新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月11日 その2 「どれが本当の石原慎太郎君なのか」の補完

2022-03-11 16:00:46 | コラム
「自分のことは解らないものです」:

この見出しは、21世紀パラダイム研究会を主宰しておられた元日本興業銀行の常務だった上田正臣氏がしみじみと言われたことだった。上田氏に2000年代に入ってから親しくさせて頂くようになり、色々と薫陶を受けた間柄だった。確か大正13年のお生まれだった。「自分とは如何なる人物かは簡単には明確に認識できない」と言われたのだった。自分が何者かも分からないのに、他人のことまで解るわけがないだろうという意味でもあるのか。

ということで、昨日取り上げた「どれが本当の石原慎太郎君なのか」を少し補完してみようと思うのだ。再度「私というか我々が知る石原慎太郎君とは」を論じてみよう。私が中学から高校を通じて承知していた彼は「神経質で、青白き秀才の部類で、気が弱い、寧ろ控え目な奴」だった。「目パチ」と呼ばれていたように目をパチパチとされる弱気のようにも見えていた。ところが政治家となるや、昨日「選択」の記事から引用したような人物だったし、一部のメデイアには豪放磊落にして大言壮語する人物と決めつけられていた。

だが、私が勤務していた日本の会社に彼が所有していたサッカーのクラブに所属していた、同じ湘南のサッカー部で10年下だった者が入社してきた時に「その会社に就職するのならば、彼がいるから挨拶してこい」と指示したというように、細かいことまで気が付く人でもあるのだ。この会社は紙流通業界では存在は知られていたが、上場会社でもなく世間的には無名なので、著名な作家になっていた石原君が私の就職先を知っていたのは意外だったし、そこまで気を遣ってくれたのには感激もした。また、彼の細かすぎる金銭感覚を云々する向きもあったようだ。

私はこれらの何れもが「石原慎太郎」であり、人には多面性があると思っている。私は「人には色々な面があるもので、それらを時と場合で都合が良いように使い分けているのだ」と信じている。石原君の場合は「神経質で気が弱い」のが本性であり、それを表に出さないように、他人に気取られないようにと考慮して、その反対の面を敢えて強調して表に出しているのだろうと考えている。この点は、サッカー部で一緒だった者たちの多くはそう看做している。私は色々な自分を使い分けても、本性だけは失わないよう心掛けてきたし、彼も同じではないのか。

その点では、何度か述べてきたというか回顧してきたことで「アメリカ人の中に入れば、自分の職の安全を確保するため(job securityという)には日本人(外国人でも良いだろう)としての個性を押し隠して、彼らと極力同化して、彼らの思想信条と哲学に基づいて働き、何とかして彼等と同じ程度にまで英語力を高め、事業部に貢献しようと努力した」のだった。それでも「絶対に日本人として誇りを忘れずに、矜持を保つよう最善の努力を怠らなかった」のである。

そして、彼らに言われたことは、自慢でも何でもなく「君の仕事ぶり、着ている物、話している言葉を聞けば、間違いなく我々の仲間だと思わせてくれる。だが、長く且つ深く付き合って分かったことがある。それは、君が骨の髄まで日本人だったということ」だった。如何に隠そうと努力しても、彼等の中には私の本質を見抜く者がいたのだった。

ここまで回顧したのだから、私が周囲や取引先からどのように見られていたかに触れて見よう。「直ぐ怒る短気な人」と見抜いていたのは秘書さんだけではなかった。更に告白すれば人付き合いは苦手だったし、人の好き嫌いが直ぐに非常にハッキリと出てしまうと秘書さんには注意されていた。だが、一般的には腰が低くて如才ない熟練の営業担当者だと見えていたようだった。それは自分の欠点を知らされたので、何とかそれを隠そうと「丁寧に、丁寧に」と努力していただけのこと。商社で個人指導した若手には「個性の塊みたいな人」と言われて愕然となった。

言いたかった事は「自分が人様にどのように見られ、受け止められ、認識されているのか」などは、言われて見なければ解りようながないことだし、「自分はこういう者だろう」と勝手に考えていても、飛んだ見当違いになるということらしい。65歳になって「個性の塊」と若者に指摘されて「知らなかった」と反省したのだ。そういうものだから、「どれが本当の石原慎太郎君」などが外から解るはずがないと思っている。案外に彼自身も突き止めて切れていなかったかも知れない。いや、そんなことはあるまいが。


戦争とは狂気が為せる業だ

2022-03-11 09:29:36 | コラム
戦争とは人に正気を失わせるものだ:

また、昭和20年に中学校に入学して以来の級友と語り合った。彼とは「もう一度クラス会ででも再会できるだろうか。いや、難しいのではないのか」という点で、遺憾ながら合意している。その内容を箇条書きにしてみよう。余計なことだが、近頃テレビだけではなく方々で「品物」と言いたくて使われている「アイテム」(=item)を使って、英語では箇条書きと言いたい時に“itemize”というのだが。“item”が商品とか品物という意味でアメリカの上司や同僚が使った例を殆ど知らなかった。

