Untouchableにして良いのか:
報道によれば、中国はIOCに東京オリンピックに参加する選手たちの為にCOVID-19用のワクチンを提供すると申し入れ、再任が決まったバッハ会長は受け入れて代金はIOCが負担するとなったようだ。バッハ会長は参加する者たちにワクチンは義務づけないと発表してあったにも拘わらず、アッサリと方針を変更されたように受け止められる。習近平帝王の独裁下にある中国は、既にワクチン外交を手広く展開していたかと思えば、今度はIOCにも影響力の行使を目論んでいるように見える。怖い、怖い。
中国は広く知られているようにWHOのテドロス事務局長を自家薬籠中のものとしただけではなく、UNそのものにも影響力を行使できる地位を着々と抑えに出ている。その力の行使を何処まで拡大するのかと思えば、今度はIOCと来たのだった。油断も隙もあったものではない。こういう面だけではなく、海警法も改悪したし、香港の議会も民主派追い出しの決議もしたし、残るは台湾であり、バイデン政権の懐柔くらいものかと思っていた。私は迂闊にもIOCとまでは考えていなかった。
我が国の報道機関は産経の先例もあるので、迂闊に中国の批判は出来ないように抑え込まれているので、このワクチンの件も何ら批判的な注釈も付けずに淡々と報じた。私から見れば中国もそうだが、彼らマスメディアにとってはIOCもバッハ会長も“the untouchable”な存在として扱っているとしか見えない。おかしな事ではないのか。彼らマスメディアには親中派や媚中派が多いのは解っているが、それにしても腰抜けだ。言うべき事を言っているのは産経新聞だけでは如何ともし難い。
その untouchableだが、ジーニアス英和には「(人が)有力者であるために批判されない;影響されない、罰せられない」とある。その範疇に彼らが祭り上げているだけではなく、組織委員会も何となくIOC様々扱いのようであり、何かにつけて反論も抗議もせずに従順にお付き合いさせて頂いているよう。バッハ会長は専門家やジャーナリストたちがあけすけに指摘するように、経済的というか資金的な事情があるので、オリンピックは是が非でも開催せねばならないようだ。つい先頃も「やる、やる」と力強く述べておられた。我が国内の世論調査の結果など何処吹く風の様子だ。
私は常日頃、言いにくいと言うか危険な表現ではあると承知で「ヨーロッパやアメリカ人たちを崇拝する時代はとっくの終わっている。彼らに対しては言うべき事を恐れる事なく、正々堂々と真っ向から主張すべきだ」と言ってきた。彼らは時と場合によっては「これを言う事で失うものはない」的な駄目で元々の主張をぶつける手法に出てくるのだ。それを聞いてビビっているようでは何時まで経っても彼らに甘く見られてしまう。IOCの場合に典型的だったのが、突如としてマラソンの会場を札幌に移すと宣告してきた事だ。受けるにしても、一言二言の反論があっても良かったと思う。
私が偉そうにこんな事を言うのは、自分自身が20年以上も我が国を相手の輸出交渉をして来た経験から、一般論として、彼らに対して余りにも紳士的で口角泡を飛ばして議論をするというような姿勢に出てこられないのが、正直に言って歯痒かった思いがあったからだ。そこには民族性と文化の違いがあるのだと解っているが、私には決して一流の支配階層にあるとはとても思えないバッハ会長をあそこまで丁重に扱う姿勢を疑問に感じるのだ。彼は私が日頃から批判的な個人競技の出身者だ。川淵三郎氏のような団体競技の経験者ではない。これだけ言えば十分だろう。
結論的な事を言えば「何も交渉相手というか、交渉する相手の外国、団体、組織等々を恰も“untouchable”であるかの如くに敬う必要があるのか」と言う事だ。交渉事では相手を尊敬して丁重に扱うべきだが、腫れ物に触れるような扱いをするまで謙る必要などないと思う。交渉は対等であるべきだ。それは、国際的な話し合いや交渉事は馴れるまでは、正直に言って怖いのだ。だが、何時まで経っても恐れ畏まっていては、事は前に進まない。恐れなくなる為には外国語の習得も必須だが、場慣れも大いに必要だ。私は英会話の上達の鍵は「慣れと度胸だ」と永年唱えてきた。
