新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月25日 その2 あずさ22号の旅

2022-03-25 16:24:00 | コラム
何十年振りかで在来線の特急に:

昨24日は予定外の帰京となって、JR中央本線の小淵沢駅から特急あずさ22号で新宿に向かった。乗ってから気が付いたのだが、この前の何時頃に在来線の特急を利用したかの記憶がなかった程間が空いていたのだった。そして、富士山を南側に見て走った経験もなかったことにも気が付いた。

また、小淵沢の駅ではみどりの窓口ではなく、所謂「タッチパネル」の券売機で急行券を買う仕組みになっていたのも、時代の変化というかITC化の波がここにも及んでいたと思い知らされた。駅の事務室の中には駅員は1名しかいなかったと見た。

小淵沢の次の停車駅が韮崎と知って思い出したことがあった。それは、昭和22年9月に韮崎中学(現在は高校)の創立25周年記念で近県招待蹴球大会が開催され、湘南中学が参加して中学3年だった不肖私も補欠選手として韮崎にやって来ていたことだった。流石に試合の経過の記憶はないが、我が湘南中学が優勝したことはちゃんと覚えていた。その懐かしき韮崎市を75年振りに通過したのだった。

21日に山梨県北杜市の言わば八ヶ岳の山麓で海抜約1,200mのホテルにチェックインしたのだったが、その晩から大雪が降って外は一面の雪景色で、私には滅多に見ることが出来ない枯れ枝に雪が積もった景色を楽しむことも出来た。列車の窓から見た家々の屋根には雨樋が見えなかったのは、あの辺りも豪雪地帯かなと思って通り過ぎた。

あずさ22号は当然ながら八王子市と立川市を通るのだが、89歳の記憶ではこの近代化された町並みを車窓からでも見たのは初めてだった。では、昭和22年にはどうやって韮崎に遠征したのだろうかと考えていた。

この沿線には未だ殆ど高層建築が林立する景色が見られないのには、何となくホッとする感じがあったのは何故だろう。しかも新宿に近くなっても他の首都圏の鉄道沿線のように谷底を走っているかのようには感じられなかった。と言うことは、未だ開発の余地があるという意味かとも考えていた。車内販売は男性が回っているのも興味ある現象で、クレデイットカード払いが出来るのも面白かった。

ここで、矢張り英語の話に触れておこう。それは大分走ってから気が付いたことで、車内放送が私は何度も何度も「国辱的」と批判してきたクリステル・チアキさんではなかったと気が付いたのだった。その女性の発音はかなりクイーンズ・イングリッシュ寄りだったのだが、「アレッ」と思わせる明らかなAmerican Englishの発音があったのだ。細かいことを言えば「車内で携帯電話を使う時はデッキに出て」という時に“mobile phone”を「モブルフォーン」と発音していたのだった。これはアメリカ式で、英連邦式では「モーバイルフォーン」であるのだ。

細かい揚げ足を取る奴だと言われそうだが、この点とtoやforのような前置詞やandのような接続詞にもアクセントを付けてしまっていることを除けば、クリステル・チアキよりはずっと好感を持てる英語だったので少し安心したと同時に、JRは何故この女性を使うことに踏み切ったのならば、何故山手線等の車内放送も切り替えないのかなと思って聞いていた。

そんな余計な事に気を遣っている間に、無事に列車は新宿駅に到着して2時間足らずの在来線の特急の快適な旅が終わったのだった。「何、英語のことが言いたかっただけじゃないのか」と言われるのか。答えは「Yes and no.」でした。


我が代表が何とかW杯出場まで漕ぎ着けた

2022-03-25 09:20:14 | コラム
先ずは結構なことだった:

実は、YM氏と八ヶ岳の山麓に滞在の2日目の朝に思いがけない事故が発生して滞在を打ち切って昨24日に帰宅したところ、取り上げたい材料が山積していた。それで何処から手を付けて良いかと迷っている次第。そこで、放映権料の高騰で地上波の中継がなかったW杯サッカーの最終予選で、我が代表がオーストラリアに勝利して出場を決定した試合から。勝ったのは大変良かったと思う。その行く末を案じていたので先ずは一安心だった。

一昨日から新聞も読める余裕もない状況にあったので、地上波の中継がない事すら知らなかった。そこでNHKの9時のニュースがスポーツを取り上げる9時45分まで辛抱して待っていた。何と、NHKは相撲の前に取り上げて勝利を報じたのは意外だった。後半の終了間際に途中出場の三苫がゴールラインギリギリの右から山根が斜め後ろに戻したパス(センタリングと言えるか)を右足で原則通りに決めて、ほぼ勝利が決まったように見えた。

実は、私はマスコミ報道では吉田麻也は復帰していても富安と酒井宏樹が不在で、彼等が大黒柱のように言う大迫も欠場では不安であると報じていたのを疑問視していた。その理由には先ず大迫君は何度も指摘したようにポイントゲッターでも大黒柱でもなく、中盤のつなぎ役程度だと低評価していることを採り上げたかった。問題点は彼の代役として名前が挙がっている者全てが「帯に短く襷にも短いこと」だった。

そして、彼等が指名しなかった三苫が2点も取って試合を決めたのだった。その辺りを清雲氏が産経紙上で「ベンチワーク」と褒めたが、ニュースしか見ていない私には苦肉の策で一か八かでの起用かと見えたが、俗な言い方をすれば「結果オーライ」である。ここでカタカナ語の批判をしておくと「ベンチワーク」とは作業をする土台のことで「ベンチの作戦か采配」の意味などない。こんなカタカナ語を堂々と使うとは恥知らずだ。

次なる勝因は(推量だが)オーストラリアの監督のテイーム作り、乃至は戦術の変更に対する疑問だ。嘗てのオーストラリア代表のサッカーはと言えば「オーストラリアンフットボール」というラグビーよりも遙かに厳しく当たり合う競技の経験者が多かったようで、その特色を大袈裟に言えば「肉弾相打つ猛烈な当たり方」が特徴だった。特に私の記憶にある激しい当たり合いを見せたのが、2015年のアジア選手権の決勝で韓国と徹底的にぶつかりあった試合だった。その凄まじさを入院中のベッドで見ていて、言葉も出ないほど驚かされていた。

ところが、数年前に監督を替えてからは、何を思ったのか我が国のサッカー選手たちも遠く及ばないような責任逃れ的な細かいパス回しサッカーに方針変更したのだった。しかしながら、その結果は一向に実を結ばずに中途半端な質になっていた。我が方とのホームでの一戦でも未だ前途多難と思わせてくれた正体不明のサッカーだったのだ。それが短期間に我が方を凌駕する次元には達してはいないだろうと読んでいた。試合の全部を見ていないので何とも言えないが、富安も酒井もいない我が方の守りを突破できなかった程度に終わったのだろうと察している。

当方は森保監督をさほど評価していないが、あの苦境からここまで持ってきた努力には敬意を表しておくべきだと思う。妙な言い方をお許し願えば、私は森保一氏のあの喜怒哀楽が殆ど表情に出てこない為に、どちらかと言えば暗さを感じさせているのではないかと思っている。そして、昨日は堂安を代表から落とし、久保建英を使わずに勝ちきってしまった辺りは「自分の信念を変えない頑固さ」もあるのかと思っている。この代表テイームの最大の弱点は「決定力があるFWを育ててこなかったこと」以外にないと思う。監督自身はFWではなかったのでは。