庭の腰掛待合で迎え付けを待ちました。(つづく)


      播磨・コルトレーン茶会・・・その2へつづく


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