暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

古都 町家探訪(1)

2011年12月03日 | 京都へ家うつりします
短い京都滞在でしたが、京町家情報センターから3軒の貸町家を紹介され、
そのうち2軒を見学することが出来ました。

22日に見学した町家No.1は、築年数不明で、大正時代の香りを感じます。
連棟ではない一戸建ての町家で門も、広い玄関もありました。
今風に言えば5DK、十分すぎる広さです。
1階は、玄関の間(三畳)、床の間付きの六畳と四畳半の和室、台所などの水回り、
廊下があり、2階は、六畳と四畳半の和室、ベランダ(洗濯干場)がついています。
京畳なので広々として、1階でも陽当たり良好でした。

長く住み手がなかったせいかもしれませんが、古さが穢さに感じられ、
ここに気持よく住むのは掃除や手入れなど大変そう・・・と正直思いました。

二階は現代風に改装されていましたが、一階の和室の作りが素晴らしかったです。
特に、階段下の押し入れの板戸、廊下のガラス戸、
和室の欄間やガラス障子などの建具は「町家」の持つ趣があり、
射してくる光を柔かに受け止めて、この家の一番の魅力です。

生活も交通も便利な場所でしたが、
「ここに住んでお茶を!」という気にとうとうなれず、お断りしました。

              
                      (宇治・平等院の紅葉)

この家を見学させて頂いて、町家の構造、特に土間と畳敷きの玄関、
建具やガラス戸の美しさを認識する良い機会となり、
案内して説明してくださった不動産屋さんに感謝しています。

畳敷きの玄関は、茶事の寄付または、気軽にお茶を差し上げられる
応接どころとして使えたら・・・と、京都へ来る前からあこがれていました。
「町家」を希望する理由の一つかもしれません。

昨日になって、京町家情報センター事務局長の松井薫氏が京都新聞に書かれた
コラム「住まいの散歩道 お客さんを迎える」を「ウンウン」頷きながら拝読して、
「畳敷きの玄関にこだわってみたいな・・」と改めて思ったことでした。

要点を抜粋させて頂きましたが、詳しくはHPをご覧ください

                          
                       (宇治川の朝の景)
 
 (抜粋) 京都新聞「住まいの散歩道 お客さんを迎える」より  松井 薫著
   ・・・(前略)・・・
   今は人と出会うことのほとんどないような、独り暮らしの人が多いと聞く。
   しかし、それは社会性をもった動物としての人間の姿に反することで、
   孤独な状況に陥りやすい情報化社会だからこそ、人と人が直接会うことが
   より大切になってくる。
   その装置の一つとして、家の玄関がある。

   玄関は一般的に、靴をぬいで一段上がるようになっている。
   ここで問題になるのは、お客を迎えるにしても、見送るにしても、
   突っ立ったままでは、家の人がお客を見下ろすことになり、
   「大切に」という思いが形に表れないことだ。

   伝統的な日本家屋の場合、玄関は畳敷きなので、
   床に膝をつくことが自然に行われ、お迎えしたり見送るときに、
   家の人間の視線がお客様を見上げるようになり、
   「大切に」という思いがお客にも伝わりやすい。
    
   畳敷きの玄関なんて、古い形だからと見捨てるのではなく、
   人の交流の大切さを確保するための、巧妙に仕掛けられた装置として、
   見直されていいのではないか。
  

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