報道によれば、中国はIOCに東京オリンピックに参加する選手たちの為にCOVID-19用のワクチンを提供すると申し入れ、再任が決まったバッハ会長は受け入れて代金はIOCが負担するとなったようだ。バッハ会長は参加する者たちにワクチンは義務づけないと発表してあったにも拘わらず、アッサリと方針を変更されたように受け止められる。習近平帝王の独裁下にある中国は、既にワクチン外交を手広く展開していたかと思えば、今度はIOCにも影響力の行使を目論んでいるように見える。怖い、怖い。
中国は広く知られているようにWHOのテドロス事務局長を自家薬籠中のものとしただけではなく、UNそのものにも影響力を行使できる地位を着々と抑えに出ている。その力の行使を何処まで拡大するのかと思えば、今度はIOCと来たのだった。油断も隙もあったものではない。こういう面だけではなく、海警法も改悪したし、香港の議会も民主派追い出しの決議もしたし、残るは台湾であり、バイデン政権の懐柔くらいものかと思っていた。私は迂闊にもIOCとまでは考えていなかった。
我が国の報道機関は産経の先例もあるので、迂闊に中国の批判は出来ないように抑え込まれているので、このワクチンの件も何ら批判的な注釈も付けずに淡々と報じた。私から見れば中国もそうだが、彼らマスメディアにとってはIOCもバッハ会長も“the untouchable”な存在として扱っているとしか見えない。おかしな事ではないのか。彼らマスメディアには親中派や媚中派が多いのは解っているが、それにしても腰抜けだ。言うべき事を言っているのは産経新聞だけでは如何ともし難い。
その untouchableだが、ジーニアス英和には「(人が)有力者であるために批判されない;影響されない、罰せられない」とある。その範疇に彼らが祭り上げているだけではなく、組織委員会も何となくIOC様々扱いのようであり、何かにつけて反論も抗議もせずに従順にお付き合いさせて頂いているよう。バッハ会長は専門家やジャーナリストたちがあけすけに指摘するように、経済的というか資金的な事情があるので、オリンピックは是が非でも開催せねばならないようだ。つい先頃も「やる、やる」と力強く述べておられた。我が国内の世論調査の結果など何処吹く風の様子だ。
私は常日頃、言いにくいと言うか危険な表現ではあると承知で「ヨーロッパやアメリカ人たちを崇拝する時代はとっくの終わっている。彼らに対しては言うべき事を恐れる事なく、正々堂々と真っ向から主張すべきだ」と言ってきた。彼らは時と場合によっては「これを言う事で失うものはない」的な駄目で元々の主張をぶつける手法に出てくるのだ。それを聞いてビビっているようでは何時まで経っても彼らに甘く見られてしまう。IOCの場合に典型的だったのが、突如としてマラソンの会場を札幌に移すと宣告してきた事だ。受けるにしても、一言二言の反論があっても良かったと思う。
私が偉そうにこんな事を言うのは、自分自身が20年以上も我が国を相手の輸出交渉をして来た経験から、一般論として、彼らに対して余りにも紳士的で口角泡を飛ばして議論をするというような姿勢に出てこられないのが、正直に言って歯痒かった思いがあったからだ。そこには民族性と文化の違いがあるのだと解っているが、私には決して一流の支配階層にあるとはとても思えないバッハ会長をあそこまで丁重に扱う姿勢を疑問に感じるのだ。彼は私が日頃から批判的な個人競技の出身者だ。川淵三郎氏のような団体競技の経験者ではない。これだけ言えば十分だろう。
結論的な事を言えば「何も交渉相手というか、交渉する相手の外国、団体、組織等々を恰も“untouchable”であるかの如くに敬う必要があるのか」と言う事だ。交渉事では相手を尊敬して丁重に扱うべきだが、腫れ物に触れるような扱いをするまで謙る必要などないと思う。交渉は対等であるべきだ。それは、国際的な話し合いや交渉事は馴れるまでは、正直に言って怖いのだ。だが、何時まで経っても恐れ畏まっていては、事は前に進まない。恐れなくなる為には外国語の習得も必須だが、場慣れも大いに必要だ。私は英会話の上達の鍵は「慣れと度胸だ」と永年唱えてきた。