新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の好みの背景音楽

2022-03-06 11:26:14 | コラム
ショパンからウイントン・ケリーまで:

何年前から始めたかの記憶も定かではないが、少なくとも2003年よりも数年後からブログの毎日更新と渡部亮次郎氏が主宰される「頂門の一針」への投稿も欠かしていない。それらを書いている(打っていると言う方が適切か)時には、背景に好みの音楽を流すようにしている。本来ならば、バックグラウンドミュージック(BGM)とでもすべきなのだろうが、カタカナ語排斥論者としては「背景音楽」としたまでのこと。

私は以前に渡辺亮次郎氏にも指摘されたようにジャズのファンなのだが、2006年1月に一回目の心筋梗塞で入院した際に、紙業タイムス社のH編集長がお見舞いにと下さったモーツアルトの10枚組CDを、体を動かしても良いと許可を頂いてからは、朝な夕なに聞き続けたので大いに精神の安定を取り戻せたのだった。それ以降は、子供の頃に家にあった分厚いクラシカル音楽のアルバムで聞かされていたのを思い出して、あらためてクラシカル音楽のCDも買い集めるようになった。

その結果として、外出する度にHMV他のレコード店ならぬCD店に立ち寄っては、手当たり次第に買い漁るようになっていた。そこで、モーツアルトは既に10枚組があるので新たに買い求めはしなかったが「アイネクライネナハトムジーク」や「トルコマーチ」などを背景に流すようになった。実は1995年にザルツブルク(現地の発音はサルツブルクだった)でモーツァルトの生家を観光しこともあった。

次に熱心に聴くようになったのがショパンだった。小学校(当時は少国民は国民学校に通っていたが)の頃に、道路を隔てた家に上野の音楽学校(現在の国立東京芸術大学)のピアノ科を首席で卒業されたピアニストがおられたので、年がら年中練習が聞こえてきていたので、ピアノ音楽には子供の頃から馴染みがあったのだ。そして、自分の葬式では是非かけておいてほしいと思うほど好きになったのが「ミリタリポロネーズ」と「英雄ポロネーズ」なのだ。だが、流石に毎日のように聴いていれば他に何かないかと思うようにもなった。

そこに浮かんできたのが、ヨーロピアンジャズトリオの“Best of Classics”と題した2枚組CDだった。内容は題名が示すようにクラシカル音楽の名曲をジャズ化したピアノトリオの音楽である。私が気に入っているのは、マーク・ローン(Marcvan Roon)の綺麗でしかも時には強烈な、と言うか硬質なタッチなのだ。今朝程からこの2枚組を流し続けている。このトリオは1984年にカレル・ボエリーのピアノを中心に結成されたが、1995年にローンの他にフランス・ホーヴァンのベースとロイ・ダッカスのドラムに変わっていたようだった。

ジャズではオスカー・ピーターソンのピアノがキーボード入力に向いているかと思って流してみたが、余りにリズミカルで付いていけなくなって願い下げにして、ウイントン・ケリーの「ケリー・アット・ミドナイト」辺りにしている。ピアノ音楽ばかりかと言われそうだが、偶にはジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・スイングス」も流してみるが、これだとかえって聞き入ってしまうので手が止まる嫌いがある。

意外な所ではスペインをパック旅行で回った時に、何かの切掛けで買ってしまったと思うグラナダ大学の合唱団の「ルナ・デ・シエンシナ」(と読むのだと思う)CDを掘り出し物だと思って流すよりも気に入って聴いている。内容は「グラナダ」や「ラ・パロマ」や「アマポーラ」等のスペインのポピュラーソング集の如きだが、「ベサメ・ムーチョ」というメキシコの曲も入っている。別に音楽性が高い訳でもないが、気楽に聴ける曲を大学生たちが如何にも一所懸命に歌っている辺りに好感が持てるのだ。

この他には一昨年に残念ながら亡くなった弟が譲ってくれたベートーベンやチャイコフスキーやビゼーといった有名な作曲家のCDがある。だが、この種のクラシカル音楽の名曲集は背景に流しておくには勿体ない気がするので、中々そこまで手が(耳が?)が回っていない。