*戦争を知らない者がしたり顔で語って欲しくない:
彼も見ていたが、テレビに登場した87歳の男性が「戦争が如何に悲惨か。だから二度とするべきではない」と、子供たちに言い聞かせていると、滔々と語っておられたのを聞いた。合意したことは「確かに良いことを言っておられるが、87歳では大東亜戦争が始まった時には小学校1年生のはずだし、終戦の時でも5年生だ。その子供に何が分かるのか」という点だった。利いた風なことを言わないで貰いたいし、言わせるのもどうかと思うのだ。

彼は平塚市で大空襲に遭って家屋敷と田畑を焼き尽くされた大地主の長男だ。その上に農地解放で何もかも失っている。同じ平塚市の生まれで我らがクラス会の大黒柱の某君は、家屋敷どころか両親が経営していた市内の百貨店を焼失し、両親が焼死したのだ。私は自分自身が病弱で藤沢の鵠沼に転地療養を兼ねて疎開していたので、20年4月に空き家にしてあった変えるべき東京市小石川区の家と家財等々を全て焼き尽くされた。その他に、戦後には財産税まで納めさせられて完全に無一文に近い状態になったと、母方の叔父に聞かされた。

だから、彼も某君も戦争という狂気が為せる業により、文字通り「辛酸を嘗め尽くされていた」のだ。私は彼らと比較すれば未だ軽症の方だった。しかしながら、我々のクラス会のみならず、同期には戦争の被害者は言うなれば無数にいるのだ。だが、大勢が集まる何度も開催された同期会でも毎年のクラス会でも、戦争の話など持ち出す者など皆無だ。我々は皆あれが正気の沙汰ではなかった時代を子供ながら見てきたのだ。狂気に駆り立てられていたのだ。だからと言うべきか何と言うべきか、そんなことを今更言い出して「戦争反対」などとは言わないのだ。

中学1年生が動員されて海岸に行って防風林の松の根っこを掘り出していた。その目的は「根から松根油を取って敵米英をやっつける戦闘機の燃料にするのだ」と先生に教えられて、それなら一所懸命にやろうとしていたのが勤労動員だった。でも、仲間同士で「これで本当に戦闘機が飛ぶほど取れるのか」と疑問を語り合ったこともあったが、そんなことを言い出せる時期ではなかった。

風船爆弾のことも知っていたし、竹槍で本土決戦に備えた訓練をしたのも見ていた。それで防げるのかなと言う疑問が出る余地などなかった。あの頃に、小学校(後に「国民学校」」の1年だった者が、あの頃のことを語るのは無理があると思う。我々は中学の入学試験の口頭試問では「海軍兵学校か陸軍幼年学校に入学してアメリカと戦います」などと決意を語れと指導された。4年生の中には江田島の海軍予科士官学校から帰って来た(復員)方が何人もおられた。

そういう時代も過ごした彼は一時的に出向でアメリカの超大手衛生用品・家庭用品等の日本法人に籍を置いたこともあったし、私は純粋のアメリカの会社に転進していた。言ってみれば「恩讐の彼方」にか。

*ウクライナで起きていることは戦争なのだ:
彼と合意したことは「マスコミの連中には『戦争とは何か」』が分かっていないらしい」ということだった。確かに、プーテイン大統領の指揮の下にロシア軍が実行しているウクライナ侵攻は非道であるし、正気の沙汰ではあるまい。だが、戦争に勝とうと思えば「目的のために手段を選ばず」であるとか「目的は手段を正当化する」方向に進んでしまうのだと思う。ロシア軍が産科病院を襲って破壊したのは、明らかに人道上は大問題だが、言いたくはないが「それが戦争による狂気がさせたこと」なのだ。

我が国を降参させるためにアメリカは東京を再三再四空襲したし、何の為か平塚市を焼き尽くした。艦載機の機銃掃射で我々の同期生は膝を打たれて身体障害者にされたし、私も下校の途中で狙われて松林の中に逃れて危機を脱した。第一に、アメリカな広島と長崎に原子爆弾を落としたではないか。あれが手段を選ばずの典型だと思うし、現在のロシアよりも正気ではなかったと思えるのだ。だが、それが戦争なのだ。だから、彼とも語り合ったことは「あの頃を経験せず、実態を知らない者に語って欲しくはない」言いたくもなるのだ。

彼も私も戦争反対とは反戦論者でもない。だが、戦争とは人を狂気に走らせてしまうものだと、中学1年生でも実感を以て分かっているのだ。ロシアのラブロフ外相は18年もあの地位にいるのだそうだが、あの昨日のトルコでの会談では「シレッ」として、ロシアかプーテインがやっていることを正当化するだけで、半歩もウクライナに譲歩することはなかった。あれは、あの外務大臣が怪しからんのではなく、あれこそが「これを言うことで失うものなどない」という彼らの常套手段の単純な表現であり、彼らがそう言う人種だと認識すべきだと教えてくれただけ。

私はラブロフ外相が未だ正気であって、プーテイン大統領の言うままに動いているだけだと思って見ている。言うなれば「すまじきものは宮仕え」なので、大統領に派遣されたお使い奴という存在のように見える。そうでないのならば、戦争に走ったロシアでは上から下まで正気を失っているのかも知れない。